否哉(いやや)とチョコドーム(後編)
◇◇◇◇
「おまたせしました! コンビニで水飴と風船を買ってきました!」
勇者の帰還に10分もかからなかったわ。
「透明なチョコはありませんが、透明な飴ならあります! さあ! キャンディバルーンの作成と致しましょう!」
意気揚々と珠子ちゃんは鍋に水飴と砂糖と水を入れ、煮立たたせる。
「作るのはふたつ! 風船を使って作るキャンディバルーンと、ストローで作るキャンディバルーンです! 前者の方が大きな器になります!」
そう言って珠子ちゃんは風船をよく洗って、その中に水を入れ、コップの上にセットした。
「中に水を入れたのは熱で風船が割れないためです、風船に刷毛で油を塗って、ここに少しずつ溶けた飴をかけて、スプーンで均していきましょう!」
「あっ、溶けた飴が風船の周囲を覆って、そして固まっていくわ」
口裂け女ちゃんの言う通り、風船の周りで飴が固まっていく。
「あとは、風船の口をハサミでチョキっと切って、中の水を取り出したら、完成ー! おおっと、中身の風船も取り除かなきゃ」
珠子ちゃんはピンセットを使って器用に中の風船の皮と取り除いていく。
そして、半透明の半球体が完成した。
「これは完全な球体ではなくて、半球体ですから、余分な所をハサミでチョキチョキ切ればドームになりますよ」
その言葉の通り、珠子ちゃんの手の中で、飴のドームが出来上がっていく。
「これを、否哉ママ特製のババベラアイスに被せれば、でっきあがりー!」
半透明の飴の中に美しいバラが見える。
「飴は水と熱で溶けますから、少量のブランデーを使ったフランベで簡単に溶けますよ。ほら!」
再び炎の上がったミルクポットから注がれる燃える液体が、飴のドームを溶かしていく。
そして、今度はその姿を保ったままのババヘラアイスが露わになった。
「うわー、やりましたよ! ママのアイスの花が咲きました!」
パチパチパチと手を叩きながら、口裂け女ちゃんが言う。
「でも、あのアイスの味はとっても酸っぱいのよね。食べた人へのサプライズもバッチリだわ」
アタシも感心して手を叩き、珠子ちゃんは、いやぁそれほどでも、と頭をポリポリと掻いたの。
「さて、次はストローで膨らませるキャンディバルーンです。少し冷ました飴にストローをいれて、先っぽに飴をまとわせます。あとはプクーっとストローを吹いて膨らませれば、はい出来上がり! こっちは簡単、というか何度もリトライ可能です!」
シャボン玉が膨らむようにストローの先で飴が膨らんでいく。
うーん、ファンシー。
「あらっ、これは簡単ねぇ」
その隣で否哉ママもプクーっと飴を膨らませていく。
「悪いんだけど、アタシはちょっと無理かなー」
少し残念そうな顔で口裂け女ちゃんがふたりを眺める。
そうよねぇ、頬袋が無い口裂け女ちゃんには難しいわよね。
「ご安心を! 実はこの吹き飴には専用の”飴ポンプ”なるものが存在するのです! 『酒処 七王子』にありますから、今度お貸しします。お菓子だけに」
「まあっ、面白い娘ね。ありがとう」
珠子ちゃんのギャグセンスには時々苦言を呈したくなるけど、口裂け女ちゃんは喜んでいるみたい。
それに、こんな可愛い”あやかし”の息が入ったキャンディバルーンなんて、風俗っぽくなっちゃう。
流石にそれはマズイわよねぇ。
「最後に、ストローの部分を切り離せば完成です! キッチンバサミをお湯で温めておくと切りやすいですよ」
そう言って珠子ちゃんんは、チョキチョキとキャンディバルーンを切っていく。
そういえば、あの子はハロウィンの時に飴細工も作っていたわね。
どこかで修行でもしてたのかしら。
「でも、これはサイズが小さいですね。プチケーキがギリギリ入るくらいかしら」
「そうなんですよ。マシュマロとかクッキーとかなら入るんですけど……」
風船で作ったキャンディバルーンを被せたババヘラは、中と外のバランスがピッタリ。。
でも、ストローで作ったキャンディバルーンは小さくて、はみ出てしまうの。
