茨木童子と生ハム(後編)
「さて、野菜の次は肉です! 男の子は肉が大好き!」
「それには全面的に合意だね!」
「せやね。酒呑も舎弟の四天王も肉好きや」
あたしの意見にふたりも大いに同意を示す。
「そこで今度はこの生ハムを使いましょう!」
あたしの言葉と同時に裏口のベルがピンポーンと鳴る。
「そのための兵器が今届きました! しばしお待ちを!」
そしてあたしは両手に抱えるほどの大きい段ボールをえっほえっほと運んで来る。
「これは!?」
「あけてみてください。きっと驚きますよ」
ふたりが段ボールを開ける。
「こいつは豪快だね!」
「なんやこれ!? こんなん売ってるん!?」
中から取り出されたのは木の台と一本の専用ナイフ。
そして、豚の腿肉の塊。
「これもまた人類の叡智! グローバル交易の勝利! スペイン産ハモン・セラーノの原木! つまり丸ごと生ハムです! 普通に通販で買えます! 5kgのお肉に付属品も含めてお値段は2万円! 意外とリーズナブル!」
台座に置かれたそれはあたしたちが普段見ている生ハムとは違う。
足が一本、ででーんとテーブルの上にそそり立つ!
「それでは茨木童子さん、これの造り方を教えます! あたしの指示通りにやって下さいね!」
「はっ、はいっ!」
あたしの勢いのある声に少し押される形で彼女が元気に返事をする。
徹夜明けであたしのテンションはMAX!
そして、こんな美味しそうな肉の塊を前に燃え上がらないはずがない!
「まずはL字の台座の前の針に太股の付け根の部分を刺して下さい!」
ズボッ! と音がして針に肉が刺さる。
「次に足首の部分を付属の錐ネジで固定!」
台座はLの字になっていて、縦の部分には足首が固定できるように横穴が開いている。
そこに先端の尖ったネジがキリキリキリと回転しながら肉を貫いていく。
「これで固定完了です! さあまずは皮を削ぎましょう。足首の肉をV字にカットしてその切れ目から皮を剥いて下さい。右手にナイフを握って、一直線にズバッっと斬れば大丈夫ですよ」
右手という言葉に茨木童子さんの体が一瞬硬直する。
「せ、せやな。この右手で出来んとえらいもんなぁ」
この丸ごと生ハム原木セットにはハム本体と台座、それに専用ナイフまで付いている。
心配りが行き届いているの。
専用ナイフを右手に、ハムの足首に左手に、楽器を弾くようなポーズで彼女は肉に立ち向かう。
ズバッ! ズバッ! ズバッ!
刃の煌めきが光るごとに、肉は軽快な音を立て、その皮が削がれていく。
「そうそう、その調子です。
「これは簡単やわぁ。思ったよりするすると斬れるんやね」
嬉しそうな声で彼女はハムを削ぎ続ける。
「皮の下は脂肪ですので、厚く切っても大丈夫ですよ。脂も削ぎ落して下さい」
茶色の皮の下から現れたのは純白の脂肪。
それに続くのは……
「あっ、赤い身が見えてきたわぁ」
「はい、そこからが食べる部分です。刃をちょんと当てたら、そのまま一気にスパッと!」
「う、うん、えいやっ!」
スパッ!
彼女の右手が横に動き、薄く削がれた生ハムが宙を舞う。
「ほいっっと」
赤好さんがそれをお皿でナイスキャッチ。
「では、栄えある一枚目は頑張り屋の彼女に」
そう言ってプレイボーイはお皿を茨木童子さんの前に差し出す。
「見た目はあんじょう上手くいっとるけど、味はどうやろ?」
そう言って彼女は生ハムを口にする。
「いけるやん! これはえらい美味いやぁ! 肉の旨みと塩があんじょうええ!」
うん! 大成功!
あたしの見立てでは、彼女の右手の後遺症はふたつ。
ひとつは力加減が出来ないこと。
ふたつは、力を入れながら力の方向の転換が出来ないこと。
だけど、フルパワーで一直線に斬ることは出来る。
つまり! 『一文字横薙ぎ!』とか『縦! 唐竹割り!』なら可能!
