はらだしとチョコフォンデュ(中編)
ピンポーン
「お届け物でーす」
裏口のベルが鳴り「ハーイ、今あけるわよ」という藍蘭さんの声が聞こえる。
きっと注文していたバレンタイン食材が届いたのだろう。
チョコ作りの準備は着々と進んでいる、だけど、シチュ作りの思案は遅々として進まない。
原田さんが素敵な”あやかし”だということは理解した。
彼女の意中の相手が”あやかし”であったなら、その恋の成就は容易い。
彼女の魅力を十二分に発揮できるシチュエーションを演出すればいいのだから。
ただし、その”あやかし”が天邪鬼でない場合を除く。
「事情はわかったわ、作戦を考えましょ。あの天邪鬼に告白っぽい態度を取らせる方法を」
天邪鬼は見方を変えればとっても素直。
心は裏腹、態度は意地悪、それを理解すれば非常に読みやすい。
「そうですね。彼はあんな口ぶりや態度とは裏腹にとっても優しいんです」
頬を染め、そう言う彼女の表情は乙女。
あたしや藍蘭さんのような乙女とは少し違った恋する乙女の顔。
「……その事で、珠子姉さんに知らせておく事があるんだけど」
考え込むあたしに向かって橙依くんが少し申し訳なさそうな表情で言う。
「ん? なにかな?」
「いいお知らせと悪いお知らせがあるけど、どっちがいい」
「と、とりあえず悪いお知らせから」
うーん、嫌な予感しかしない。
「……僕はそれとなく、天邪鬼に聞いたんだ。バレンタインに食べるならどんなチョコがいいかって」
「あっ、そうね。天邪鬼の好みを知っておく事は重要よね。さすが橙依くん、策士なんだから」
自分の心と裏腹な事を言ったり、意地悪な事を言うのが天邪鬼。
きっと彼の答えは自分の好みと反対な味のチョコのはず。
なんだろなー? ビター系かな? とろける口どけかな? それともキャラクター造形系だったりして!?
「……うん。天邪鬼の返事は『熱くて冷たくて、形がないのに形があって、自然なのに不自然で、メルヘンなのに機械的で、止まっているのに動いていて、無駄なのに価値があって、甘くて辛くて酸っぱくって苦くって塩辛い、みんなと同じなのに俺には特別なチョコが食べたい』だったよ」
意地悪な方の天邪鬼だった!
あたしにはわかる、これは天邪鬼くんからあたしへの挑戦状。
「なるほど、あたしにその厄介な条件を満たすチョコ料理を出してみせろって事ね」
「……間違いなくそう」
この前、橙依くんと天邪鬼くんの意地悪なお題をあたしは簡単に解決してしまった。
だから今度こそはできっこないお題を出して来たのね。
だったら、その挑戦に乗ってやろうじゃないの!
「その程度、全然悪くないわよ。それで、いいお知らせってのは」
「……すぐにわかるよ」
その言葉と同時に台所からバタバタという足音が聞こえ、
「たいへーん! 珠子ちゃん、どーしましょ! アタシ、製菓用チョコ2kgを注文したつもりが、間違えて20kg注文しちゃったー!」
胸いっぱいにチョコレートを抱えながら、藍蘭さんが台所から登場してきたのです。
「……よかったね。これなら材料が不足することはないよ」
くふふ、と橙依くんは少し意地悪そうに笑ったのです。
「ぜ……ぜんっぜん、よくないわー!」
◇◇◇◇
あたしのミッションは3つ。
”はらだし”こと原田さんへの好意の言葉を天邪鬼から引き出すこと。
天邪鬼からの矛盾ありありのお題を満たすチョコを作ること。
そして……このチョコを無駄にしないこと。
こんもりと盛られた20kgチョコの山。
これは100人単位の本命チョコの分量。
義理チョコ換算500人くらい。
ちなみに板チョコは一枚60gくらい。
こりゃもう笑うしかないわね。
「大丈夫ですか珠子さん? わたしがもう一度”はらだし踊り”をしましょうか?」
原田さんはそんなあたしを慰めてくれる。
「あれ? ひょっとして原田さんって”はらだし踊り”する事は恥ずかしい事じゃない?」
「はい、全然平気ですよ。むしろ清々しいです。”あやかし”にとって本来の姿を解放するわけですから」
「彼女にとって”はらだし”の姿こそ本性さ。そこは脱ぎ上戸な珠子さんと同じだね」
おい待てプレボーイ、あたしに変な性癖を付けるな。
「それじゃあ、さっき『体が火照って、昂っちゃう』なんて艶っぽく言ったのは……」
「ああ、わたしはお酒をふるまわれると思わず本性が出ちゃうんです。別に恥ずかしかったからじゃありません」
そう言う彼女の表情は少し俯き加減で純情そう。
そんな女の子が服をたくしあげる……
なんてエロいシチュ!
