今日の星詠み『沈黙は金』~黙ってたら上手くいったけど、話したからこそ王子ゲット!
豪奢なシャンデリアから舞い降りる煌めきが、華麗な衣装に身を包んだ男女を祝福する。
だが、今や会場にあるのは華やかな談笑ではなく、息を呑む音さえ響きそうな静けさだった。
楽団が演奏を中断したホールで、一人の男が断罪の低い声を響かせた。金の瞳が、正義に滲む。
「マーガレット! 本日、お前と結んだ婚約の破棄を言い渡す!」
叫んだのはこの屋敷のロズワルド侯爵家の令息、アシュトンだった。白と緑の礼服に身を包んだ貴公子が、裁判官のように令嬢を名指しする。
皆の目が、好奇心と困惑が綯い交ぜとなった光を帯びた。その収束先はタリエス侯爵家の令嬢、マーガレット。
彼女は青いドレスと同じ色の扇で一瞬だけ顔を隠したが、すぐにパチンと小気味いい音を立てて扇を閉じた。
深い青みをたたえた瞳が、僅かに細められる。
――やはり、始めるのですね。
破棄を言われることは予想していた。五日前という直前に、エスコートは出来ないと連絡があったのだから。主催するパーティーであるのに婚約者をエスコートしないなど、答えは一つしかない。
――私自身の名誉は、私の手で守ってみせる。
マーガレットは扇を両手で強く握った。婚約破棄の場合、どちらに非があるかが家門の今後を左右する。
絶対に、負けられない。
たとえ今日の星詠の占い結果が『沈黙は金』だったとしても!
誰もが息継ぎさえ躊躇する空間。中央で仁王立ちしたアシュトンがふっと表情を緩め、手を伸ばした。
その手を灯台の光の如く、目的地にした令嬢が一人。さも当然のように手を重ね、ふわりとした動作でカーテシーを行った。
令嬢と並んだアシュトンが、鬨の声を挙げる。
「そして私は、サムナー伯爵令嬢のリズ……エリザベスとの婚約を宣言する。マーガレットは、私達二人の仲を邪推し、リズに嫌がらせを繰り返していた。だがその行為こそ、私にマーガレットへの不信と、じっと耐えるリズへの献身を燃え上がらせたのだ」
ざわざわと、周囲が目を見合わせた。マーガレットが嫌がらせをした噂など聞いたことがない。
だが、もし事実であるならば。
貴族達はちらちらと視線を送りながら、何やら短く意見を交わしている。当事者の二人は、どちらも背を伸ばして顎を引き、臆する様子はない。
令息の眉間には皺、令嬢の顔には微笑み。
どちらにつくのが正解だろうか。
静かな喧騒を応援団とばかりに背負ったアシュトンが、口の端を上げ顔を歪ませた。
「マーガレット、嫌がらせの数々について、リズに謝罪してもらおうか」
「……どのようなものでしょうか?」
「リズが言っているぞ。ドレスを虫で汚されたと。お前がリズに向かって投げたそうだな」
「む「それは違いますっ!」
――え? 私じゃない?
ぱちぱちとマーガレットがまばたきをした。
後方右から、右手を震わせた令嬢が歩いてくる。艷やかな黒髪と同じく黒を基調とした、蝶のような青と緑の鮮やかなドレスが翻る。
ボイル家のミーナはマーガレットの横に立つと、両手を祈るように重ね合わせた。
「あの時、芋虫を持ち込んだのは私です! 孵化したのが嬉しくて、浮かれたあまりにマーガレット様にぶつかってしまい、その拍子で偶然居合わせたエリザベス様に芋虫が……。マーガレット様は、むしろ助けて下さいました!」
――思い出したわ!
学園の館移動をしていた際、中庭で横から出てきた誰かとぶつかりそうになった気がする。すぐに聞こえた金切り声。
エリザベスが腰を抜かして、崩れ込んでいた。目を逸らしながら、必死で差した指先。
スカートの上にいたのは、丸々と太った芋虫。
何とか扇で取ったが、うっかり芋虫を近くで見てしまった。黒い身体に、原色の赤黄緑の点々が浮き上がる模様。足のような小さな塊が蠢く。
もう全身で震えることしか出来なかった。扇を投げた気がする。投げた先に、ぶつかった令嬢がいた。
その時の令嬢こそが、ミーナだったのだ。
「あの「まあ、マーガレット様ったら何とお優しい………」
「素晴らしいな、身を挺して救うとは。我らも見習わねばならないな」
「しかも、本人はそれを決して公言なさらないなんて。さすが淑女の鑑たるご令嬢ですわ」
――褒めすぎ! それこそ誤解だわ!
四方からの称賛の圧こそが異様である。目が合うと、拍手が一層力強くなる令息達や、涙ぐんでいる令嬢達。
あまりの曲解に、背中がこそばゆい。
アシュトンは、周囲の反応が予想と真逆なことに絶句していた。唇を噛むと、拳を強く握りこむ。
「ま、まだあるぞ! リズが課題の詰めを頑張っている時だ! お前は纏め係でも無いのに、もうおしまいだと言って、先に課題を持って行ったそうだな!」
「な「いいえ、違います」
――ま、また言えなかった……!
