PAZURU
PAZURU
~the first piece~
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
――なぜ、ボクはこんなところにいるんだろう。
そこは、真っ白の空間。
天井は無い。壁も、床も、勿論窓なんかも無い。
声を発しても、誰も答えない。
――なぜ、こんなところに来てしまったんだろう。
――ボクは一体、何をしていた?
――ボクは・・・何?
――ボクは・・・誰?
彼は問う。
返事は・・・・・・無い。
誰も答えない。
誰も答えてくれない。
・・・・・誰も、答えられない。
なぜか。それは、ここには彼しかいないから。
広い、とてつもなく広い空間。
上にも下にも、前にも後ろにも、右にも左にも、どこまで進んでも、たどり着く場所なんてものは無い。
――本当に、なぜこんなところに来てしまった?
今までに何十回もした自問。
答えは・・・・・・出ないまま。
いや、本当は分かっているのに、ただ受け入れたくないだけなのかもしれない。
不意に、視界に小さな光が入ってきた。
――あれは?
彼はそれに近づく。
三角形それは・・・・・・
――何かの・・・欠片?
彼はそれに手を伸ばし、触れた。
光を反射するそれは、彼の手に吸い込まれるようにしてだんだん小さくなり、やがて消えた。
――これは・・・・・・?
彼の頭に流れ込んでくる映像。
その映像に出てきて、笑いながらボクの手を引く女の子。
なぜか彼女を知っている気がした。
――これは、ボクの・・・記憶?
やがてその映像は途切れた。
その欠片に入っていた記憶はそこで終わっていたのだ。
――もっと、もっと知りたい。ボクの記憶を、もっと。彼女との記憶を、もっと。
これをきっかけに、彼は捜し始めた。
彼の記憶を完成させるための欠片を。
それらは意外と簡単に見つかった。
よく見ると、空間のいろんなところで漂っているのが見える。
きっと、最初から捜そうと思えばすぐに見つかるはずだった。
ただ、初めのように頭に映像が流れ込んでくることは無かった。
それでも、彼は気にしない。
きっと、全部集められれば思い出せるはずだから。
そう信じたから。
彼は毎日五、六個の欠片を集めた。
その度に、彼の中の隙間を埋めていくのを感じる。
――あと少し・・・・・・あと少し。
欠片を集めるペースはだんだん遅くなる。
――明日こそ、きっと明日こそ完成させられる。欠片が見つからないのは、残ってる欠片が少なくなっているからに違いない。
彼は、そう自分に言い聞かせ、それを実現できるように、今日のうちに出来るだけたくさんの欠片を見つけようとした。
一つ、また一つと、散らばっていた記憶が完成していく。
やがて、一際大きな光を見つけた。
――きっと、あれが最後だ。
なぜか、彼はそう確信した。
根拠は無い。
ただ、そう感じるだけ。
彼は欠片を手に入れるため、夢中で突き進む。
離れた場所に漂っていた欠片も、もう手の届く場所にある。
後は彼がこの欠片を掴むだけ。
だが、彼は躊躇した。
記憶は取り戻したい。
しかし、記憶を取り戻すことが怖くもある。
不意に、頭の中で初めて取り戻した記憶の映像が流れる。
無邪気に笑いながら彼の手を引く女の子。
なぜか、彼女のことを考えると、恐怖は薄れていく気がした。
彼は決心する。
最後の欠片を掴むことを。
最後の隙間を埋めることを。
記憶を完成させることを。
彼は手を伸ばす。
もう、迷いは無い。
恐怖が無くなったと言えばうそになる。
しかし、彼はもう手を止めようとはしない。
自分を、彼女を取り戻すため・・・。
記憶を取り戻すため・・・。
彼の手が欠片に触れる。
そして、掴んだ。
強く、強く、強く、抱きしめた。
欠片が強く輝きだす。
――これは・・・?
