#9.再会
勝手に身体が動いた。
腰に携行しているバッテリーからケーブルを伸ばして棒LEDに接続。モード切替スイッチを「LIGHT」から「STAN」に切り替え。
先端から飛び出した2本の電極がスパークし、バチチチチチッッと本能に危険を訴える電気の音が響き渡る。
「クマさん。私は美味しくないと思うよ?」
ダメもとで声をかけてみる。しかし、ダメもとでやってみる時の結果は、大抵ダメだ。
砲弾。
100メートルの距離がなかったかのように瞬きみっつで目の前で牙を剥いている。威嚇じゃない、本気の殺意。
太い木の幹を盾にして、何とか勢いを削ぐ。
その瞬間、首に向かってスタンバトンを突いた。
ブフォォッ! と悲鳴を上げた巨体が弾かれたように飛びのき、距離ができる。
それだけだ。逃げてもくれないし、死んでもくれない。ぽかんとしている小熊を庇うように立ち、こちらを睨む。
胸に三日月。
ツキノワグマのはずだ。
でもやっぱり3メートルくらいある。
図鑑で読んだサイズの2倍はあるだろう。過酷な環境に適応していった結果なのか、世界が滅びてこっち在来の生物は巨大化していったけれど。
「こいつは化け物だ」
深く爪痕が残った木の幹をちらと見て、脳が急速に動き出す。
彼我の戦力差は歴然としている。クマよけスプレーなどはない。背を向けても、車くらいのスピードで走れるクマからは逃げ切れないだろう。無線で助けを呼ぶか? いや、間に合わない。
頼みの綱はこのスタンバトン一本だけ。
……分は悪いけど、ただただやられて動物の夕飯になるつもりはない。
私だって石塚組の土壌改善型新人類だ。
それに、
「うーちゃんと会うまでは死なないよ」
半身を木に隠してスタンバトンを槍のように構える。クマが動いた。
集中力が極限まで高まると、どろりと、クマの動きがゆっくりに見える。
木で爪と牙の攻撃を防ぎ、反撃のスタンバトンを差し込む。相手が人間なら致命的になる電流を食らったクマは、悲鳴を上げて離れた。
2度目の電気ショック、だが逃げてくれない。
どうする。
川までひっぱり込んでクマの体毛を濡らすことができれば、皮膚抵抗が下がってより大きなショックを与えられるかもしれない。
試したことはない。私も危ないだろうか。いや、それより、川まで逃げられるか。でも、それくらいしか思いつかない。なんとか次の攻撃の隙を突いて。
と、思考を巡らせて周囲の地形に視線を走らせていると、高まりきった集中力が視界の端に変な物を捉えた。
がさ――。
木の上、生い茂った葉っぱの隙間に。
日の光に照らされて、金の糸のようなものが。
私はそれを見たことがある。
がさがさ――。
いる。
私を見ている。
クマの突進をすんでのところで避けてスタンバトンの切っ先を向けると、クマは警戒して2,3歩離れる。
その一瞬。
揺れ動く木の上に向けて思いっきりバールを投げた。
回転しながら空を飛んだバールは、はるか遠くに飛んで行く、ことはなく木の茂みから伸びた白い腕が掴む。豹のようにしなやかな影が太い枝を足場に跳躍する。
捕らえた得物を手に、獲物に向かって。
落下の速度をともなって振り下ろされたバールがクマの頭を殴りつけ、鈍い音が響き渡る。グオォッ! と硬い頭蓋骨を持つはずのクマが堪らずにたじろぐ。
草の上に難なく着地した金髪の美しい少女を、クマが立ち上がって睨んだ。私から目線を外した隙に踏み込む。
脇の下にスタンバトンを潜り込ませると、クマの神経を奔った電流が完全に拘束した。
バールを構えた少女が地面を蹴り、鋭利な釘抜きを、自らの身体ごと巨体の中心に捻じ込む。
クマは断末魔を上げた。
「離れろッ、絢ちゃん!」
言われるがまま後ずさる。
心臓を貫かれてなお走り出そうとするクマの足を、少女はバールで払う。繰り出してくる爪を叩き落すと、巨大な顔に向かってバールを振り下ろした。
口から舌をだらりと垂れさせて沈黙したクマを見下ろし、ふんっと鼻息を鳴らした少女の碧色の瞳が私に向けられる。
少し伸びたショートカットをなびかせて、スポーツ用のインナーウェアを着て、動物の毛皮を羽織った、
「久しぶり! あーちゃん!」
まるで何もなかったかのように屈託なく笑う、宇々ちゃんがいた。
何も変わらない姿に、ほっと息を吐いて、釣られて私も笑う。
「久しぶり」
「ん? 何で泣いてるんだ?」
「分かんないや……」
皆に無線で連絡して集合するまでの時間は、落ち着くまでに丁度良かった。
――♺――
「ぜえええったいに食う!」
うーちゃんはそう主張して仕留めた母クマのそばから離れようとしなかった。
血と臓物を抜くことだけは許してくれとうーちゃんに交渉し、それでも400㎏はあろうかという巨大な獲物を山から下ろすためには、全員でお神輿のように担いぐという原始的な手段しかなかったのだ。
這う這うの体で下山し、やっとのことでキャンプに戻った頃には夕方になっている。
可能か不可能かも分からない仕事。迫ってくる納期。暑さで奪われていく体力。
