狐狸(こり)と狸料理(後編)
あたしが魚介用冷蔵庫を開けた時に見つけたのはピンクの小さい箱。
それを見た時、あたしは今日の茶番の全容を理解した。
この料理勝負の全てが茶番。
タヌキ料理というお題であたしが作ろうとする料理、”タ”の入った食材と”タ”の抜けた食材はなぜか台所に揃っていた。
全部、七王子のみんなが持ち込んだもの。
そして”天かす”、”コンニャク”、”田芋と里芋”、”このわた”、それをしまってある所全てにリボン付きの箱や包みをあたしは見つけたの。
「なるほど、珠子殿はそのプレゼントを見つけた証拠として、その食材を使った料理を出したというわけであるな」
合点がいったように鳥居様が首を縦に振る。
「そうですね。”このわた”だけは緑乱おじさんのミスでしょうね」
あたしの視線を感じたのか、緑乱さんはバツの悪そうな顔で手酌で焼酎を追加する。
でも、疑問も残る。
見つけたプレゼントは6つ、ひとつ足りない。
多分蒼明さんの分が。
「そうですね。珠子さんのお察しの通り、これは茶番です。ですが、勝負が反故になったわけではありません。さあ、私のキツネ料理と彼女のタヌキ料理のどっちが上か判定してもらいましょうか」クイッ
蒼明さんの声に審査員席に座っている5人が少し考える。
「そりゃま、味なら本職の珠子さんさ。蒼明の料理は肉が足りない」
肉好きの赤好さんは蒼明さんに一票。
「アタシは蒼明ちゃんに一票。キツネを喰らうというテーマにあっていたわ」
藍蘭さんは逆にテーマ重視。
「酒がついている分だけ、お嬢ちゃんだね」
うん、おじさんは酒と酒のアテになる方が好きなのは知っている。
「……キツネうどんが熱すぎて、のびる」
橙依くんの言う通り、あんかけ麺の欠点は熱の保持力が高いこと。
大人ならともかく、食の細い人や子供だと食べ切る前に麺が伸びちゃうの。
「蒼明おにいちゃんのは、ちょっと歯ごたえありすぎだよー。一文字ぐるぐるとか」
一文字ぐるぐるは分葱の白い茎を緑の部分で巻くので、繊維が交差してしまう。
これはかなり歯ごたえがある。
だから、子供向けじゃないの。
「4対1で私の負けですか。相手の献立を誘導した上でこの結果とは、完敗ですね」クイッ
そう言う蒼明さんは少し残念そう。
「それでは、私を倒した珠子さんにドロップアイテムです」クイッ
そう言って、蒼明さんはポケットから取り出した小箱をあたしに渡したのです。
「えっ!?」
少し予想外の展開にあたしは少しドキッとする。
「プレゼントは意表を突く形で、すこし非日常的に、ロマンチックに渡すのが良いものだと聞きましたので」クイッ
「ふむ、抜け駆けとはやるではないか蒼明」
あれ、ひょっとして今回の茶番の首謀者って蒼明さんじゃないかしら?
鬼畜だと思っていたけれど、素敵な所もあるんだ。
天国のおばあさま、今日はあたしに素敵な茶番がありましたよ。
「さて、茶番も無事完了した事ですし。本題に入りましょうか。キツネとタヌキの化かし合いです」クイッ
えっ!? あれも茶番というか出来レースじゃなかったの?
