#14.リターン トゥ オリジン
石塚組のキャンプまで残りたった10㎞。
その10㎞が果てしなく遠く感じる。
「バッテリー残量、20%」
出発してから7時間が経った。進んだ距離は20㎞少し。つまり時速にしたら2.8㎞/hくらい。
今のペースを維持できたとすれば、あと3時間ほどあれば到着できるはず。だけどきっとそうはいかない。
古い市街地に入ってからまったく進まなくなった。
爆撃とかみさまの影響で、屋根がなくなり口を開けたような民家の群れや、ささくれて捲れた道路が続く。廃墟と化した町の似通った景色が広がっている。
前方の道が瓦礫で塞がっていて、往子ちゃんがブレーキを踏んだ。慧摺ちゃんが眉をひそめる。
「この道、日光に向かう時に通ったよな?」
「あのマンションが台風で倒壊したんだ」
おーちゃんが指を向けたコンクリート造りの建物は、かじったスナック菓子のように上半分がなくなっていた。汚染台風が攫って吐き捨てた部分が、私たちの行く手を阻んでいる。
「……迂回しよう」
撤去できる時間も体力も、装備もない。回り道をしてその先に進める保証もないまま、おーちゃんはハンドルを回す。
「バッテリー残量、15%」
カーナビ緯兎ちゃんのアナウンスを聞いたえーちゃんがため息を吐いた。
「……宇々子、どんどん食って飲んじまえ」
「いいのか?」
「ああ、で、パッケージは外に捨てろ。軽量化だ」
「じゃあ遠慮なく」
うーちゃんは素早く持ってきた保存食を開け始めて、乾パンやら水やらを頬張っていく。ウルトラタイタンのバッテリーが少ないから、体温とか汗とかになってしまえばいくらか車体が軽くなって航続距離が伸ばせるかもしれない。
「絢子とおー子も食っちまいな」
えーちゃんはチョコバーの包装を半分空けて運転席のおーちゃんに差し出す。その後もせっせと包装を開けて皆に配っていった。
「えーちゃんは食べないの?」
「私は食欲ないからいいよ」
「バッテリー残量、10%を下回りました」
「いーちゃん、自分の電気使ってないよね?」
おーちゃんの質問に、カーナビが沈黙する。
残り6㎞ほどまでキャンプに近づいた辺りで、バッテリーが10%を切った。この先もトラブルが起こると考えると、間違いなく残りの距離を走りきる前に電気がなくなる。
数秒後、
「……問題ありません」
いーちゃんは自分のエネルギーを車に回していたと認めた。
「問題ないことないだろ。おー子、車止めてくれ」
「減りが遅いと思った」
おーちゃんがまたブレーキを踏む。いーちゃんも電気がエネルギーソースだ。彼女が車の制御をしている以上、底を尽いたらウルトラタイタンは動かなくなる。
それだけじゃない。もしいーちゃんの身体に後遺症でも残ったら。
「あ、そうだ。私の携行バッテリー使えない?」
お守りのようにぶら下げている腰のバッテリーを外して、えーちゃんの方に差し出す。
「壊れるかもしれないぞ」
私が石塚組で働くようになって、給料を貯めて、貯金をはたいて買ったのがこの携行バッテリーだ。こいつを手に入れてから活動範囲がかなり広くなって、一人前のジャンク屋になれた気がしたものだ。
だから、どれだけ私がこの文庫本サイズの装備品に愛着を持っているか、えーちゃんは知っているから忠告してくれている。
「そしたらまた石塚組で働いて買うよ」
そう言うと、えーちゃんとおーちゃんも自分の腰をまさぐって文庫本サイズの機器を取り出した。
車の電源を切ると、ちょっと行ってくる、とえーちゃんはバッテリー3つを持って車外に出て、荷台の方へ向かう。
「あーちゃん。運転頼める?」
運転席から後部座席に這い出すようにしながらおーちゃんが言った。
「え、私……仮免もまだ」
「免許センターは瓦礫の下だよ。私はこれだし」
おーちゃんは腕力だけで動き、空いたスペースに座り込むと、自分の足を指差した。
「あ、そっか」
携行バッテリーがなくなったから、筋力補助靴下がただのタイツになっている。
これで歩けない。アクセルも踏めない。
「……分かった!」
運転席に座るのは人生で初めてだ。おーちゃんに教えてもらいながら、レバーを操作してペダルが踏める位置に座席を調整する。
「いー子、バッテリーは?」
そうこうしていると、えーちゃんが作業から戻ってきた。
「11%に上昇しました」
焼け石に水だな、と呟きながら座り込む。
「スタートキーを回して。ブレーキを踏みながらレバーをDに入れて」
おーちゃんの指示通りに操作し、そろりとアクセルを踏むと、ぐぐ、とウルトラタイタンが動き出した。
「わ、動いた」
台風のせいで外が見づらく、すぐに急ブレーキをかけてしまう。緊張でハンドルを抱きかかえるようになっていたのに気が付いた。
