豆腐小僧とむすびとうふ(後編)
「あっ、病棟に入っていきましたよ」
あたしたちの接近に気付かずふたりは病棟に入って行く。
目の前を子供が走っているのに受付の人も病院のスタッフさんも、それをちらりとも見ない。
”あやかし”はその気になれば普通の人の目に映らなくなる事も可能なのだ。
蒼明さんは堂々と、あたしはこそこそとふたりに続く。
「こんにちはです」
「またきたよー」
そしてふたりはある病室に入る。
そこがおばあさんの病室なのだろう。
「豆腐小僧さんこんにちは。しーくんはひさしぶりね」
ドアに隠れてあたしは中の会話に聞き耳を立てる。
「今日は”むすびとうふ”を持ってきました」
「おや、あの『むずかしい』って言ってたやつね」
「はい、珠子おねえさんという人に教えてもらいました」
「それでは、失礼します、何かあったらナースコールを」
病室の中からおばあさんとふたりの他に別人の声が聞こえる。
ひとりの看護師さんが病室から姿を現し、ナースステーションに消えていく。
「ねえ聞いて、また、あのおばあさんのひとりごとが始まったわ」
「あら、また。かわいそうね、入院も長いから」
ナースステーションからそんな看護師さんの会話が聞こえる。
きっと看護師さんたちにふたりの姿は見えていない。
”あやかし”は、普段は人の目に映らない、特定の条件を満たさない限り。
あえて見えるようにする事は出来る。
だけど”あやかし”の姿のまま街に現れたならトラブルが起きるのは必至。
だから、”あやかし”は常識として、普通の人から見えないようにするか、人間に化けて人間社会に溶け込むの。
紫君はともかく、豆腐小僧くんは”あやかし”の姿をしている。
だから、普通の人には見えないようにしているのだろう。
中からジャーというポットのお湯を注ぐ音が聞こえる。
「これが”むすびとうふ”のお吸いものです」
「あれまぁ、綺麗に結ばれてるわ。上手ねぇ」
ズズッという音が聞こえ
「あらま、おいしいねぇ!」
おばあさんの喜びの声が聞こえてきた。
「やったぁ!」
「よかったです」
それに続けて、ふたりの喜びの声も聞こえる。
「でも、これで豆腐百珍も終わりだねぇ。この結びで最後かと思うとちょっと寂しいねぇ」
だけど、次に聞こえてきたのはおばあさんの寂しそうな声。
”むすび”という言葉には、結びの一番や式の結びといった終わりを意味する事もある。
これが豆腐百珍の最後になったのは、難易度の問題もあったのだろうけど、終わりの意味を持つこれを持ってくると、おばあさんが最期を感じてしまうから。
紫君が今日ここに来たのは、きっとあのおばあさんの結びから生まれる魂をゆくえに導くため。
それは今かもしれない、近い日かもしれない、そう遠くない日かもしれない。
紫君ごめんなさい、この包みはそれへのカウンター。
あたしは人間で、出来る事なら、みんなには健康で長生きして欲しいの。
「そんなおばあさんに追加のお豆腐料理をお持ちしました!」
病室のドアをぶち開けて、あたしは中に入り、叫ぶ。
「おやぁ!?」
「珠子おねえちゃん!?」
「珠子おねえさん!?」
あたしがドアの向こうに居た事は認識していても、乱入してくる事は想像していなかったのだろう、ふたりが驚きの声を上げる。
「はじめまして、このふたりの料理の師匠の珠子と申します」
「こんにちは、めんこいお嬢さん。追加のお豆腐料理って何かねぇ?」
「それはですね……」
そう言ってあたしはあたしが持って来た包みを開く。
それはお重、そして中には幾何学模様を描いた紐が入っていた。
「これは……お菓子かしら」
その紐の表面は飴色に光を反射していて、それが砂糖が焦げたカラメルである事を示していた。
