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ヒナゲシの華  作者: 水無月奎
本編
33/90

あなたの小話

今回は読み手のあなたがヒナゲシの世界に飛び込む話。

“私”はあなた、あなたは“私”。

日本での自分に違和感を感じていたあなたは、ある日トリップして──?

 それは、代わり映えのしないいつもの夜のこと。

 時計を見れば刻々と時間は進み、確実に今日という日は失われ、明日へと移り変わっているというのに。“私”は、眠れずにいる。


 ──今日と変わらない日々が明日も待ち受けているのだろう。ただ、諾々と。私の若さを引き換えにして。


 好む味を無理やり流し込むと、明日への恐怖を抱え込みながらマグカップを流し台に置く。水の冷たさも“私”の恐怖を押し流してはくれない。誰も分かっては──くれない。


 いつからか。ただ生きるだけのこの世界が恐ろしくなった。

 立ち止まって周りを見たが、そんな恐怖を知らぬ気な笑顔で日々を過ごす顔ばかり。親兄弟も、友人も、知人も。なぜ? 自分はこんなに恐ろしくてたまらないのに。


 ああ……この世界は、いや……

 ──何が?

 全てが。

 ──どこが?

 生きる作業が。

 ──死にたいの?

 いいえ、ただ生きる実感の湧かない【此処】が怖いだけ。


 急に、実感を喪ってしまったのだ。ただ笑顔で生きられた日々を。

 まるで異世界に連れて来られた感覚。急にこの世界との関係が希薄になったような。そんな中二妄想が止まらない。

 掴んだ携帯画面にうつる文字列は、“私”の望むもう一つの世界とやらがある。行けたら良いのに。“私”もそちら側の人間だったら良かったのに……。


 あるわけない。他の世界なんて。

 あるわけない。“私”が特別だなんて事は。

 あるわけない。この世界を捨てて、他の世界に行くなんて。


 きっと“私”の弱さがそう思わせるのだろう。

 だるい毎日から逃れたいと。周りに合わせて微笑む気力が尽きただけ。

 そうして自分を宥めるのは、常識か。体面か。大人の分別か。


 虚ろな目をしていたのは、そこまでだった。

 日本という国にいて、日本人であった“私”は、気づけば他の国、他の世界にいた。

 あちらの世界ではアリエナイ空想の産物がこの国にはあった。

 まるで中世西洋史であるかのような世界に、私はぽとりと落とされたのだ。

 見知らぬ世界に一人放り込まれるのは怖い事だ。元の世界になかった生き物や、法に殺されてしまうかもしれない。

 だが、いつしか喪っていた実感がゆるゆるとひたひたと“私”を満たすのを感じた。満ちる気力。生きたいと願う底力。人と繋がりたいと求める気持ち。


 顔を上げると、空を遮る電線などなかった。綺麗な綺麗な青い空が、どこまでも広がっている。

 地面は整備されているものの、硬くて熱くて不愉快なコンクリなどではなかった。茶色い土と、柔らかな弾力。

 頬を撫でる風に、余計な不純物はない。

 おかしいな、全身を浄化された気がする。余計な感情や纏いつく人間関係が失せたからか、身体が異様に軽い。

 知り合いが一人もいない世界である事は確実なのに──“私”は高揚している。気力が満ちているのが分かる。


 夢だろうか? 現実だろうか?

 あるいは、寸前まで見ていた小説の『トリップ』?

 あちらの世界ではもはや死んでいた顔面の筋肉がちゃんと機能しだしたらしい。きゅっと口角が上がる。

 あちらの、トリップする前の日本ではご無沙汰だった本心からの笑み。失くしたと思いこんでいたものの一つが喪われていないと分かって、愉快に思う自分がいた。


 明日が来るのも怖くない。若さを代償に時を刻むのもへっちゃらだ。眠れずに冷たい夜のに塞ぎ込む事もない。

 ちらと見えた髪が、黒でなくなっていた。それはどうやらこちらの国では至極当然の色彩らしい。目に入る人々の西洋人顔が誰一人として大和民族顔に着目しないところを見るに、顔の作りも変わった可能性があった。体格は変わっていないようだが、どこか日本での自分ではなくなっている気がする。それはまるで本来こちらの世界が“私”の居場所なのだと、お前は帰って来たのだと言われているようで。

 “私”は、嬉しかった。


 ──ただいま、“私”の世界。

実はあなたもヒナゲシの世界の住人でしたという話。

ひょっとしたらヒナゲシとちょくちょく関わっている女官さんかもしれないし、ご飯作ってくれてるコックさんかもしれません。あるいは黒髪と顔に日本を見つけ、こっそりヒナゲシの様子を伺っていた人かも。それとももうすっかり居場所を確保していたり?

ヒナゲシの華を読む時、一トリップ人としても読んでみて下さい。

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