件憑き(くだんつき)と牛テールスープ(その7)※全7部
元貧乏神が言っていた。
死神は仕事熱心な気の良いヤツだと。
アイツとは違う、きっと心も意識もある。
僕には死神が見えるようになる”死神の目”はないけど、死神の心の声を聞く能力はある。
コピー能力、友達の覚の妖力で僕は心の耳を澄ます。
ガギン!
僕に聞こえたのは重い鎌が何かと打ち合う音。
何かとは当然、アイツの事だ。
(ほほう、我の仕事の邪魔するやつは誰かと思ったが、”死の呪い”の成れの果てであったか)
声が聞こえる、死神の心の声が。
”死の呪い”の成れの果て、それがアイツの正体。
アイツは今、戸惑っているだろうな。
触れるだけで死をもたらす自分が触れても死なない”あやかし”がそこに居るのだから。
残念だったね、死神は”死”への完全耐性を持っているのさ。
いや、アイツには心がないから、そんな事を思うはずも無いか。
ガギンガキンと死神の鎌がアイツを打つ音は続く。
それは僕と死神を除いて誰にも聞こえない音。
珠子姉さんは全く気付かず、えっちらおっちらと家路に急ぐ。
このまま、死神がアイツを倒してくれれば楽なんだけど……
(なかなかやるではないか。人間の愚かさが生み出したものとはいえ、ここまで強大化すると流石に手を焼く)
やっぱり、そう上手くはいかないか。
僕は土手を駆けあがり、死神とアイツが戦っている所から距離を置く。
「死神よ! 力を貸す! もう少し耐えて!」
(おお! その声は先ほどの忠告者!)
ゴロゴロゴロと僕の体が唸りを上げる。
これは僕の友達の渡雷の、雷獣の妖力。
雷に乗って雷速で敵を切り裂く『雷鳴一閃』。
心の耳を澄ませ!
雨粒が石を打つ音を捉えるが如く、鎌の音からアイツの位置を掴め!
キンキンという金属音が、金属音を聞く死神の心の声が僕の心にアイツの輪郭を描く。
聞こえた! 見えた! アイツの影!!
ピカッと雷光が疾り、僕は雷に乗って加速。
たとえ雷速で切り裂こうとも、アイツに触れるだけで、僕は死ぬ。
たとえ岩を切り裂く刃となろうとも、”死”の属性を持つアイツを斬ることはできない。
もし、アイツに心があったなら、きっとそう思っただろう。
だけど、残念だったね。
君は僕に何度も言ったね【死ね】と。
前の周の最後の記憶、僕の友達が死んでいく中、死にゆく僕に聞こえた最後の声。
僕の最初の友達、天邪鬼の天野の声。
最後まで死ななかった唯一の存在。
そうさ、僕の友達には【死ね】と言われたら絶対に死なない、そんな素敵な”あやかし”がいるのさ。
そして、その妖力は絶対に斬れないというならば、それを全身全霊で否定する!
全ての妖力をこの刹那に込めろ!
守りたい、その気持ちを力に変えて!
心の耳でアイツを掴め!
加速しろ! 雷速を超えた光の彼方へ!
届け! 想いの果てまで!
喰らえ!
天に邪なす鬼神の刃!
「邪鬼一閃!」
ギャイヤァァァッァー!!
それは声にならない声、感じることのない手応え。
だけど、天邪鬼の妖力をを宿した僕の耳に、腕に、しっかりと残っていた。
やったよ、珠子姉さん。
僕は君を守りきったよ。
僕の体から妖力が消え、僕の体は雷速のまま慣性に乗って飛び続ける。
全てを使い果たした、余力はない。
雷獣は雷に乗って天より飛び降りると言われているけど、着地に失敗して怪我や死ぬこともあると言われている。
今の僕がまさにそれ。
このまま進めば『酒処 七王子』に続く林を抜け、丘の斜面に激突。
命があれば御の字……でも、やるべき事もやりたい事もやり遂げたんだ、後悔はない。
僕の最期の望みは珠子姉さんが、僕が死んでも涙を流さずに、いつもの笑顔を保ってくれる事だ。
あれ? それはそれで嫌だな。
まあいいか、もう運命を天に委ねるしかない、この雷速に付いてこれる者なんていないのだから。
「水くさいでござるよ。橙依殿」
ガシッと僕の体が何者かに掴まれ、声が聞こえた。
「渡雷!? どうしてここに!?」
「説明はあとでござる。突っ込むでござるよ」
ベキベキベキッと音を立てて、僕らの体は林に突っ込み木をなぎ倒す。
「ゲフッ! 流石に堪えるでござるな!」
僕を守るように渡雷の体が盾になり、僕はかろうじて木々からの衝撃に耐える。
「止めて! 君まで死んじゃう!」
木を何本も貫いて僕らの速度はかなり減速した。
だけど、それは木に弾かれ、ピンボールのように木々にぶつかりながら林を抜けていくことを意味する。
ドガッ! ベキッ! ボクッ!
