オーレン・リッターの夢の診察
夢ですよ。
それはいつものように寝て起きた時のことだった。
ぽーん、と不可解な音が鳴り響いた後、遠くからか近くからかよくわからない距離感で女の声が聴こえた。
『患者様のお呼び出しを致します。異世界からお越しのオーレン・リッター様、オーレン・リッター様。一階の内科外来までお越し下さい』
声に起こされた俺はハッとして周囲を見渡す。いつもなら宿舎の素っ気ない私室を目にする筈が、見たことがないカウンターが目に入った。その奥にいる女も見たことがないナリをしていて、書類に身を通していた。
──どこだ、ここは?
自分も椅子に座って腕を組んでうつらうつらしていたらしい。はたと気付いて見下ろした下半身は、いつも着ている服ではない。
錯乱してよさそうな展開だが、俺に外への関心はそれほどない。いや、今は居るか。黒猫が一匹。
幸い何故か変わっている服装も動きやすい代物で、軽く、伸縮性も良かった。靴もやけに高さがないが、足首が自由になる分、動きやすそうだ。剣がないのは少し違和感があったが、無ければ無いで敵から奪えば良い。
一つ頷き、今度は先ほどの何処からの声に答えねばなるまいと考える。
──患者と言っていたか。ではここは病院か? 確かにそれらしい雰囲気もある。
が、どこへ向かえば良いかわからず、立ち尽くす。そこへ一人の女が近づいてきた。
「ああ、リッターさん、早く診察室にいらして下さい」
薄いピンクの衣装を纏った女が、どこぞへと促す。自分が見ているのは夢かもしれぬと思いつつ、怪我がないにも関わらず、オーレンは医療従事者に大人しく従いついて行った。
変わった材質の引き戸を引くと、白いカーテンの向こうに白い服を着た人物がいた。これが医者だろう。納得したオーレンはこれまた大人しく丸椅子に座ると、落ち着いて質問に答えた。
「オーレン・リッターさん。あなたには持病があります。把握してらっしゃいますか」
いきなりだな。しかし生まれてこの方大病は患ったことがない。小さな病なら寝て治るほどだ。
「ああ……やはり自覚がないと」
医者であるにも関わらず、どうすりゃいいのと頭を抱えている。夢にしてはリアルな苦悩だ。
「えーとえーと、あなた最近一人の女の子を追いかけ回してますよね」
「女の子?」
「ほら、あの、黒髪の、」
「ああ、あの子猫」
「こねっ……いや、うん、もうそれでいいです、それでいいからお願い説明しようとしないで!」
中途半端に開いた口をぱくんと閉じる。何だ、せっかく事細かに語ってわからせてやろうと思ったのに。そう言えばセドリックも逃げるんだ、わかってるからと叫びながら。ふん、友達甲斐のない奴だ。
「その麗しの王子様顔で拗ねないで下さいよ。ええと、その、彼女にですね、強引に迫ってますよね」
「愛でているだけだ」
「愛で……全身撫でくり回してほっぺた舐めてスカートに手をつっこむことがですか」
途端に医者の背後に立つ女性陣が睨みつけてきた。何故だ。
「あれは弾力や肌触りを愉しんでるだけだ」
「…………」
きっぱり言った俺を前に、医者の頭が垂れ下がった。
「私最初に言いましたよね、女の子だって。その子猫ちゃん、人間の女の子で十三歳の少女ですよね!」
「そうだが?」
いかん、昔の癖で敬語を話す相手には自然と偉そうな口調になってしまう。セドリックにも口を酸っぱくして言われてるんだった。虚栄で纏い始めた外面だが、仮面もつけ続けていれば本物か。嫌だった筈の自分が癖とは笑える。
「いや何でそこで笑うの、自嘲気味にニヒルに笑ってんの。看護師の皆さん引いちゃってるよ? あなたの言葉にみんなどん引きです」
少し思考に耽っていただけだが、さっきまで医者の背後に張り付いていた看護師? が距離を置いて両腕を擦っている。何故だ。
「よく考えて下さいね? 相手は十三歳の女の子です。その子のスカートに手ぇつっこんで太腿まさぐるって良識人のすることですか?」
「…………」
詳しく説かれ、じっくり思い出してみる。
自分もそう完成した体ではないが、それより尚年下の少女はすっぽり体に隠れるミニマムだった。手首も片手で難なく掴めたし、抱き寄せた腰も薄いものだった。そのくせ肩はまろやかで、睫毛が長く、噛み締めた唇は艶めいたピンクだった。覗き込んだその顔は下半身直撃もので、ひどく嗜虐心を呼ぶものだ。考えているうちに抱き寄せたくなった。
「ちょ、オーレンさんオーレンさん、めっちゃ悪い顔してる! 明らかに五人殺したくらいの顔してる!」
