召喚
召喚魔、というのは。
別次元から喚び出す魔力を持つ人外の総称らしい。
個体によるが、こちらに呼び出す一連の儀式と存在を維持させる両方でえらく魔法エネルギーを食うのだとか。それ故に高位の魔導師が呼び出すのが常で、魔導師の格を示すものだとされる。
「ヒナゲシの有り余っとる魔法エネルギーならば十分契約可能じゃし、維持・存続も出来るじゃろ。召喚魔を連れ歩けるほどの存在だと知らしめれば、まず手を出されまいて」
なるほど、と大人たちは納得した。
ちなみにガートンにも召喚魔はいて、普段は例の森に放したままなのだそうだ。今現在ヒナゲシの家庭教師役が主で大きな魔法を使う必要もないため、連れ歩かないんだとか。一体どんな子だろう?
「ラーゼハルトは複数従えとるぞ。あやつの魔法エネルギーは無尽蔵じゃからの」
「エロだけじゃなかったんだね」
「…………」
──何やっとるんじゃ、あいつは。
険のある目つきのヒナゲシを見ながら、溜め息一つ。
ミリーとラーゼを城に連れ帰ったのはガートンである。わざわざスラム街で拾ったのは、ラーゼの溢れんばかりの魔法エネルギーが際立っていたからだった。いずれこの大きな力で問題を起こすのは確実だったし、とりあえず魔法院に放り込んでおこうと思ったのだ。幸い魔法エネルギーゼロのミリーも頭の良さが宰相の目に止まり、引き取られていった。
魔法院預かりとなったラーゼだが、教育はガートンが施した。ちょっと自分も荒んでいたので情操教育に失敗してああなってしまったが、今まで女性に手を出したことはなかったのに。
「あの野郎、この前故意に私の胸掴みやがった。ガッて! ガッて! 普通胸に触るならムニッとかそんな擬音じゃね? なに、ガッて。驚き過ぎて反応忘れたわ!」
ブツブツ呟いている内容にガートンの方がびっくりだ。自分のせいだが元々ラーゼは女性に対する態度がなってない。ヒナゲシにしたような意味でなっていないのでなく、女性を女性とも思わぬ態度でなっていなかったのだ。つまりいくら媚びられようが反応しなかった。おそらく下も。
恋愛に興味を持たせるほど余裕のある生活をさせなかったからとも言える。今のガートンからじゃ想像もつかなかろうが、食糧も持たせずナイフ一本渡して森に放り込んで一月以上忘れていたこともあった。基本魔法しか教えていなかったので、よく生き延びたなと呑気に感心した。
その後魔法院でも見事に才覚を発揮して生き残り、陰湿な嫌がらせをした連中は生死ギリッギリまで叩きのめしているようだ。人間自体に嫌気がさしているようだったので、ヒナゲシにここまで執着するとは思わなんだ。……何でエロ方面に特化したのかは謎だが。
「まぁ魔導師としては優秀じゃからの、あいつは。小回りのきく小動物から移動に便利な飛行生物まで召喚しておる」
「へぇ」
ヒナゲシの反応は鈍いが、これが如何に凄いことか。魔法を多少なりともかじった者ならわかる話だ。
召喚自体は誰にも出来る。手順は簡単だから。そして喚ぶことも一定の魔法エネルギーさえあれば可能。が、契約を交わし、以降こちらに定着させることは簡単に出来ることではない。
「こっちじゃ」
ゲーム脳で迷うことなく地下へ向かおうとしていたヒナゲシを引き止め、明るい表に出る。召喚は外の広いスペースで行うのだ。
並んで歩くヒナゲシの黒い頭頂部を見下ろし、この少女はどんな召喚魔を得るのだろうか、と考える。
魔法関係では禁術と呼ばれるような誰もが自由に使えないものばかりを会得していく。どう考えてもエネルギーの消費量は激しい筈なのに、疲労を訴える気配すらない。
異世界人であるが故か。わからない。だがこれだけ魔法エネルギーを有り余らせているなら、一体や二体、召喚魔を侍らせていた方がいいだろう。精霊がついているが、下手に感情がある分、常に侍っているとは限らない。ならばいつでも呼び出し可能な召喚魔がついていた方がいいに違いない。
石造りの外廊下を歩き、木も建物もないスペースに出る。ここは主に遠征前の騎士を集めたりする場だが、召喚する為に魔法院の人間が使うケースもある。召喚する魔がどの程度の大きさかわからぬ為だ。
「魔方陣もない……」
ヒナゲシが残念そうに呟いたが、意味も理由もわからないのでスルーする。
手の一振りで巨大な結界を張るとヒナゲシを促した。
「ヒナゲシ。目を瞑り精神集中し、適当に何か喚べ」
──え、矛盾してなくね?