「待ちかねたぞ! して、その化かし合いの詳細はなんじゃ?」
「キツネとタヌキで順番に化けて、この珠子さんを驚かした方が勝ちです」
しれっと蒼明さんがあたしを人身御供に捧げる。
「ちょ!? なんであたしなんですか!?」
「”あやかし”は人を化かすと相場が決まっています。そしてここに人は貴方しかいません」クイッ
「引き続き審査員はアタシたちよ」
テーブルの上はすっかり片づけられ、5人の王子たちが席に座る。
「なに、心配はいらぬ女中よ。体に危険は全くない。ちょっと心臓がドキドキするだけだ」
黄貴様が真剣な目であたしを見る。
うーん、そんな目でお願いされたら断りずらい。
今日はみなさんからプレゼントをもらったし、気分もいい。
まあ危険がないならいいかな。
「まあ、それなら……」
そう言ってあたしは化かし合いの生贄になる事を了承したのです。
そして、あたしは10分後にこの言葉を後悔する事になるのです。
◇◇◇◇
「ならば! 妾が先攻はもらうぞ!」
「どうぞ、譲りますよ」
「姉上、がんばって!」
キツネさんたちの代表はリーダーの讃美さん。
でもどうやってあたしを驚かすのだろう。
あたしはこの半年で数多くの”あやかし”たちに会った。
ちょっとやそっとの異形では驚かない、なれっこなのです。
命の危険がないというならなおさら。
「ではゆくぞ」
そう言って讃美さんは三枚の葉っぱを取り出す。
やっぱり葉っぱで化けるんだ。
「ほいっっと」
ポンという音と煙が立つと、そこにはふたつの人影。
黄貴様と蒼明さんの姿が立っていた。
「えっ!? ええっ!?」
あたしは首を左右に動かし、本物のふたりがいる事を確認する。
「さすが姉上! 分身と変化を同時に使いこなすなんて!」
「おだてるな、王たる我ならこの程度の術なぞ造作もないこと」
「そうです、この程度はまだ序の口です」クイッ
声色も仕草もそっくり! 全く見分けがつかない!
「さて、女中よ。今日はご苦労であったな。褒美をやろう」
偽黄貴様があたしの右手を取り、それを自分の頬にあてる。
あっ、あれれっ!?
「珠子さん、私はいつも鬼畜な事を言っていますが、それは愛情の裏返しなのですよ」
偽蒼明さんはあたしの背中から左手を握ると、首筋から耳に向かって囁く。
はれっ、はれれっ!?
「さあ、褒美は我の心と体だ。ほら、女中を想って波打っているであろう」
あたしの手が偽黄貴様のはだけた胸に導かれる。
でも、あたしは自分の心臓の鼓動のせいで彼の鼓動を感じられない。
「ちょ、ちょっとまって、そんなふたり同時なんて……」
あたしは身をよじるが、ふたりの手はあたしの手首をがっちりと掴んでいて動けない。
「ああ、そうだな。兄弟は仲良くしなくては」
「ええ、仲良く半分こ。だけど、珠子さんは私の全部を受け取ってもいいのですよ」
いつの間にか、ふたりの上半身は露わになっていて、その肌色があたしの目に眩しい。
「もうダメです、我慢できません!」
あたしのYシャツの前のボタンが蒼明さんの細い指で解かれていく。
「そうだな、女中の全てに褒美をやろう。まずはその胸から……」
偽黄貴様の手があたしの黒いブラジャーに伸びる。
審査員席の男の子たちの乗り出す姿が視界の端に見え『おおぉ!』という声が聞こえる。
「やっぱ、やっぱダメ―!!」
あたしの全力の筋力がふたりを振りほどき、回転する掌がふたりの頬を打つ。
ポフン
軽い音と煙とともに、ふたりの姿が消え、ケラケラと笑う讃美さんの姿に変わった。
「どうじゃ? どうじゃ? 心の臓がバクバクいっておるであろう。ほほほ初心な女はこの手に弱いのじゃ」
ホホホと笑いながらロリババア……もとい年長者の余裕で讃美さんが笑う。
あちゃー、わかっていたのに騙されちゃった。
そうだ、あたしの服!
