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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

世界で一番可愛い女の子

作者: 絵室 ユウキ

(ある男性の手記より)




 世界は汚れている。今この世界で生きている人間の三人に一人は必ずそんな風に思っているに違いない。勿論、私もその一人だ。

 空気も大地も汚れてしまった。汚されてしまった。人の手によって。しかし、何よりも汚れているのは、そんな中で生まれ、全てを汚した人間自身だ。

 この世界で美しいものは生まれるのだろうか。大自然は変わらず美しい。しかし、やはり不変ではない。人に手によって変えられてしまう。変化があるからこそ美しいのだと言う人もいるだろう。しかし、私が求めるのは不変に美しいものだ。決して色褪せることのない美しさ。それは、自然界には在り得ない。自然は変化する。想像と創造こそ、不変の美しさの源になり得るのだ。

 ここで一つのジレンマが生じる。想像をこの世界に具現化してしまえば、それはすなわち不変ではなくなってしまう。存在するものは劣化し、風化し、そしいずれ消滅を迎える。想像の中に在り続けるからこそ、それは不変であり美しいのだ。

 しかし。私はそれでは満足出来ないのだ。何とか、真に美しいものをこの世界に誕生させられないだろうか。美しさを具現化したい。

 美しいものとは何だろうか。私にとって、それは女性以外に在り得ない。今まで語ってきたことを全て覆してしまうかもしれないが、これが長年私が考えてきた結果、答えなのだ。

 偉大な芸術家達の歴史を少し覗いてみればその答えが真であることは、明白である。彼等は皆、女体が持つ神秘的とも言える存在感と美しさに魅了され、それを平面なり立体なりで表現し、永遠に残そうとした。その美しさを永遠に留めたい。そんな私と同様の願望が彼等の中にも存在していたに違いない。

 しかし、私に言わせてみればそれは決して永遠ではないのだ。絵に描けばたちまち焼失の虞に見舞われる。立体にしても、破壊という終焉が背後の迫るのだ。

 何者にも脅かされず強く強靭で、それでいて、一息で絶えてしまいそうな儚さと、世界を包み込むかのような寛大さと慈愛に満ち溢れた、私が求める美しさ。



 前置きが長くなってしまった。しかし、私の美しさに対する価値観を万人に理解しておいてもらわねばならない。そのためには必要な記述なのだ。

 さてそれと同時にもう一つ申し上げておきたいことがある。こんなにも美しさに執着している私だが、決して変人などではない。人間、誰しも美しさを渇望しているのだ。女性は化粧をし、男性はより美しい女性を手に入れようとする。美しさはこの世で唯一の正義と言っても過言ではない。誰もが暗に求めている。それを善や正義と言わず、何と表現するのだろうか。


 私はついに見つけたのだ。この世で最も美しい、唯一のものを。あとはこれを永久に存在させれば良い。永遠に残るよう私が工夫をこらせば、私は長年の美しさに対する願望を叶えたことになるのだ。それの何と喜ばしいことか。

 あとは諸君、出来るだけ多くの人間が私の見つけた美しさに触れることだ。諸君自身が、その目で確認すればいい。そしてこの美しさを伝説として語り継ぐのだ。それが——



(以下、腐食により解読不可。)





(ある少女の手記より。治療の一環から少女は日記を書いていた。以下はその日記より抜粋)




 私は、いつからこの世界にいるのか分からない。私の体はずっと十二歳のままで、何年もこの体のまま生きている。遺伝子操作で、老化する部分が取り除かれたらしい。私の父が、私が母のお腹にいるときにした医療的措置がそうしたらしい。

 父は老化の遺伝子を見つけ、更にそれをなくしてしまう技術を発見した第一人者だった。あの人が死んだのはもう百年近く前だ。あの人は実の娘である私を実験体にした。でも、それはきっと父の深い私への愛情ゆえなんだと思う。

 自分の体に何が起こっているのか、私は自分では分からない。老化を知らない私の体は、細胞が再生し続けているらしいということは、お医者様から聞いて知っている。

 一時、私は父のおかげで世間に囃したてられた。「永遠の美少女、降臨!」とか「神が作った至宝の芸術品!」とか、そんな風に。

 アイドルのように、女神のように私は振る舞った。事実、私を神のように崇める人達もいた。そんな人達がいるおかげで、私は生き永らえている。

 働く苦しさも、死という恐怖も、私には縁がない。けれど、私は誰よりも知っている。大切な人を失う悲しみを。共に生きた人がいなくなるという悲しみを。その悲しみの深く辛いことを。

 そして、その悲しみを何十回と繰り返すうち、私は忘れてしまった。喜ぶこと、悲しむこと、全ての感情を。

 何百年と生きているのに、私は何も知らない。愛する人と偽りの永遠を誓うことも、誰かと共に生きて最期を迎える喜びも、老いることで得られる安らぎも、深い友情も。

 どうして、生き続けなければならないのか。死にたい。老いて、緩やかな時の中で穏やかに死にたい。誰も私を知らない。私は誰も知らない。死にたい。でも、死ぬのは怖い。今まで何度も見てきたあの恐ろしい瞬間が自分にも訪れるのかと、考えるだけでも恐ろしくて体が震える。こわい。死ぬのはいや。死にたくない。しにたいしにたいしにたいしに——





(以下、文字の乱れにより解読不可。少女はこの日を最後に日記を書くのをやめている。一週間後、シーツを紐上にしたものを使い、病室のベッドを立てて首を吊っているのが看護師によって発見される。享年、推定四百~五百歳。事実は定かではないが、様々な資料から推測。)


 


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― 新着の感想 ―
[良い点] アイデアは非常に面白いと思いました。終始狂気の感じられる文章でした。また、報告書のような演出にも惹かれるものがありました。 [気になる点] 22行目「破壊という終焉が背後の迫る」は「背後に…
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