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バブルジェノサイド  作者: 六葉九日
プロローグ
2/4

天より賜りし命

 修繕されなくなった王都に位置するある教会は、壁のヒビが日々に伸び瓦礫が落ち塗装の色が褪せた。元より居住区ではないのか、宗教を廃止した王国の中でも取り壊しを免れた。

 入口は一本の柱で塞いでいるものの、その下の隙から成人でも通過することができる。


 風食を受けている片翼の神像の前に跪いた男がいた。


「おお神よ……愚かな人間の罪をお許しください……私達の罪をお許しください……。水に触れてしまった妻をどうか、お助けください……」


 真剣に祈る彼の背後に誰かの足音がする。こんな廃教会に訪れる人間いるはずがない。顔を上げずとも悪意のある者だと分かってしまう。


「また来たのか、懲りないねえ」


 嘲笑うように言う声はもう一人の男だ。祈祷をする男から二歩の距離で止まった。


「いくら時間をここで費やすところで雨の浸蝕は止まらねえよ、分かってんだろおっさん。大人しく頭を使って薬一つでも開発したらどうだ? そんな頭がないからか?」


「いいや、いいや! 我々は神の怒りを買ったのだ。こうして許しを乞うしかない!」


「俺は優しく教えてあげてるだけだよ。人の好意を無碍にしたのも罪だって神様に言われなかったか?」


「ああ、神よ、我らの罪をお許しください……」


 祈祷する男を見たやや若い男は溜息を吐いて、ポケットから目薬サイズの瓶を手にする。


「これなーんだ?」


 無視される。当然だろう。そもそも二人の会話なんて嚙み合っていなかったのだから。若い男は更に前へ一歩を踏み込み、地べたに張り付ける顔を蹴り上げて上向きにすると、片手で口が開くように顔を掴み、片手で瓶の蓋を開ける。


「知ってんだろ、お前がしてることが反逆罪だって。でも俺の実験に付き合ってくれるなら処刑されずに済むぜ。ということで今日も生き残れるかな?」と彼は言いながら瓶の中の液体を男の口に流した。


***


「おにいちゃん、あれやって!」


 少年の部屋に男の子が走ってくる。お兄ちゃんと呼ばれた少年は十二、三ほどで弟は八歳くらいに見える。


「あれって」


「ふわーってとぶやつ!」


「お前ほんとそれ好きだな。じゃあ約束だぞ。見るだけ、絶対に近づかない触れない」


「やくそく!」


 目を輝かせた弟の前に少年は手のひらを見せる。すると不思議なことに、肌から泡がすーと空気に乗せて浮き上がる。男の子はわーっと拍手をする。一個、二個、三個……、忽然に彼は腕を下す。


「おしまい」


「わあ、ありがとうおにいちゃん!」


「早く自分の部屋に戻れよ」


「はーい」


 弟を見送ると泡を指で破り始める。そうしている間に窓からどたどたと複数の足音が通りすがる。急いでいるように聞こえる。


「もう少しで雨だ! みんな戻れ!」


「雨か」


 少年は立ち上がる。

 彼こそ雨の中で拾われた赤ん坊だ。不思議に思われつつも村人に預けられて十二年が過ぎた。他の子供達と変わらない教育を受けて成長するのだが、雨に対抗する力を持つと知る彼は雨の日で村人達の助けをしていた。