右に左に揺れる身体、頭に肩に腕に背中に響く打撃。
僕らは濁流を流れ落ちる枝のよう。
ドンッ
軽い衝撃と共に僕らの身体が何者かに抱きとめられた。
大きくて力強い、逞しくて頼りがいのある肉体。
「よく頑張りましたね。あとは強き私に任せなさい」
蒼明兄さん!? どうしてここに!?
蒼明兄さんの巨大な妖力で僕たちの身体に大きなブレーキが掛かる。
「よくやった蒼明! これで俺でも捕まえられるぜ!」
「おじさんも忘れてもらっちゃ困るぜ! これでもやるときゃやるってのが性分でな!」
赤好兄さん!? 緑乱兄さんまで!?
なんでここに!? こんな所に居るはずがないのに!?
ガシッガシッとさらにふたつの影が飛翔する大きな塊となった僕たちに加わる。
「お前、今、『こんな所に居るはずがない』と思っただろう」
「居るはずがないと思ったら。俺がいるのは当たり前さ!」
佐藤! 天野! 君たちまで!?
「詳しい説明は後だ! 突っ込むぞ!」
バリーンと音がして見慣れた扉が吹っ飛び、ガシャーンとガラスの割れる音と共に吹っ飛ぶ酒瓶が見え、そしてゴガーンと鈍い音を響かせ、僕らの身体は停止した。
「痛ててて、まったくひどい目に……」
「どうしてみんなが!?」
「それはですね……」
「御託や説明は後だ! プロパンが漏れてやがる! ちくしょう! やっぱりガス爆発かよ!」
赤好兄さんの叫びがして、僕たちはダッシュで逃げ出す。
僕だけは蒼明兄さんの小脇に抱えられて。
ボン!
ポップコーンの弾ける音を数百倍にしたような瞬激の音が聞こえ……
ボガーン! バラバラバラ!
僕の家、『酒処 七王子』は吹っ飛んだ。
◇◇◇◇
「ふぃー、やれやれ。ひどい目にあったぜ」
少し離れた木の下で、赤好兄さんが汗を拭いながら言う。
「どうして!? なんでみんながここにいるの!?」
「ああ、ここだけの話……というかお前以外のここに居る野郎どもは既に知っているんだが、俺には『弱い予知能力』があってな、対象がこのままだと不幸になることが漠然とわかるのさ」
知っている、赤好兄さんはその能力を5周目で僕に教えてくれた。
「朝、お前と階段ですれ違った時はたまげたぜ。なんせお前の”今日にも死ぬ”くらいの不幸な未来を感知しちまったんだからな」
あっ、あの時。
「さらに『酒処 七王子』そのものから”全壊するような未来”を感知しちまうじゃねえか。こりゃ大惨事だと蒼明と緑乱に相談したってわけさ」
「赤好の兄貴にそんな妖力があったなんて、始めて知ったぜ」
「とまあ、相談を受けた私達はとりあえず、酒瓶をひとつ家の外に出してみました」
「そしたら、その酒瓶から不幸な未来が消えた。こりゃガス爆発でもあるのかなと思ってたら……こいつらと遭遇したのさ」
そう言って、赤好兄さんが指差す先は僕の友達。
天野、佐藤、渡雷、天邪鬼と覚と雷獣。
「拙者たちは心配していたのでござるよ。昨日の昼に橙依殿が昼食も取らずに駆け出した事を」
「しっかも、お前は”4周目”とか”明日11時の運命”とか”死”とか、まるでラノベの主人公みたいな事を考えてるしさ。それで心配になって朝に迎えに来たのさ」
「俺は全然心配してなかったけどな!」
そっか、僕の5周目以降は件憑きの彼女に遭った所から始まっている。
佐藤は4周目の時の僕の心を読んだのか。
「お前の友人と遭遇してみて、お前が何らかのトラブルに見舞われていると思ったんだが」
「貴方は『ひとりでやるのが最善』って考えてたって聞いたわけですよ」
ああ、今日の朝、確かに僕はそう考えていた。
「お前の命懸けの作戦は俺には筒抜けだったってわけ。遠くから聞こえてきたお前の心の声を読んだ時、俺たちは林に隠れてお前が通り過ぎるのをやり過ごしたのさ。だってお前は『今日は俺たちに会いたくない。ひとりでやるのが最善』なんて考えながら前だけを向いて歩いていたからな」
「橙依殿の作戦を知って、何とかしたいと考えていた時に兄上殿と遭遇したのでござるよ」
「俺は今日、絶対にお前に会ってやるって心に決めたのさ!」
そうか、結局僕の作戦はみんなにバレバレだったってわけか。
そして、きっとみんなは僕の邪魔をせずに僕を助けようと考えてくれた。
