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第3話 茶話

一、


「じゃあ、ウカは髪を切ってしまったから神託ができないってこと?」


 スイラはウカの淹れたオーラリーのお茶を飲みながら聞いた。朝の礼拝のあと、神殿の塔の上にあるウカの部屋へ招かれた。


「はい。しばらくは前任者の巫祝のもとで引継ぎを受けるのですが、いつぼろがでるか……」


 当初は礼拝中に抜け出す計画を立てていたスイラだったが、よくよく考えるとウカこそ巫祝としての勤めがあって話すどころではないのだった。


「今日はすごくちゃんとしてたけど……」


 スイラは礼拝の最初に挨拶した様子を思い出しながら言った。前任者の紹介で前に立ったウカはよく通る声で静かに話した。いつも礼拝の最中は眠ってしまうスイラも今日ばかりは耳をすませていた。


「それならいいんですが……全体での礼拝はともかく、国王との個別な神託は難しいかと」

「うーん……そうよね」


 今は前任者が担当しているが、二か月後にはオーラリーへ帰ってしまう。ウカはそのことを心配しているのだった。


「神託って何を話すの?」

「それは……いくらスイラさまでも話せませんよ」


 秘密を共有したことで、二人の間にはある種の結託が生まれた。スイラは興味のあることは何でも聞いてしまうが、本来神殿と国とは独立していて一定の距離感を保っていなければならない。

 朝の礼拝のあとに国王と二人で行う神託に関しては、スイラもまだ詳しく知らなかった。


「わかった。でも二人でいる時に敬称はなしって約束したでしょう」

「そうでした……すみません、スイラ」


 ウカは差し湯をしながら答える。最初の一杯よりも淡い緑色がガラスのポットに満たされていく。


 スイラは注がれた二杯目のお茶に口をつけた。甘い花の匂いとは裏腹に、お茶自体はすっと鼻に抜ける清涼感がある。


「二杯目はまた違う感じがするのね」

「花びらで包んだ茶葉にお湯を注ぐんです。そうすると香りだけが移って、茶葉の風味は損なわれません。二杯目はより馴染んで飲みやすくなる……」


 オーラリーのお茶は多種多様で、茶器もエミのものとは違っていた。スイラは初めて触れる文化に興味津々だったが、時間は限られている。

 今日は国王が神託を受ける間だけウカと話すことを許されたのだった。


「お父さまのことは後々考えましょう。まずは目下の問題を片づけないとね!」


 ウカがエミ国へ来て一週間、幸い髪を切ったことは誰にもばれていない。あれから従者のアリアがカツラの留め具を作り直したらしく、以前より精巧になった。


 しかし、別の問題があった。ウカは毎日市井の人々に神託を授けなければならないのだ。


「それで、解決できそうもない悩みっていうのは?」


 スイラは冷める前にお茶を飲み下すと、本題に入った。すっとした風味のおかげで、頭も冴えてきた気がする。



二、


 その日、二人が向かったのはエミ国の首都の隣街フラーだった。神殿には全国から巡礼者が集まるが、毎日通うとなるとやはり近場から来る者が多い。

 ウカが相談を受けた信徒はグラジという名の青年だった。


「これが例の井戸?」

「巫祝さま、こちらは……?」


 案内されて街の辺境にある民家に着くなり、スイラは目を輝かせて辺りを観察し始めた。まさか自国の王女がこんなところにいるとは思わず、グラジは不審な目を奇妙な女に向けた。


「えーと……側近の者です。しばらく祈りをささげてもよろしいですか?」

「ええ! もちろんです。こんなところまでご足労いただいた上に祈りまで……ありがたい」


 青年は感極まったようにウカの前で祈りの印を切った。


「浄化石はまだ見つかりませんか?」

「ええ……。神託のとおり泥は除去したんですが、石は出てきませんでした。では、隣の家にいるんで、終わったら声をかけてください。井戸の中はひどい匂いなんで……これでもマシになったほうですが、ご無理されませんよう」


 グラジが去ると、ウカは足早にスイラに近づいた。井戸を覗き込んでいるスイラに小声でささやく。


「スイラ、あまり目立つ行動をしては危険です。ただでさえ、あなたがいることは隠しているのですから……」

「え、そう? これでも我慢しているんだけど……」


 ウカは本来神殿の外に出ることは禁止されているが、巫祝の引継ぎがされるまでという条件で外出を許された。国を見ることも巫祝の身には必要なことだからだ。

 対して、スイラは報告さえせずについてきていた。ちょうど国王がしばらく国を離れ、兄が代理を務めているので構わないのだと言う。なにが構わないのかウカには理解しがたかった。