「レイン、申し訳ないけどフィルターの不具合が起きてるの。匠に晴れたら来てほしいって伝えてもらえる?」

「焼き立てのパンだぞ、お前も食うか? ついでに配達してくれ!」

「道具を田んぼに忘れちゃったんだ、手入れしたいから取ってきてもらえるか?」


 とこの調子で“雨の日の便利屋”をやっている。その特別さから同年齢の子供達に不思議がられることもあるのだ。


「なんでおまえは雨で出られるんだよ。おかしいだろ」

「人間じゃないとか?」

「人間のすがただからあくま? やーいあくま!」

「ちょっと触らせろ!」


「うるさいな……」とぽつりと呟くと子供達の前に右手を出して、手のひらを上に向けてみせる。


 何をするんだと子供達は好奇心に釣られて手のひらを見る。見るうちにふわりふわりと透明的な泡が空中に浮き上がる。


「俺の一部の『バブル』だけど、しっかり雨の成分だよ。ほしいかい?」


「え? やめろっ。よるなあ! みんな、にげろ――!」


 わっと子供達は一目散に逃げ出したのを見、レインは作った泡を破った。

 この泡を生み出せる能力を彼はバブルと呼んだ。自由自在に生み出せて操れる。軽いものならバブルの中に乗せて運ぶこともできる。


「レイン、大変だ! xx通りのアリスンさんの容態が悪化した!」


「え? 投薬は?」


「腐敗が進んでてもうもらった薬でも止められなくなってる! 早く来てくれ!」


 大人の呼び出しに嫌な顔をせずに追いかけるレイン。


 こうして天然の水から隔離しようとしても人間はいくつかの方法で浸蝕される可能性が残っている。生活していると主に三つの原因を考えられる。一つ目は湿気、かなり少量であるが絶対に避けられないもの。二つ目は飲用水、たとえ雨を濾過しても完全に浄化しきれることはほぼ不可能なため、人体を浸蝕する成分を少しずつ摂取している。三つ目は事故、雨を間違って触れてしまうこと。


 故に国が対策を考えようとしても、雨が原因で命を失う確率は未だ高い。人類の平均寿命も激しく落ちていった。


 レイン達が着いた家の主は、自身のベッドで寝転んでいる。彼を心配する家族はレインの顔を見るとまるで救世主が降臨したかのように笑顔になった。十二歳の子供にしがみつくほど、アリスンと呼ばれた男はもう虫の息だ。左手の皮膚が焦げていて血管を剥き出しにし、心臓の直前まで蔓延る。爛れた肉と血の臭いが既に部屋に満ちていて吐き気を催す。


「なにを……してほしいんだ……」


「腐敗が進んだ箇所だけを、君の能力で取り除いてほしいんだ!」


「無理だ。バブルはそんな便利な能力じゃないッ」


「なら切り取る……あとは先生がやってくれるから。それならできるだろ?」


 レインは顔を青ざめた。確かにバブルであれば中身に入れるものを外と分離できる。だが人体を切ることなんて、医学の知識のない子供には知識面だけではなく、メンタル面も重荷になるのだ。

 だが。断れない。震える手で先程子供達を驚かしたものよりも大きなバブルを作る。


 太陽が沈んでいき、その彼方に月が昇っていった。

 患者の家を後にしたレインは肌や服に付けた血に気をかけようとせずぼーっとしていて自分の家に帰った。


「レイン、ちょうどよかったわ」と女性の声が聞こえる。彼女はレインを引き取った人間だ。「夕食はもう少しでできるわよ。……レイン?」


 返事がないので彼女はキッチンを出て様子を見る。彼女は腰を下ろして優しく声をかけてみる。


「どうしたの?」


「アリスンさんが死んだ」


「腐蝕で……?」


「俺が殺した」


 言われたままバブルで治療の手助けをした。腐敗の進んでいる箇所を完璧に取り除くにはもっと精密な手術が必要だった。バブルは名前通りただの泡であって、細かい作業は不得意だ。


「切らなくていいところまで切っちゃって、たくさんの血が出て、それで……」


 思い出してしまうと涙が勝手にこぼれた。彼女は彼を抱き締めて背中をさする。


「大丈夫よ……あなたは頑張った。それが一番大事」


「でも、でも、おれじゃなかったら……」


「もう施すようがないからあなたにお願いしたのよ、みんなは」


 雨の腐蝕の治療法はまだ発明されていない。村の医者にできることはせいぜい腐蝕を遅らせることだ。最高の頭脳と技術を擁する王都にいる技術者達も頭を抱えた問題で、完治する薬の開発が成功しているとの噂もあるが、その実例がまだ知られていなく都市伝説として扱われている。まるで天が簡単に許してくれないと言っているようだ。


「みんなみんな死んでしまうの。でもあなたは優しいから、いつか人を救えるわ……」

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