産女とパウンドケーキ(その4) ※全4部
◇◇◇◇
「それじゃあ、みんなバイバーイ、またねー」
そう言いながら、羽衣は搭乗ゲートに入っていった。
さて、我には最後にやるべき事がある。
「女中よ。しばし待っておれ、小一時間ほどで戻る」
我はそう言い残すと、人知れず出発ロビーへと堂々進む。
”あやかし”にとって人の検査機関をくぐり抜けるなぞ、造作もない。
「羽衣」
我の声に羽衣は驚いたように振り向いた。
「あら、最後まで見送りに来てくれたの」
「まあ、そんな所であるな。それよりも羽衣に聞きたい事がある」
「奇遇ね。私もよ」
そう言って羽衣の表情が真剣なものに変わる。
誤解が解ける前の顔に。
「最後に聞かせて、どうして私たちにあんなに大金をかけて援助してくれたの? あなたがお大尽だってことはわかるけど。理由が知りたいわ」
羽衣の疑問は至極当然であり、そして我にはその答えたる理由がある。
「それは、この質問を羽衣にしたかったからだ」
「その質問って?」
羽衣の問いに我はゴクリと息を飲んで答える。
「母が最初からおらぬとはどんな気持ちなのだ? 母がいる他の者を見て、羨ましく思ったり妬ましく思ったり、寂しくは思ったりしなんだか。我は幼き時に母と別れた故、その心がわからぬ。それが知りたい」
「たった、それだけ?」
「そうだ。これはお前たちにとっては”それだけ”の質問かもしれぬが、その答えは我にとっては大金を積むに足る価値のあるものなのだ」
母を思い出すと心が痛む、この痛みは耐えがたい。
だが、その痛みの根本を理解することは出来る、一門と王道を進む時は忘れることもできる。
ふむ、女中の料理を食べている時も忘れる事もあるな。
もし、藍蘭や赤好が同じ痛みを抱えたならば、それを忘れる助力も出来よう。
だが、我は最初から母の思い出が無い者の心を知らぬ。
だから、橙依や紫君が持つやもしれぬ心の痛みがあるとすれば、それを知りたいのだ。
つまるところ、我は羽衣やあの者たちを我の家族のために利用していたのだ。
”あやかし”っぽいやり方であるな。
「羨ましいとか妬ましいとか寂しいとかは思わなかったわ。施設の先生は優しかったし、あなたもたまに会いに来てくれたしね」
「そうなのか?」
「そうよ。たとえ血のつながった肉親がいなくても、周りの人の愛情を感じていれば、寂しくなんてないわ」
そうか、何の事はない、知ってしまえば当然で必然の流れであるな。
羽衣の答えに我はウンウンとうなづく。
「何かわかったみたいね」
「ああ、羽衣のおかげで理解できた。感謝する」
その言葉に羽衣はニヤーっと厭らしい笑いを浮かべる。
我は女子がそんな表情を浮かべる時を知っている。
女中がよくやる、なにやら下世話な事を考えている時だ。
「うん、それがわかったなら、さっさと愛の告白して愛情を注いであげなさいよ」
やはり……下世話だ……
「なにやら勘違いしておらぬか? 我には愛の告白をする相手なぞおらぬぞ」
「まったまたー。私、珠子さんとお話しして知っているんですから。彼女も私たちと同じで、小さいころに両親に先立たれているんでしょ。だから、あんな質問をしたんですよね」
そういえば、女中がそのような事を過去に言っておったな。
羽衣は明らかに勘違いをしておるが、それを正すのも面倒であるな。
「それに”様”付けと女中だなんて、プレイに理解があってお似合いじゃないの。とっとと愛情以外のものも注いじゃって、既成事実を作っちゃいなさいよ。じゃないと、あんないい娘は他の男に取られちゃいますよ」
そう言って羽衣はニヒヒと笑った。
こんな時、どう言えばよいか我は知っている。
女中が緑乱によく言っている台詞だ。
「下ネタも対外にせよ。少しはオブラートに包め」
そう、この言葉だ。
