第19話 致命傷(シェス視点)
決定的な危機に陥ることはありません。ですが、相手を危機に陥れることも出来ていませんでした。
レナさんは疲労回復のためにもう何本もポーションを飲んでいます。
休むことなく走り回り、ずっと剣を振っているのですから当然です。身体強化を使っていても、とても苦しいことでしょう。
その身体強化を続ける時間には限りがあります。
そういうわたくしも、そしてティアさんも、魔力回復ポーションを何本も消費していました。
第十階層突破への挑戦を決めた後、わたくしたちは以前の戦闘を思い返し、ゴブリンロードの動きの規則性を見出しました。
記憶を頼りにしたものでしたから、本当に正しいかどうかは、再度戦ってみないことにはわかりませんでした。
果たして再戦したゴブリンロードは、わたくしたちの予想通りに動いていました。
上段から大きく剣を振り下ろした後、斜め上に跳ね上げて、今度は横に剣を振ります。
レナさんはそれに合わせて動いていました。ティアさんも攻撃魔法でそれを支援します。
攻撃の先読みができるのですから、有利なのは間違いありません。
なのに、決定打を浴びせることができませんでした。
動きに規則性はあるものの、それはこちらがほぼ動かない場合に限ったことだったのです。
こちらが攻撃を仕掛ければ、当然ゴブリンロードはそれに対処します。レナさんが攻撃をよければ、ゴブリンロードはそれを追いかけてきます。
大まかな規則性はあるものの、現実では机上の通りにはいかないのでした。
わたくしたちは、そのわずかな違いに追随できるほどの実力はありませんでした。
結局、見出した規則性を活用することができなかったのです。
前回はまぐれだったのかもしれません。たとえここを突破したとしても、次の階層のモンスターを倒していくことはできないのかも。
そんな考えが脳裏によぎります。
先の見えない戦いに、精神が削られていっているのでした。
と、レナさんが、ゴブリンロードの長い剣先から逃れるために、わたくしとティアさんとは逆方向へと大きく跳躍しました。
着地と同時に膝を曲げて腰を落とし、落下の勢いをバネのように反発させて駆け出し、宙を斬ったゴブリンロードへと迫ります。
ゴブリンロードはそれを迎え打つように足を踏み出し、剣を真横に振りました。
それはレナさんには当たらずに、ぶぅんと風切り音を鳴らして空振ります。
かと思うと、ゴブリンロードはその勢いのまま、踏み出した脚を軸にくるりと体を反転させました。
その目がわたくしたちを捉えます。
わたくしは、考えるよりも早く動いていました。
そこから先は一瞬の出来事でした。
ゴブリンロードが、一歩二歩と近づいてきます。
その背後で、レナさんが振り下ろした剣が床を叩きました。
「ティア!」
レナさんが叫びます。
ゴブリンロードが刃こぼれだらけの剣で鋭い突きを放ちました。
その剣先はティアさんへ――。
間一髪、わたくしの体がその間に割り込みました。
同時に、お腹に灼熱を感じました。
「シェスっ!!」
「シェス!」
ティアさんの叫び声なんて、初めて聞きましたわ。
ずぶり、と剣がお腹から引き抜かれます。
ごぶっと口から血が出てきました。足に力が入らず、その場に崩れ落ちます。
「シェス! シェス! なんで私なんか……っ」
ティアさんが涙を浮かべて見下ろしてきます。よかった。無事ですわね。
「ティアっ、ポーションっ!」
レナさんの叫び声に、ティアさんが弾かれたように動きます。
ティアさんによって傷口の上からポーションが注がれました。
無理です。この傷は、そのポーションじゃ……。
胴体を貫通するほどの傷です。わたくしたちが持ち込んだポーションで回復するのは無理でした。
わたくしの声は言葉にならず、ごぼごぼと喉が鳴るだけでした。
「ったく、しょうがねぇなぁ……。金は払えよ?」
キーンと耳鳴りのする耳に、クロトさんのくぐもった声が聞こえてきました。
「レナ、集中! さっさとそいつを倒せ!」
クロトさんの手によって、どぼどぼとお腹にポーションが注がれていきます。すぐに、熱かった傷が、ほんのり温かいくらいに落ち着きました。
代わりに、例えようのない痛みが襲ってきます。息をすることさえ困難でした。
「ティア、お前もだ。レナ一人じゃ盾で防がれるだけでキリがない」
「……シェスは?」
「無事だから、早く行け」
ティアさんが立ち上がりました。
クロトさんがわたくしを横向きにさせます。ごほごほとむせて血を吐き出しました。
咳をするたびにお腹が激しく痛みましたが、その痛みが少しずつ和らいでいくのも感じました。クロトさんのポーションが効いているのです。
「きゃあっ!」
レナさんの叫び声がしたと思うと、何かが激しくぶつかる音がしました。
両手で支えてなんとか体を起こすと、壁に当たったレナさんがその場に倒れていました。
ゴブリンロードが近づいていくのに、レナさんは動きません。今度こそ頭を強打したのでしょう。
早く。早く回復魔法をかけないと。
わたしくしはすぐに詠唱を始めました。
しかし、喉が血で張り付いたようになっていて、かすれた声が出るばかりです。焦りも手伝って、魔力を上手く練ることができません。
ティアさんの放ったファイア・アローがゴブリンロードに命中しますが、一瞬の足止めにしかなりませんでした。
ゴブリンロードが、わたくしの血に塗れた剣を振り上げます。
一縷の望みをかけてクロトさんに視線を向けましたが、クロトさんは腕を組んだまま動こうとはしませんでした。