やがて、その光はこの真っ白な何もない空間を埋め尽くし、彼に記憶のすべてを思い出させた・・・。
~tie a piece to pieces ~
「・・・・・・暑い」
彼・・・染井稔二は、ジリジリと照りつける八月の太陽から逃げるようにして木陰のベンチに腰掛ける。
かばんの中から汗拭きタオルを取り出した。
が、朝から使っているためにすでにそれも湿ってしまっている。
仕方なくタオルを収め、袖で汗を拭った。
「そこのおにーさん。そんなところで何してるの?」
後ろから声がする。
振り返ると、一人の女の子が後ろで手を組んで立っていた。
「なんだ、透か。見ての通り、補習の帰りだよ」
「何だとは何よ!」
やれやれというように首を横に振る彼女の名は、吉野透だ。
透と稔二は去年の冬から交際している。
「分かった分かった。んで?透はなにやってんだ?」
彼女の抗議を受け流しながら会話を続ける。
「私?お買い物してたら稔二を見つけたから捕まえに来たの」
極当たり前のようにそう言ってのける。
「捕まえに来たって、いったいボクが何したよ?」
稔二は一瞬本気で自分の行動を振り返る。しかし、彼女に何か悪いことをした覚えは無い。
「馬鹿ね、捕まえるって言ったらすぐに悪い方向に考えるんだから。それは稔二がいっつも提出物とかで先生に呼び出し食らってるからだよ?」
透はまたもやれやれと首を横に振り、まるでお母さんかのようにネチネチと小言繰り返す。
「・・・・・・うるさいな。本題は何なんだよ」
稔二は彼女の地味に効く小言を遮るため、無理やり本題に入ろうとする。
「ああ、そうだった。補習、今日まででしょ?今度の日曜日、みんなで海に行こうって話になってるんだけど、稔二はどうかなーって」
「行かね」
「即答!?考える余地は?」
「ない」
「・・・そうだろうとは思ったけどね・・・なんであなたはそう人とかかわろうとしないのかねぇ…。まあいいわ、分かった。じゃあ私も行かない」
「なんだ、分かってんのにわざわざ来たのか?・・・ん?お前、今なんて言った?」
「え?そうだろうとは思ったけど・・・・・・?」
「違う、その後」
「・・・・・・私も行かない・・・?」
「そこっ!なぜそうなる!?」
透は頬を紅潮させる。
「だだ、だって・・・その、み、稔二が行かないんなら・・・・・つまん・・・ない・・・から・・・」
稔二は暫く声が出なかった。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
周りで蝉達が五月蝿いほど鳴いているというのに、異様な静けさが二人を包む。
「・・・・・・・・・ぷっ」
稔二が静寂を破った。
「なっ!?なんで!?何で笑うの!?私がんばったのに!」
「・・・い、いや、クク、あはは、あ~おかしい。あははは」
透が、今度は耳まで真っ赤にして抗議するのに対し、稔二はまったく意に介さないようにベンチに笑い転げた。
暫くの間悶絶した後、彼は涙を拭いながら起き上がる。
「いや、悪い。だけど・・・ぷぷっ・・・あはは」
また思い出してベンチに笑い転げる。
「もうっ!私、初めて彼女らしいこと言ったんだよ!?褒めてくれてもいいじゃない!」
透は怒気と羞恥で顔を真っ赤にする。
「わかったよ。んじゃ、ボクもたまには彼氏らしく、彼女を遊園地に招待しましょうかね」
そう言って稔二はかばんのポケットから福引で当たった《コスモスワールド二名様招待券》を取り出した。
「どう?びっくりさせようと思ってメールでも言わなかったんだよ」
稔二は思い切りニッと、笑って見せた。
透はまたも赤面する。と言うか赤面しっぱなしだ。
「ええっと、まあ、稔二がせっかく誘ってくれてるんだし?行ってあげない事もないかなぁなんて・・・・・・」
ちょっとした焦らしのつもりで、そんな反応を見せる。
「そうか、いや、気が乗らないなら・・・」
稔二は少しだけにやけ、チケットを納めるような仕草を見せた。
「行くっ!行きますっ!お願いだから連れてってぇ!!」
逆手に取られた。
思わぬカウンターに完全に取り乱してしまう透を見て、また笑う稔二。
「くっくっく・・・・・・。やっぱおもしろいな、透は。んじゃ、はいこれ。土曜に駅で待ち合わせってのはどうよ?」
まだ小刻みに震える手で、チケットを渡す。
「OK、土曜に駅ね。時間は?」
「そうだな・・・・・・十時はどう?」
「うん、OK」
二人は手短に日程を決めた。
ふと、透は腕時計に眼をやる。
「あっ、私もう行かないと」
「ん?もう行くのか?」
「ごめん、もうすぐスーパーでタイムセールが始まる時間だから」
「へぇ、今日のセールの品は?」
特に興味なさそうに聞く。
「お豆腐と卵とお醤油!」
「へぇ、すき焼きが出来るな」
「・・・・・・随分質素なすき焼きになりそうね」
「ははは、んじゃ、がんばれよ」
「うん、まっかせなさい!」
意気揚々と出陣する透を、エールを送りながら見送った。
「はぁ~~~~~。緊張したぁ~~~~~」
彼女が見えなくなったところで体から一気に力が抜け、ベンチに横たわる。
