件憑き(くだんつき)と牛テールスープ(その6)※全7部
カランと扉を開けて帰ってきた緑乱兄さんの手から僕は酒瓶の包みをひったくる。
「ちょっ!? 何すんだ橙依!?」
「ごめん、これもらうね!」
ドンッ
「これ! これを奉納するから!」
「ほう、銘柄も確認せずに、ただ酒というだけか。そんなんで儂が……」
そう言っていた元貧乏神の視線がラベルで止まる。
「おい坊。どうしてこれを儂に奉納しようと思った?」
僕は知っている、その問いに対する答えを。
それは一周目で、珠子姉さんが言っていた言葉。
確か……
「これは、山田錦の等外米を使っていて、普通のお酒で……」
「お酒で?」
「おいしい!」
……かなりうろ覚えだった。
「ぷっ、くふふふふっ、はははははっ。なんや坊、お主は口下手よなぁ」
どこから取り出したのか、扇子を手に元貧乏神が笑う。
「まあええ、この手の説明は嬢ちゃんが得意じゃからな。おーい、嬢ちゃん、ちょっと来てくれんか」
「はーい。ただいま……うわっ!? これって三芳菊の『等外ワイルドサイド』じゃないですか。やったー!」
「せや、一緒に飲もか」
「えー、あたし勤務中なんですけどー、神様に言われちちゃしょうがないわねー」
そう言って珠子姉さんがグラスを3つ取り出し、その『ワイルドサイド』をコポコポと注ぎ、僕にそのひとつを渡す。
「それじゃ、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
「……かんぱーい」
まったく、こんな暇はないのに勢いに乗せられてしまった。
クピッ
だけど、このお酒はフルーティな酸味とかすかな甘味がしっかりと活きていて……
「……おいしい、これ結構好きかも。だけど、結構お高そう」
「へへー、そう思うでしょ。でもね、このお酒は高くて美味しい純米酒や吟醸酒じゃなくて、普通酒なのよ。だからお値段もリーズナブル」
「普通酒って?」
「文字通り『普通のお酒』よ。厳選されたお米だけを使った純米酒でもなければ、お米を削って芯の部分だけを使った吟醸酒じゃないお酒」
珠子姉さんはそう言うけど、僕にはその違いが分からない。
「まあ、人間のルールなんやけどな」
「そうそう、さすがは『ボロは着てても心は錦』の神様。そこらへんはよくご存知でらっしゃる。簡単に言うとね、お米には検査規格があってね、特上米~3等米までと、3等に満たない”等外米”ってのがあるのよ」
「その等外米を使って作ったのが、このお酒や」
「有名どころでは獺祭の等外米のお酒もありますよね」
獺祭は知ってる。
結構お高いブランドのお酒。
「等外米を使うと、酒税法では”純米酒”を名乗れないのよ。少し色の変わった米とか大きさが整っていない米が混ざっているだけなのにね」
キュッとグラスを飲み干し、二杯目を手酌で注ぎながら珠子姉さんの説明は続く。
今は勤務中のはず……
「そして、この『ワイルドサイド』は日本酒造りに最適とも言われる品種『山田錦』の等外米で作られたお酒。そのお味は見ての通り。お代は飲んでのお帰りね、なんてね」
「せや、山田”錦”の等外米なんて『ボロは着てても心は錦』の儂にぴったりや」
そういう事。
一周目の時には全く気にも留めていなかったけど、あの時の『うちの神様にピッタリ』という言葉にはそんな理由があったのか。