普通の男の子だったら彼女にしたくなっちゃうぞ!
ふたりっきりでお酒を飲ませて……ぐへへな感じにしちゃう感じで!
「……珠子姉さん、思考がエロオヤジ過ぎ」
あたしの脳内妄想を橙依くんがたしなめる。
すみません、ちょっと脱線しすぎました。
あれ? お酒をふるまう……さっきは果実酒の実程度でも原田さんの本性が剥き出しになった。
文献にも妖怪”はらだし”は、お酒をふるまうと”はらだし踊り”を見せてくれて、笑いと愉快な気分と幸運をもたらしてくれる良い妖怪って載っていた。
そのせいか、あたしも何だか気分がいい。
こんな無茶振りシチュエーションなのに逆にやる気と笑いが出て来るほどに。
「ひょっとして、原田さんの”はらだし踊り”はあの天邪鬼すら笑わせられる?」
天邪鬼が素直に笑う事はない。
”はらだし”の”はらだし踊り”は相手を笑わせる。
それがぶつかったら……
「えっと……やってみなければわかりません」
「強い方が勝つね。矛盾を試す珠子さん」
「……特定の条件を満たせば”はらだし”が勝つ」
それだ!
あたしは手をポンと叩いた。
「橙依くん。その特定の条件って『天邪鬼がはらだしに酒をふるまう』で合ってる?」
「……そう。あれは儀式とも呪ともいえるもの。”はらだし”に酒をふるまったら最期、神だろうと悪魔だろうと憤怒の明王だろうと、そいつは抱腹絶倒は免れない」
呪というと響きは悪いけど、それでもたらされるのは”笑い”と”幸運”なのよね。
笑い……幸運……チョコ……ひらめいた!
「ねぇ、橙依くん。天邪鬼が食べたいって言ってたのは『熱くて冷たくて、形がないのに形があって、自然なのに不自然で、メルヘンなのに機械的で、止まっているのに動いていて、無駄なのに価値があって、甘くて辛くて酸っぱくって苦くって塩辛くって、みんなと同じなのに俺には特別なチョコが食べたい』だったわよね!?」
「……正解。珠子姉さん記憶力いい」
やっぱり! はらだし踊りの効果であたしの頭も冴えわたっているわ!
「原田さん! 策が出来たわ! あたしにまかせなさい!」
あたしの自分たっぷりの声に原田さんの顔をパァァと明るくなり、赤好さんと橙依くんがパチパチと拍手する。
そしてあたしはスマホを取り出し検索を開始する。
繁忙期で予約が埋まっている可能性はあるけど、きっと大丈夫!
だって、今のあたしには笑いと幸運がもたらされているのですから。
◇◇◇◇
どででてーん!
圧倒的存在感!
高さ約1.2m! テーブルに置けばその高さは大人の伸長を遥かに超える!
