とある傍観者の談
ヒナゲシが異世界に来た時、現地住民は。
俄かに城中が騒がしくなったのは、昨夜遅くのことだった。
常ならば恐れ多くも皇帝陛下は執務室を下がり、私室にて酒精を愉しまれる。その際同室されるのは、宰相や大臣様方、後継者であらせられるクリストファー様がお話し相手。
会議室や謁見室ではお話できないこと、この先国を導くにあたり、どのように舵を取られるのかを話し合われている。私のような者には理解すらできないことだ。
そんな認識をしていた夜分遅くに、リーゼシア様が私たちに指示を出しに来られた。
水やらミルクやら、アルコール分が全くない飲み物を用意せよとのお達しだった。
ワインを嗜まれる陛下が飲むとは到底思えないものばかり。意味不明だったが、やれと言われればやる他ないのが私たちだ。
「ああ、それと柔らかな布を出して。顔を拭うものよ。これは、今すぐに」
この場に現れるのも珍しい上に、声を掛けられたことも無かったので、現場はやや混乱の様相を呈していた。
──何故、こんな場所にリーゼシア様が!?
──何故、こんな夜遅くにそんな命令を??
迷惑と感じるほど未だ接触はなかったのだが、城で働く者すべてが彼女がどういう立場か、どういう立場だったか知っている。
その後どう暮らしていたかも。
──彼女は、こんな風に喋る方だったろうか?
──彼女は、私たちに声を掛けるような方だったろうか?
違和感と、ただ淡々と続いていた毎日の変化に、誰もが困惑していた。
必要なものを自ら運ぼうとするリーゼシア様にまた戸惑い、陛下の私室へと消えた後も誰もがそわそわと起きていた。
また何か、所望されることがあるかもしれない。
そんな大義名分に、ほとんどの者たちが起きたままでいた。明日の仕事に響くかもしれないのに。
そして案の定、変化は訪れる。
陛下ご自身が認める方しか入れない私室から、黒髪の少女が突如出現したのだ。
──!!???
黒、という色彩自体も珍しく、本来人が持つ色ではないとされる。
そんな髪色をした少女が、入った形跡もなく、陛下の私室から出て来たのだ。衛兵が顎を落とさんばかりに驚いている。
本来ならば不審人物の侵入を許したとして、首を撥ねられても仕方ないミスだが、怒られることはなかった。どころか、御三方はとても機嫌が良かった。
──クリストファー様ご自身で、少女を抱いて運ばれている。
その、衝撃。その後ろに続く御二方の、穏やかなお顔。
ああ、変わったのだ──と。見かけた者すべてが思ったに違いない。
黒髪の少女と共に、世界が終わっても変わることがないと思われた、不変の事実が変わったのだ。と。
翌朝、いくら睡眠不足であっても、私たちの仕事に休みはない。
昨晩の出来事も気にかかり、恐らく誰もがリーゼシア様を気にしている(黒髪の少女が運ばれたのは、リーゼシア様の私室であった)
今か今かと扉が開くのを待ち、開いたら開いたで指示を請うように群がった。
「朝食の支度をお願いします。陛下とクリス様も御一緒されると思いますので、そのように。それから、今朝はミルクや果汁を搾ったものも。パンも子供が美味しく食べられるものがいいわ」
それから幾つか事細かに指示を出すと、アッサリ室内に戻られた。何というか……昨日の昼までのリーゼシア様と同一人物とは思えぬような変わり様だった。
給仕の際には間近で見られるだろうと踏んでいたら自らすると部屋から給仕を閉め出すし、各部屋で事務的に朝食を取られる陛下やクリス様が朝も早くからリーゼシア様の私室に現れた。通常ならゴシップ的な話題が横行するところである。
それがないのは、やはり昨夜の出来事があったから。
あの黒髪の少女が、彼らの中心にいることはもう疑いようのない事実であった。
冷厳としていた城内に、一陣の風が吹き抜ける。
まずは、陛下やリーゼシア様たちのお顔を上げさせた。あの、頑ななほど表情を変えなかったお顔を。
それはこの国にとって良かったのか? それはまだわからないけれど。
「オッサン、まじウゼェエエエェ!!!」
「はははは、可愛いなーあ、もうっ」
──良いのだ、と思いたい。