「そういえば坊、何か儂に頼みごとがあるって言ってたやね。まっ、今日のところはこの『ワイルドサイド』で勘弁したる。ほら、言ってみい」
酒を飲んで少し上機嫌になったのか、元貧乏神が僕に語り掛ける。
ふぅ、やっと本題に戻れた。
「ちょっとこっちで」
僕は元貧乏神を連れて、部屋の隅で顔を突き合わせる。
この話は珠子姉さんに聞かれるわけにはいかない。
「なんや、ひそひそ話かね。エロい話か?」
「……違う。ちょっと聞くけど、君って”死神”を見る事ができる?」
僕は今まで死神を見た事がない。
人間は毎日のように、どこかで誰かが死んでいるというのに。
幽霊なら毎日見ている。
だけど、僕よりもっと幽霊を見ているはずの弟の紫君の口からも”死神”という単語を聞いた事すらない。
でも、同じ神なら見えるかも。
「見えるで。なんや、坊は”死神”に会いたいんかい? そりゃ無理だと思うで」
「どうして?」
「”死”は姿も見えず、音もなく忍び寄るもんや。”死”の属性を持つ者を認知できるのは、神格の高い神とか、儂のように死神と縁の深い存在とか、あとは特別に死神の祝福とかを授けられた者だけや」
やっぱりそう、アイツは”死”の属性の塊のようなもの。
僕たちがアイツを認識出来なかった理由が判明。
そして、僕の予想が当たっているなら……
「……死神が見えるって言ったね」
「せや、貧乏神、疫病神、死神はとっても仲良しや。だから元貧乏神の儂なら”死”を見る事ができるで」
「明日、珠子姉さんに死が迫っている……」
「は? あらへんあらへん、そんなはずないで」
僕の悲壮な告白を元貧乏神はあっけらかんと否定する。
「うーん。坊、『死神』って落語を知っとるか? 死神が見えるようになった男が医者のまねごとをする話や」
「……聞いた事がある。病人の頭の近くに死神がいればそいつの命数は尽きる寸前。でも、足元に居れば命数が残っているので病人は助かる。それを利用して医者の真似事をする話。テケレッツのパァ」
確か、その話の結末は悲惨なものだったはず。
欲にかられた男は病気の大富豪の娘を救おうとして、娘の布団を回転させて頭と足の位置を入れ替える。
そのおかげで娘は救われるが、そのせいで男の命数を示す命のロウソクが娘の物と入れ替わってしまい、最期は何とかそのロウソクを新しいロウソクに継ごうとして失敗して死んでしまうお話。
「うん、その通りや。今の嬢ちゃんの頭の近くには死神がおらん。だから嬢ちゃんの命数もまだ残っておる。少なくとも明日に死ぬような状況じゃないわな」
命数が残っている!
なら、それは希望!
「ねぇ、最後に聞くけど、死神ってどんなやつ?」
「あいつは死を司る神じゃからのそりゃもう恐ろしいヤツと言いたい所じゃが、実は気の良いヤツじゃぞ。ま、仕事の邪魔さえしなけりゃ安全なヤツじゃ」
「もし、仕事の邪魔したら?」
「あっという間に死の鎌でズバンよ。人だろうが、”あやかし”だろうが、神だろうが公平にな。そういうヤツじゃよ」
ピースは揃った。
これは僕の最後の賭け。
僕の妖力はもう限界で、あの日をもう一度を使うことは無理。
成功するかは……わからない。
だけど、それでも、僕は残った妖力の全てでアイツを倒し、珠子姉さんを救う。
たとえ……命を落とすことになっても!