「橙依君の作戦と予知された結末から、おじさんたちはね何とかお前さんを助けなきゃって思ったのさ」
「全容がわかれば後は簡単です。雷速で飛んで来る貴方を受け止める算段を付ければ良いのですから」クイッ
「そして、さらに俺が”弱い予知能力”で林の木々を見て、お前の通る軌道を割り出し、待ち構えていたってわけさ」
兄さんたちが、やれやれというポーズで言う。
もっと俺たちを頼れよ、といった風にも見えるような素振りで。
「どうだ、お前は今でも『ひとりでやるのが最善だった』なんて思っているか?」
少し厭らしい顔つきで天野が言う。
僕の最初の友達で、君が居なければ僕はアイツを倒すことが出来なかった。
まいったな、もう、とてもそんな風には思えないや。
「僕が間違っていた。次はみんなで爆発に巻き込まれるようにするよ」
「そいつぁ、今回とあんまり変わらねぇなぁ」
緑乱兄さんのその声に、みんなが「違げえねぇ」笑ったのさ。
◇◇◇◇
「ア゛ァァァー! あたしの城がぁー!?」
僕たちの笑い声は絹を引き裂いてしまったような乙女の悲鳴で塗りつぶされた。
悲鳴の主はもちろん珠子姉さん。
よかった、あの時感じた手応えは本当だった。
アイツの危機は去ったんだ。
「心配しなさんな嬢ちゃん。嬢ちゃんの思い出のアルバムも通帳とかの貴重品も、勝負下着もちゃんと俺っちがここに避難させておいたぜ」
そう言って、緑乱兄さんが年代物のリアカーを指す。
そこには、緑乱兄さんの言う通り、珠子姉さんのアルバムや通帳や控え目な下着が退避させてあった。
ゴスッ
これは珠子姉さんの肘が緑乱兄さんの顔面にめり込んだ音。
「ありがとう! 緑乱さん! これはささやかなお礼ですっ!」
よかった、いつも通りの僕の日常が帰ってきた。
「あれっ? 橙依君、ひどい怪我じゃない。一体なにがあったの!?」
「……ただのガス爆発、平気」
僕は木の根に上体を預け、弱々しく地面に横たわりながらも手を上げて応える。
「平気なわけないじゃない! 早く救急車! あれ? ”あやかし”用の119番て何番でしたっけ!?」
スマホを握りオロオロと珠子姉さんは首を左右に振る。
「大丈夫ですよ。私が看ておきますから。それよりも珠子さんはあっちを何とかして下さい」クイッ
そう言って、蒼明兄さんは元『酒処 七王子』の瓦礫を指した。
「そ、蒼明さんがそう言うのなら……。それじゃあ……ブレンダ! セイローン! バーニィ! 今、助けるからねー!」
そう言って珠子姉さんは元『酒処 七王子』の瓦礫に向かって突進する。
バーニィたちって誰!?
「心配するなよ。ありゃ珠子さんの愛用の調理器具の名前さ。ブレンダーと蒸籠と料理用バーナーだな」
僕の心を汲み取ったのか、佐藤が珠子姉さんの心を解説。
ふぅ、よかった。
「おいおい、橙依くんよ、溜息なんかつくなよ。でぇじょうぶ、お前の秘蔵のエロ本『割烹美人艶姿』ならちゃんと避難させてといたから」
「ちょっ!? 緑乱兄さん!? いつの間に!?」
「おっ、お前はそんなのが好みだったのか、俺とは趣味が違うな。ところで緑乱」
「ところで緑乱兄さん」クイッ
「「俺たちの秘蔵本は?」」
兄さんたちの声がハモった。
「ああ、兄貴の『脅威の53インチ! 体感巨乳主義!』と蒼明の『鯖江乱肢眼鏡美女名鑑』ならあそこだぜ」
クイッと緑乱兄さんの親指が示す先はガレキの山。
「ちょっ!? あれは昨日買ったばかりなんだぞ!」
「なんてことを! あれは地域限定販売なのですよ!」
そう言ってふたりは珠子姉さんとともにガレキとの格闘を開始。
それを見て笑いながら緑乱兄さんはリアカーの上で小袖から取り出したワンカップを開け始めた。
みんな無事でよかった。
でもアイツの正体は何だったのだろう。
前の周の佐藤は人間がどうたらとか、行き場を失った死の呪いの化身とか言ってたし、死神は、”死の呪いの成れの果て”とか言ってたけど。
「それなんだかな。悪友」
「それがなんだい。親友」
佐藤が僕に語りかける。
きっと、悪友は”悪運の強い友”って意味なんだろうな。
心を読む妖力は残っていないけど、それくらいはわかる。