「ぶつけてもいいから、落ち着いて」
「わ、分かった……」
深呼吸をすると、空咳が出る。
フロントに貼り付けられたアクリル板の向こうは、風は吹いているが、雨は止んでいた。
――♺――
「なあ、うー子、石塚組のところに戻ったら何がしたい?」
「寝て食うかな」
「お前はそればっかりだな」
「うるせえな。慧摺はなんだよ」
「いい加減に軽バンにも飽きたし、またデカい車でも作るかな。おー子は?」
「……どうしよう。また旅に出たいかも」
「まじ? こんな目に遭ってんのに?」
「もっと、こう、気軽な旅行みたいな」
「そういうのって死亡フラグって言うんじゃないの?」
皆の会話に茶々を入れてしまう。
「まあそう言うなって。こういう時は前向きな話をしようぜ。あー子は?」
「えぇと……」
シャワーが浴びたい。
清潔な服に着替えたい。
揺れない地面にふかふかの寝袋で寝たい。
でも、それよりも。
「みんなに夕飯をおごりたいかな、帰ったら宴会でもしようか!」
「いいじゃん。楽しみだねえ。いー子は?」
カーナビからは返事がない。
画面もブラックアウトしている。時間も、残りのバッテリーも、分からない。
「いーちゃん?」
「省エネモードかな。いよいよヤバいらしい」
もうスピーカーを動かしたり、画面を点けたりするくらいの電気すらケチらないとダメみたいだ。残り少ない電気を制御と駆動に回している。
「えーちゃんも顔色悪そうだよ?」
少し心配そうな色を帯びたおーちゃんの声が聞こえる。
「実は結構前から車酔いが酷くて」
「疲れが出たのかもね。寝たら?」
「すまん」
えーちゃんはそう言って寝転んだ。
頭の良い彼女のことだ。飲み物もない、食べ物もない、体調も悪いし、電力も底を尽きかけているこの状況を、誰よりも正確に理解している。
この旅の最悪の結末を、想像してしまっているに違いない。
「私も寝る」
「うん、おやすみ、うーちゃん」
おーちゃんの返事を待たずにうーちゃんも寝転んだ。台風の中で鉄板を運んだり、肉体労働を続けていたから疲れたのだろう。この娘の高い身体能力と耐汚染性能には助けられた。
軽量化のために後部座席は取り外して、簡素なマットだけだから寝心地は悪いと思うが、ふたりはすぐに、すうすうと寝息を立て始める。
「そこの角を左」
「分かった」
おーちゃんの指示に従ってハンドルを動かす。車一台分くらいの細い路地を通り抜けようとして、車の左側をこすってしまった。
「あ、やっちゃった」
「もう傷だらけだから、気にしないでいいよ」
「うん。みんな寝ちゃったね」
「車停めて、あーちゃんも少し休憩する?」
「……」
眠い。それに疲れた。
休憩という甘い誘いについ首を縦に振りそうになる。
努めて明るく振る舞うのをやめて、胸の内に渦巻く不安に頭を垂れて、おーちゃんに泣きつけたらどれだけ良いか。
重い責任感に立ち止まって膝を折ってしまえば、どれだけ楽になれるのだろう。
「寝ない」
「そう?」
「うん。今の私はリーダーだから」
分かった、とおーちゃんは食い下がることなく道案内を続けてくれる。
リーダーだからって身体を張る意味はない。いや、あるのかも。
私が休んでたら恰好がつかないからね。
――♺――
力なく唸っていてモーターは、最後の抵抗のように低く吼えた後、眠るように静かになった。アクセルペダルを何度か踏むが、カチャカチャという金属音を立てるだけ。
「動いて」
大きなハンドルを握りしめる。力を失ったウルトラタイタンはゆったりと歩みを止め、ロードノイズは聞こえなくなる。
「動いてよ……」
すがりつくようにハンドルに額をつけて、目を瞑る。もうクラクションは鳴らない。
とうとうバッテリーが切れてしまった。なら今から充電すれば……。
そもそも故障しているのかもしれない。修理しなくちゃ。
ダメだ。頭が動かない。
「あーちゃん」
「ごめんね、うーちゃん」
石塚組のところへ帰れなかった。
皆を巻き込んで、本当にすべて失ってしまった。
目頭が熱くなってくる。
「ごめんね……」
「晴れてるぞ」
目を開ける。
アクリル板の向こうには黄色のフィルターがかかっていない。えーちゃんの腕が伸びて、助手席にいるいーちゃんの肩を掴んで揺する。
「いー子、聞こえてるか。ウルトラタイタンとの接続を切れ」
ドアを開け放ったおーちゃんが辺りを見回して、
「ショッピングモール跡がある……あーちゃん、石塚組のキャンプまであと2㎞くらいだよ」
「たった2㎞か」
大欠伸をしながらうーちゃんが呟いた。
車のドアを開けて外に出ようとして、足が縺れて地面に手を付く。
起き上がって空を見ると、廃墟の隙間に夏の夕焼けが広がっていた。
