件憑き(くだんつき)と牛テールスープ(その2)※全7部
◇◇2周目◇◇
キキィーと音を立てて、屋上への扉が開く。
スマホを見ると、今は7月12日の12時10分。
僕の『あの日をもう一度』が跳ぶ過去は24時間前。
あの時、僕が赤好兄さんの所に瞬間転移したのが正午を少し過ぎたころ。
それを考慮すると、あの日をもう一度を使ったのは12時10分だったというわけか。
そして僕は、佐藤と渡雷、天野と昼食を取った後、家路に就く。
川沿いの土手で、僕が果たすのは、彼女との二回目の邂逅。
「あなたが『酒処 七王子』の人ね」
「……そうだけど、君は?」
僕は彼女に質問を返す。
「私が何かは君には関係ないわ。それに運命は変わらない」
「……その運命って?」
僕はその運命を周知。
だけどあえて聞いた。
「あの店の珠子って人が明日の11時に死ぬわ」
「……ありがとう。僕はその運命を変えてみせるよ」
「そう、無駄だと思うけど……せいぜいがんばってね」
そう言って彼女は踵を返し、去って行った。
==========
あの時の僕は、この上なく愚か。
彼女が僕に忠告をしてくれているのだと勘違いしていた。
もし、今だったら『ありがとう』なんて言わない。
今だったら、僕が言うのはこう、
『運命なんて糞喰らえ! お前の”死の予言”なんて僕が斬り裂いてやる!』、だ。
==========
それから僕は準備に奔走。
珠子姉さんの明日の買い物予定を聞き、ルートを把握。
そのルート上でAEDが設置されている店舗を確認。
学園の保健室に忍び込んで、人形でリハーサルも実施。
珠子姉さんの服を脱がす事を想像すると、少し顔が火照る。
いやいや、これはれっきとした医療行為だから。
「……おはよう、珠子姉さん」
「おはよう橙依くん、そしておやすみ」
珠子姉さんは早朝に僕と紫君のお弁当を作って就寝。
そして10時ごろに起床するのがいつものパターン。
「……珠子姉さん、今日は昼前に買い物に行くよね」
「そーよ。何か買ってきて欲しいものでもあるの?」
「……僕も付いていっちゃダメ?」
僕の問いに珠子姉さんは少し考える。
「学校は?」
「……サボる」
「ならいっか! よしっ、いっしょに行きましょ!」
そう言って珠子姉さんはお布団の住人になった。
◇◇◇◇
「いやー、橙依くんが居てくれて助かったわ」
ここはショッピングモール。
そこで珠子姉さんは、異空間格納庫に大量の缶詰を放り込んでいる。
「……珠子姉さん、次はホビーショップ」
「はーい、荷物持ちのお礼に付き合いまーす」
ショッピングモールに誘ったのは僕。
ここなら、普通の食材の他に輸入食品のショップがあって、珠子姉さんの興味を引くには十分。
そして何よりも、AEDが設置されていて、救急病院も近い。
スマホの時計は午前10時55分を表示。
そろそろ彼女の忠告の時刻。
傍目には珠子姉さんはとっても元気。
急性心不全なんて赤好兄さんは言っていたけど、本当かな?
ドサリ
声も何も上げる事なく、珠子姉さんが前向きに倒れた。
なに!? なにが起きた!?
赤好兄さんの言う通り、急性心不全!?
「珠子姉さん!」
僕は大声を上げて駆け寄り、心臓の鼓動を確認する。
何も聞こえない……
「誰か! AEデ……」
ドクン
僕の視界が暗転し、胸が締め付けられる。
体が硬直し、頬には冷たい床の感触。
僕の心臓が……止まった!?
転倒した事にすら気づかなかった!?
そんなはずはない、僕は”あやかし”。
たかだか心臓が止まったくらいで、動けなくなるはずがない……
そして、アイツの声、ううん音なのか、魂に響く振動とでも言えばいいだろうか。
確かに僕は聞いた。
【死ね】
僕の意識が沈む……、ダメだ……、助けなきゃ……
僕は持てる力の全てを使って、再びあの日をもう一度を発動させた。
◇◇3周目◇◇
ガラガラガッシャーン
僕は階段から盛大に転がり落ちた。
心臓がバクバク、息はハアハア、そして何よりも、耳に、脳に、心に、魂に残るアイツの声。
【死ね】
それを思い出すだけで、体が縮こまる。
「大丈夫でござるか、橙依殿」
渡雷が僕に手を伸ばす。
「……ありがとう、多分大丈夫」
その手を握り、僕は立ち上がる。
スマホの画面を見ると、7月12日午後12時10分を表示。
そうか、僕のあの日をもう一度は24時間前に戻る。
だけど、それは前の周で体験した所までしか戻れない、2周前には戻れないんだ。
僕は前周で、7月12日12時10分~7月13日11時ごろまでしか体験していない。
だから、アイツの声を聞いた時から24時間前じゃなく、約23時間前の12時10分に戻ったのか。
「……気をつけなくっちゃ」
「そうでござるよ。気を付けないといけないでござるよ」
僕の言葉の意味を渡雷は理解していない。
いや、理解出来ない。
それにしても、アイツは何者?