「はい”むすびとうふ”の近代現代グローバル超進化! 豆腐干糸といわれる中華の豆腐麺で作りました。”飾り紐豆腐のキャラメリゼ”です」
飾り紐、それは紐を使って梅や菊、蜻蛉といった図を表現したもの。
着物の帯に使われたり、髪飾りに使われたりしている。
あたしはそれを豆腐の麺で作ったの。
「これも豆腐なの!?」
「うわー、すごーい」
「すごいです、これはむずかしかったでしょう」
おばあさんとふたりが感嘆の声を上げる。
「いえいえ、実はこれは実際に編んでいないので難易度はさほど高くありません。中心の部分を飴で接着していますから。これは網に鉄串を何本も垂直に刺し、それを使ってリリアンのように編んだのです。さっ、どうぞ」
あたしの勧めに従って、おばあさんとふたりは”飾り紐豆腐のキャラメリゼ”を口にする。
パキッ
軽快な音を立てて、それは口の中で砕かれていく。
「あまーい、おいしーい」
「おいしいです、これは豆腐と砂糖と……」
豆腐小僧くんが砂糖の中の隠し味に気づいたみたいだけど、正解はわからないみたい。
「これは……ラム酒ね」
おばあさんが正解を口にする。
「その通りです。ラム酒に砂糖を溶かし、霧吹きでシュシュっと豆腐に吹き付けてバーナーで炙りました。こうすると表面が砂糖のカラメルでコーティングされ固くなって形を保ち、さらにラム酒の風味が加わるのです」
ありがとう! 料理用バーナー! あなたは『酒処 七王子』の次世代のエース!
「これは面白い豆腐料理ねぇ。豆腐百珍に玲瓏豆腐というお菓子に似た品があるけど、これは真正面からお菓子よねぇ」
「”こおりとうふ”は以前ボクも作りました! 豆腐を寒天で固めたものです!」
「そうよ、あれもおいしかったわねぇ」
豆腐百珍にはスイーツと思われる品もある。
豆腐を寒天で固めて氷のように見立てた玲瓏豆腐もそのひとつ。
涼しげな料理なのです。
そして、ところてんを酢醤油で食べる地域と黒蜜きな粉で食べる地域があるように、玲瓏豆腐も地域によっては黒蜜きな粉で甘味として食べられていた。
「これは豆腐百珍から学んだ新しい豆腐料理です。どうです、おもしろいでしょう?」
「こんな豆腐料理は初めて! おいしくって面白いわねぇ!」
新しい豆腐料理を見て、おばあさんが目をキラキラさせる。
あたしの予想通り、豆腐百珍に気づいたなら、料理好きだと思ったけど、やっぱりそうだった。
「豆腐料理のバリエーションはとても多いんですよ。江戸時代だけでも、豆腐百珍続編や豆腐百珍余録もありますし、昭和には現代豆腐百珍もあります。やがて平成豆腐百珍とか豆腐スイーツ百珍とかが刊行されるかもしれませんね。食べてみたいと思いませんか」
そう言ってあたしは豆腐小僧くんに目配せする。
豆腐小僧くんの目が輝く。
「そうねぇ。食べてみたいねぇ」
「だったら、明日からは『豆腐百珍続編』をお届けします! それが終わったら別の豆腐百珍を!」
「あら、それは嬉しいねぇ。だったら、明日も明後日も楽しみに待っておかなくっちゃ」
おばあさんと豆腐小僧くんが笑い合い、おばあさんの顔に少し元気が湧くのが見えた。
あたしは、紫君の肩をツンツンとつつくと、部屋の隅でひそひそ話を始めた。
「ねえ、紫君。あたしから吸った精気をあのおばあさんに与える事って出来る?」
「んー、できるけど、それでおばあさんの病気が治る保証はないよ。ちょっと元気は出るかもしれないけど」
「それでもいいわ。お願い、やって」
あたしは少し強い口調で言う。
「んー、まあゆくえはいつかでいっか!」
そう言って紫君はあたしの首筋にちゅっと触れる。
力が抜け、視界に少し靄がかかっていくのがわかる。
だけど、ここが文字通り踏ん張りどころよ、珠子!
