狐狸(こり)と狸料理(中編)
今、台所では四台の電子レンジが唸りを上げている。
蒼明さんが最初に行ったのは出汁作り。
削り節と昆布をガラスのポットに入れて数分レンチン、それで鍋で作ったのと同じ黄金出汁が出来る。
でもおかしいのはあの分量、かなりの量だ。
「相手の観察とは余裕ですね」クイッ
あたしの視線に気づいたのか、蒼明さんが眼鏡を光らせて言う。
彼の言う通り、あたしも調理を始めなくっちゃ。
でも、なんだか心に引っ掛かかる物がある。
タヌキ料理といわれて、まず思いつくのは、天かすを使ったタヌキ蕎麦とか凍蒟蒻をタヌキの肉に見立てた狸汁。
だけど、素直にそれを作っていいのかしら。
やっぱり何かひっかかる……
よしっ! 別のタヌキ料理も作りましょ!
そうすると必要な食材はっと。
確か、藍蘭さんが仕入れてくれたタコがあったはず。
あとはイサキとアオリイカも。
まずは、それを調理しましょうっと。
あたしは魚介用の冷蔵庫を開けると、魚介のトレイの隣に小さい箱があるのを見つけた。
。
あれ? こんなの入ってたっけ?
あたしは周囲を見渡し、台所の食材のありかを思い出す。
昨日のことだったかしら、紫君と橙依くんが『田んぼでおいもを掘ってきたの』って里芋を持ってきてくれたのは。
緑乱おじさんが『静岡のお土産だよ』って”このわた”をくれたのも最近。
ははーん
……あたしは理解した、この化かし合いの意味と、とんだ茶番を。
んもう、それなら素直に言ってくれればいいのに。
◇◇◇◇
「それでは、私から料理をお出ししましょう」クイッ
電子レンジ調理の良い点は手間がかからない所と火をずっと見ている必要がないこと。
逆に悪い点は、一度に一品ずつしか調理できない所だけど、蒼明さんは何台ものマイ電子レンジを使う事でそれをクリアした。
家庭ではできない、店舗だからこそ出来る技。
「作ったのは四種『キツネの茶々碗蒸し』『キツネの一文字ぐるぐる』『刻みキツネうどん』『キツネスナック』です。まあ、キツネは全て油揚げと読み替えてかまいません」クイッ
鰹だしの良い香りをまき散らしながら、蒼明さんの料理がテーブルに並ぶ。
「ああ、キツネさんもぽんぽこさんたちもどうぞ。量は十分にあります」クイッ
「それじゃあ、いただくのじゃ!」
讃美さんが待ちきれないというばかりに茶碗蒸しの蓋を取る。
「これはなんじゃ!?」
「あらま、中に茶巾が入っているわ」
その声を聞いてあたしもこっそりと『キツネの茶々椀蒸し』をのぞき込む。
器の中に入っていたのは油揚げの茶巾。
おそらく口の部分が横になっているのだろう、ふっくらとした油揚げが一面をおおっていた。
「わかった~、スプーンがグレープフルーツ用のギザギザスプーンなのは、これだからだ」
紫君がスプーンを掲げて言う。
彼の言う通り、そのスプーンはグレープフルーツ用。
周囲がギザギザになっていて果肉を切り取るのに適した形状をしているの。
「そうです。そのぷくぷくのお尻のような油揚げを切り裂いて食べて下さい。これはキツネを喰う料理ですから」
蒼明さんの説明に従ってみなさんがザクザクと油揚げを裂くと、そこからふわりと三つ葉と椎茸の良い香りが立ち上った。
「おっ、こいつはいいねぇ、食欲をそそられるねぇ」
一気に湧き上がる香りに鼻をひくひくさせながら緑乱おじさんが手をたたく。
「電子レンジ茶碗蒸しの欠点は、ラップで包むと、どうしても蒸した物に比べ配膳中に香りが逃げる所にあります。だけどもラップ付きで出すのも味気ない。そこで茶巾にして香りをお揚げの中に閉じ込めました」クイッ
スゴイ! あたしも電子レンジ茶碗蒸しはたまに作るけど、香りが逃げる欠点が気になっていた。
蓋ごと蒸し器で蒸すやり方に比べ、蓋を開けたときの香りの広がりが弱くなってしまうの。
だけど、蒼明さんは卵液と具を油揚げの茶巾に入れる事でその欠点を克服した。
「うん、うまい! こりゃいける」
「ホント、とってもおいしいわ」
「……ちょっと熱い」
「あつい~、ハフハフ」
みなさんはスプーンをフーフーしながら茶碗蒸しを食べる。
「で、この『キツネの一文字ぐるぐる』だけど、これは熊本名物のアレンジだね」
緑乱おじさんはよく旅行に行くせいか地方名物に明るい。
あたしも『一文字ぐるぐる』は知っている。
分葱を茹でて、その緑の葉の部分で白い茎をぐるぐるに巻く料理。
