産女とパウンドケーキ(その3) ※全4部
「ひさしぶりー! でもなんで、みんながここに!?」
「羽衣の門出を祝わないはずがないじゃない。親友でしょ、あたしたち」
「そうそう、施設で同じ釜の飯を食った中じゃない」
「結婚は先を越されちゃったけど、次は負けないわよ」
「次ってなんやねん。子作りってか」
「もう、相変わらず幸明は下ネタが好きねー」
懐かしいな。
施設にこの子らの様子を見に行った時もこのように和気あいあいとしておった。
在りし日の我らのように。
「それに天佑、いつこっちに帰って来たの? 今は杭州住まいじゃなかったっけ」
「知らせを受けて、さっきの飛行機で成田に着いた。おめでとう」
そう言ってみなが羽衣の手を握る。
天佑はこの中で唯一両親と再会できた子だ。
両親は中国人で、震災の時に天佑と生き別れになってしまい、間をおかず帰国。
天佑との再会には1年、ともに暮らせるようになるには3年を要した。
ちなみに、女児紅の甕を上納したのが、その両親である。
「実はね、この珠子さんがうちらに教えてくれたんよ。羽衣が結婚するって」
「そうなのか?」
「えへへ、スマホを借りた時に連絡先をみちゃいました。それで黄貴様が震災の時に助けたというみなさんに連絡を取った次第です」
ああ、あの時か。
「でもなんで羽衣は黄貴さんと揉めてたの?」
「それは……」
「羽衣が言うには、どうやら我は羽衣の父親らしい」
「はぁ?」
「ないない、それはない」
我の言葉をこの者たちは全力で否定する。
「どうして? ひょっとしたら、あなたたちの父の可能性だってあるのよ。そうじゃなきゃ、あんなに援助なんてしてくれるはずがないじゃない」
「少なくとも俺は違うぞ。中国の両親が俺を引き取る時にDNA鑑定をしたからな」
そう言えば、天佑が引き取られた時にそのような話を聞いたな。
当時の最先端技術であったとも聞く。
「あたしも違うわね。あたしは服に名前が付いていたから、産院の出生履歴が残ってたわ」
「ああ、ワイも親戚が撮った写真が後で見つかったで」
「えっ? じゃあなんで……私、確かに小さい時に聞いたの、黄貴さんと施設の先生との会話の中で『我が父だ』って言ってたのを」
そう言って羽衣は少し困惑気味に頭を抑えた。
「それなんですが……」
「何か知っているんですか、珠子さん?」
「はい、施設の方に電話して聞いたのですが、黄貴様が施設に寄付をした時に理由を聞いたら『我はこの国に生きる者全ての父のようなものだからな』っておっしゃってたらしいのです」
あー、そんな事も言ったかもしれぬな。
「それに見て下さい。この写真を」
そう言って女中が取り出したのは一枚の写真。
我がこの6人の赤子と共に映っている写真だ。
「黄貴さん若い!」
「ホント! というか、これって小学生か中学生くらいじゃない?」
そこに映っていた我は封印から出たばかりの姿。
神代に母と別れた時と同じ姿。
「避難所では結構有名だったらしいですよ。瓦礫の中から6人の赤子を救助した少年って事で」
「これは……父親になれる年齢じゃないわね」
「で、でも、私の記憶の黄貴さんの姿は今と同じだったわよ! こんなに幼くはなかったわ!」
そう言って羽衣は写真と我を交互に指差す。
「羽衣さん、あなたの一番古い記憶は何歳くらいですか?」
「幼稚園の時だから4、5歳くらいだと思うわ」
「男の子はたった3、4年間程度の二次性徴の前後で30cmくらい身長が伸びてもおかしくありません。きっとそのせいでしょう」
そう言って女中は我にウインクを飛ばす。
まあ、そういう事にしておこう。
”あやかし”の我に人間の二次性徴の尺度は合わぬが辻褄は合う。
「そうだったの……ごめんなさい、私ったら援助してくれた方に無礼な真似を……」
「いやよい、誤解に気付かず、それを早めに解こうともしなかった我にも責任はある」
王たる者は民の機微に敏感でなくてはならぬ。
我もまだ、王道の途中だな。
「話をしてよかった。やっぱり溜め込むよりも一気に吐き出した方が良かったわね。あースッキリした」
「そうだぜ、溜め込まずに一気に吐き出すのが、夫婦生活を上手く進めるコツや。ぶちまけてスッキリや!」
「あんたも相変わらず下ネタ好きねー」
「えっ!? ワイ、今、普通の事を言ったつもりなんやけど……」
幸明の声にみながハハハと笑った。
かつて我が見た、あの日の光景のように。
◇◇◇◇