「走ろう……」
瞼に溜まっていた涙を拭うと、もっと鮮明に景色が見えた。
青と、白と、オレンジ色のグラデーションに染められて、西の彼方に小さくなった入道雲が見える。
とても、とても早く、雲が流れている。
「走ろう!」
私がおーちゃんを背負って、眠ったままのいーちゃんをうーちゃんが背負う。夕日に背を向けて、ウルトラタイタンを置いて、色々なものを捨てて走り始めた。
おーちゃんが耳元で呟く。
「2㎞くらい這っていけるよ」
「え!?」
「タイタンに置いて行って。えーちゃんに手を貸してあげて。私は後で迎えに来てくれればいいから」
「舐めるなよ!」
えーちゃんは肩で息をしながらも頑張って走っている。
「えーちゃんはああ言ってるし――」
ケホッ、と空咳が漏れる。台風一過とは言え、少しは汚染物資が舞っているのかもしれない。でも、気分は随分と晴れ渡っている。
身体の熱に衝き動かされるように、足を動かす。
「相乗りが好きだからっ」
おーちゃんは私の背中に体重を預けた。意味が違うよ、と笑ったような吐息が耳にかかる。車だったら乗り越えるのに大変な場所でも、自分の足なら乗り越えられた。
――♺――
「見えてきたぞ!」
石塚組のキャンプ地が数百m先に見えた。ほっと息を吐いたのも束の間、建っていたはずの仮設事務所や、停まっていた大型車両がないことに気が付く。
「間に合わなかった……?」
駆けていた足が止まっていく。それでも行く当てなどなく、とぼとぼと歩いてキャンプまで近づいていった。おーちゃんの体重だけじゃなくて、これまでの疲れがどっと襲ってきた。
「ん? あれ、斫理の車じゃないか」
「え?」
うーちゃんが指を向けた方に近づいていくと、廃墟の影に隠れて見えなかったところに灰色のジープが停車していた。
そばには見慣れた金髪の男性が退屈そうに立っていて、私たちの姿を見つけると、咥えていたタバコをボンネットの上にある灰皿に押し付けてから、車のドアを開けていく。
助かったあ、とえーちゃんは我先にと乗り込み、うーちゃんの背中から寝ぼけているいーちゃんを受け取って、後部座席に座らせる。
背負ったおーちゃんも預けると、後ろはいっぱいになってしまった。斫理さんが目線だけで助手席に座るように指示したから、言う通りにした。
エンジンがかかると、エアコンの出口から涼やかな風が出てきて気持ちが良い。斫理さんは慣れた動きで車を出発させると、特に普段と変わらぬ調子で言う。
「おかえりなさい。絢」
「ただいま」
続けて後部座席に向けて言った。
「新しいキャンプまで1時間ほどかかりますから、寝ていなさい」
うん。へーい。疲れたー。
と、皆の力ない返事が空気を泳いでいく。
「なんでそれしか進んでないの?」
「絢がUPSを見つけた工場ですが、屋上の太陽光パネルや、地下の生命維持システムの保存状態が良いことが分かりましてね。予定を変更して組全員で回収工事をすることになったんですよ」
「ふふ。横取りだ」
そう言うと、斫理さんは微笑んでいた。
予定を変更したとしても、別に副隊長である斫理さんが元のキャンプにいる必要なんてない。それに、ボンネットに置かれた灰皿には山のような吸い殻があった。
きっと、待っていてくれた。
でも本当のことを言ったら、責任を感じさせてしまうとか、恩着せがましいだろうとか、そう思ってくれているのだろう。
「ありがとう」と言うと、
あくまで利益が優先です、と事務的な声が帰ってきた。
ぶっきらぼうなやさしさに触れて、帰ってきた実感が湧いてくる。
「良い旅でしたか?」
「え? えっと……」
唐突な質問に、思考が飛んで行く。
大変だった。本当に。
拾った大金を使えるように他人を巻き込んだと思ったら、今は一文無しだし。友達を探しに行ったのに、出会ったのは大きな熊だった。
うーちゃんを見つけられて良かったものの、台風に見舞われてからは、友達みんなと倒れる寸前まで働いて。
今、こうして安全にドライブしているのが信じられないくらい、危険な旅だった。
「――うん」
それは良かった、と斫理さんは少し笑う。
また最初から装備を集めなくちゃいけないし、お金も貯めなくちゃいけない。しっかり休んだら、次はどんな仕事に行こうか。
その時は、どんな冒険が待っているのだろう。
馬鹿みたいだけど、おーちゃんと同じで何だか楽しみだ。それに、今度はうーちゃんも揃って5人で仕事ができる。
「すごく楽しかったな――」
エアコン効いてきたなあ、と思ったのと同時に、瞼が下がってくる。じめじめとした夏の暑さに浸っていたから、涼しい風が、あまりにも心地良くて。
「おやすみなさい。絢」