「そうだ! ここにはありませんが、『酒処 七王子』には食用プリンターがあります! それはデンプンのシートだけでなく、立体にもプリントできる優れものなのです! それでクッキーやマシュマロに絵を付けましょう! 今度持って来ますね! 実は使う機会をずっと待っていたんですよ」
そう言えば、珠子ちゃんが購入したキッチングッズの中にそんなの物もあったわね。
最初に使った時に一緒に手伝ったきりで、そのままお蔵入りになっちゃったやつ。
バーナーといい、かき氷機といい、この娘は調理器具を集めるのに夢中なのよね。
女の子なら、可愛い服とか、ピカピカのアクセサリーとか、もっと似合うのもあるはずなのに。
だけど、ま、珠子ちゃんにはそっちの方が似合っているのかしら。
「そっか、そのプリンターでお花やカワイイ物をプリントすればいいのね」
「はい、梅エキスをしみ込ませたマシュマロとか、唐辛子たっぷりのクッキーとかを入れればサプライズもバッチリですよ」
「あらぁ、それってとっても楽しそうねぇ」
食用プリンターの持つ無限の可能性の前にみんながウキウキしているわ。
あれ? プリンターって。
うふふ、ちょっとイケナイことを思いついちゃった。
「流石ね珠子ちゃん。そんなアナタにご褒美をあげるわ」
「えー、ご褒美ですかー、うれしいなー、なにかなー」
「うふふ、一時の快楽よ」
「えっ!?」
アタシはあっけに取られた珠子ちゃんの後ろに素早く回り込み、その体をまさぐる。
「えっ、ちょ!? 冗談ですよね!? 藍ちゃんさん!? ほら、ふたりが見ていますから」
予期せぬ展開に否哉ママも口裂け女ちゃんも目を見開いて、アタシたちに見入る。
「あら、ふたりっきりだったらいいの?」
「そういう意味じゃなくって、あぅ、そこは……」
「そう、もうちょっと声をあげなさい。そしたら、あの子が来るわ」
「えっ!?」
パーン!
空間を引き裂く音がして、漆黒の異空間の扉が開き、あの子がやって来る。
「ハァハァ、藍兄さん! ちょっと待って!」
「橙依くん!? どうしてここに!?」
そこから現れたのは、アタシの可愛い弟。
下から2番目の橙依ちゃん。
妖力は弱いけど、色んな術が使えるテクニシャン。
この瞬間転移もそのひとつ。
「はい、覗き魔がひとり釣れたわ。ちょうど良かったわ、橙依ちゃんに取ってきて欲しい物があるの」
「……別にいつも覗いているわけじゃない。珠子姉さんの心が大きく揺れた時だけ」
アタシの狙いを察したのか、少し言い訳がましく、橙依ちゃんが言う。
「あー、そんな事をしてたの橙依くんたら!」
「……ご、ごめん珠子姉さん」
「まあ、あたしを心配して来てくれたのですから、今日の所は大目に見ます。んもう、藍ちゃんさんも冗談が過ぎますよ!」
顔を真っ赤にして、珠子ちゃんが可愛く頬をふくらませる。
「……それで、僕を呼び出して、取ってきて欲しい物って何?」
「飴ポンプと食用プリンターよ」
「……わかった、3分待って」
カップラーメンでも作るような軽い感じで橙依ちゃんが亜空間に消えていく。
ひょこ
「……その3分で珠子姉さんに手を出したらダメだからね」
と思ったら、首だけを黒い穴から出してアタシに念押しをしたわ。
「大丈夫! 今度は警戒していますから!」
シュッシュッとファイティングポーズを取りながら、珠子ちゃんが言う。
あらやだ、ちょっと信用を無くしちゃったかもね。
3分も待たずに再び橙依ちゃんが現れ、「……はいこれ」と頼んでいた物をカウンターに置いた。
「……じゃあ、僕は帰るね」
「ちょっと待ちなさい」
「……まだ何か?」
少しうんざりしたような表情で橙依ちゃんが振り返る。
「もう終電だから、珠子ちゃんを送ったげて、素敵な騎士ちゃん」
「……わかった」
その騎士は一瞬驚いたような顔をして、そして喜びの顔を見せ、いつもの表情に戻った。
「えー、あたしもまだ大人の時間を楽しみたいのに」
「明日は営業日でしょ、午前中の仕込みをお願いね」
「わかりましたよー。さ、いこっ、橙依くん」
「……うん、僕の……」
そしてふたりは仲の良い姉弟のように店から出ていったわ。
まったく、最後の『僕のお姫様』と言えない所があの子らしいわね。