「それでは! お待ちかねのお土産と言う名の引き出物でーす!」
カチャカチャとキャリーケースを開け、女中がその中から飾り紙で包まれた箱を取り出し皆に渡す。
「おっ! これって!?」
早速、箱を開けた天佑が何かに気づいたように声を上げる。
「はい、これは天佑さんのお父さんから頂いた女児紅です! 小瓶に分けて入れてあります」
開いた箱に入っていたのは3つの琥珀色の液体が入った四角い小瓶。
それと……
「それにパウンドケーキ! おいしそう!」
そう言って羽衣が嬉しそうに手を叩く。
やはり女子はいつになっても甘いものが好きなのだ。
「これは羽衣さんの旦那さんへの贈り物の分、そしてこれが今ここでみんなで頂く分でーす」
女中がキャリーケースからさらに箱を取り出す。
如才なく試食用のミニカップも手にして。
「あそこに見送りの人も入れるラウンジがあるので、そこで試食してみましょう!」
我は利用したことがないが、この空港にはクレジットカードで入れるラウンジあると女中が言っておった。
『持ち込みも可ですし、プライベートエリアもあるんですよ!』と言っておった所があそこなのであろう。
「黄貴様、カードをお願いします」
「ああ、これだな」
我は胸元より一枚のクレジットカードを取り出す。
女中がそれを入り口にピッとかざすと、扉が開く。
「すげぇ、ダイヤモンドカードを超えたロンズデーライトカードだ……」
何やら背後から声が聞こえるが、何を言っておるかわからぬ。
あれは、女中が『王にはそれに相応しいカードを持つべきです』と進めてくれたカードだ。
ラウンジは広く、美しい調度品が気品をかもしだしている。
「さっ、こちらにどうぞ。羽衣さんのフライトまで、祝福のお酒、女児紅とパウンドケーキを楽しみながら、久しぶりの再会に花を咲かせて下さい」
皆がソファにすわり、皿にパウンドケーキが盛られて置かれ、コポコポと音を立てて酒が注がれる。
「それでは、黄貴さんに導かれた私たちの数奇な縁と、羽衣ちゃんの門出にカンパーイ!」
「「「「「「「カンパーイ!」」」」」」」
いつもなら我が乾杯の音頭を取る所だが、今日の所は天佑に譲ろう。
我はコクリと薄い飴色の液体で喉を潤す。
鼻孔を満たすふくよかな香り……
スッ
「えっ!?」
我は息を飲む。
いや、深呼吸をして女児紅の残り香を味わおうとする。
「あれ!?」
「なんだ?」
「香りが……消えた!?」
我だけではない、皆も同じく消えていった香りを追いかけて鼻を鳴らす。
「いや、これはスゴイ酉旨香ですね」
「さすが天佑さん。よくご存じで。酉へんに旨いと書いて酉旨、それに香りを付けて酉旨香。中国語で軽くて濃厚なのに爽やかな香りを意味する言葉です」
「これって紹興酒でしょ。でも、こんなに味わい深いのに良い香りが鼻に抜けて消えていくのなんて初めてだわ!」
我もこのような酒は味わったことがない。
紹興酒は何度も飲んだが、このような……そう、飴色の酒に水が一滴落ちたような深みと透明さが一体化したような味は初めてだ。
「これは20年物の熟成紹興酒ですから。しかも、あたし的に一番美味しいと思っている”上澄”の部分です」
そう言って女中は3つの瓶のうち、1つのラベルを指さす。
そこには上澄と書かれてある。
「天佑さんのお父さんは凄い方です。今時、ちゃんと甕で紹興酒を仕込んで女児紅としてプレゼントしてくれる方なんて早々いません」
「ああ、父さんが言っていた。『もし20年寝かせた女児紅を飲むのなら、かき混ぜずに上澄を飲むといい。桃源郷の仙人のような気分が味わえるぞ』って。ホラかと思ってたら、本当だった」
そう言って天佑は再びキュッっと女児紅の上澄を飲み干し、ふぅーと息をつく。
それを見て、みな、我先にとばかりにお代わりを注ぐ。
「最高だわ! こんなお酒初めて! これならきっと彼のご両親も喜んでもらえるわ。ううん、もし、気に入ってくれなかったら、私が全部飲み干しちゃう!」
これは確かに破顔一笑の酒、これを結婚式で振舞えば皆が喜びに満ちるであろう。
羽衣もそのシーンを思い起こしているのだろうか、喜色満面で酒を注ぐ。
「天佑さんのお父さんの言う通り、年代物の紹興酒の甕の中は3つの層に分かれます」
そう言って女中は指を三本示す。
「まずは”上澄”、中間の”中汲”、そして底の方に溜まった”深淵”です。本当は澱の部分ですが、澱にはちょっとネガティブイメージがあるので深淵って名づけちゃいました」