そう踏んだあたしの予想は見事に的中していた。
「さっ、どんどん削いで下さい。あたしも赤好さんも待ちきれませんよ」
あたしは大皿を用意し、着地点とおぼしき所にドンと置く。
「ええで! どんどんいこか!」
そして、ウキウキのノリノリで茨木童子さんがナイフを振るい始めた。
赤い薄布が空を舞い、大皿を多い尽くした。
◇◇◇◇
「これは美味しいね。通販大好き珠子さん」
「はい、とっても美味しいです」
あたしたちは仲良く山盛りになった生ハムを食べている。
よく見ると、形はバラバラ、厚さも一定じゃない。
プロの目から見るとまだまだだけど、一枚ずつ食べる分には食感が微妙に違って逆にいい。
「でも、こんなん料理って言えるんやろか。ただ切っただけやろ」
「そう言うヤツにはガツンと言ってやればいいんですよ。『ほほう、刺身は料理ではないと申すのか!?』と」
見えない顎鬚を撫でる仕草をして、あたしは言う。
「ふふっ、珠子はんは面白い人やねぇ」
「刺身、つまりお造りだって立派な料理です。それにこの生ハムにはそのまま食べるだけじゃなく。別の方法もあるのです。おふたりとも少し喉が渇いていませんか?」
あたしは渇いている。
「せやね、なにか飲むもん欲しいわ」
「この生ハムは美味しいけど、塩味が強すぎるね。つまみならともなく大量に食べると喉が渇くよ」
「そうです、生ハムは豚肉の塩漬けですから塩分が多いのです。それを応用して、はい」
あたしはさっきのベビーキャロットと追加のベビー大根を取り出して、それに生ハムを巻く。
「なるほど、ミニ野菜の生ハム巻きやね。これも美味しいそうやわ」
バキッっと小気味よい音を立てて、生野菜の生ハム巻きが茨木童子さんの口に消えていく。
「うん! いけるで!」
「まだまだあります! 続けて!」
あたしが出したのはスライスサラミ。
「赤好さん、サラミに塩をちょんと付けて食べるのは美味しいですよね」
「うん、俺の好物のひとつさ」
「だったら、これもありだと思いませんか?」
あたしはサラミに生ハムを巻く。
「肉で肉を巻くのか!?」
「そうです! 何度でも言います! 男の子は肉が大好き! そして合体も大好き! ガギューン! さあ、食べて下さい!」
ふたりは顔を見合わせると、禁断の肉肉巻きに手を伸ばす。
「これは旨い! ハムの塩味にサラミの香辛料と脂が合わさって!」
「歯ごたえもしっかりや。それでいて固くあらへん」
「スライス済のサラミは普通に売っていますし、おつまみのドライソーセージでもいいです。これでおわかりいただけたでしょうか?」
あたしは先ほどの茨木童子さんのハッスルの結果、まだ大量に残っている生ハムを指差す。
「せや! 生ハムは塩味や! せやから塩の代わりの味付けに使えるって事やね!」
「その通り! 塩レモンのように、レモンの生ハム巻きもおいしい! 滅多切りでご飯にふりかけてもOK! 甘い果物にだって合うんですよ! 具体的には生ハムメロンとか!」
「「おおー!」」
パチパチパチ
あたしの力説の前にふたりが拍手で応える。
ふいー、ちょっと喉が渇いちゃった、お冷を飲もっと。
「さすが、酸いも甘いも生ハム巻きな珠子ちゃんだね。でも、男の子は合体が大好きだなんて、真実をストレートに言い過ぎじゃないかい」
ブフゥー!!