目眩に襲われながら、マーガレットは振り向いた。一人の令嬢がぴしりと扇を閉じ、顔をまっすぐに上げて前に出る。
「あの時、纏め係をやっていたのは私です。目を離した隙に、集めた皆様の書類が散らばってしまったのを、マーガレット様が回収を手伝ってくれました」
クジャール家のジャンヌは、深い群青色の瞳でアシュトンを睨んだ。身体に沿った水色のドレスも、高く結い上げた青い髪も、まるで査察官のような厳格さを放っている。
「クラス別や爵位順にすぐに整理した上に、運ぶことまで手分けをして下さったのです。アシュトン様の言葉は、言いがかりでございます。マーガレット様に濡れ衣を着せるのは、私が許しません」
――確かにあったわ!
偶然通りがかった教室で、紙束達が散らばっていた。おろおろしているジャンヌに尋ねると、突如吹いたつむじ風が、開けられた窓から廊下へと抜けてしまったらしい。
拾って、順番通りに並べ直して、一緒に運ぶことを申し出た。開いた窓の側で書き物をしている令嬢はいたが、紙束には何ら反応をしていなかったので、無関係だと思っていた。
自分は最後の紙を拾って、周囲を見渡した後に。
「これで、もうおしまいね」
確かに言っていた。
つまり、あの時に片隅にいた令嬢がエリザベスで、ジャンヌが紙束を纏めるまでの時間を使った追い込みを、結果的に邪魔をしたのかも知れない。
「そ「あのジャンヌ様にあそこまで言わせるなんて。さすがマーガレット様だわ」
「クラスと爵位を把握していて、実際にジャンヌ嬢を助けている。とても見識ある方だ」
「運ぶお手伝いまでされるなんて。まるで聖女様のような慈愛ですわ」
――だから、それは違うんだってば!
貴族年鑑を眺めることが幼少時代から好きで、専用のカード合わせゲームを作ったこともある。並び替えの早さが父より早いことは、今でも自慢である。
学園名簿は、一時期に暇を持て余した時によく眺めていただけだ。
だからこそ褒められすぎて、逆にいたたまれない。周囲からの視線の眩しさに、太陽に干上がる旅人になったようだった。
もはやアシュトンは観賞魚のように口をパクパクとさせ、左右を見回すことしか出来なかった。隣に立つエリザベスの肩に手が触れ、反射的に引っ込める。
「皆様騙されないで! 先の二つが誤解によるものだったとしても、決定的な出来事がありますわ!」
エリザベスが目を吊り上げ、アシュトンの腕を取っていた。目を泳がせる相手にしがみつき、声を張り上げる。
「先月、マーガレット様ご主催のお茶会が予定されていましたわ。私も招待されましたのに、いざ訪問したら、門番に追い返されましたの! とても寒い日でしたのに、お帰り下さいの一点張りでしたわ」
ざわざわとさざめきが伝播する。出席者達は横目で顔を見合わせながらも、エリザベスをじっと注視していた。
「しかもマーガレット様は、無責任にも三日ほど学園にもいらっしゃいませんでした! ようやく顔を合わせた日にすら謝罪は無く、『お身体は平気でした?』とわざとらしく仰ったのです!」
――三日間の休み。きっとあのことだわ!
天啓を貰ったマーガレットが、一歩踏み出す。
今度こそ、自分で反論する!
「もしか「それこそが誤解ですわ!」
――また! どうして!?
深呼吸が罠だったのかもれない。声の大きさでかき消されてしまった。それは、エリザベスの真後ろにいたリングリッツ家のカレンだった。
カレンは青い瞳を潤ませていた。亜麻色の髪を鮮やかな黄色にドレスに添わせ、涙ながらに訴える。
「あの日は、私がマーガレット様に相談があって、先にお屋敷に行っていたのです。そこで私が発熱で倒れてしまって、急遽お茶会を中止に……。それなのに、マーガレット様は私の名を決して出さなかったのです。でも今、それで糾弾されると言うのなら、私が原因だと申し上げます!」
しゃくり上げながらの直訴は、興奮が増す度に声に力が込められていく。カレンは最後には己の胸を叩き、頬に涙の跡を残しながらも、顔をしっかりと上げていた。
――すごい。最後まで、お声が大きくて……。
入り込む隙が無かった。完敗である。マーガレットはそっとカレンに近付き、ハンカチを差し出した。
ハンカチを見たカレンは、顔を真っ赤にしてマーガレットの胸に飛び込んできた。背中を優しく撫でられ、ありがとうございますと鼻をすすっている。
カレンを見た侍医が、流行り病の可能性があると診断していた。他の令嬢方の家に連絡したが、エリザベスは外出していて、伝言を託すのみだった。
また、学院を欠席することになった、感染可能性が明けた日。エリザベスに体調を尋ねた。
他の令嬢方へのフォローもあったとはいえ、今思えばエリザベスへの応対は短かったかもしれない。
とはいえ。
それを不貞の免罪符にされるのは許せない。
「何だ、どれもこれも誤解じゃないか」
「これでマーガレット様と婚約破棄するだなんて、何て愚かなことでしょう」
「ある意味、お似合いの二人かもしれませんね」
旗色は、完全にマーガレットに向いていた。顔面蒼白のアシュトンと、真っ赤になったエリザベス。混ぜても不味いワインにしかならなそうだなと思い、マーガレットはくすっと笑った。
一歩近付くと、二人は同じだけ後ずさる。
「アシュトン様、貴方の主張は荒唐無稽です。ただ、私も、今後に信を保つ意志を持てません」
――良かった、言えたわ!
