1‐2霧の都
一メートルまで近寄ってやっと声の主の姿をはっきり見える。ニット帽を被りコートを着ている。何より不思議なのは彼の履いているブーツが高く、ソールが事典にも負けない厚さを持っている。
彼は右手をコートのポケットに入れていて、左手に双眼鏡を持たせている。
「子供……?」
「うっせ、あんたも子供だろうが」と彼はレインを睨む。「来た方向的に、果ての村から来たんだな」
「果て……? いや、それより君は大丈夫か⁉ 雨の中だぞ?」
「面白いこと言うね。それならあんたもただじゃ済まないだろ? これは雨の蒸発じゃないからさ。人体には雨ほどの影響はないけど、外に長くいたらちゃんと病気になるさ。うちに来るか?」
「え、いいのか?」
「別に。何も知らないバカそうだから、村のことを教えてやるまでよ」
「あ、ありがとう」
「ふん。人間バーベキューを楽しむ趣味がないだけだ」
少年の言葉に疑問を持ちながらも彼の言われた通りに後に付けた。霧に包まれてどこも分からないのに、少年に迷う素振りがない。もう一つの違和感は音だ。ごおおん、どしゃん、と色んな機械音が聞こえるが、人の気配を全く感じない。
「君の名前は?」
「聞くなら自分から名乗れ」
「そ、そうか。ごめん。俺はレイン」
「レイン……? すまん。おれはロンだ」
何故か名前に引っかかったようだが、悪い子ではなさそうだ。
暫く歩くと地面の温度が高くなっていく。晴れの日の道路よりも熱く、靴を履いていても伝わってくる。湿気に相まって蒸し暑くて息ができなくなると感じる。いっそのことバブルに乗って休憩したい、そう思った矢先にロンの声がした。
「二人乗りで」
きいい、と機械音と共に身体が上昇し始めた。こんな機械なんて見たこともないのか、レインは少し慌てた。
「暴れるなよ。落ちるぞ」
二人が乗っているのはブランコのような形をした昇降機だ。上昇しているのは分かるが、どこまで上がっていくのか目視も体感も確実な数字を出せない。幸いなことに一分も経たないうちに機械が止まった。すると人の声も聞こえるようになって、ロンに続いて広場のような場所に着くと霧が薄くなり周りが見えるようになった。
広場と言ってもただの広大な円筒状部屋だ。大勢の人が往復するだけで立ち止まったり休んだりする人はいない。なんだか石を叩くような足音だなと気にしたら、人々はみなロンと同じ高い靴を履いている。
歩いても歩いても地下鉄のようで端っこが見えない。時に分岐があって二つか三つの道に分けると、広さも二、三分に割られる。
「ロン、これって」
「ちょろちょろするな、田舎者が」
「いや、ここの構造が樹木みたいなって」
「……そうだ。さっき降りた箇所は町のメインストリートだが、ただで浮いてるわけじゃないからな。確かにあんたの言った通りだ。この分け目は商店街、公園、住宅街と色んな目的で分けられてる」
「ほお……」
レインは感心した。どういう絡繰りでこの町を支えているのか、彼の知識を越えた技術なのだろう。そして同時にロンの性格も掴んできた。愛想が悪いがちゃんと説明してくれる。だが口にしたら怒られるのだろう。
また歩いていると上へ上るのと下へ下がる道が増えて、幅も狭くなっていく。たまには誰かが倒れた人間に伏せて大泣きするところを目撃してしまうも、ロンは気にしようとしなかった。レインもそれがおかしいと思わない。
人が死ぬことは当然だった。雨に浸蝕され命を落とす人をたくさん見てきた彼にとっても、人が死ぬのは騒ぐことではない。
「この先がおれの家だ」
彼にそう言われた頃には二人は一人ずつでしか通れない通路に辿り着いた。通路の行き止まりは洞穴のような場所だ。さほど大きくはないが一階建てを入れられて、加えて小さな庭を持つほどのスペースはある。庭と言っても、太陽の届かない町では湿気のみで生きられていて生い茂る植物が、陰湿な雰囲気を助長するだけだが。
ロンは彼より少しだけ高いドアを開いて通ると、レインも倣って身を低くしてドアを潜った。
「ロン、帰ったか……、って誰?」
「旅人。外で拾った」
野良猫ではないのだが、とレインは唖然とした。ロンより年上に見える青年は彼ににっと笑う。
「そうかそうか、大変だったな」
「ああ。おれが見つけなかったら死んでたな。こいつはレイン、こっちはうちの兄貴ハル」
「こ、こんにちは」とレインは会釈して、ハルに勧められた席に腰をかける。「死んでた、というのは?」
「だからさっき言ってた、お前がバーベキューになるのは誇張じゃないんだよ。この町が霧に包まれてる理由は地下にあるからな。十年間、人間が耐えられる温度をずっと超えた熱を発し続けてきたんだから」