ミリー・アロウ視点
一体どちらが真に振り回されているのか……
ここのところ、ミリー・アロウの朝は老人並みに早い。
一日の仕事を出来るだけ手早く処理するために、予めやるべきことを頭に叩き込んでおく。今は仕事を丸投げするヒナゲシの代わりに魔法グッズの普及も担当しているので、あちこちに顔を出す必要もある。時間はいくらあっても足りなかった。
「報告書と次の提案書はこれでいいか……宰相補佐の仕事は午前中で終わらせて、さっさと工房建設見に行かないと」
書き込みを終えた紙を束ね、窓を見ると朝日が入り込んでいた。手元のランプの火を消して席を立つ。
素早く部屋の戸締りをし、執務室に向かう。足早に職場へ赴くと、これまた早々に席についている養父が部下に指示を出していた。
「養父さん」
「おはよう、ミリー。今朝も早いね」
「養父さんもね」
年上の同僚たちとも臆せず挨拶を交わし、早速自分のノルマに取り掛かる。養父に次いで自らの判断に任される仕事の多いミリーは、ミスが絶対許されない。頭をフル回転させ、書類を捌き続ける。
午前中無心で机仕事を片した後、疲れ果て充電したがっている体を引きずるように席を離れた。
ここのところ昼を取る部屋は決まっている。城の奥の奥。
「はぁーっ」
「…………」
椅子に腰掛け、既に卓上に用意されていた飲み物に手をつける。食べなければ午後のスケジュールもこなせないので、食欲が湧かなくても食べないといけない。
宰相補佐の仕事など熟れたものだが、下の思惑や上の都合の板挟みになるので愉快なわけがない。自分の指示で誰かが拗ねることだってあるし、それも調整しないと後々響く。
──全く、無能に限って要望が多いんだよね。手元不如意って言葉知らないのかな。
モグモグと昼食を食べつつ、視線は一箇所に集中している。相手は引きつった顔だが、ミリーは瞬きをする時間すら惜しみ、彼女をガン見する。
何故かどんなに忙しくて心が荒んでも、彼女を見ると苛立ちが必ず鎮静化する。誰かに腹を立て人を憎みそうになっても、何故か彼女を見るとマイナス思考が霧散する。
──不思議な子だよね、ヒナゲシって。
喉が詰まりそうになって合間に果実水を流し込み、この国には見かけない黒髪や瞳を眺める。
貴族の馬鹿の中には彼女が美しくないなどと戯けたことをぬかす阿呆がいるが、彼女の美しさの真髄は外見などではないと思う。
いやもちろん少し黄色い肌色やピンク色の唇は可愛いし可愛いし可愛いのだが、美少女というわけではないしやはり心根が一番綺麗だと思うのだ。
もぐもぐもぐもぐ、ごっくん。
野菜と肉を挟んだパンを噛み砕き、また水を飲む時も一秒たりとも視線を外さないままにミリーはヒナゲシを熱く見つめながら彼女の良いところを列挙していく。
──素直なところが何より可愛いよね、嫌なことだったり嬉しいことだったりすると全部全部顔に出るしいやまぁ何故か僕といる時が一番顔引きつってるんだけど、てかラーゼが執拗に彼女に手を出すのもわかる可愛いし可愛いし可愛いし、でもあいつでもヒナゲシが触られてるのは嫌なんだよなぁだってそういう時はラーゼの方ばっか見てるし怒られてるんだけど一応、ほら他の女たちって僕らに媚びるばっかで本心見え見えで嘘つくしヒナゲシのような明け透けで下心のないのは珍しいっていうか可愛いっていうか。
「…………」
うん、眉間にシワがよってても可愛いんだよねやだ僕今超恋してるだって初恋だもん初恋は叶わないとか言うけど叶える気満々だからね僕、将来宰相だしね甲斐性確実にあるよヒナゲシくらい養える給料今すでにもらってるし結婚前にはオースティン様に挨拶かなぁやっぱり!
「……………………」
食後の紅茶も飲み干して優秀過ぎる脳に午後の予定を聞く。ああもう離れ離れかもっと見てたいんだけどな本当は仕事なんてサボりたいヒナゲシと話してたいけどこれからやるのはヒナゲシのための仕事だしってか何でヒナゲシの動く分まで僕働いてるんだろラーゼ魔法関係でなきゃ動かないしあれ僕恋の奴隷状態?
女の子なんて正直どれも同じだし全く興味関心なんてなかったんだけどね、泣こうが駄々こねようが頭空っぽの人形にしか見えなかったし。
でも、ヒナゲシだけは無視出来ない。そばに居たら絶対目で追ってしまうし見えなくなっても行ってしまった方をじっと見てしまうし誰かと話してたら割り込んで自分の方を振り向かせたくなるしああもうとにかく好き。
そこまで結論が出て、ミリーの顔が林檎のように赤く染まる。ひえっとヒナゲシが悲鳴を上げたが本当に失礼だねヒナゲシ。
──タイムリミットだ、速く工房を見に行かないと。
懐中時計を引っ張り出して溜め息を吐く。もうヒナゲシとお別れなんて。
「行って来るよ……ヒナゲシ」
「どこへ?」
重々しく告げたミリーに全力でボケるヒナゲシ。
「…………」
「いっ! いだっ! いひゃひゃひゃ」
ギリギリと摘まんだ頬は餅。ぷにぷにの頬に和みそうになったが、腹が立ったので力の加減はしてあげない。
──ヒ・ナ・ゲ・シ・のっ! 欲しがった工房の大詰めなんだけどっ!?
「ゔみゃあ〜」
「フンッ」
泣くヒナゲシを鼻で無視。
本当にこの子は僕の苦労と努力も知らずにっ!
ぺいっと頬を放し、部屋を出る。めぇめぇ泣いてる声が聞こえたが、僕をこれだけ手足のように使っておいて何泣いてるんだか。本当、自覚ないなんてありえないよ。
大工関係者と会って工事の進捗状況を聞いて、要望問題エトセトラを聞き出して次の仕事に向かう。ヒナゲシが前にやってみたいと言っていた案があるから、伝手のありそうな人間に掛け合ってみるつもりだ。
そうして夜中までかかってあらゆる案件を推し進め、部屋に帰ってきた時にはヒナゲシも爆睡しているだろう刻限だった。
この歳で肩凝りが慢性化しつつあることに嘆き、持ち帰った資料を机に投げ──あ?
机に何かが乗っていたので手にとってみると、ヒナゲシの拙いオルディラン語であった。思わず和みそうになるが、書き殴られたそれが理解出来るにつれ、昼のヒナゲシのように顔面が引きつっていく。
──ヒナゲシは、盲点を突いてくる。
どのオルディラン人もそう言うが、一番それに直面するのはミリーであろう。何たって彼女が一番に持ち込んで来る先なのだから。
──スポーツドリンクによる効能の説明会? 対象は騎士並びに医者? 定期的な人間ドック? 何だそれは??
謎の単語が乱舞するそれに本日一番の悩ましい思いを抱く。何故この時間に内緒で部屋に忍び込んで持ってくる? 僕を寝かせないつもり?
ヒナゲシが騎士団を気遣って懸命に考えたことだとわかるから、明日考えるなんてことが出来ない。
はぁ、と溜め息を吐いて椅子を引いた。ランプは明日の朝まで消えることはないだろう。多分今夜もきっと徹夜。
──朝ごはんはヒナゲシの部屋でとろう、そうしよう。僕の疲労の原因は、ヒナゲシの、ヒナゲシによる、ヒナゲシのためのものなのだから。