「殺したのは五人程度では」
「わあああっ! ここ病院ですから! やめて通報せざるを得ないぶっちゃけ話!」
殺し殺されなければならなかった戦争は僅か数年前だ。まだ幼い子供だった自分も立場上戦地にいた。セドリックと共に腕も立ったから、生き残れたに過ぎない。
「何が悪い? って顔に書いてますね……駄目ですよここはあなたの国とは違うんです日本なんです日本国憲法第9条に守られた国なんです!」
何やらよくわからないが、ここはオーレンの住む国のような危険な場所ではないようだ。その割に医療は発達しているらしい。不思議な国だ。
「てか話逸れてます、私が言いたいのはあなたヒナゲシに迫り過ぎだっつーてんです」
「よく知ってるな」
はいそこ、問題すり替えなーい。
「あんたの変態っぷりにヒナゲシも振り回されてるけど私も振り回されてんですよ、書けば書くほどヤヴァイんです、R15逸脱なんですよ!」
「あーるじゅうご?」
「しかもR15どころか相手十三なのにR20逝きそうな勢い! 精霊たちに守られてなかったらとっくにムーンライトノベルズ行きですっ!!」
だぁん! と拳を机に叩きつけた医者はハッキリ俺を睨んでいる。何故だ。
「よくわからないが……何故か惹かれる響きだな、ムーンライトノベルズ」
「やめて! 私をあっち専門にしないで! まだ健全でいたいの!」
「大丈夫だ、子猫を愛でているだけだ」
「だからその愛で方がどうかしてるっつってんだろーが!」
ペンらしきものが飛んできた。ふっ、遅い。
「何度も書いたんだ。小話のつもりだったしこれ本来バレンタインだし。けどたった三話目にしてあんたのリビドーは止まんないの。縄や鎖で雁字搦めにしても引田天功のように抜け出るしっ」
「母国の師に学んでな」
そう、あれは僅か二歳の時。出られなければ死ぬぞと燃え上がる部屋に縛り上げ蓑虫にされ放置されたのだ。子供でも縄抜けできなければ生きられなかった。それ故である。
「おまけにその年で経験もないくせに知識だけはありやがるしっ」
「それも母国で習ってな」
生まれ故である。俺に過失は無い。
「トドメに怪しい秘密結社……もとい、変態猫好き同盟で要らん情報をバカスカ吸収しやがって!」
「ふ、まさか総統が騎士団長殿とはな……子猫様にとBカップの下着も特別枠で作って頂いたのだ」
「見える……! 私には赤の他人にバストサイズを知られて羞恥心で悶絶するヒナゲシの姿が!!」
そんな医者が身悶えている。「私に官能小説書けってのか!」だの「そんな穢れた思考を文にしろってか!」だの聴こえてくるが意味がわからない。
「落ち着け」
「お前のせいだよ」
はぁ、と何かを諦めた医者が白衣を整え、再度真面目な顔で向き合った。
「ストレートに言おう。お前は変態だ」
「…………」
「更に言うならどうしようもなく全身に転移していて、白血球赤血球に至るまで汚染されている」
「…………」
「社会の目に気付いて大人しくなってくれれば良いが、既に重篤な症状を見せている。手術して内臓の一つ二つ取ったところで無駄だろう」
「…………」
「変に腕が立ち顔も良いため、このままいくと」
ごくり。
「狂愛になる」
「…………」
ひぇえっと看護師の間で悲鳴が上がった。ほんのり嬉しそうなのは気のせいか。
「バックグラウンドも用意してたし、顔も抜群に良い。オースティンやクリスに張れるほどね。でも、彼らになくてオーレンにだけある問題がある」
「…………」
「それは変態だ」
今日これを言われたのは何度目だろうか、と考える。夢なのだろうから自分がそう思っていたのだろうか。それとも最近コソコソ言われるようになった陰口からか。はたまたセドリックが泣きながら自覚してくれと言ったアレか。
思えば最近よく言われるようになったかもしれない。きっかけはヒナゲシの捨て台詞だったか?
あのツヤツヤの髪を振り乱して全力でぶつけた言葉なら良いかもしれない。
「変態、か……」
「え、何でまたそんなちょっと良い笑顔で呟くの? 変態だよ? 変態って言われてんだよ?」
「ふふっ、俺にはピッタリかもな」
「何でそんな爽やか? え、これ変態の話だよね?」
「良いだろう、俺はこれから変態騎士だ」
「やめて! これ私の小説だから! 逆ハの乙女の夢詰まった小説だから! 挫ける! 四十一話目にして挫ける!」
「ただし俺は女全員に対しての変態じゃない」
「え、何言う気」
「俺は……ヒナゲシだけの変態だ!!!」
ぽーん、と再びどこかで間抜けな音がした。
夢ですってば。