そのファンシーな銀色のマシンは白い布がかけられ『酒処 七王子』の中央に鎮座された。
「うわー、おっしゃれー! ステキステキで好き好き!」
藍蘭さんのテンションも最大級に上昇している。
「はいよ、用意周到な珠子さん。食材のセットアップも順調だぜ」
今日は人手が足りないので赤好さんにも給仕のお手伝いをしてもらっている。
赤好さんが各テーブルに並べているのは、串がささった数多くの食材たち。
セットアップが完了するごとにカバーがかけられていく。
「よしっ! 準備完了! そろそろ橙依くんたちもお客さんたちも来る頃ですよね」
「ええ、あやかし女子会のみんなにも声をかけたわ」
カランと音がして扉からぞろぞろと少年少女たちが入ってくる。
「よう! 招待されてないから来てやったぞ」
「……ただいま、珠子姉さん」
入ってきたのは橙依くんとそのクラスメイトたち。
もちろん全員”あやかし”だ。
「こんにちは珠子さん。今日はよろしくお願いしますね」
”はらだし”の原田さんがウィンクしながら言う。
ええ、仕込みはばっちり、あとは仕上げを御覧じろです。
「ういーっす、嬢ちゃん、お仲間を連れてきたぜ」
「初秋ぶりじゃな珠子殿」
「三千坊様に三太夫さん、それと河童のみなさん!」
続けて来た一団は河童のみなさん。
秋に緑乱おじさんと相撲をとったみなさんだ。
「あたしたちも参りましたわ」
「女の子のスイーツイベントと聞いたら来ないわけには参りませんもの」
「義理チョコもおもちしましたわ」
「さーて、いい男はいらっしゃいますかしら」
おしゃれなウィンターファッションに身を包んだ美女集団は『あやかし女子会』のみなさん。
文車妖妃さん、橋姫さん、清姫さんに紅葉さん。
会話さえしなければきっとモテモテに違いない……会話さえしなければ。
これだけの人数が集まると広めの店内であっても、少し手狭になる。
特に中央には巨大な装置があるのだ。
自然とみんなの視線はそれに集中する。
「みなさま!『酒処 七王子』のバレンタインパーティにようこそ! 今日はバイキング形式で召しあがっていただきます!」
あたしがトレイのカバーを次々とオープンすると、そこの食材が次々と露わになる。
それはフルーツであったり、マシュマロであったり、クッキーであったり、ポテチであったり、様々な食材が所せましと並んでいる。
キュウリもある。
「そして、これが本日のメインイベントマシーン! さあ! そのベールを脱いでもらいましょう!」
「はーい! これがおしゃれでファンシーなバレンタインよ!」
藍蘭さんがバッと布を取ると芸術的な銀色の塔が露わになる。
「これは!?」
「チョコレートファウンテンです! 溶けたチョコレートが噴水のように流れ落ちるチョコイベントマシーンです! それでは! さっそくチョコを注ぎましょう!」
あたしはあらかじめ湯煎で溶かしておいたチョコを注ぐ。
「さあ! スイッチオン!」
ウョンウョンウョンとモーターの音が聞こえる。
コポッ
「あっ、あれ!」
原田さんの声と同時に、彼女が指差す塔のてっぺんのクラウンから甘い香りのする茶色の液体がこぼれ落ちてきた。
コポッコポポッコポポポオポ
あふれだしたチョコは途中の皿にそって横に下に横に下にしたたたり落ちる。
「これがチョコレートの噴水、チョコレートファウンテンです! さあ! みなさんお好きな食材に流れるチョコをつけて召し上がって下さい!」
「串カツと同じで二度付けは禁止よーん!」
あたしたちの声を合図にみんなが食材とファウンテンに群がる。
これは食材に溶かしたチョコをつけて食べるチョコフォンデュの発展形。
「やっぱ定番のマシュマロからですわね。あまーい」
「いえいえ、定番なのはフルーツでしょ。あまずっぱーい」
「このポテチも意外といけますわ。あまじょっぱーい」
「激辛スナックのチョコがけも存外おいしいですわ。あまからくて火をふいちゃいそうです」
あやかし女子会のみんなはお菓子とフルーツで食べている。
定番なのに意外な組み合わせもある、だけどとってもおいしそう。
お願いです清姫さん、炎を吐くのは止めて下さい。
「きゅうりー!」
「旬を外したハウス物とはいえども、きゅうりは最高じゃわい!」
「はい! 水分たっぷりでみずみずしいきゅうりでチョコの甘味が引き立っています」
「「「「やっぱ、きゅうりが最高!!」」」」
うん、河童さんたちはいつもと同じ。
だけど、キュウリのはちみつ漬けがメロン味といわれるように、甘味とキュウリは案外合う。
ご来店のみなさんには大好評!
さて、今回のお話の中心の中学生組はどうかしら。