珠子姉さんの死因は心不全なんかじゃない、アイツの仕業。
その正体を見極めなければ、ううん、正体がわからなくても、何とか撃退する方法が必要。
「ごめん、みんな! 急用が出来た! ランチはみんなで食べて!」
「おや、そうでござるか」
「よし、それじゃあ、俺もひとりで食べるか」
「……わかった。気をつけてな」
最後に佐藤が僕の顔を見つめて言った。
◇◇◇◇
僕は川沿いの土手から離れ、近くの森に潜む。
アイツの正体は不明。
だけど、それが呪いの類だとしたら、彼女の言葉を聞く事がトリガーなのかもしれない。
『死の予言』それが、彼女の能力なのかも。
だから、まずはそれを回避。
森から土手を眺めていると、彼女が出現。
そのまま道を進行。
僕は森に潜んだまま、彼女を観察。
このまま進めば、『酒処 七王子』。
あっ、戻って来た。
彼女はそのまま土手を往復。
そして、太陽が西に傾くまで、彼女の土手のワンダリングは続いた。
シャリーン
その音は、日常ではあまり耳にしない音。
錫杖が奏でる金属音。
夕暮れに『酒処 七王子』に向かう存在に僕は心当たりがある、一人。
お店の常連の破戒僧、慈道。
彼女は慈道の姿を見つけると、その前で立ち止まり、そして口を開く。
僕が使う術は、地獄耳。
超常とも言える聴覚の術。
「あなたが『酒処 七王子』の人ね」
「ふむ、拙僧はあそこの住人ではないのだが、まあ、関係者じゃな」
「関係者なら、それでいい。明日の11時にあの店の珠子って人が死ぬわ。それじゃあ」
そう言って、彼女は踵を返す。
「待たれよ。件憑きの少女よ」
件憑き、その言葉に彼女の体がビクッと固まる。
「知ってたの?」
「ふむ、よもやと思っておったが、正解のようじゃったな」
「そう、賢いのね。でも、意味はないわ。運命は変わらない」
「そうかもしれん、そうでないかもしれん。全ては御仏の導きの赴くままにじゃ」
「そう、優しいのね。じゃあ、後は頼むわ。念仏でも準備していて」
もう話す事はない、そんな言い切り方を残して彼女は去って行った。
そして、慈道も『酒処 七王子』に向かう。
ザザッ、ザザッ
初夏の日差しで大きく成長した草をかき分け、僕は進む。
ザッ
道から転がり出た時、僕は慈道と目が合った。
「おや、珠子殿の所の橙依ではないか、こうやって面と向かうのは初めてかな」
「……そんな事はどうでもいい。教えて欲しい、彼女の事を、件憑きの事を」
僕は真剣な目で慈道に語りかけた。
「ふむ、何やら訳ありのようじゃな。どれ、話を聞かせてもらおうか」
僕は話す。
僕が今、7月12日の3周目である事を、今までに2度、珠子姉さんの死を見た事を。
そして、僕が触れた、あの恐怖のアイツの事を。
「そうか、時を遡る術など、にわかには信じ難いが、ここは信じるとしよう。さて、件憑きについてじゃが、件は知っておるかな」
「……聞いた事はある。人面牛身の”あやかし”。確か、凶事を予言するとか」
「そう、凶事を予言し、それが成就すると件自身もまた命を落とすと言われておる。そしてその件を身に宿したと思われる女子が彼女じゃ。拙僧は”件憑き”と名付けたがの。彼女の言動を鑑みるに正解じゃったようじゃな」
「……その予言を回避する方法は?」
「一説によれば、件の姿を写した絵を見れば災いを回避できるとか、雌の件と対になる雄の件が回避方法を知っているとか。確証はなく伝承ではあるがな」
僕のスマホにはさっきまで覗いていた時に撮った彼女の写真がある。
絵なら紫君が得意。
「……お願い、珠子姉さんを救うのに協力して」
「言われんでもそのつもりじゃ。拙僧は人間の味方であるからな」
「……ありがとう。手分けして雄の件を探そう」
「承知した、件だけでなく、男の件憑きかもしれぬ。その線でも探してみようて」
僕は、僕と慈道はそれから街を走り回り人面牛身の件を探した。
畜養所、動物園、学校、研究所まで地図を見て一晩中探し回った。
だけど結局、そんな”あやかし”は見つからなかった。
「ぬう、件と件憑きは違うのかもしれぬ」
「……彼女の絵は手に入れた。もうこれに賭けるしかない」
珠子姉さんの位置はわかっている。
今は駅前で買い物を終えて『酒処 七王子』に向かっているところ。
時刻は午前10時30分。
おそらく、この川沿いの土手で11時を迎える。
「お主の言う、アイツが何者かはわからぬが、とりあえずここら一体に結界の罠をしかけておいた。姿は見えぬとも感知できるはずじゃ」
アイツと戦うと決めたら、慈道の行動は早かった。
これなら、アイツの正体がわかるかもしれない。
そして、正体さえつかめれば、僕のあの日をもう一度の次の周で対策が取れるはず。
「あら、橙依くんに慈道さん。珍しい組み合わせね」
珠子姉さんがエコバックいっぱいに食材を詰め込んで歩いてくる。
「珠子姉さん、いいからこれ持って」
僕はエコバックを奪い取り、件憑きの絵を渡す。
「ん? なにこのグラビア風の女の子。橙依くんって、こういった娘が好みなの?」
何も知らない珠子姉さんが的外れな事を言うが気にしない。
時刻は10時57分、もう間もなく予言の時。
慈道は錫杖の金環をずっと凝視。
”あやかし”が近づけば、あれに反応があると言っていた。
僕も警戒を怠らない、どの方向から来ようと、今度こそはアイツの尻尾を掴んでやる。
ジャリン
錫杖の金属音が聞こえた。
来た!
その時、僕が見たものは、糸の切れた人形のように地面に倒れ込むふたりの姿。
そして聞こえたのは……
【死ね】
また、あの言葉だった。