噛み締めるようにゆっくりと、マーガレットは言葉を続けた。内心、話せたことに胸が踊る。
「婚約の解消を受け入れます。信なき縁を結ぶ理由はございませんもの。――ただし、落ち度が私にないことだけは、明文化して貰いましょう」
アシュトンの開いた瞳が揺れる。だが、視線の先の元婚約者の意志が揺るぎないことがわかったのか、大きく肩を落とすと動かなくなった。
――え? 少し静かすぎない? もしかして。
何ら周囲の反応が無いために、不安の刃によって首筋を撫でられた気がした。不意に、今朝の占いが脳裏を掠めた。
『沈黙は金』。
つまり、話してはいけなかった。
取り乱してはいけない。浅くなる息を整えながら、マーガレットは貴族年鑑を上から諳んじて、平静を保とうとした。侯爵家まで終わったところで、深呼吸を一つ。沈黙だ、沈黙を貫け。
いつの間にか、楽団が演奏を再開していた。
そろそろ帰ってもいいだろう。淑女の挨拶だけはしようと、マーガレットが口を開いた時である。
「では「ならば私が証人となろう。今宵ここに、マーガレット嬢に落ち度は一切ないと明言する」
――邪魔された! これは正解だわ! でもこの声って……!
この瞬間ほど待ち望んだことは無かった。今日は、マーガレットは話してはダメだ。話さないことが、勝利の鍵である。
だが、今回の第三者は、令嬢ではなかった。
「そして――」
――まさか、殿下!? 出席されていらしたの?
目にする人物の存在に、心が囚われる。それはマーガレットだけではなく、彼以外の参加者全員にとってもそうだった。
艷やかな黒髪と黒瞳が凛々しい、背の高い美丈夫。
ヴィクター王子が、静かに前へ出た。微笑みながら、手がマーガレットに差し出される。
「信を失った婚約が終わったのなら、次は信から始めればいい。私はあなたを疑わぬ。マーガレット嬢、私があなたを、信頼から始まる伴侶として望んでもいいだろうか」
――何が、どうなっているの!? わ、私が……?
目の前にある手が信じられなかった。今日のパーティーで婚約破棄は覚悟していた。名誉だけは譲るまいと、実は一人で想定訓練もしていたのだ。
役に立ったのは決意や訓練では無く占いだったが、ミーナやジャンヌ、カレンの三人には感謝してもし足りない。
だが、この事態は想定していなかった。そもそも、ヴィクター王子の参加も知らなかったのだ。憧れるだけであった存在が、目の前にいるだけではない。
固まったままのマーガレットを見て、ヴィクター王子が目尻を下げた。
「貴女の父君から、話はいつも伺っていた。前々からお会いしたいと思っていたが、婚約者のいる令嬢を私の一存で呼び付けることは出来なくてね。今夜一目見たくて、出席していたのだよ。――自由な身となった貴女を、私に守らせて欲しい」
重ねる言葉は穏やかだが、芯に熱を帯びている。マーガレットを見つめる瞳も、差し出した手も、決して揺れることが無い。
――信じたい。
気付いた時には、マーガレットは手を重ねていた。自分の行動が信じられず、顔に熱が生じていく。つい手を引こうとした時、優しく、だが力強くその手を握られた。
それをしたのは、口を綻ばせたヴィクター王子。
「よろ「おめでとうございます!」
「ヴィクター殿下、マーガレット様! 何てお似合いのお二人なのでしょう!」
「素晴らしいパーティーになったな!」
了承の言葉が、すぐに感極まった祝福に上書きされてしまった。祝いの言葉は止むことはなく、それすらも割れんばかりの拍手で掻き消されるほどである。
――結局、占いは当たったのかしら。
マーガレットはおかしくてたまらなかった。話さなかったから上手くいった。でもあの時、沈黙の前に破棄をきちんと受け入れたからこそ。
ヴィクター王子と今並べているのかもしれない。
不意に、隣から囁かれた。
「落ち着いたら、どこかでゆっくり話が出来ないだろうか。もっと、貴女の声が聞きたいのだ」
ヴィクター王子の頬も赤い気がする。マーガレットは喜んでと応じ、心から微笑んだ。
もう、話してもいいだろう。
「バルコニーに出ませんか? 私の星詠み占い、たまにすごく当たるんです」
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