プレイボーイの真理の暴露にあたしは口に含んでいた水を吹きだした。
「ちがうちがう! 違います! そんな意味で言ったわけじゃありません! 合体はロボットです! ヒーローです!」
合体と食べて、その意味のエロ方面の深読みに気付き、あたしは顔を真っ赤にする。
「ほんとかなぁ、本当は欲求不満なんじゃないかなぁ。俺ならいつでも合体オッ、ケッ、ケモモンガッ!!」
あたしの手で、プレイボーイの口に生ハムが詰め込まれる。
「違うって言ってるでしょ!!」
「ほんま、珠子はんはおもろいわぁ」
そんなあたしたちのやり取りを後目に茨木童子さんはクスクスと笑っていたのです。
◇◇◇◇
「やれやれ、嵐のような女の子だったね」
あの後、茨木童子さんは半分以上残っている生ハムの塊を抱え、ダッシュで帰っていった。
一応、スマホの連絡先は交換しておいた。
『酒呑が喜んでくれたら報告するさかい』
別れ際にそう言う彼女の顔からは最初に見た妖艶なイメージは消え、純情そうな笑顔であふれていた。
きっと、茨木童子さんと酒呑童子さんのふたりが出会った最初の頃はあんな表情をしていたのかしら。
それとも、ふたりの間では今でもそうなのかな。
『恋は女を綺麗にする』と赤好さんならそう言うだろう。
だけど、あたしの考えは違う。
いつの時代も『恋は女を乙女にさせる』、あたしはそう思うのだ。
ふたりがいっしょなら、きっとそれはいつでもハッピーエンドに違いない。
そんな風に思えるの。
「そう言えば赤好さん。あたしが後片付けしていた時に何か彼女と会話をしていたみたいですけど、何をお話しされていたんですか?」
あたしは皿を洗いながら赤好さんに語りかける。
結局、彼女は八岐大蛇の息子たちについてはあたしに聞いてこなかった。
だから、他の兄弟の事を赤好さんに聞いたのかな。
「ああ、料理の話だよ。俺なりに彼女でも作れそうな簡単なカクテルを教えてあげたのさ」
「へぇ、何ですか?」
「手絞りウォッカ・アップル・ジュースさ」
ウオッカ・アップル・ジュースはウォッカにアップルジュースを入れてステアするだけの簡単なカクテル。
あれ……手絞り!?
「……赤好さん、それを彼女は試作して帰りましたか?」
「いいや、俺が作って見せただけだよ。こんな風に」
そう言って赤好さんはリンゴを取り出すと、ウォッカが注がれたグラスの上でギュっと片手で握る。
その右手の中から透き通った琥珀色の液体が一条の線となって滴り落ちた。
「はい、これで出来上がり。簡単だろ?」
簡単だと言うが、そんなプロレスラーみたいな芸当はあたしには出来ない。
さすがは”あやかし”よねぇ。
そしてあたしは、彼女が酒呑童子さんの前でそれを作る姿を想像して……青ざめた。
「それダメです! 早く茨木童子さんに連絡しないと!」
「おいおい、心配性の珠子さん。大丈夫だよ、彼女ならこれくらいは余裕さ。感じただろ、彼女の妖力を」
それを知っているからダメなんですよ!
「赤好さんは気づいていないかもしれませんけど、彼女の右手の後遺症は力加減が出来ない事なんですよ!」
彼女の包丁やナイフ使いの所作で、あたしはそれを見抜いていた。
間違いないという確信もある。
「ん? それがどうかしたのかい?」
やっぱり気づいていない!
「言い換えれば、彼女の右手は、ちょっと力を入れると一気に最大フルパワーになってしまうんです!」
「えっ!?」
「彼女がリンゴを絞るって行為は! あたしがスポンジを一気に! 全力で! 握りつぶすのと同じって事です! こんな風に!」
そう言ってあたしは目の前をスポンジを握りつぶす。
ジュッと音がしてスポンジから水と泡が飛び散り、その飛沫があたしと赤好さんの服を濡らす。
そして、彼女の握力はきっとあたしとスポンジの関係よりもずっと強い。
「なんでそれを教えてくれなかったんだ!」
「なんでそれを教えちゃうんですか!!」
あたしたちの叫びが交差するのとあたしのスマホがメッセージを受け取ったのは同時だった。
あたしは震える手で恐る恐るメッセージを開く。
『珠子はん、この前はホンマありがとな。あの生ハム、酒呑にも舎弟たちにも大好評や! 右手の事もばれてなさそうで、ほんとハッピーや! いつかお礼させてや』
メッセージに続く、笑顔マークの絵文字を見て、あたしは胸をなでおろす。
『あと、未来の三番目の義兄さんに伝えておいてや。”この御礼はいつかさせてもらうで!!”とな!』
怒りの絵文字が大江山で起きた惨劇を物語っていた。