「まあ、なんにしても初デートか…フフ…」
早くも土曜日を想像し、ニヤけてしまうのを彼には止められたかった。
勿論、通りすがりの人たちに白い目で見られていることも、「見ちゃいけませんっ!」とか言って子供の目をふさいでいる母親にも、気づかなかったのは言うまでも無い。
――土曜日。
稔二が汐坂駅に駅に着くと、時計の真下に白のワンピースを着た透が立っていた。
その姿に思わず見とれてしまい、立ち止まってしまう。
「お~い!稔二~!」
彼女が気づき、手を振ってきた。
それでようやく我に返る。
「よう。早いな。まだ十分も前だぞ?」
「それを言うなら稔二だってそうでしょ?大丈夫、私も今来たところだから」
「そっか。んじゃ、せっかくだし一本早い電車で行こう」
「うん」
稔二は透のバッグを受け取り、歩きだす。
「それと……」
二メートルほど歩いたところでまた立ち止まった。
「ん?なに?」
透は不思議に思い、少しだけ首をかしげた。
「……き、今日の透…一段と……綺麗だな」
一瞬、吃驚したような表情をしてすぐに俯いた。
暫く間を空けて、
「……ありがと」
つぶやく様な小さな声で、言った。
「んじゃ、行くか」
「うん」
その後は全くの無言で電車に乗り、目的の駅まで着いた。
因みに目的地は駅の目の前だ。
「う~ん。座りっぱなしは堪えるね~」
改札口を出た透は日向に出て思いっきり伸びをする。
「どうする?最初に昼ごはんいくか?」
遅れて稔二も追いつく。
「ん~…。お昼は中に入ってからにしようよ」
「そうだな、じゃあ早く入っちゃおう。腹が減って仕方無い」
そう言って稔二は腹に手を当てる。
そう言ってゲートをくぐった。
結果から言うと、初デートは大成功だった。
稔二も透も、子供みたいにはしゃいで楽しんでいた。
今は駅から家までの途中にある踏み切りで電車が過ぎるのを待っている。
いつもなら横でじゃれあっている小学生、おそらくは一、二年生の子供に五月蝿いなと思ったりするの だが今日はかりは気にせずにいられる。
「今日、楽しかったね。ありがと」
「楽しめたんなら何よりさ。また、一緒に行こう」
「うん!」
今日一番の笑顔が見られた。
稔二も笑って返す。
と、そこで遠くから電車の来る音が聞こえた。
「もうすぐお別れだね。私は駅まで自転車で来たから」
「…明日、透の家に遊びに行くよ」
少し寂しそうな顔になった透の頭に右手を乗せる。
「――うわっ!」
そこでさっきの子供たちの声が耳に入ってきた。
見ると、何の弾みかは分からないが、一人の少年が線路の真上で尻餅を付いていた。
それだけならまだいい。
しかし、その少年は迫ってくる電車を見て硬直してしまっていた。
「……嘘だろ…」
稔二が助けに行こうとするが、その前に一人の女性が彼の元へたどり着き、稔二へ放ってきた。
「――稔二っ!」
「なっ!?透っ!」
少年を受け止め、透へ手を伸ばす。
が、彼女はその手を取ろうとはせず、笑った(・・・)。
とても美しく、静かな笑みだった。
そして彼女はさらわれた。
視界の外から猛スピードで現れた、逆光で黒一色に見える影に。
「………なんだよ…これ。…嘘だろ……?なぁ…オイ…」
稔二は受け取った少年を放り捨て、透が飛ばされて行った方へユラユラと歩いていく。
十数メートル歩いたところに、彼女はいた。
真っ白で綺麗だったワンピースは血と土に汚れ、ピクリとも動かない。
「透?…なぁ、おい…透。返事…しろよな……」
ゆっくりと座り、彼女の上半身を抱え、血で汚れた手を持ち上げる。
「透、透、透…なぁ……。なぁって。頼む…頼むから返事してくれよ…」
しかしその手は血で滑り、力なく地面へと落ちていった。
「…うっ……うう……うわああああアアァあああああああああああああぁああああああアあああああああアアアああああぁあああああああああぁアアアアアアあああああああ!」
~Calla pass~
「ああああァァああああアあああああアアアあ!」
――そうだ、彼女はあの子供を助けて、その直後に快速電車に…。
涙が溢れて止まらない。
彼は叫んだ。
悲しみを紛わせる為に、喉が千切れるほどに痛くなっても、何度も嗚咽が零れても、叫んだ。
思い出した。
思い出してしまった。
思い出したくなかった。
思い出したくなかったことさえも、今思い出した。
激しい後悔の念に襲われる。
しかし、今更後悔してももう遅かった。
――いやだ……いやだ…。消えろ…消えろ……。
必死になって最悪の映像を消そうとするたび、より鮮明になって甦る。
とうとう、彼は何もない空間に蹲ってしまった。
背中にひどい寒気がする。
――………寒い……寒いよ……。…透……。ボク……ボクは……
「―――寂しいよ―――」
白かった空間が足元から崩れていく。
まるで、底の無い闇に墜ちていく様に・・・。
彼はもう、動けない。
泣きながら、激しく後悔しながら、何もできず。
たった一つの欠片を失い、崩れていくパズルのように。
たった一つの罅で、その空間は
崩れていった。
完