「それでぇ、珠子ちゃんを追い払って、何をするつもりぃ」
否哉ママがアタシの真意を汲み取ったように言う。
「決まっているわよ。アタシたちは人間の負の感情を糧とする”あやかし”なのよ」
「そう……悪い事をするのね……」
「ええ……悪い事をするのよ」
アタシたちはとびっきりの悪そうな顔でニヤリと笑った。
◇◇◇◇
「このっ! このっ! あのクソ課長! クズ部長!」
ここは『ジェンダーサプライズ』。
昼はツイッターやインスタ映えするチョコドームとキャンデイバルーンのサプライズスイーツの美味しいお店。
でも、夜になると……
「あの浮気男! さいってい! さいってい! さいっていのてい!」
個室に仕切られた店内のスペースから、人間のフラストレーションの声が聞こえる”あやかしBar”
「ひゃはあ! ははぁ! うひゃうひゃ! 燃えて! 燃えて! 灰になるまで!」
「消えろ! 消えろ! 目の前から消えろ! みんな俺をバカにしやがって!」
「ボクは悪くない……、悪いのはアイツらだ……悪いヤツだ、砕いて、消して、埋めて……」
すうぅぅーーーう、はあぁぁぁーー
アタシたちは人間の負の感情の渦巻く店内の空気の中で深呼吸する。
「いやぁ、お店の雰囲気が最高に良くなりましたねー」
「これも藍蘭ちゃんのおかげよぉ。ありがとねぇ」
「いいのよ。アタシもここを堪能させて頂いちゃってるから」
あの後、珠子ちゃんが帰った後、アタシが否哉ママと話し合ったのは、お客の嫌いな相手をマシュマロやクッキーにプリントしてお店で出そうって作戦。
人間ってスゴイわね、お客のスマホの画像データをパソコンに転送しちゃえば、その顔写真を食べ物に転写するのも10分もあれば出来ちゃうんだから。
クラスメイトの集合写真だって、デンプンのシートに印刷すれば、はい、かんたーん!
元々はお誕生日ケーキの上に貼る物だって聞いてたけど、こーんな使い方もあるのよ。
ストレスを抱えている人間を見つけるなんて”あやかし”にとっては日常茶飯事。
そして、あの個室の人間は、嫌な相手の顔がプリントされたお菓子を蹂躙して、凌辱して、罵倒しているってわけ。
「しかしまあ、人間って大変ねぇ。『好き!』って言う事はOKでも、『嫌い!』っていう事は許されないなんて」
「LGBTのケースとは別ですよね。まっ、おかげてあたし達がおいしく頂けちゃえているんですけど」
お肌はツヤツヤ、血色満面、意気揚々と否哉ママと口裂け女ちゃんが言う。
「ええ、アタシも久々においしい食事が出来て、今日はハッピーエンドだわ」
人間の基準で言えばアタシはBisexualにあたるのかしら。
人間の陽の気も陰の気も美味しく頂けちゃうのがアタシ。
だけど、最近は陽の方に偏りすぎて、ちょっと食傷気味だったの。
「でもいいの? アナタの弟さんの恋路を応援なんてしちゃってぇ。アナタも珠子ちゃんを狙っているんでょ」
「あらやだ、バレていたの」
「10年以上の付き合いだからねぇ」
「そうねぇ。あの珠子ちゃんの心が千々に乱れて、ぐっちゃぐっちゃになった所を食べてみたいと思っているわ」
「あらまっ、ちょい悪ー」
アタシの嗤いに、十年来の女友達は厭らしい顔で応えた。
◇◇◇◇
アタシは珠子ちゃんが好き。
だけど、それは普通の好きとは違うの。
きっと兄弟のバカどもは最後まで気づかないでしょうね。
この真実に最も近そうで遠いのは橙依ちゃん。
だけど、きっとアタシの真実には近づけない。
だって、アタシはあの子に心を何度か読ませたけれど、それは許可制で、しかもあの子が聞いてくるのは『僕の事を好きか』って事だけ。
ああ、『珠子姉さんの事が好き?』とも聞かれたわね。
心配しないで、アタシが橙依ちゃんや、他の兄弟、珠子ちゃんを愛しているのはホントよ。
ただ、愛の形が人間のそれとはちょっと違うだけ。
みんなは知っているのかしら。
ううん、きっと知らないわよね。
前に『酒処 七王子』に勤めていた娘が居なくなった原因を。
アタシが彼女を殺しているって事を。
あたしが同族すら殺しているって事を。