「なるほど、この箱に女児紅の瓶が3種類入っているのはそのためですね」
「はい、あたしは”上澄”が最高だと思っていますが、中汲と深淵もまた味わい深いものなのですよ」
そして女中は箱に入ったもうひとつの包みを取り出す。
パウンドケーキだ。
「そして! そのまま飲むのであれば”上澄”が最高だと言いましたが! 使い方次第では他の部分だって負けちゃいません! さささっ、どうぞ」
ドントントンとナイフが小気味のいい音を立て、スライスされたパウンドケーキが皆の前に並べられる。
「これも三種類ご用意しています。プレーンとドライフルーツとナッツのパウンドケーキですっ!」
ケーキから漂ってくるのは爽やかな香り。
「じゃあ、あたしはプレーンから」
パクッっと舞衣がケーキを口にする。
「おいしい! これって表面にお酒が塗ってあるわね! しかも、さっき味わった”上澄”がこのパウンドケーキには塗られているのね! 甘味と香りが一体全となってお口を満たすわ!」
「はい、パウンドケーキにブランデーを塗って寝かせたのはよくありますが、それを紹興酒に変えてみました」
ほう、先ほどの”上澄”は見事な味わいであった。
それが塗られたパウンドケーキはさぞかし美味かろう。
「それじゃあ、わたしはドライフルーツ」
温美が断面からベリーの紅やレーズンの黒が見えるケーキを口にする。
「あっ、これも紹興酒ね。香り高い味わいの中にドライフルーツの甘味が活きているわ」
「それは”中汲”に漬けたドライフルーツを使用しています。紹興酒は氷砂糖を入れて飲んでもおいしいのはご存知の通り! だったらトライフルーツの糖分と合うのも当然ですよね」
我も何度か紹興酒に砂糖を入れて飲んだこともあるが、あれは良いものだ。
20年物の紹興酒でそれをやったのならば、きっと素晴らしい味に違いない。
カリッ、カリッ、カリカリカリッ
我の隣からげっ歯類が立てるような音を立てているのは冬花だ。
「ちょっ!? 冬花はん、早く食べすぎやないか。そんなに気にいったならワイの分をあげるさかい、もっとゆっくりと食べんね」
「ふぁーい、ふぉふぃぃがとー! ふぁいすき!」
うむ、たまに女中が陥る罠にはまっているようだな。
我の口でカリッと音を立てるそれは絶品を超えた超絶品であるからな。
「でも、このキャラメルナッツ入りのパウンドケーキは本当においしいですね。特にナッツの味が」
「これはですね、女児紅の底の部分”深淵”に砂糖を加えて、そのカラメル液でナッツをローストしたんんですよ。最も旨みが濃い、ともすれば濃すぎる味の”深淵”ですが、それをナッツの衣にまとわせる事で、その強い味がナッツの香ばしさとケーキの甘味でくどくなく味わえるのです」
『旨みは強いほどいいというのは間違いです』と女中が言っていたのを記憶している。
だが『強い旨みを持つものには、それに相応しい価値や使い道があるのです』とも言っておった。
まさに女中らしい。
我はこの国の王となるために様々は配下を集めておるが、その者たちはアクが強い。
だが、そのアクの強さが魅力でもあるのだ。
それを生かすも殺すも我の采配次第といった所でもあるな。
「どれも素晴らしいです! 本当に珠子さんってお料理が上手なんですね」
テーブルの上のパウンドケーキと女児紅は10分もせずに消えてなくなった。
「えへへ、実はこのパウンドケーキは作るのがとっても簡単なんですよ。はいこれ、レシピです」
そう言って、女中が紙をみなに配る。
我の分もあるらしい。
まあ、我には不要のものであるがな。
我には女中が居てくれればそれでいい。
……ふふっ
「あれ? 黄貴さん、なんだかとっても嬉しそうですね。いつもはポーカーフェイスを気取っているのに。そんな顔は初めて見ました」
「ほんまや、いつもは仏頂面なのに」
羽衣が我の表情に気づいたらしく、我に声をかけてくる。
「我だって知らなかった事を知った時には喜ぶこともある」
「うん、確かにこの20年物の紹興酒とそれを使ったケーキの味は、あたしも初めてですからね。顔もほころぶってなもんです」
そう言って女中は幸せそうな顔でパウンドケーキを口に運んだ。
女中は少し勘違いをしている。
知らなかった事とは、この女児紅やパウンドケーキの味ではない。
我が、我の中に知らなかった心があったことに気づいたからだ。
”女中が居てくれれはそれでいい”そう思うなど……
そう、それは……まるで……恋みたいではないか。