あまりにもストレスが溜まっていた。ひとつ仕事が終わった開放感があった。せめて美味しい物が食べたくなっていたのは、皆一緒だったようだ。
誰が言うでもなく料理が始まった。
私は持ってきた小麦粉と水を混ぜて作った生地を、小さな円盤状にしていく。
往子ちゃんがクマを丁寧に捌き、うーちゃんがナイフで豪快に挽き肉にする。
いつの間にか、慧摺ちゃんは山菜とキノコを採ってきてくれていた。ひとりだけ休んでいる罪悪感に耐えられなかったようだ。良いのに。
ありがたくみじん切りにして挽き肉と混ぜ、味付けをすると独特な匂いを漂わせるタネができた。
緯兎ちゃんがタネを生地で包んでいった。その動きは正確無比にして電光石火。あっという間に人数分ができあがる。
第一陣をフライパンで熱し、水を注いで蒸し焼きに。
蓋を開けて、白い蒸気が晴れると。
「ギョーザだ」
作っていたのは他ならぬ私たちではあるが、初めましてのように誰かが呟く。「いただきます」もそこそこに一つお箸で掴んで口に放り込むと。
「――っ!」
あのゆでたドロドロとは、アルゴー飯のレトルトパウチとは物が違う。別物、別次元、別世界の食べ物。
溢れた肉汁には臭みなどない。肉とキノコのうまみ成分が相乗効果をもたらし、そのおいしさはクマに殴られたかのようだ。
山菜の鮮やかさが口当たりを軽くさせ、ほんのりとした苦みと自然な甘みをくれる。
皮は厚くなってしまったが、むしろモチモチとした食べ応えがタネに負けていない。疲労した身体は炭水化物を貪欲に欲しがり、手を止められない。
皆、無言で大量のギョーザをお腹に納めていったのだった。
当たり前のようにいる行方不明だったうーちゃん。それにギョーザしか見ていないあんまりな様子の私たちを眺め、いーちゃんは訝しげに、
「もっと泣いて抱き合ったりするものでは?」
と言った。
――♺――
食べ終わる頃にはとっぷりと日が暮れていた。今夜は月が隠れてしまっているから、棒LEDをランタンのように吊るして、辺りを照らしている。
はち切れるような満腹感に折り合いがついたくらいで、おーちゃんが聞いた。
「山の生活はどうだった?」
「最初は楽しかったけど、しばらくすると寂しくなった!」
うーちゃんは恥ずかしげもなく笑顔を浮かべる。
よくあー子を助けられたな、とえーちゃんが言葉を投げる。うーちゃんは眉根を寄せ空を見つめて考えてから、
「うん? ずっと見てたし」
「え? 私のことを? いつから?」
「山に入った時から」
皆、びっくりしてうーちゃんの方を見た。
「じゃあ何ですぐ出てこなかったんだよ!」
「なに怒ってるんだ慧摺は」
うーちゃんはとりとめのない説明を始める。
「いや、何してんのかなーって。そしたらさ、あーちゃんがヌシを追っていくみたいだったから。ああ、あーちゃんもヌシを倒すつもりなんだと思って。さすがはあーちゃんだよな! あの警戒心の強いヌシを見つけるんだもん」
「ヌシ?」
「あれ」
うーちゃんは吊るされたクマの毛皮を指さす。
「ああ、ね」
何となく理解する。
私たちは捜索の手がかりとして大型の哺乳動物の痕跡を探していた。そうした結果、うーちゃんがヌシと呼ぶ大熊に辿り着いてしまった。私にとっては外道の目標だったけれど、うーちゃんにとっては尾け狙っていた本命の獲物だったのだ。
それで、奇妙に巡り合ってしまった、ということ?
あんな化け物に自ら近づいてしまっていたとは、焦っていたにしても反省点が多い。
「あーちゃんのおかげで楽に仕留められた!」
そう言って満面の笑みを浮かべるうーちゃんを見て、何だかどうでも良くなってしまう。
「私も、うーちゃんが助けてくれて良かった」
自然に浮かんできた笑顔を彼女に向ける。
ぽつぽつと夜に音が鳴り出した。
「っと、雨か」
雨足が近付いているのが聞こえ始める。ここ最近はずっと良い天気が続いていたから。天気が崩れる前にうーちゃんを見つけられて良かったのかもしれない。
もう寝ようか、とおーちゃんが言って、それぞれのテントに潜り込んでいった。うーちゃんは当然のようにテントに入ってくると、特に会話もなく私を抱き枕にしていびきをかき始めた。
昔からこうだった。夜になると勝手に仲間の部屋に入っていって一緒に寝始める。
「色々なことがあったんだよ」
うーちゃんは目を覚まさない。
「お金を拾って。それを使えるようにして。皆で買い物して……旅したんだ」
傍らで高いびきをかいている彼女の、きめ細かな金色の髪を撫でる。会えるかどうか感じていた不安が嘘のようで。
「良かったなあ」
失くしたものを取り戻しただけ。マイナスがゼロに戻っただけ。でも、そんな風に思いたくなかったから、自分に言い聞かせるように呟いた。
瞼を閉じた途端に、熱帯夜など関係ないかのように、疲労と安心感というふかふかのベッドに包まれて夢の世界へと誘われる。
テントに当たる雨粒の音を子守歌にして。