◇◇◇◇
僕は自分が体験してきた、この6日半をこのノートに綴る。
ノートの最後を『いつしか、人類の叡智が、理不尽な”死”に勝利することを僕は望む』で結び、僕は筆を置いた。
希望と、それが無駄に終わることを望んで。
多分、アイツが発生した原因は人間。
今日、僕が倒れたとしても、いつか人間が自らの愚かさをその叡智で乗り越えてくれるだろう。
だけど、負ける気はない、きっと勝てる……はず。
だめだなぁ、ここで一気呵成にたたみかけるくらいじゃないと、八岐大蛇の息子の名が泣く。
勝利の鍵を掴んだ今ならなおさら。
バチン
僕は自分の両頬を平手で叩くと、決意を込めて階段を下りる。
11時の運命の時間までにやるべきことはない。
だけど、やりたい事はある。
「橙依じゃないか早いな……」
階段の途中で赤好兄さんとすれ違った。
「おはよう。赤好兄さん」
いつもだったら、ちょっと下を向いて話すところだけど、今日は違う。
「今日は何だかいつもと雰囲気が違うな。デートか」
「そうだよ、だから付いてこないで」
「……そうか、がんばれよ」
僕は無言でその隣を通過。
「なんだい、珍しく生意気な態度じゃないか。まあいいや、おーい緑乱、蒼明、ちょっと話が……」
そんな言葉が聞こえてきたが、僕は無視して家の扉を開き、外に出る。
やるよ兄さん、僕はたったひとりでも。
ううん、たったひとりで。
それが……最善なんだ!
◇◇◇◇
僕はとある林道から外れ、森の中に入る。
目的地はこの先にある古木の下の洞。
僕は4周目でここに来た。
彼女はきっとここに居るはず、今なら生きて。
そして僕は見覚えのあるジャージを見つけた。
「よくここがわかったわね。泣き虫さん」
苔の上に横たわり大きな瞳を気だるそうに開いて、彼女は、”件憑き”は言う。
「君に言いたい事がある」
「なあに、何でも答えるけど、何をしても運命は変わらないわよ」
少し斜に構えた態度、全てを諦め、運命に身をゆだねようとしている態度、僕とは正反対。
「僕は君が嫌いだ」
「そう、私は君のことを何とも思っていないけど」
好きの反対は嫌いじゃなくて無関心。
中二病を発症した佐藤から聞いたそんな言葉を彼女は口にする。
「そうやって、死を受け入れるのが賢いやり方って思ってるんだろ」
「そうよ、だってわかりきった事なんだもの。死が運命だって」
「僕は死の運命なんて納得しない! 全力で抗って、そして死から救ってみせる! そんな運命なんてクソ喰らえだ!」
FUCK!
ちょっと下品だけど、これでいい。
彼女が全ての元凶だから、彼女に罪はないとしても、これくらいは言っておきたかった。
「言いたいことはそれだけ! じゃ、僕はやるべき事と、やりたい事をしに行くから」
そう言って僕は駆けだした。
「なっ!? なによ! バーカ! 生意気!」
感情の込もった彼女の罵声を背に受けながら。
◇◇◇◇
僕は河川敷で息を潜めその時を待つ。
時刻は午前10時50分。
もうすぐこの上の土手を珠子姉さんが通るはず。
…
……
………
来た!
買い物袋をいっぱいに食材を詰め込みながら、ひとりで珠子姉さんが通り過ぎる。
時刻は午前10時55分
アイツが間もなく来る頃だ。
アイツは触れるだけで死をもたらす存在。
”死”ゆえに姿も見えず、音も聞こえず、あらゆる攻撃が効かない。
規格外のインチキ野郎。
”死”に関する言葉は多い。
元貧乏神曰く、『死は姿も見えず、音もなく忍び寄るもの』。
中二病の友人曰く、『”メメント・モリ”って知ってるか『死を忘れるな死はいつもそこにある』って意味さ』
おとぎ話曰く、『病人の頭の所に死神がいたら命数が尽きている、足元に居たら尽きていない』
そう”死”はいつもそばにある。
だけど、珠子姉さんの頭上には死神はいない、命数が尽きていないから。
だったら、今、死神はどこにいる?
今、立って歩いている珠子姉さんの死神が居る所は?
「答えは……ここだ!」
僕は地面に手を当て、叫ぶ。
そこは珠子姉さんの足元に繋がる大地。
地獄も、死の国も、冥界も、世界のあらゆる死後の世界があるといわれている地の底だ!
「死神よ! お前の仕事を横取りしようとしているやつがいるぞ!」