「…………」
「…………」
黙って見つめ合う師弟。背後にはずらりとリーゼシアたちが並んで見守っていたが、城を出る際に更に増えている。見かけた人間がぞろぞろと勝手についてきたのだ。
いくら見つめてもそれ以上のアドバイスはなかった。
これは呪文も何もなしに臨めということ? 召喚の儀式なんてやったことないのに?
うーん。ヒナゲシが呻く。
アドバイスがないのは形式が何もないからだろうか。コピー魔法や分析魔法みたいに呪文なしに出来るということだろうか。
召喚。
そこで思い浮かぶのはやっぱりゲームである。
ええと……杖はないが、勇ましく何か言っちゃうわけだ。中二病大発症なことを。
「我は求め訴えたり」
明るく言うのも変なので、腹の底から低い声を出してみた。こく、と背後で誰かが息を飲む。
立ちん棒も変なので、利き腕の右手を掲げる。これ失敗したら一生の恥だな、と思いつつ。
「我が声をきく者よ応えろ」
しゅおおおん、と何故か目の前に白銀の光を放つどでかい魔方陣が現れた。目が点。
ビビる。まじビビる。え? 何この魔方陣。隣のガートン先生がビクッとなさったんですけど。何? この右手下ろすべき?
でもこれ、途中でやめた方がヤバイ気がする。
「ヒナゲシの名において命ずる」
ヒュオオオオ……!
やっべ、マジやっべ! 誰か助けて! 何か魔方陣から風吹いてるー!!
しかし後戻りも出来ない。上げっぱだった腕を勢いよく振り下ろす。
「来たれ、我が忠実なる僕!!」
カッ!
っぎゃあああああ!!
爆風が巻き起こり、魔方陣を中心に風が吹き荒ぶ。何か来たのは確実だった。
ゴーストハウスのラップ音のような激しい音が鳴り響き、バリバリと雷のような光が走る。
やべぇ、何か喚んじまった。それもデカそうなやつ。そしてヤバそうなやつ。やっべぇ……。
止まらぬ汗に小心の心臓がロックを奏でる。責任が取れそうもない展開にヒナゲシが一番パニクっていた。
「……っく!」
「風、止んだ?」
背後に控えていた人間がざわつき始める。てっきり知り合いのみと思って中二病発言をしたヒナゲシは、別の意味でも冷や汗をかいた。み、見られてたっ!?
後ろを振り向けない代わりに、発光と竜巻が落ち着き始めた魔方陣を見つめる。激しい光を帯びていた魔方陣が、まるで何もなかったかのように消えていく。一体何の魔方陣だったんだろうか。
見たところ100メートル走以上の直径だった気がするが、そんなに大きな円になる魔方陣は何を呼び寄せた証拠なのだろうか。怖い。超怖い。私今日死ぬんじゃないの?
言葉もなく見守っていると、地上に立つものが見えないことに気付く。え? こんな前振りで不発? 別の意味で恥じゃん。
「何か、いる?」
「見えないけれど……」
背後の困惑する声が辛い。超辛い。期待裏切り感がまじパネェ。
完全に魔方陣が消え、風も止んだ今、沈黙がおちる。
失敗の二文字がその場を占拠し、気遣うような気配が支配する。
やめて! その「次もありますよ」とか「今回初めてでしたし」とか「ガートン先生の指導もアレでしたし」とか言葉なくても聞こえてきたからぁあああああ!
うっ、うっ。
シーンと沈黙が痛い広場に情けない嗚咽が響いた。オロオロされる気配が余計痛い。誰か私を殺して。
ササササッ。
ん? と微かに聞こえた何かに何人かが気付く。小さな小さな音。
ササササッ! ぴょーんっ。
何かが跳ね上がり、ヒナゲシの肩に乗った。うん?
ぐじぐじ泣いていたヒナゲシは、着ている服の上から感じる違和感に顔を上げた。何か動いてる?
「!?」
自分の左肩からこちらを覗き込む一対の眼差し。まぶたのないその瞳に、ギャッと飛び上がる。
「…………」
「…………」
「…………」
見つめ合うヒナゲシたちに集中する視線。それは一言で言うと「怪訝」だった。
──え? え? な、何でここに? ええっ?
何度見てもそれはこちらを伺っていた。
手のひらに乗るくらいの小さな体。丸々お目々の中のキャッツアイ。精一杯開いたような五本の指。ちょろんと伸びた尻尾。
まさしくこれは!
「ヒナゲシ……? それは、何じゃ?」
困惑した様子のガートンに、怯えを完全に解いたヒナゲシは答えた。
「日本家守」
夜中のトイレ窓に張り付いてるニクいアンチクショウである。
家守&守宮、という漢字が好きなのです。