「わかってるじゃないか。これは俺の予想なんだが、アイツは人間の呪いが生み出したものじゃないかな」
「呪いって丑の刻参りとかでござるか?」
「バカだな人間は。”人を呪わば穴二つ”ってな、そんなの上手くいくはずがないぜ」
僕もあまりそれが成功したって話は聞かない。
「そうさ、なんせ人間の中には英雄てのがたくさんいて、可愛いヒロインを助けるために一時的に英雄化するようなやつもいる。呪いってのは、十中八九失敗するわけだが、呪詛ってのは失敗すると呪者に跳ね返ってきちまうんだな、これが」
「しかも三倍返しでな、まったくバカだぜ人間ってのは」
僕は知っている、誰かを呪うってのは割に合わない、リスクがてんこ盛りって事を。
「でも、それなら呪者が死んで終わりになるのではござらんか?」
「ほとんどはそうだ。だけど、呪詛が跳ね返ってきた時、既に呪者が死んでいたらどうなると思う?」
「……呪いは行き場を失い……彷徨う」
僕は理解した、アイツの正体。
「そう、そんな『さまようのろい』が集まったのがアイツの正体だと思うわけさ、俺は」
ガレキの棒を手に、国民的RPGの西洋鎧のようなポーズを決めてで佐藤が言う。
「……そうだね、やっぱり覚の物語の最後は『やっぱり人間の世界はおそろしい!』って終わるってわけか。これも運命だね」
「ハハハ、違いねぇ」
そう言って僕らはまた笑いあった。
「ちょっと!? どうなってるの!? なんで、私が生きてるの?」
再び僕らの笑いを引き裂いたのは、ひとりの女の子の声。
あの件憑きの彼女だ。
相変わらずのジャージ姿だが、その頭からは角が消えている。
妖力も感じない、どうやら憑いていた件は消えたみたい。
「ああ、それは、こいつが死の運命を切り裂いたせいだぜ。件は凶事を予言し、その予言が成就すると間もなく死ぬ。あんたもそうなるはずだった。でも、残念だったな、予言は外れたぜ」
「……言ったろ、『僕は死の運命になんて納得はしない! 全力で抗って、そして死から救ってみせる! そんな運命なんてクソ喰らえだ!』ってね」
弱々しくも力強い声で僕は午前中に彼女に言った台詞を繰り返す。
手は動かなかった。
動かなくて良かったのかもしれない。
だって、珠子姉さんにそんな下品な僕の姿を見られたくなかったから。
「おっ、橙依くんも言うようになったねぇ。おじさんは嬉しいよ」
「そんな……、私は君にあんなにひどい事を言ったのに、君の言葉なんて何ひとつ信じなかったのに、私のためにこんなに傷ついて……、命懸けで助けてくれるなんて……」
彼女の目には大粒の涙。
あれ? なんか雰囲気が違わない?
「好きっ! 大好き! 君は私の、私だけの素敵な英雄だわっ!」
ガバッっと覆いかぶさるように彼女が僕に抱き着く。
ズキン!
彼女の情熱的なハグに僕の全身が悲鳴を上げる。
「あ゛ぁぁぁーーーーー!! いたいいたい! 離れて!」
「いやよ! もう離れない! 離さない!」
ちがうちがう! 僕が助けたかったのは珠子姉さんの方! 君は副次的に助かっただけ!
僕はそう言いたかったけど、痛みでそれは声にならなかった。
「あら、橙依くん。何だか素敵な彼女が出来たみたいじゃない。おねえさんも嬉しいわー」
いつのまにやらガレキの中から調理器具を掘り終え戻ってきた珠子姉さんがニヒヒといった表情を浮かべる。
「違う、違うって、そんなんじゃないから!」
「”人を呪わば穴二つ”、それなら”人を救わば両手に花”ってね。まったく、お似合いだぜ」
そう言って、この天邪鬼は心底嬉しそうに笑ったのさ。
天野、お前、絶対にそう思っていないだろ!
◇◇◇◇
こうして、僕だけの長い一日は終わりを告げた。
頭は妖力の使い過ぎでズキズキ痛むし、
体はあちこちアザだらけだし、
ゆっくりと休みたいのに家も部屋も全壊してるし、
兄さんたちはガレキの中から秘蔵のエロ本の発掘に大忙しで、
事情を知ってる友人たちは、僕の顛末にゲラゲラ笑い続け、
事情も何もわかってない珠子姉さんは『よしっ! きょうはキャンプ飯としゃれこみましょう!』なんて息まいている。
まったく……
今日はなんてハッピーエンドな日だ!




