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ヒナゲシの華  作者: 水無月奎
本編
31/90

バレンタイン小話・壱

通常より変態度五割増し。新キャラ推参。

 ──噂を流した奴、出て来い。


 未だかつてない未曾有の危機に、ヒナゲシはただそれだけを思った。




 ピンチである。断崖絶壁である。

 先日初めてバベルの塔に立った時以上の背水の陣。

 いやもうほんと、誇張でなくピンチ。先ほどから心の臓が肉体から飛び出すのではないかと懸念するくらい跳ねている。じわりと滲む汗は額に首筋に背中に脇の下に……冗談でなくじっとり湿っている。そしてそんな事を気にしてられるほどの余裕もなく、現在ヒナゲシは標本にされた蝶の如く、壁に縫い止められているのである。男の両腕によって。


「……………………」

「……………………」


 こいつに捉えられるまで、城中を走りまわったので、両者しばし呼吸困難。私は死に物狂いで走っていたし、この男も己が望みを果たすため、それなりに必死になったようだ。

 と言っても特に体力や運動神経が優れていない私の方が圧倒的に消耗していて、もう男の腕がなければ立っていられない私に対し、此奴はちょこっと息を整えただけだった。性差、体格差、職業差、だろうか。とりあえずズルいとだけ言っておく。だってこんなに──私に女である事を後悔させるほど、恐怖を感じさせるのだから


「は」

 なして、と言おうとした。

 だが、男……といっても私より少し年上の少年なのだが、この目の前の御仁は目の前の黒髪に釘付けのようで、ヒナゲシよりよほどしっかりとした手のひらで両手を片方の腕で纏めると、自由になった手で黒髪に触れてくる。


 ──う、わ。うわ。うわわっ。イーヤー!


 見知らぬ男に力ずくで支配される恐怖、暴力でなくても触られる嫌悪感。段々と指先が冷たくなっていくのがわかる。

 いくらイケメンフェイスの騎士様でも、これは嫌だ。


「本当に黒いんだな……糸みたいだが、それよりツヤツヤしてて綺麗だ」


 褒められてるようだが、一切頭に入ってこない。優しげに梳いては拾い、時折頭を撫でる仕草にも、硬直は解けない。

 むしろ恍惚としてきた瞳も怖い。いつぞや見たヒナコの追っかけ隊だ。それはとても性的な視線で──体が、震える。


「は、な、し、て」


 自然な呼吸が出来ず、不自然な力のない声になったが、目の前の野郎は視線と行動両方で「嫌だ」と言った。

 何でなんだ、何で私がこんな目に。

 自分に降りかからない筈の出来事が、少年の形をして舞い降りたのだ。

 こういうのは、ヒナコ担当でしょ? 路傍の石程度の私に、何でこんなイベントが起こるわけ?


 もちろん、捕まった私と捕まえたこの少年の間に、恋だの愛だのそんなものはあり得ない。少年の勘違いに巻き込まれたのだ。

 そう、こいつが根も葉もない噂に踊らされたせいで。


「瞳は無い色じゃないな。だけど、顔形が見た事ない。肌の色も違う……」

「ヒッ!」


 確かめるように肌に温いものが当てられる。自分のより大きな手。マメだらけでデコボコした肌触りのそれが、頬、首筋、遊ぶように布の上から肩から二の腕を辿る。

 弾力を確かめてるのか、もにもにと揉んだりもする。少年の焼けた肌、鎖骨が目の前にきて、ヒナゲシは呆然とそれを見つめる。


 ──少年は、騎士見習いと言ったか。


 鍛錬の賜物だろう、細いながら筋肉はついていて、汗で濡れた服では露わと言っていい。

 西洋人らしいスタイルの良さに、有名RPGのキャラクターのようなイカした面構え。これが少女漫画なら恋に落ちるシーンだったが、ヒナゲシは身近で感じてしまった男の匂いに怯えきっていた。


 離れてと叫ぶ声が体内で渦巻いていたが、この野郎、終いには鼻を触れるほどに近付けて、匂いを嗅ぎやがった。


「んっ……何か良い匂いがするな」

「なんっ、な、なん……っ! 死ねー!!!!!」


 火事場の馬鹿力というものだろうか。それとも少年の気が逸れていたのか。

 絶叫しながら気付けば拳を叩き込んでいた。


「グフッ……い、良い拳だぜ」

「何言ってんだこの野郎! この変態! 婦女暴行犯!」


 もろに顔面に受けた少年は、赤い頬を庇いながらニヤリと笑う。

 ぶるぶる震えているのは武者震いと自分を誤魔化しながら、しっかと二本の足で立つ。弱さを悟られてはならない。


「この黒髪は異世界なら当たり前なの! 人種の問題なの! 神のどうたらとか無いの! 噂は根も葉もない嘘っぱちなの!」


 やはり動揺が脳にもきているのか、言葉の鋭さが足りない。悔しかった。ただ追いかけ回されて壁に押し付けられただけなのに。ヒナゲシの体は全面降伏している。

 それでもこれだけは叩きつけなければという事を言い切ると、涙が出そうになって慌てて方向転換して足早に逃げた。

 逃げた、のに。


「何で、ついてっ、来る!?」

「いや、何か泣かせちゃったみたいだから」

「泣いて、ない!」

「泣くだろ?」

「しつっこい!」


 回り込まれぬように懸命に足を動かすが、運動神経は疑いようもなくこの騎士様が上である。サッと回り込んだかと思ったら、止まれなかったヒナゲシをその体で受け止めた。

 ぼふ、と自分から汗臭い細マッチョに突っ込んでしまい、眩暈がする。


「ちょ、腕っ!」

「だって逃げるから」


 あり得ない。見ず知らずの男に抱き締められてしまいました。

 長い両腕にガシリとホールドされ、もがくものの離れられない。こいつ、力もある。


「……可愛いな~」


 何か聴こえたが聞いてない。私は知らん。


「だからっ、あの噂は嘘だっつってんでしょ!? 私の黒髪使って妙な真似しても神様降臨しないし! 両想いのおまじないにならないし! 私を拝んでも何にもなんないの!」


 馬鹿力に囚われているせいで、声がこもる。けどコイツには伝わった筈だ。


 ──ほんっとーに、一体全体誰がそんな嘘ついたの!?


