#13.その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない
「往子、前に言われたこと憶えてるか?」
「どのこと?」
「地下基地に行った時の」
「あれね……慧摺ちゃんその話お気に入りなの?」
「何の話?」
えーちゃんがほくそ笑みながらそんな話題を出すものだから、気になって口を挟んでしまった。大きな身体が寝っ転がったまま顔だけをこちらに向ける。
「絢子、宇々子と会う前の話だよ。地下基地の女に『あなたたちが少し羨ましかったりする』って言われてさ。珍しくおー子が怒って」
「え。おーちゃんが。意外だ」
思い出の中に怒り顔のおーちゃんはいない。
はあ、とハンドルを握る彼女はため息を吐いてから、
「若かったからね――」
少し昔に。
多分私たちじゃなくて地下に住んでる人たちだと思うけれど、誰かがこう言ったそうだ。「地球は宇宙空間になってしまった」と。
大量のかみさまから流れた血は風で飛ばされ水に流され、草が吸い獣が食むことで環境の循環に組み込まれた。食べても、飲んでも、ただ空気を吸って吐くことでさえ身体に重金属が入ってくる。
人間が地上で活動するには宇宙服のような厚手の防護服を着なくちゃいけないし、宇宙ステーションのような堅牢な地下基地から離れすぎないようにして、宇宙食のような清潔な飲食物を口にするしかない。
地球に住んでいるのに呼吸をすることすら許されず、すぐ目の前にある大地に生身を晒せばまたたく間に汚染されて健康を失ってしまう。
まるで故郷に拒絶されているような、そんな哀愁が言わせたのだろう。地球は宇宙空間になってしまったと。
だから彼らは防護服を脱ぎ去ってまた地上で暮らせるように、汚染に耐性を持つ私たち土壌改善型新人類を作って地球をキレイにする仕事を頼んだのだ。
当然と言うかそういう風に作られた私たちは地上で普通に過ごせる。だけど、地下基地に住む人から土壌改善型新人類はどう見られているのか。
ルームミラーにはおーちゃんの困り眉が映っている。
「今の私たちを見ても、同じこと言うかな?」
「はっはっは。違いない」
フロントアクリル板の外に視線を巡らせると、景色はほぼ黄色一色だ。
私たちは汚染台風の真っ只中を電気自動車で走っていて、ドア一枚隔てた外ではびゅうびゅうと汚れた風と雨が渦巻いている。
宇々ちゃんはガスマスクを外して缶詰の焼き鳥をつまみながら、
「じゃあこれが宇宙船ってやつか」
と言って、
「言い得て妙だな。スクラップ同然のウルトラタイタンだけが頼みだ」
えーちゃんが笑いながら同意した。
マスクなしで外に出たら呼吸困難になってしまう。食べ物も飲み物も車の中にしかない。周りは瓦礫だらけで、何かが窓を割って突っ込んできたら大変なことになる。
今や私たちにとっても、ここは宇宙空間。
日光から旧ウツノミヤにある石塚組キャンプまで約30㎞。
ウルトラタイタンの進む速度は10㎞/hほどで、軽いジョギングくらい。
つまり3時間で到着できる、とはならない。
超えられない亀裂があったら、
車から降りて荷台から鉄板を運び、
敷きに行って橋を架け、
車が通った後で鉄板を回収する。
そういう旅だ。
日の出と共に出発したから、日暮れに着いたら良い方だろうと言う話で、その時に石塚組がいる保証はないし、何ならウルトラタイタンが途中で立ち往生して、そこで私たちの旅は終わってしまうかもしれない。
「ぽーん。この先、100m先を、右方向です」
カーナビの音声が鳴った。
おーちゃんは指示通りハンドルを回し、ウルトラタイタンはガタガタキイキイと軋みながら曲がっていく。
「ありがとう」
おーちゃんがカーナビにお礼を言う。変な光景なのだろうけど、カーナビの画面に映っているのが緯兎ちゃんだから違和感はない。
「ぽーん。バッテリー残量、70%です」
「そんなに小さくなっちまっていーちゃんは元気なのか?」
うーちゃんがカーナビの画面に顔を近づけた。
「悪くありません。車体は重く、反応速度は悪いですが」
彼女は助手席に収まって微動だにしていないが、この車と神経を繋げて頭脳となり、アクセルの操作に応じてモーターに指示を出すなどしている。
「ぽーん。この先、道なりです」
それどころか、昨夜に彼女が自分の両足で走破した約10km先までの安全な道を案内してくれている。
これはありがたい。
「おい慧摺、いーちゃんが重いってよ。ダイエットしろ」
「私は太ってねえ」
今からやっても意味ねえだろ、とえーちゃんは悪態を吐いて寝返りをうつと顔を背けた。えーちゃんは決して肥満体ではないけれど、「エ」型は体格とか女らしさに恵まれてるから。
体重、気にしてるのだろうか。
――♺――
前半の15kmは順調と言えた。
緑の多かったところは戦禍が少なくて曲がりなりにも道と呼べるようなものがあった。しかし、市街地に入ってからの5㎞はうんざりするほど進みが遅い。
「ぽーん。この先、旧ウツノミヤ動物園を左方向です」
興味を引かれた私とうーちゃんが窓に張り付いた。
「動物園だって」
「まだなんかいるのか?」
窓の向こうには枯れた植物と、赤茶色に錆びた廃墟しか見えない。生き物の気配もなかった。
カーナビいーちゃんが言う。
「この近くでかみさまが暴れ、動物たちは逃げ出してしまったようです。もう少し北に行ったところで野生化したライオンの群れを見たと言う目撃情報があります」
「この辺では立ち往生したくないね」
「猛獣はうー子で充分だよなあ」
「なんだとッ!!」
「痛てえッ!」
馬鹿にされたと感じたうーちゃんは弾かれたように動いてえーちゃんの頭に嚙り付いた。そういうところだと思う。
「ぽーん。バッテリー残量25%――ッ」
いーちゃんの表情と声にノイズが走っておかしくなった。まるで殴られたように頭を振り、片目を瞑って、言葉が飛んだのだ。
すぐにタイタンが停車する。えーちゃんが聞いた。
「どうした? いー子」
「失礼しました。モーターとインバーター間の信号が消失しています」
聞き覚えのある文言。出発前と同じトラブルだ。
「再発?」
「ああ。瓦礫を超えた時に過電流がかかったかのか、配線が細すぎたのか、そもそもモーターが小さすぎたか……?」
「ボンネット開けるんだよね。行ってくるよ」
「頼む、あー子。ヒューズボックス見て、もし切れてたら22番のヒューズと取り換えてくれ」
「分かった」
ガスマスクを隙間がないように付け直して外に出ようとすると、うーちゃんがドアを開けてくれた。相変わらず強い風の中、車体に手を付きながら前に行ってボンネットを開け、作業を始める。
台風のなかウルトラタイタンから出て修理をしなくちゃいけない。対汚染性能だけで言ったらうーちゃんの方が高いけれど、修理みたいな細かい作業なら「ア」型の私が行くのが良いだろう。
作業が終わり、ボンネットを閉め、フロントガラスに向かって合図を出す。また風に苦労して車内に戻ると、
「こほッ」
空咳が出てしまった。
集まってきた皆の心配そうな視線を「大丈夫だから」と手を振って散らす。
「いーちゃん。どう?」
「行けそうです」
おーちゃんのアクセル操作に合わせ、またタイタンがゆっくりと進み出した。
残りたった10㎞。
その10㎞が果てしなく遠く感じる。




