燈無蕎麦(あかりなしそば)と月見そば(後編)
「みなさま、よくいらっしゃいました! この燈無イベントにようこそ!」
バスから降りて来たのは多数の人間たち。
幼稚園児から小学生の親子連れが多めでしょうか。
「あー、おそばやさんだ」
「お菓子もあるー」
「そうだねー、あとで食べよっか」
人間の何人かは屋台に気付いたようです。
なるほど、多少は売上が見込めそうですね。
「さあ! さっそくですが、みなさーん! おめめをつぶって下さい!」
青々とした芝の上にビニールシートを敷いて腰を降ろす人間たちを前に拡声器を使いながら、彼女は言います。
もちろん私は目をつぶりません。
私はこのイベントの客ではないのですから。
カチッ
そんな音が聞こえたかと思うと、ゲレンデを照らしていたライトが一斉に消えます。
「さあ! あと30秒数えたら、おめめを開けて下さいねー! いーち! にー! さーん!」
彼女のカウントダウンはそのまま続き……
「にじゅーきゅー! さんじゅー!」
そして、人間たちは目を開き……
「わあああああぁー!」
「すごーい!」
「きらきらー! おほしさまー!」
目を開いた瞬間、人間たちは歓喜の声をあげたのです。
なんです? 何を見て人間たちは声を上げているのです!?
ここには何もありません、ただ自然があるだけ、子供の目を引くヒーローショーも、かわいいお人形も、巨大たぬたぬの着ぐるみだってないのですよ!?
「さあ! 暗闇に目が慣れていますでしょうか! 星見イベントの開催です! みなさん、都会を離れた澄んだ空気の中で満天の星空を堪能して下さい!」
人間たちに目をつぶってと言っていたのは、目を暗闇に慣らすためでしたか。
人間たちが見ていたのは月と星空、そして天の川。
どこにでもある昔から変わらない、そんな星を見て人間たちは喜んでいるのです。
なぜでしょうか?
「うふふ、蒼明さん、あなたは『こんな星空に何故、人間は喜んでいるのでしょうか?』って思っていますね」
いつの間にか私の隣に来ていた彼女がズバリと私の心情を言い当てます。
「その通りです。なぜです?」
「蒼明さんは東京で夜空を見上げた事はありますか?」
「何度か」
「では、その夜空に星はきらめいていましたか?」
私は眼鏡に指をあて、少し記憶を思い出す。
「星は……見えませんでした。街の灯りが強すぎて」
「そうです、それは光害、光の害と呼ばれるものです。あの子たちは今までこんな星空を見た事がなかったのですよ。ともすれば、その親御さんも」
「なるほど、都心は排気ガスなどで空気も悪いですからね。都会の便利さの弊害という事ですか」
合点がいきました。
あの子たちにとっては、私たち”あやかし”がどこにでもあると思っているこの星空が、ここにしかない物なのですね。
ふわり
人間の歓声も静まり始めた頃、屋台から出汁の良い匂いが漂ってきました。
「おとーさん、ボクおそば食べたい」
「あー、星がよく見えるように燈無蕎麦なのか。うん、食べよっか。メニューは……『真の月見そば』だけか。すみませーん、おひとつ下さい」
おそらく幼稚園くらいの子でしょうか、父親に抱っこされて、少年が屋台の暖簾をくぐる。
「いらっしゃーいませー、ばあ!」
「あああぁぁぁー! おばけ、のっぺらおばけー!」
少年が泣き叫びます。
少年が見たのは顔のパーツが何一つないのっぺらぼう。
もちろん、タヌキが化けた姿です。
「どうしました!? 何かありましたか!?」
警備員の姿に化けたタヌキさんが少年に近づく。
もちろん、これもタヌキが化けた姿です。
「おばけおばけぇー!」
「ああ、お化けでしたか。ぼうや、そのお化けは……こんな顔でしたか!? ばばぁ!」
「あ゛あ゛あ゛ぁー!? ひとつめおばけぇー、うわわわぁーん!!」
涙を流して、泣き始める少年。
「あああ、ごめんなさいね。おどろかしちゃいましたね。ほらほらアメですよ、これをあげるから泣きやんで」
のっぺらぼうとひとつ目のお面を上に上げ、普通の人間の顔をさらして、タヌキさんが駄菓子で子供をあやし始めます。
「うう……ぐすっ」
アメを舐めながら、少年はやっと泣き止みました。
「ごめんなさいね。泣かせてしまって」
「大丈夫ですよ。いやー、本格的な燈無蕎麦ですね。星がよく見えるためにライトをつけていないんですよね」