 黒魔術的な要素に使えるとか、効能がどうたらとか。それを信じて私に特攻してくる奴が、ここんとこ急に増えた。

 この国ではまずあり得ない色と言われている黒髪を見て、何か神秘的な力を見出すらしいのだ。そんなもん、一欠片たりともあり得ないのに。私はただの人間なのに。


 いつもは精霊の力を使って撒くのだが、タイミングの悪いことに一人になった瞬間、目の前のこの野郎に捕獲されてしまったのだ。

 逃げて、とっ捕まえられて。そして今こうして黒髪や肌色の違いを確認されてしまったのである。


「うぐぐぐぐ」


 爪を立てる勢いでその腕を引き剥がすべく全力で挑むが、この野郎ときたら!


「ぶくくくく」


 こいつ! 笑ってやがる!!


「あー、猫みたいだ。どうしよう、俺今すごく猫が飼いたい。毎日構い倒して可愛がりたい」


 何言ってんだこいつ。いきなり猫飼いたいとか、何言って…………………………………………私かー!!!!!


「ちょ、離して、ほんと離せ! きもい!!」

「馴れなくて爪立てる猫……いい」

「っひぃいいいい!?」


 悦に入っている少年は嬉しげだ。

 体格差が本当に嫌になる。がばりと抱き締めて覆い隠せるだけのデカさが男にはあるのだ。男は、ズルい。


 上半身が駄目なら足がある!

 勢いよく踏んづけてやろうとしたら、ヒナゲシの行動を読んだ少年が足を入れてきた。両足の間に。


「ッキャー!?」


 股の間に入ってきた膝に仰天した口からとんでもない可愛らしい悲鳴が出た。しかもその悲鳴を聞いた少年が『鳴いた』と悦ぶ声を聴いてしまった。


 死にたい。軽く死にたい。

 グッタリする体を嬉々として抱き寄せる変態。

 今私に異世界の死の呪文が唱えられたなら。いや先にホイミかな。もう足立たねー……。


 ぐりぐりと頭のてっぺんに少年の頬が擦り付けられる。まるで子猫を見つけた時のような幸せオーラを感じた。何これ、私全然幸せじゃない。


「は、な、せっ!」


 ぞわぞわしている背中を撫でるように蠢く腕に、堪忍袋の緒が切れる。なりふり構ってなどいられない。一刻も早く距離を置くべく、意識して爪を立てた。


「くくっ」


 何故笑う!? え、そこ笑うとこ?

 おまけに、


「よーしよし……よーしよしよしよし」


 野生動物を宥めるように撫でさすり始めた。体内でどこかの神経がブツリと切れる音がする。

 小動物に対する所作ならまだしも、その指はうなじや顎下をくすぐるように肌を辿っている。セクハラ!


「どっっっせい!!!」

「がはっ」


 頭を精一杯振り上げると、私を愛でていた少年の顎にクリーンヒットした。距離0センチだったせいで、避けられなかったらしい。ざまぁみろだ!


「はーっ、はーっ」


 パパッと離れ、服をはたき、乱れた髪を直す。何だ、もう、何だったんだ。触られなかった所がないくらい触り尽くされた気がする。変質者め!

 離れてもこの野郎の吐く息が肌にこびりついたようで、気色悪い。悶絶してやがる頭に全力の蹴りを入れたいが、足を掴まれそうな気がしてずりずりと後ずさる。


「へ、変態……」

「いてて……変態とは随分な。可愛がってただけなのに。優しくしただろ?」

「きもい言い方すんな!」


 怪我を負わされたにも関わらず、生あったかい視線を向けて来る。怒って乱暴される展開はないようだが、股間に足を入れられたことは忘れてないぞ。紳士とは言い難い所業だ。

 けして気を許していない目を見て何を思ったか、すっくと立ち上がった少年は騎士の如く片膝をついた。……あ、騎士見習いなのか。


 人っこ一人いない廊下に、キンと空気が張り詰める。変わった雰囲気にどきりとした。


「失礼を。わたくしの名はオーレン・リッター、若輩ではありますが第二騎士団に所属しております」

「はぁ」


 先ほどまでヘラヘラしていた雰囲気を一掃し、厳然とした空気を身に纏い、挨拶する。見事な変わり身にヒナゲシはついていけない。


「国王が保護していらっしゃるヒナゲシ様とお見受け致します」

「はぁ」

「可愛いですね」

「はぁ……はっ?」


 惰性で返していた声が裏返る。それを見てまた空気が緩んだ。

 やっぱ可愛い、とか聴こえたが、気のせいだろう。


「あー、本当に子猫みたいだ。ふわふわの黒い毛並みを持つ世間知らずの子猫。びっくり眼にぷにぷにの肉球。ふるふる震える小さな体。何だこれ可愛い」

「………………」


 気のせい。うん、きっと気のせいだよね。村にいた変態と大差ないなんて。二次元まっつぁおのイケメンだけに余計に手のつけられない変態に見えるとか。うん、気のせいだ。


「うちに連れ帰って愛でたい……あ」


 脱兎。

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