あたしが下を向くと、そこには見慣れた割烹着があった。
そういえば、あたしはYシャツなんて着てなかったし、あんな下着も着けていない。
「心配するな、あの服も妾が化けた姿じゃ。人型だけでなく平面にも妾は化けれるのじゃ」
「さすが姉上! 3分身だけでなく、その1体をてくすちゃーに化けるとは。てくすちゃーとやらに化けれるのは狐界広しと言えども、姉上だけです!」
「ほほほ、封印中の玉藻の前では、この芸当はできまい」
あー、あれテクスチャーだったんだ。
「いやあ、乱れる珠子さんも可愛かったね」
「……脳内に保存」
「もっとみたかったー」
審査員席ではボーイズトークが盛り上がっている。
まったく、男ってのは。
あれ? こういうのが一番好きそうな緑乱おじさんだけは、いつもと同じ表情でお酒をちびちび飲んでるぞ。
「あら、緑乱ちゃんは平気なのね」
「ああ、おじさんはあれが偽物だってすぐに気づいたからね」
さすが、兄弟で一番人生経験が長いだけあります!
ちょっと見直しました。
「お嬢ちゃんはあんな色っぽい下着は持っていないって、知っているからね」
スコーン!
あたしの全力投球の酒瓶がエロオヤジの額に命中した。
◇◇◇◇
「さて、次はタヌキの番じゃな。そっちもリーダーの赤殿中が出るのかや?」
もはや勝利が確定したかのように自信たっぷりに讃美さんが言う。
それもそのはず、あたしに同じ手は二度と通じない。
どんな異形も色仕掛けもあたしは耐える……はず。
「ふん、ボクが出るまでもないでんちゅ! 豆狸で十分でんちゅ!」
蒼明さんの背中におぶさり、無邪気に跳ねながら赤殿中が言う。
うーん、かわいい。
「はい、彼はもうあちらに控えています。出番ですよ」クイッ
蒼明さんの合図と共に入り口の扉が開き、一匹のタヌキが入ってくる。
それが普通のタヌキじゃない事はひと目でわかる。
「あっ、かわいいー」
「ほんとかわいいですー」
だって、そのタヌキは身長2mで二足歩行する巨大タヌキだったのですから。
ややリアル系の。
「ぽんぽこぽん! ボクはタヌキのぽんぽこ、あなたを癒しに来たポン!」
ぼんぼこさんはあたしの手を握り頭を撫でる。
「うわー、ふわふわのもこもこだー」
あたしはその大きなお腹にポフッと顔をうずめ抱きつく。
それは大きな毛の塊。
なんだ、こんなの全然怖くないじゃない。
ちっちゃいころ、こんなのに憧れてたのよねー。
ドキドキもしない、いやされるー。
「気に入ってくれたみたいでうれしいポン!」
ポンポコさんがその大きな顔をあたしの顔に近づけて頬をすりすりする。
そっか、これも茶番ね。
きっと、最初から蒼明さんは負けるつもりだったんだ。
いやー、鬼畜メガネなんて言っててごめんなさい。
「さて、それではこのぽんぽ……豆狸の変身プロセスを解説しましょうか」
蒼明さんの隣に立っているのはもう一匹のタヌキ。
これは普通サイズ。
「はい、キツネとは違いタヌキは別の方法で化けますポン」
へー、葉っぱじゃないんだ。
「まずは陰嚢、つまり金玉の皮を伸ばします」
はい?
目の前でタヌキの金玉の皮が畳一枚分に広がる。
あたしの目が点になる。
「そして、それを全身に被れば、変身完了だポン!」
タヌキが皮を被ると、その皮は色と形を変え、蒼明さんの姿になる。
ええっ!?
「えっと、つまりこのモフモフは……」
もふっもふっ、とあたしは抱きしめている大きなタヌキの感触を確かめる。
「陰嚢の皮と陰毛です」クイッ
冷静に、そして残酷に蒼明さんは眼鏡をクイッと上げた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああー! うわあわあああ゛あ゛あ゛あ゛-!!!」
あたしは人生で最大の叫び声を上げた。
そこに居るだれもがタヌキの勝利を確信するくらいの。
「珠子さん。”料理”ではあなたがプロですが、”化かす”ことでは私たち”あやかし”がプロである事をお忘れなく」クイッ
おみそれしました。
天国のおばあさま、やっぱり今日も蒼明さんは鬼畜メガネです。




