逆襲
泣くと思った?
『ヒナゲシぃいいいぃ!!!』
ばたーん! と、扉を開けたちび達が、ヒナゲシ目掛けて飛んでくる。
「おかえり、みんな」
『ただいまですぅ~』
『疲れた……』
『僕もうダメ』
『やってられっか!』
飛びついて来た青子を抱きとめ、両側に倒れ伏した暁月と翠を覗き込む。うむ、顔色が悪い。目の下のクマは徹夜の証か?
虎雄だけはつかつかとソファに向かったが、そこで先客がいることに気付いて足を止める。
『……誰』
「リリアルさん。ってオイコラ、睨むな。客相手に」
しらっとカップを傾けるリリアルさんを、胡散臭げに上から下まで眺めると、不機嫌そうにのたまった。
『何でココにいんの』
「え……さ、さあ?」
睨むなよ、私が知るかよ、知人ですらないのに。そもそもこの部屋、リーゼシアさんのものなんだって。
「それより、特別講義はどうだったの? 精霊の授業なんて思いつかないんだけど」
『講義? あれ、講義って言うの? そんな甘いもんじゃないよね? 軽く地獄を見たよね? 寝たらそのままあの世行きだったよね?』
ブツブツと天井を見上げながら、翠がボヤいている。
昨日去り際に『どうやら、教育が不十分だったようです。調教し直しますので、しばしお時間頂けますか?』と爽やか~な笑顔で緑の青年は子ども達を連行して行った。
──調教って何?
思ったが、怖くて訊けず。結果、一晩経ったわけだが。
「お疲れ。何か飲む? それとも、寝る?」
『ヒナゲシのお茶が飲みたいですぅ~』
ごろごろ猫のように懐く青子が可愛い。彼女を抱き上げ、暁月を揺すり起こして椅子へと促す。
「んじゃあ日本茶をご馳走するよ。お湯と急須……はないだろな、ティーポットある?」
「ございますわ」
リュックサックから茶葉を取り出し、テーブルワゴンの側に立つ。こんなにたくさんの人にお茶を振る舞うなんて初めてだから、ちょっと浮かれている。
「今日はほうじ茶ね。昨日暁月とリーゼシアさんが飲んだ水筒のお茶は、煎茶。同じ緑茶なんだけど、強火で炒ったものをほうじ茶って言うの。こっちは苦味とかないし、多分飲みやすいよ」
暁月が微妙な顔をしているので、そう付け足してあげた。やっぱり子ども舌なのか?
「あら……こちらと同じ赤?」
「うん。赤茶色になるまで強火にかけてるから、ほうじ茶は紅茶色。味は全然違うと思うよ」
人が持つ色彩や居住から、おそらく西洋に似通った異世界なのだと判断している。入れてもらった茶もアールグレイそっくりの紅茶だったので、多分日本茶は珍しい筈。
急須代わりにしたティーポットから、慎重にカップに入れていく。ガスコンロなど見当たらないのにお湯が熱々なのはツッコミどころだったが、魔法があるのならそれも有りなのだろう。
「熱いから気を付けてね。こら虎雄、床で飲むな!」
既にカップのお茶を飲み尽くしたのか、ひたとこちらを見つめているリリアルさんにも持って行く。
「これ、私の生まれ故郷のお茶です。良かったらどうぞ」
「…………」
熱いティーカップをそろりと机に置いた直後。白い指が蝶のようにひらめいた、と思った。
『ヒナゲシ!!』
切羽詰まった虎雄の声が聴こえたまさにその時、顔面にもろに熱い液体を被った。
熱! と感じると共に前髪や服が濡れるのを理解する。一瞬にして知覚した全てが、『青子っっ!!!』と怒鳴るような虎雄の声で吹っ飛ぶ。
まるで滝行したかのようにドバーッと頭から水を被り、一時感じた熱が何だったのかわけがわからなくなった。
「……え」
「ヒナゲシ!」
『うわあああんっ』
場は完全なるカオス。
私は水溜りの中全身ぼっとぼとの状態で貞子になっているし、リーゼシアさんは悲痛な声を上げて駆け寄って来るし、青子が派手に泣いている。何だこれ。
『ヒナゲシ! てんめぇええっっ!!!』
ポカンとしている私をよそに、虎雄が激怒するのを感じた。え、え、と瞬きをしている間に、ぶわっと殺気が膨らむ。ちょ、おい、何スーパーサイヤ人になってんの!?
