1‐1雨に包まれる村
「それでは、みんなお元気で」
レインは荷物を背負い帽子を被り、見送りに来てくれた村人達に振り返る。珍しい晴れの下で透明的に見える水色の髪と水晶のような瞳が輝く。
雨の日は止むことを知らずに、日に日に多くなっていく。人々は生活機能を奪われただけではなく、湿気が多くなって浸蝕される人間も増えた。ある日、倒れた村長にレインは呼ばれた。
村を束ねた男は横たわっているが身体に顕著な変化を見られない。彼の場合も湿気の浸蝕なのだろう。
「レインよ」と村長は弱くなったと思えないほどの声で現れた少年を呼んだ。
「はい、村長。何かしてほしいのですか?」
「そうだな。少し話に付き合ってもらおうか。見ての通りだ、私はもう浸蝕でいつか死んでしまうのだろう。だから今のうちに教えたいことがある。お前には真実を知る権利がある……。あの日の、カサディ様との会話を」
「え……? 教えていいんですか?」
「ああ……。私は彼にお前を教えてしまったからな」
話が読めないレインは首を傾げる。
「お前は特別だ。人類が雨に敗北し滅んでもお前は生き残れる。だから先進技術を持つ王都の技術者達……騎士達……そして国王陛下はお前を欲しがるのだろう」
「まさか……」
「ああ。交渉を持ち込まれた。お前を渡す代わりに新しい技術を優先してうちの村に伝授する、という話だった」
「わかりました」
「おい待て、早まるな。お前は肉親に捨てられたかもしれないが、村のみんなにとっては自分の子と変わらない。もちろんお前を差し出すことなんてありえない」
「でも俺はっ、俺一人でみんなが助かるならそれで構いません!」
「まだ……恩返しのつもりか。この十五年はお前はみんなを助けた。助け合ってた。それはもう十分だ。お前は自由だ。村に縛られなくていい。やりたいことをやれ」
村長の言葉もあり三日三夜かけて考えた結論は、村を離れることだった。村を救うためには王都の知識と技術が不可欠だと考えたのだ。せめて、薬の作り方を一つ二つほど覚えておきたい。王都までは歩行だと二か月ほどの距離があるが、雨に耐性があって、トラブルさえなければスムーズに進められるのだろう。
雨さえ避ければバレることもないはずだ。
時間が戻って現在。
家族や友人達と別れを惜しみながら一歩を踏み出そうとする。晴れなのに目が濡れていると感じながら手を振ると、母が抱きしめてくれた。弟のキザメも寄ってきてくれた。
「ああ、私のレイン……。必ずみんなを救っていらっしゃい」
「うん……、約束だよ」
「兄がいない分、僕頑張るよ」
「ああ、でも頑張りすぎないようにな」
必ず帰ってくると約束したレインはみんなに見送られながら村を発った。旅で必要なマップや着替えや金などを背負い、一本の杖を手に、未知の世界へ。
「これで良かったのか、マリー」
小さくなっていく背中が見えなくなると村長は横にいる母に聞いた。彼女は彼のいなくなった方向を眺めたまま微笑む。
「ええ。ありがとうございます、村長。これでレインは英雄になります……」
最初の目的地は隣村である、「フォン・グゥ」だ。
レインはマップを確認しながら首を傾げる。この道は間違っていないはずなのに、長く歩いていると迷っているのかと疑ってしまう。何度も空とマップを交互に見て方位を確かめると、ようやく距離が想像以上に遠いのだと納得できた。
村を出ると自然に囲まれる。聳え立つ山脈も、並ぶ樹木も、その足元に生える花も梢に休む鳥も……、一つの生物が滅亡の危機に追われている絶望さを感じさせない。
遠い空は雲が積んでいない。ということは本日はずっと晴れなのだろう。いくら雨を恐れなくても、ずぶ濡れになるのは嫌なのだ。雨宿りはさせてもらいたい。
考えながら進んでいくと、いつの間にか周りが暗くなっていく。周りの変化に気付いたのか、レインはハッとして思考を中断させてみる。
仰げば太陽が見えにくくなっていく。夜が近付いたのではない。時間はまだ昼間だ。日が見えなくなるのはもっと身近で、レインを包むような霧が溢れているからだ。そして歩けば歩くほど足元から温度が徐々に上がっていくと体感する。
「湿気がひどい……。フォン・グゥはもう近くあるはず。ん、これは……、村の人たちは大丈夫なのか」
そう思うと彼は足を速めて進もうとする。だが霧が濃くなっていき、しまいには方向も分からなくなる。人を助けるどころか、自分が迷子になりそうだ。
「人間バーベキューになりたいのか、あんたは」
少年の声がした。声の方向に顔を向けてみると、さっさっと響く足音がしばらくして、数メートルまで近付いてやっと人の影が見える。レインより一頭身ほど低い人物だ。