「はい、星空を綺麗にみてもらうためだポン!」
「ポン?」
「いえいえ、失礼しました。こちらがご注文の『真の月見そば』です」
珠子さんも接客に参加したのでしょう、彼女がお盆に乗った湯気の立つ丼を差し出します。
「あれ? この月見ソバには玉子が入っていませんが……」
あのお蕎麦が先日、私が食べた物と同じならば、ただのかけそば。
卵は入っていません、食材にもありませんでしたから、あの父親の疑問は当然ですね。
「あっ、おつきさまー!」
ですが、その疑問は彼の腕の中の子供の口から発せられた言葉で解決しました。
少年が見たのはツユの水面に映り込んだ天上の月。
「えっ……、あーそうか! だから”真の月見そば”なのか!」
「はい、街灯のないここだけで食べれる一品ですよ。さらにお父さんにはこれ!」
そう言って彼女が差し出したのはお酒が注がれた盃。
「あっ、こっちもおつきさまー!」
「へぇ、”真の月見酒”ってところですね。これは風情があっていい。一杯下さいな」
「まいどありー!」
まったく如才ないですね。
あの大量の盃はこのためだったのですか。
「こっちも”真の月見そば”を!」
「こっちは3人前! ”真の月見酒”もセットで!」
最初の親子が呼び水になったのか、次々と注文が殺到します。
「はーい、ただいまー!」
珠子さんはノリノリで注文を取り、”真の月見そば”と”真の月見酒”を人間たちに届け続けます。
ズズズッ
「あっ、このおソバおいしい!」
「えへへ、このお蕎麦には鮎魚醤が振りかけてあるんですよ。こちらも屋台で販売していますから、お土産にぜひ買って下さいね」
あの鮎魚醤入りのお蕎麦は確かに美味しかったです。
夏とはいえども、夜の山の空気は肌寒い、そこで食べる温かいお蕎麦は最高でしょうね。
「上を向いたら満天の星、下を見れば真の月見、いいイベントね」
「うん、ボクまた来たい!」
そんな声がそこかしこから聞こえてくる。
「うわわわわーん! おばけぇー!」
たまに聞こえてくる子供の声は、タヌキさんが駄菓子をデリバリーしている所からです。
ナマハゲのイベントのようなものでしょうか、大人は平気でも子供はガン泣きですね。
「こんなに人間を驚かせたのは初めてだポン!」
タヌキさんたちも満足のようです。
「ほーら、こっちにきちゃだめだよー、こわーいお化けがでるからねぇ! こんな風にー!」
「いやあぁぁー! おかーさーん!!」
ひとつ目の警備員から逃げるように子供が両親の下に駆け寄ります。
このイベントでは、たまに子供が親元を離れて、林に行って迷子になるような事もありません。
そこには私の立派な部下が控えていますから。
彼らは夜目が効くという点では人間を遥かに超えます。
まあ、お化けが出るというのは間違いではありませんが。
星空の下、人間の泣き声と笑い声が夏のゲレンデに響き渡ります。
でも、最後はみんな笑顔でした。
◇◇◇◇
「どうです? あたしがプロデュースした『都会っ子、星見イベント』の成果は。見事でしょ!」
人間たちをバスに乗せ、それを見送った後、彼女は私の隣に来て、そう言いました。
私は思い出します、今回の課題を……
1.蕎麦の味の改善
2.お金を儲けたい、合法的に
3.人間を驚かしたい
4.灯りは点けちゃダメ
5.地下街や繁華街のようなライトアップさせる立地もダメ
6.長時間労働は嫌
1.は問題ありません、お蕎麦の味は大幅に改善しました。
3.は完璧ですね、人間の泣き顔をあんなに見たのは久しぶりです。
4.5.の灯りの無い環境も満たしています、むしろそれが味となって屋台は成功しました。
6.も大丈夫ですね、イベントは数時間でしたし、仕込みを含めても長時間労働にはなりません。
すると2.の利益ですが……
「見て下さいポン! こんなにお金がもうかったポン!」
ザルに乗った今日の売上をタヌキさんが掲げます。
かなりの額です。
「へへっ、イベント料金で相場より高く”真の月見そば”と”真の月見酒”を売りましたからね。この他にも、商工会から警備費が出てますよー! ぐへへ」
欲望に満ちた彼女の笑い声は無視するとして、利益も十分のようです。