『虎雄、ダメだ! こんな狭い場所じゃ周りごと吹っ飛ぶ!』
「はぁああああっ!?」
翠の言う通りだとすると、虎雄はとんでもないことをしでかそうとしているらしい。慌てて虎雄に飛びついた。
『離せっ!!』
「虎雄落ち着いてっ! 何これ何やってんの? つか何で怒ってんの!?」
『怒っ……はぁ!?』
柄の悪い眼差しをより凶悪化させて、虎雄がギンッと私を睨めつける。ちょ、酷くね?
『お前……まさかわかってねーの?』
しゅうしゅうと擬音でもなく聴こえる音に耳を傾けながら、小首を傾げる。
「えっと、何を?」
『……ッハァアアアアアアアアアアアアアアアアアア』
でかい溜め息ですね! 更にヤンキー座り! どこで覚えてきたお前!
「ヒナゲシ、これで髪を拭いて……ああ、服も着替えなくては」
『ゔぇああぁあ』
「リーゼシアさん、青子も落ち着いて。大丈夫だから、ほら」
水のおかげでつるっと滑ったが、フィギュアスケーターのように華麗に回った。それを見た全員が脱力する。
「無事のようですわね……命が削られるような思いをしましたわ」
「うん、ごめんねリーゼシアさん」
私の華麗な滑りに涙も止まった青子を抱き寄せる。よしよし、もう大丈夫だからね。
『それにしても……お前、何なんだ? 今思いっきりヒナゲシに向かって茶をぶっかけただろ』
『うん、僕も見た。服でもない、顔面にね』
暁月と翠の鋭い追及に、ああなるほどと納得する。熱かったのはそれでか。
「リリアル様。いくらあなたが貴き血筋の姫でも、ヒナゲシにやったことは許されることではありません」
「たかが烏一羽が濡れただけで? この騒ぎ?」
ハッと鼻でお笑いになった。それがお姫様のすることか?
「リリアルさん。貴き血筋の何とやらのようですが、頭は相当お悪いんですね」
「……何ですって?」
キリ、と睨みつける目。申し訳ないが、こちらから返すものは何もない。ので、直球でやらせて頂く。
「だってそうでしょう。嫌ってて相手をどうにかしたいなら、もっと有効な嫌がらせがあるでしょうよ。人間関係を破綻させる、社会的に信頼を失墜させる、過去のトラウマを使って精神錯乱させる、などなど」
「…………」
「あっ、そんな卑劣な手は使えないわーとか思ったでしょう。私が汚く見えたでしょう。その思考回路がまさに箱入り娘、綺麗な嫌がらせなんてあるもんですか」
おお、一層キツくなっていく眼差し。ちょっと楽しくなってきた。別に好かれようが嫌われようが構わない相手だから、存分に言い捨てられる。
「つか、私あなたに何かしましたかね。逆恨みだったら物凄くダサいんですけど」
「なっ!」
『こんなイキイキしてるヒナゲシ初めて見たね』
『性格悪いぞー』
やかましい。朝から絡まれててどんなヌルい態度取れっての。烏呼びは別に痛くも痒くもないけど。
「とりあえず机拭いて下さい。さすがに姫様に床拭けとか言いませんから。リーゼシアさん、雑巾あるかな?」
「あ、ええ、すぐにお持ちしますわ」
「虎雄もグダってないで床拭くの手伝って」
『ええー……』
「さっきのハイテンションはどこ行ったよ」
重苦しい空気が一瞬たりとも続かなかったことに、リリアルは顔を顰める。それどころか、自分の言動の駄目出しまでされた。人に手酷くされた人間の態度だろうか? これが。
自分の思った通りに傷つかないヒナゲシに、腹が立つ。思い切り突き出した腕が沼の中に沈んだくらいの反応だった。
布を机に置かれても微動だにしないリリアルに、烏の雛はのたまった。
「あれ、まさか水を拭くことも出来ないとかって言います?」
「……!」
どこまで私をバカにするつもり!?