バレンタイン小話・弍
オーレン視点→親友視点。
隙だらけの相手の脇腹に模造のそれを叩き込むと、あっさり戦意は立ち消えた。
いくら戦争は終わったとは言え、仮にも戦勝国の騎士がこれでは体面も何も無いのではないか、とオーレンは思う。親友などは、貴族の見栄で成り立っている騎士団だから仕方ないと笑っている。あの国王でも貴族の見栄を許すのか、と意外だったが、どうやらどこかしら緩みを与えねば無用の騒動が起こるから、という意味合いらしい。
「もう一本」
「い、いや、もう十分」
自分に比べ、息絶え絶えの相手はわたわたと立ち去った。
貴族出身者、正確に言えば貴族の次男三男といった家督を継ぐ権利を持たない男子が半数以上を占める騎士団で、オーレンの相手が出来る者はそうは居ない。一介の騎士見習いに過ぎないが、中堅である筈の騎士ですらそうなのだ。如何に階級だけが一人歩きしてるかわかるだろう。
準備運動にすらならない訓練に、自然仏頂面となった。単なる不満顔なのだが、美形で妙に迫力があるため、周囲は戦々恐々と見守っている。本人は気付いてないが。
「オーレン、怖い顔してるよ」
ろくな運動もしていないのに休憩時間に突入している集団の中、別の相手と打ち合っていた幼馴染がひょこひょこと近寄って来た。
一人で物足りないと訓練を続けていたら目立つため、彼ら二人もやむなく休憩に入るのだが、バテて水を飲んでいるにわか騎士団の中で明らかに元気である。会話する声にもブレがない。
「怖い顔などしていない」
「いやいや、君十分怖いから。悪魔ってくらい怖いから」
うんうんと頷く実力不足の青年たちが視界に入ったが、気にしない事にする。
隣に腰を落ち着けた友は、ニヤニヤ笑いながら訊いてきた。
「それで? 黒の姫さんを確認してきたんでしょ? 俺たちのお願いは叶えてもらえそうなの?」
ピクリと眉が反応する。それを見出し、ますます目の前の男がニヤニヤした。気持ち悪いんだが。
「その顔、何かあったんデショ? なに、なに。可愛い子だった? 神秘的? 髪が黒っぽいんでしょ?」
「……それが聞きたくて来たのか……黒っぽいんじゃなくて黒だ」
近寄ってくる顔を押しのけたが、ますます楽しそうだ。
「へぇーっ。本当に黒髪ってあるんだ。ね、ね、どんな子だった?」
「どんな……」
柔らかく、小さな体が俺の下で懸命にもがく姿が脳裏に蘇る。まるで小さな子猫を相手にした時のような。
「黒猫のようだった」
「は?」
「黒い潤んだ目をしてた。怯えるように見上げて、体は震えてたな。その体もまるで猫のように温かで柔らかで、抱き心地も素晴らしい。爪を立てる姿がまたいじらしくて、ついつい意地悪をしてしまった。あれを見ると抱き潰したくなる」
「……………………」
つらつらと思い出した事を語っただけなんだが、目の前にいる友人と少し離れたところにいた騎士団の面々が、阿呆のように口を開けて閉じてを繰り返している。
「何だよ?」
首を傾げるが、目を見開いた周囲の人間たちは、揃いも揃って小さく零した。
「気持ち悪い……」
俺は一体どんな顔をしていたというんだ?