それを聞いてもなお、羽衣はニヒヒという笑いを続けていた。
◇◇◇◇
その後、フライトまでの少しの間、我と羽衣は他愛のない話を続けた。
結婚する相手の惚気話とか、新しい生活への希望とか、冬花と幸明が実は付き合っているとか。
本当に、他愛のない善き会話であった。
『ホノルル行きUB9-1便にご搭乗のお客様……』
空港のアナウンスが別れの時間を告げる。
もはや語る事も聞く事も聞きたい事もない。
最後に我は、我が言うべきことを言うだけだ。
「色々、誤解があったが、我は最初からお前の幸福を願っていたぞ。羽衣、『幸せになれよ』」
この言葉が、我が送る最後の祝福である。
「あら、私は最初から幸せでしたよ。そして、これからも」
そう言って羽衣は今まで見たことのない、本当に幸せそうな笑顔を見せた。
きっと、その笑顔を最初に見た男が、彼女を待っているのだろう。
◇◇◇◇
「ういーっく、たまこ、ただいまかえりましたー!」
女中が予備の土産を準備していたせいで、帰りの汽車は酒盛りとなった。
その顛末がこのありさまである。
「おかえりー嬢ちゃん。ねぎらいの酒と料理は用意してあるぜ」
そう言って女中を迎えるのが緑乱。
『酒処 七王子』の再建予定地にテントを張って、ここ数日、女中とキャンプ飯を作っておる。
そのキャンプ飯だが、意外と美味い。
「今日は飯盒飯のおこげに熱々の肉餡をかけた、おごげご飯だぜ」
「うひゃー、原典の中華おこげ『鍋巴』だー」
香ばしい匂いに釣られ、千鳥足で女中が皿に近づく。
危なっかしい。
「おおっと」
ボフッ
「気を付けぬか」
バランスを崩した女中を我は受け止める。
「あ、ありがとうございます。黄貴様」
「今日は大義であったな、ゆっくりと休め。残った土産と空き瓶は我が地下室へ片付けておこう」
余った土産の紙袋を奪い、我は女児紅の甕がある地下室へと向かう。
ギギィと地下への扉が閉まった時、我の前に血まみれの女が現れた。
「久しぶりだな産女」
「お久しぶりでございます」
その姿はかつての震災の時に見た姿と変わらない。
変わったのは表情だ。
かつては、暗く真剣な表情ではあったが、今は柔和な微笑みみを見せている。
この産女はおそらく……いや、間違いなく羽衣の母だった者。
妊婦が子を孕んだまま埋葬されると産女になるという伝承がある。
あの時、震災で瓦礫に埋まったこの女も、その命を失い……そして産女と化した。
だが、こいつは半ば産女となってなお、我が子を守ろうとしたのだ。
母は強い、そしてしたたかだ。
それは我の良く知ること。
ま、我を選んだ目の付け所がよかったともいうがな。
「約束は果たしたぞ。もはや其方の子はおらぬ。みな立派な大人になった」
もはや産女は言葉を発しない。
存在そのものが消えゆこうとしているのだ。
「そうだ、最期にこれを渡そう。ちょうど一つ余っておったのでな。文字通り冥途の土産というやつだ」
そう言って我は土産の箱を開く。
「見えるか、これは女児紅という娘が嫁入りする時に持たせる酒で、こっちがパウンドケーキだ」
見えていますよというように産女がうなづく。
そして我は女中が渡してくれたパウンドケーキとそのレシピに書かれていた説明を思い出す。
「このパウンドケーキというのはな、バター、砂糖、小麦粉、卵を全て1ポンドずつ使って作られるからPound Cakeと言うそうだ。これを受け取る者みんなに等しく幸福が訪れる願いを込めたらしい」
我はパウンドケーキを指さしながら説明する。
「そして、酒とケーキが3つずつあるのはウエディングケーキが3段重ねであるのと同じで、1つ目がここに居る者へ、2つ目がここに来られなかった者へ、3つ目が未来の子供のためのものだそうだ」
女中らしい願いだ。
ハッピーエンドはひとりだけのものではない、みんなで味わうものだということか。