蒼明さんが作ったのはそのアレンジ版。
巻く時に短冊に切った油揚げを巻き込んでいる。
「やっぱ油揚げには葉物よね」
「そうです、それは鉄板です。辛子酢味噌でどうぞ。キツネをぐるぐる巻きにして、辛子をすりこんで頂いて下さい」クイッ
蒼明さんの言葉に従って、みんなはちょんちょんと”一文字ぐるぐる”に辛子酢味噌を付けて口に運ぶ。
ザクッ、ザクッ、ジュワー
食べ進むごとにみんなの口から心地よい音が漏れる。
「おや、こいつは汁気たっぷりだね」
「うーん、おいしいお出汁のオツユがジュワっとあふれてきちゃう」
「はい、分葱を一旦レンチンで茹でて、油揚げを巻き込んでぐるぐる巻きにした後に、もう一度出汁を加えて電子レンジで煮しめました。キツネの釜茹でみたいなものです」クイッ
最初に電子レンジで出汁をいっぱい作っていたのはこのためだったのね。
「辛子酢味噌もピリッとしていけるねぇ」
「……ちょっと辛い」
「からーい、そしてかたーい」
あたしも見ているだけで涎が出そう。
まずい、あたしはかなり蒼明さんを見くびっていたかもしれない。
藍蘭さんが彼が兄弟で一番料理が出来るって言ってたのも頷ける。
「そして、この『刻みキツネうどん』なんだけど、刻みキツネはわかるとして、この茶色いあんは何だい?」
「それは鰹と昆布の出汁がらをフードプロセッサーで滑らかにして片栗粉を加えて電子レンジで加熱した出汁あんです。刻んだキツネが沼に沈んでいくのを表現しています」クイッ
『刻みキツネうどん』の上には茶色い鰹出汁のあんと刻んだ油揚げが乗っている。
ズズッズズズッとみんなが麺をすする度に具が麺に絡んで一緒に吸い込まれていく形だ。
「おっ、これは濃厚な味だねぇ。淡白なうどんに良くあうねぇ」
大口で一気にうどんをすすり終え、緑乱さんが言う。
チュルッ、チュルッっと年少のふたりもうどんを食べている。
「そして、この『キツネスナック』はおつまみっぽいね。サクサクしていていける」
いち早く最後の一品に手を付けたのは赤好さん。
その手にあるのは『キツネスナック』、あたしもたまに作るおつまみ。
「これは電子レンジの真骨頂ともいえる時短料理です。短冊にした油揚げをクッキングシートに乗せ、ラップもつけずにレンチン5分で完成。キツネは自らの脂でその身を焦がすのです」クイッ
油揚げには当然だけど油が残っている。
レンチンする事で、その油で再度揚げる形になって水分が抜け、カリカリになる。
お手軽、簡単! お酒を飲んでいる時に、ふとフライ系が食べたくなった時でも大丈夫!
正直、酔っている時に揚げ物は避けたいのです、あぶないから。
「こいつはいいねぇ。塩だけでいける」
「ええ、お手軽なおつまみとしていいわ」
チュル、チュル
「どうです珠子さん? 電子レンジも捨てたもんじゃないでしょう」クイッ
自信たっぷりに蒼明さんがあたしに問いかけてくる。
うーん、別にあたしは電子レンジ料理をディスったことはないんだけどなぁ。
「正直、想像以上でした。蒼明さんって料理がお上手なんですね」
あたしが知っている蒼明さんの電子レンジ料理は、市販の冷凍食品だけだった。
こんな腕を持っていたなんて、あたしは知らなかった。
「この一か月で勉強しましたから」クイッ
そう言えば、蒼明さんは”あやかし”なのに大学に通っている。
最近、その朝ごはんと弁当は自分で作り始めたと聞いたけど、そこで修行してたんだ。
ちなみに、明け方まで仕事をしているのであたしの朝は遅い。
「さて次は珠子ちゃんの”タヌキ料理”ね」
「はい、あたしの料理をお持ちしますね」
あたしは台所に戻り、お盆に料理一式を乗せて持ってくる。
これは蒼明さんみたいに順番に出す形式ではなく、一気に出す形式なの。
そうしないと、わからない可能性があるから。
「おまたせしました! たぬき御膳です!」
お盆の上にあるのはおにぎりと味噌汁、刺身と田作り、そして芋のフライとタコとイカの煮物二種。
もちろん、審査員の分だけじゃなく、キツネとタヌキのみなさんの分も用意してある。
「へぇ、これは一般的な定食だねタヌキ顔の珠子さん。察するに狸っぽいのはこのおにぎりかな」
赤好さんがそう言っておにぎりをパクッと食べると、その中からサクッという音が聞こえた。
「やっぱり、これは最近はやりの悪魔のおにぎりだね。小悪魔的な珠子さん」