あたしは気合を入れて、それに耐えた。
「はい、じゃあ、こんどはこっち」
トトトと紫君がベッドに近づき、おばあさんの手を握る。
「しーくん、どうしたの?」
「なんでもないよー、にへへ」
そう笑いながら紫君はあたしから吸った精気をおばあさんに注ぐ。
注ぐにつれ、ほんの少しだけどおばあさんの血色が良くなっていく。
病気からの快復に何よりも必要なのは明日も生きたいという意志。
それに精気が加われば、きっと……
パチリとおばあさんの目がまばたきすると、おばあさんの目は何かを見失ったかのようにキョロキョロさせた。
「おや、ボクたちはどこへいったのかね? お嬢ちゃん、どこにいったか知ってる?」
おばあさんがあたしにたずねてくる。
だけど、実は紫君も豆腐小僧も目の前に居るの。
ただ、見えていないだけ。
”あやかし”は、普段は人の目に映らない。
人がそれを視る事が出来るには条件がある。
一定以上の霊力を持つか、”あやかし”自身がみんなに見えるように姿をさらすか、もしくはその人間自身に死が迫っているか。
あたしの精気を受けたおばあさんは、きっと元気になるだろう。
だから、もう”あやかし”たちを視る事はできない。
「うーん、どこでしょうか」
あたしは困ったように答えたその時、
ひょこ
おばあさんの視線が何やら動くものを捕らえ、ベッドの下に注がれた。
「おや、豆腐小僧さんはそんな所にいたんね。しーくんはどこかな」
あたしは知っている。
”あやかし”全てを視る事は出来なくても、特定の”あやかし”だけを視る事が出来る条件を。
それは、その”あやかし”と十分な縁を結ぶこと。
おばあさんのその瞳に豆腐小僧くんの姿ははっきりと映っていた。
きっと、あのおばあさんが退院しても映り続ける。
「うーんと、先に帰っちゃったのかな? でもまたいつか会えますよ。それより明日の豆腐料理は何がいいですか?」
「何かいいかねぇ。やっぱり甘いものがいいねぇ」
天国のおばあさま、あのおばあさんと豆腐小僧くんの縁の結びは、きっとハッピーエンドです。
◇◇◇◇
「それではあたしは先に帰りますので」
紫君にたっぷりと吸われたあたしは必死に膝に力を入れて立ち上がる。
うう、今回のはかなり堪えた。
「またねです」
「お気をつけて」
あたしはおばあさんに一礼して病室を出る。
グッ
廊下の角を曲がった所で蒼明さんに肩を抱かれた。
えっ、病室でのラブロマンス!?
そんな展開になるはずもなく、蒼明さんはあたしの腕を取り、それを肩に回す。
「今日だけは肩を貸しましょう。弱ったあなたを攻撃するほど私は鬼畜ではありませんから」
病室の出来事を見ていたのだろう、蒼明さんがあたしを気づかってくれる。
「助かります」
助かった、正直歩くのもつらかったの。
蒼明さんに肩を借りて、あたしたちは階段を降りる。
そして蒼明さんはあたしを支えたまま階段裏にあたしを引っ張り込んだ。
そこは薄暗く、病院の中でも特に人気のない所。
えっ!? やっぱりちょっと強引なラブロマンス!?