もしや、この土産がひとつが余ったのも、予備ではなく女中が産女のために気を利かせたのかもしれぬな。
我の言葉が終わると、酒とパウンドケーキがひとつづつスゥーと消え、産女の胸に浮かぶ。
まるで、産女がこれは自分のものだと言わんばかりに。
「安心せよ。羽衣には我が祝福を与えておいた。それはきっと、羽衣とその子孫を守るであろう」
羽衣との別れ際に言った『幸せになれよ』という台詞。
そこには我の権能を込めておいた。
未来まで羽衣とその一族を幸福に導くように。
「だから、今は休むがよい。お前たちが安寧して休めるよう、次の世代もまた、我が代わりに見守ろう」
王は国の発展と安寧を司る。
あの子らも、その次の世代も、さらにその子らも未来の愛すべき善き臣民である。
それを守るのは王道……いや、王の我のするべきことではなく、王たる我が望むことなのだ。
王は大望を抱かねばならぬ。
かつて、目の前の産女が優しくあの子を抱いていたように。
「ありがとう。いと尊きお方」
最期にそう言い残すと、産女はスゥーと光の玉となりて天井に、天に昇っていった。
「ふう、これで肩の荷は降りたな。さて、では手の荷を下ろすとするか」
誰に聞かせるでもなく我はつぶやくと、もはや空瓶のみとなった紙袋を地面に下ろす。
カチン
硬いものが触れ合う音が聞こえた。
ガラスの破片でもあるのか?
そう思いながら我は床を確かめる。
床の一部が破れ、その下から何かが見える。
ガラスではない、泥にくすんでいるが黄色の何かが地面より頭を出している。
「もしや!?」
我が地面を掘ると、そこからはキンキンと音を立て、黄金色の大判小判があふれ出た。
そういえば、産女の伝承では、子を預けた産女が戻ってくるまで赤子を抱き続けると産女の祝福が与えられると。
祝福とは強力であったり尽きぬ宝であったりとも聞く。
なるほど、これは産女からのお返しというわけか。
ありがたく『酒処 七王子』の再建に使わせてもらうぞ。
◇◇◇◇
”あやかし”たる我は金に執着することはないが、やはり先立つ物があると頭が軽い。
そんな気分で地上へ戻った我は……頭を抱えた。
「きんたま! きんたまー!」
「キンタマー! カネダマー!」
女中と緑乱がズンドコドンドコと不思議な踊りをしていたからだ。
「あっ黄貴様! 緊急事態です! さあ、ご一緒に! きんたまー! きんたまー!」
「黄貴兄! 一発逆転のチャンスだぜ! 俺っちにあわせて、ほら、早く! キンタマー! カネダマー!」
理解がおよばぬ。
「まあ待て、我に『きんたま』と言わせたい理由を申してみよ。なぜ、このような真似を?」
「さっきですね! 金色の光の玉が『酒処 七王子』から空へ昇っていったのを見たんですよ!」
知っておる、それはきっと産女の魂であろう。
「ありゃきっと、富と財をもたらす”あやかし”金玉に違いないと思ってな、嬢ちゃんと呼びかけたんだけど」
「ちっとも反応しなかったんですよ。だからひょっとしたら呼び名が違うのでは思いまして……”きんたま! きんたまー!”と呼びかけてた次第です」
開いた口がふさがらぬ。
勘違いにもほどがあろうに。
まあ、それでもこいつは我の大切な配下であるからな、労わねばなるまい。
働きも十二分であるからな。
「それにはおよばぬ。金子の算段はついた」
「本当ですか!?」
「本当かい!? 黄貴兄!?」
「ああ、この『酒処 七王子』は前よりも華やかにリニューアルできるであろう」
我の言葉にふたりはヒャッホーと喜びの舞を舞う。
「そして、女中よ」
「はい、なんでしょう」
「お前に暇を取らす。どこへなりとも行くがいい」
「はっっ!? はいぃぃぃぃぃー!?」
そう言って女中は瞳をグルグルさせながら頓狂な声を上げたのであった。