「あのお客さんたちの半分は地元の宿に宿泊しますからね。商工会との連携もバッチリです。夏から秋にかけては毎週このイベントを開催しますから、みなさん頑張って稼ぎましょー!」
「「「「おー!」」」
タヌキさんたちと彼女の鬨の声が木々を揺らします。
親指と人差し指で丸を描き、満面の笑みを浮かべる彼女。
それが意味する所は、バッチリOKとお金の両方を示しているのでしょう。
つまるところ、彼女の策は完璧でした。
◇◇◇◇
私の手にあるのは残り物の酒と盃、まあ、自分用に取っておいたものです。
お酒は好きです、雄大な星空を見ながら呑むのもたまにはいいでしょう。
「おつかれさまです。珠子さん」
後片付けを終え、タヌキさんたちも林の中に帰った後、彼女はゲレンデに座り星を見上げています。
ここで育った彼女には当たり前の星空ですが、久しぶりの懐かしい空なのでしょう。
「蒼明さんが領地を広げてくれたおかげですよ」
「あの程度は造作もありません。しかし、人間の子はギャン泣きでしたね」
私は人間の味方ではありません。
それでも、弱きものの泣き顔は好きではありませんが、その経験が成長に活かせるのなら……まあいいでしょう。
「泣きはしましたが、あの子たちもいい思い出が出来たはずです。家族との素晴らしい思い出があれば、きっとそれは幸せな未来に向かう大きな力になります。少なくとも、あたしはそう思うのです」
ほんの少し何かを思い出すような憂いを帯びた表情で彼女はそう言ったのです。
その憂いは、おそらく、昼の墓参りのせいでしょうか。
トクトクトク
私は一番大きい盃にお酒を注ぐと、彼女の前にそっと差し出します。
「見事でしたよ珠子さん。これは私からのほんのお礼です」
「あら、珍しいですね。蒼明さんが素直に私をねぎらってくれるなんて」
少し驚きの表情を浮かべながら彼女は盃を受け取ります。
「想像以上の成果を貴方は上げてくれましたから。これでひとつ貸しは減らす事にしましょう」クイッ
貴方にそんな表情は似合いません、貴方は酒をかっくらって笑っている顔の方が私は好きですから。
私はそう思いましたが、その言葉を飲み込みました。
さすがに、それを口にするのは……ストレートな告白のようで……
いやいや、私がそう思うだなんてありえません。
ですが”ありえない”と思った今回の課題を彼女は見事に解決してみせました。
だから……もし、もしも……私がそう思うようになったとしたら、
「珠子さん」
「はい」
「もし、もしもですよ。今、私が先ほどの返事で『今日は月が綺麗ですから』と言っていたらどうします?」
告白の意味にも取れるこの台詞。
さて、彼女はどう返すのでしょうか?
「もし、そう言われたら、『今、あたしが隣にいるのが運のつきですね』って返しますよ」
それは『本気で受け取る、でもあなたの思い通りになると思ったら大間違いですよ』という皮肉を込めた返事。
才気の効いた素敵な返し方。
「ふふっ、面白い答えですね。やはり貴方との会話は面白い」
「なんですか、もう。あたしは真剣に考えて返したってのに、笑うだなんて」
たまに橙依くんが見ているアニメなどに居るバトルマニアなキャラクター。
『俺は強いヤツと戦いたいんだー!』などとほざく私の理解のおよばない馬鹿なキャラ。
私は暴力は好きでありませんが、それを知力に置き換えてみると、ほんの少し理解できました。
打てば響く、こちらの想定外の想像以上の返しが来る、そんな相手との会話のキャッチボールは楽しいものです。
きっと、これは私をリーダーと崇めている”あやかし”たちや、私を敵視している相手とも出来ない会話。
私の横に同等に並び立つ者だけが、それを出来るのでしょう。
……だめですね、私の隣に居る人の価値に理由を求めるなんて。
赤好兄さんなら、『君が側にいてくれるだけで十分さ』と言うのでしょうが。
まあ、仕方ありません、何かと理由を求めるのは私の性分みたいなものです。
ふぅ、我ながら何ていうか……そう……
「ねえ、蒼明さん」
「なんでしょう? 珠子さん」
「蒼明さんって、実は『めんどくさい系鬼畜眼鏡』なんですか?」
「ふふっ! そうですね! そうかもしれませんね! めんどくさいんですよ、私は! ふふっ、ふふっ、あははははっ!」
私の笑い声の中で、盃の中に昇った月がゆらゆらと水面を揺らしていました。