目の前の友人であり長い付き合いの幼馴染は、俺たちの反応の意味がわからないと言いたげに首を捻っている。馬鹿野郎、先ほどのお前は未確認生物より奇怪だったと俺は全力で罵ってやりたい。
故郷を捨てこの騎士団に入った俺たち二人は、かなり浮いている。剣の腕前からして違うのだから、訓練でも浮く。オーレンに至ってはこの顔だから、余計に変な感情を向けられやすい。
女にもモテたが、遊ぼうとも思わないらしく、城内にいる猫を構っている時が一番楽しいらしい。奇人変人の域だとよくからかっていたが、改めて言おう。
「変だ」
視界内の騎士たちもうんうんと頷いている。
「ね、猫ちゃんみたいだったのか?」
蛮勇とも言えるツッコミがどこからか入った。かの異世界からの来訪者というのは珍しく、誰もが関心があったからだろう。けど待て、こいつ今おかしな言動をしそうな気がするんだ。
「ああ、あの姿はまるで生まれたての黒猫。見知らぬ人間に怯える様子がたまらなく可愛かった。抱き上げて撫でくりまわして連れて帰りたいくらい」
「待て待て待て。ちょ、オーレン、待って? 君の話す言葉も変だけど、目が逝ってる! 逝っちゃってるから!」
女と遊ぶのは面倒だ、と眉間に皺を寄せて話していたオーレンを思い出す。騎士団の連中を馬鹿にしていた冷たい眼差しのオーレンを思い出す。黒髪の少女にどんな力があるか確認する、使えるならば──と言っていたオーレンを思い出、ちょ、お前本当にどうしちゃったの!?
無駄に整った王子顔を持つこの男が、日々つまらなさげに生きているのを誰より側で見てきた自分は、信じられないものを見ている。
「ああ、訓練している時間が惜しい。あの子猫を抱きしめてすりすりして撫で撫でして可愛がりたい。何でここに居ないんだろうな……」
「……オーレン、お前……」
子猫を恋しく想う気持ちが溢れんばかりで、普段とのあまりの落差に眼球が零れ落ちそうになった。
──待て、恋しく? 恋?
馴染みの間柄を利用して、過去から今日までの彼を思い浮かべてみる。
──こいつが女を好きになったなんて言った事が……無いな、相談を受けた事も見惚れてるところも見た事がない。え、じゃあ何か? まさか?
動揺しまくってる自分をよそに、数名の騎士がオーレンににじり寄っていた。
「オーレン・リッター。君は彼女が可愛い子猫ちゃんに見えたのだな?」
「ああ、その通りだ」
「実際は女の子であるにも関わらず、髪が毛並みに見え、見えもしない猫耳が見えたと?」
「ああ、その通りだ。我慢出来ず髪に指を通し、手触りも味わってしまった。肌の柔らかさもまるで肉球のようだった」
「くっ、羨ましい! いや、見事……見事だ、オーレン・リッター。実際に行動に移した君の勇気を俺たちは称賛する!!」
ブラボー! ハラショー!
一種異様な空間が出来上がり、一部の人間を除きじりじりと距離を置いていく。
「認めよう、いや認めざるを得ない! 君は素晴らしい素質を持っている」
「何?」
「今まで距離を置いていてすまなかった。君は故郷を別にしても俺たちの仲間だ!」
「ああ、会長の言う通り。オーレン・リッター、君はこの『猫耳猫尻尾を愛する会』の名誉会員だ!」
「!?」
自分の考えに没入していた間に、爽やかな微笑みを浮かべる騎士たちのど真ん中に幼馴染は立っていた。
何故だ、こんなに近くにいるのにとてつもなく距離を感じる。
「そうか、まさか仲間がいたとはな……」
キラン、白い歯をきらめかせて笑った。清々しい笑みだった。
「お、オーレン……」
「このような愉しく、心が踊る気持ちを知ったのは最近なんだ。どうすれば良いのか、少し困っていた」
「ふっ、初心者というわけか。ならば俺たちが詳しく教えてやろう。我が会では週に一度の『猫耳のきもち』という会報を作り、上級者まで楽しめる猫ライフを約束している」
「なん……だと……っ!?」
「彼女持ち向けに猫着ぐるみや猫グッズ、猫下着まで入手できる伝手まである!」
「俺もその会に入ろう! 是非教えてくれ!」
狂気とも呼べる熱気に、口元に手を当てたまま後ずさる。
イキイキとした顔は生まれて初めて見たものだったが、喜ぶどころか気は沈むばかりだった。ついて行くには自分はノーマル過ぎた。
オーレン、お前。
「セドリック、お前も一緒にどうだ?」
──初恋で猫プレイとはいくらなんでも上級過ぎるだろ。