「そうですね。天かす入りのおにぎりは”悪魔のおにぎり”とも”たぬきにぎり”とも言われています。天かすとめんつゆ、あとは細切り昆布が混ぜてあります」
このたぬきにぎりは近年流行り始めたおにぎり。
某コンビニでは長年売上のチャンピオンだったツナマヨを上回ったともいわれている。
「こっちの味噌汁は伝統的な狸汁だねぇ。おからとコンニャクだ。うん、このコンニャクが味が染みていて、うまいねぇ」
「タヌキ汁のコンニャクは凍りコンニャクを胡麻油で炒めたものです。弾力のある食感がいいですよね」
「ボクはこっちが好き。だってやわらかいもん」
もむもむと口を動かしながら、紫君が言う。
「……この二色のお芋のフライもおいしい」
橙依くんがカリッと音を立てて食べているのは芋のフライ。
芋といってもじゃがいもではないの、あれは揚げ里芋。
「あらっ、これって外はカリッと中身はねっとりとしていて素敵ね。でも同じ里芋みたいだど、味がちょっと違うわね。白い方はさっぱりしていて、灰色の方が甘味とねっとり感が強いわ」
「白いのは普通の里芋、灰色なのは田芋です。田芋は主に沖縄とか九州で栽培されている田んぼで作る里芋です」
「へぇ、同じ里芋でも畑と田んぼで育てるのでこんなに味が違うのね」
感心したように藍蘭さんも箸を進める。
「そして、このイサキのお刺身と田作り、タコとイカの煮物もいいねぇ。お嬢ちゃん、これって肝も入っているだろ? ひとつは”このわた”だと思うけど」
「はい、小鉢の片方はイカをナマコの内臓”このわた”で煮た『イカのこのわた煮』です。もうひとつはイカとタコをその内臓で煮た『イカとタコのわた煮』ですよ」
正直、これはかなり言葉的に厳しい。
ちょっと間違ってもいるけど、それは緑乱おじさんのせいなんですからね。
「へぇ、イカのわたを入れた煮物はよく見るけど、タコのわたを入れたのは珍しいねぇ」
「タコの内臓も食べれるんですよ。コツは墨袋と苦玉といわれる胆嚢を除くことです」
「そして、この”このわた”煮もいいねえ。珍味としてそのままでもいいけど、イカとあえることで食べごたえと、このわたの旨みが両立しているよ。ところで嬢ちゃん」
箸でちょぽちょぽとイカとタコを食べ進めながら、緑乱おじさんはあたしを見る。
「はい、これですよね。今日は焼酎と日本酒の二本立てです。焼酎は大分の麦焼酎『久保』、日本酒は新潟の有名所の『久保田』を用意しました。どちらがお好みですか?」
返事も待たずにあたしは焼酎の栓を開け、その中身をとくとくと猪口に注ぐ。
「もちろん、焼酎さ! この濃い味にはキリリと強い焼酎の方があうと思うぜ。おじさんは!」
そう言って緑乱おじさんは渡された焼酎『久保』をキュっと飲み干す。
あたしはすかさず次を注ぐ。
「おお! 噂に聞いた女の料理! うまいのぉ、なあコーン」
「はい、珠子さんの料理はいつもおいしいです」
「ぽんぽこおいちいでんちゅ! でも、おにぎりと味噌汁はわかるでんちゅが、他のはどうしてタヌキ料理なんでんちゅか?」
赤殿中さんが疑問を口にする。
「ボクはわかったよ! これは珠子おねえちゃんの得意な言葉あそびだよね! ”タ”ヌキなんだ」
「……料理名から”タ”を抜く。”たいも”と”いも”、”たつくり”と”つくり”、”イカとタコのわた煮”と”イカとこのわた煮”」
紫君と橙依くんがあたしに代わってタヌキ料理の説明をしてくれた。
あの子たちの言う通り、これも言葉遊びのタヌキ料理。
だけど……
「ん? それは少し変ではないか? ”イカとこのわた煮”には”た”が残っておるぞ。あの珠子殿がそんなミスを犯すとは思えぬが……」
「さすが鳥居様は鋭い。でも、それには理由があります。あたしは”このわた”を使わなくっちゃいけなかったのです」
そう、せっかく緑乱おじさんがくれたお土産を使わないわけにはいかない。
ううん、それがしまってある所をあたしは見なくっちゃいけなかったの。
「理由とは?」
「理由はこれです」
そう言ってあたしはリボンのかかった6つの包みを取り出した。
「それは?」
「察するに、七王子のみなさんからのホワイトデーのお返しですね。もう、こんな凝った真似をしなくても普通に渡してくれればいいのに」
頬をふくらませながらも、ウキウキ顔であたしはプレゼントを抱きしめる。
「このプレゼントは台所に隠してありました。そして、それを見つけるヒントが今日の食材だったんです」