「それよりフレイは?」


 そういえば、とウカも辺りを見回す。いつもはそば近くから離れようとしないフレイなのに、近所を見てくると言ったきり戻ってこない。


「迷子になっていなければいずれ戻って来ると思いますが……」

「そうね。ねえ、浄化石ってすごく大きいのよね?」


 スイラに聞かれて、ウカは頷く。浄化石というのは文字通り濁った水を浄化して飲み水に変える石だ。水質の悪い場所に井戸を設置する時には、必ず入れられるものだった。


「じゃあ、とても一人じゃ運び出せないってことか……」

「無理でしょう。スイラは誰かが運び出したと思っているのですか?」


 ウカは沈痛な面持ちで神殿にやってきたグラジ青年を思い返した。井戸が使えなくなって困っている、行政にも相談しているが特殊な経緯なので神託を受けに来たという。


「ちょっと見て。ほら、あそこに擦ったような跡があるでしょ?」


 促されて、ウカは井戸の中を覗き込んだ。途端に臭気が鼻に突き抜ける。平気な顔をしているスイラが信じられなかった。


「ええ……あります。ありますけど……中へ入って泥を運び出す作業をしていたそうですから、浄化石を擦ったとも限らないのでは?」


 かぶっていたヴェールで鼻を押さえながら、ウカは目を凝らした。擦ったような白いあとは井戸の上のほうまで続いていた。


「それに、数人がかりで専門の装置がなければ無理です」

「ふうん……」


 スイラは納得したようなしてないような曖昧な返事だった。


「泥が出る前は普通に使えたんでしょう?」

「ええ。前日までは顔を洗ったり、煮沸して飲んだりしていたそうです」


 ウカは井戸の目の前にある民家を振り返った。ここはグラジ青年の家で、両親と住んでいた。しかし、今は隣の親戚の家へ間借りしている。


「井戸はこの家だけが使っていたの?」

「いえ、近隣の住民が共同で……個人の井戸に浄化石は高価ですから」


 井戸に浄化石を入れる場合は、付近の住民が行政に依頼して補助を受けるというのが一般的なやり方だった。一部の富裕層は個人で所有している場合が多いが、このくらいの規模の街では珍しいことではない。


「では、隣の親戚も?」

「ええ……グラジさんの家だけ床下からも泥が出て、とても住める状態ではないと」


 一帯の住人は近くの使える井戸を借りに行っていた。一番被害の大きいグラジが代表で神殿を訪ねてきたのも頷ける。


「新しい浄化石はいつ?」

「報告してからもう一週間だそうですが、なかなか許可が下りないようです」


 浄化石が急になくなる、という前例がないせいで申請に時間がかかっている。理由がわかれば行政も動くだろうとのことだった。

 ウカは神託を装って、とりあえず泥を除去するようにと答えるほかはなかった。


「まあ、そうでしょうね。お父さまはケチだから……よし、じゃあ家に入ってみましょう」


 スイラとウカが井戸から離れて家に入ろうとした時だった。草を踏み分ける音とともに家の裏から話し声が聞こえてきた。



三、


「おい、なんでついてくるんだ⁉」

「たまたま行き先が一緒なだけだろう……」


 片方の声はフレイだった。スイラとウカが家の前で足を止めて顔を見合わせているとフレイともう一人、旅装束に身を包んだ背の高い青年が現れた。


「あ、ウカさま! すみません、家の周辺を見回っていたんですが迷ってしまって……」


 フレイはウカを見つけると、駆け足で近寄ってきた。


「フレイ、この方は……?」


 旅装束の青年はこちらに向けて一礼すると、その場に立ち止まった。振り仰ぐように家の外観を眺めている。


「裏の崖のあたりで偶然会ったんです。ただの旅人にしては怪しいと思って問い詰めましたけど、なんか墓参りに行く途中とかで……まあ、大丈夫だと思います」

「フレイ、初対面の人にそうやって喧嘩をふっかけるのはやめなさいと言ったでしょう」


 ウカは思わず頭を押さえる。オーラリーを出てからというもの、フレイは時々こんな風に暴走してしまうのだった。スイラと出会った時もそうだった。


「喧嘩はふっかけてません」


 フレイは明らかに不満なのを隠さずに言った。その後ろから忍び笑いが聞こえてきて、ウカは顔を上げる。青年が口元を手で押さえていた。


「おい! なに、笑ってる⁉」

「こら!」


 そこに、こらえきれなくなったスイラの笑い声も重なった。フレイはますますふくれっ面になり、咄嗟に注意したウカも苦笑するしかなかった。


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