あたしの心臓の鼓動がちょっと増す。
だけど、そんなあたしの予想とは全く違う行動を蒼明さんは取ったのです。
「ここにいる弱きものを虐げる性根の腐った者どもよ。私の名は蒼明、強きものである」
音としては小さい。
「この地で、弱きものを叩くような真似を私は許さぬ。それが強者の理論というならば、その理論で私を敵に回すと知れ」
だけど彼の音を超えた声は響く……広く深く遠く……
そして妖力が広がった。
「ああっ、あああああ……」
あたしの心臓の鼓動が爆発する。
理性が彼を味方だと理解していなければ、あたしは恐怖で硬直するか、全力で逃げ出していただろう。
路地裏で感じた黄貴様を遥かに凌駕している。
例えるならば、映像で見た津波。
台風で荒れ狂う大波。
荒れ狂う大河のうねり。
そんな畏怖と恐怖の象徴があたしの隣に立っていた。
「……これくらいでいいでしょう」クイッ
……腰が抜けた。
精気を吸われた影響もあるのだろうか、あたしは力なくうずくまる。
「おや、立てなくなりましたか。まあ、当然でしょう。仕方ないから私が家まで抱えてあげます」クイッ
床にペタリと座り込んだあたしの様子を見て、蒼明さんはあたしを抱きかかえる。
そしてすたすたと歩き始めた。
うーん、通りすがりの人の視線が痛い。
「あの、さっきの行動は何だったのですか?」
さっきの行動とは、当然蒼明さんの妖力の開放。
家路の途中、その理由が気になってあたしは尋ねる。
「ああ、あれですか。豆腐小僧がいじめられたという話があったでしょう。あの一つ目入道に限らずそんな真似が私の縄張りで行われるのを見過ごすわけには参りません」
「そうだったのですか。蒼明さんは優しいのですね」
「……優しいわけではありません。強者として当然の事をしているまでです」クイッ
うーん『優しい』と言われて照れもしない。
「もうひとつ質問いいですか?」
「どうぞ」
「どうしてあたし猟師の獲物の狸のように肩からぶら下がっているのでしょう。こんな時はお嫁さん抱っこみたいにするのがロマンスなのでは?」
蒼明さんは足腰の立たなくなったあたしを抱きかかえて運んでくれている。
だけど、片方の肩に引っ掛けるやり方はヒーローとヒロイン的には無しじゃないのかな。
「あなたが魅力的な女主人公ならば、私はそうしたでしょう。ですが……」
「ですが?」
「ヒロインと言うには……足がボンレスハム過ぎます」クイッ
そう言って蒼明さんはペシペシとあたしの太股を叩くのでした。
ぐぬぬ。
◇◇◇◇
まずい……
まずいといっても、あたしの作るスイーツの味がマズイのではない。
まずいのは、あたしの目の前のお腹まわりの贅肉。
むにゅり
つまめる……つまめてしまう……
もうだめ! 時は今から世紀末!
ここはやはり豆腐に頼るしかないわ!
高タンパク、低脂肪、低炭水化物、煮てよし! 焼いてよし!
そんな高性能機能食品の豆腐でも限界はある。
砂糖をまぶして揚げちゃダメ!
キャラメリゼとかカラメル反応とか、魂と脳と胃に素敵な響きを持つけど、あたしは負けない!
「この前はありがとー、珠子おねえちゃん」
「ありがとうございます。これはほんのお礼です」
そう言って豆腐小僧くんが取り出したのは、豆腐ドーナツ。
完成品ではなく、揚げる前のその種。
「お礼に今日はボクたちがおりょうりするよー」
そう言って紫君は揚げ鍋を取り出す。
彼はここで揚げたてのドーナツをあたしに食べさせようとするつもり。
おのれこの小悪魔め!
そんな誘惑にあたしが負けるものですか!
「豆腐百珍修行できたえましたので、あげ物は得意なのですよ」
豆腐小僧くんの手で豆腐ドーナツが油に投入されていく。
ジュワー
ああ……心が躍る音……
おのれこの蠱惑魔め!
そんな物に負けませんから!
あたしの意志は固いの!
これ以上は絶対ダメだって鉄の理性が盾となる!
ぐぎゅるるぅー
胃袋には……勝てなかったよ……




