天狗と鯖(後編)
ジジジからジューと油の音が変わり、あたしに頃合いだと教えてくれる。
よしっ、完成!
「お待たせしました! 今日のスペシャル謎膳です」
用意したのは三つの膳。
今日はあたしは仕事中だから、あたしの分は無いの。
「謎膳?」
「うむ、この中の一品は鯖が入っておる。豊前坊よ、それがわかるかの? もちろん、拙者は全部食べきってみせるぞ」
「なるほど、なぞなぞちゃね。よかよ、つきあっちゃる」
そして三人は食事を始める。
その間にあたしは台所でちょっと準備っと。
あの関サバを新鮮なうちにお造りにしておかないと。
そして、味見味見っと。
「うぴょー」
三人の視線が台所に向く。
いけないいけない、美味しさのあまりちょっと声がでちゃった。
「ああ、お嬢ちゃんはたまに奇声を上げるから気にしない、気にしない」
フォローありがとう、おじさん。
いやー、関サバを食べるのは初めてだけど、これは他の鯖とは格が違うわ。
もっと味見しちゃおっと。
そして豊前坊さんは食事を続け、そして箸が止まった。
「ふむ、三郎よ。お主、俺をたばかろうとしとらんちゃね?」
おや、ちょっと雲ゆきが怪しいかも。
なら、あたしの出番かな。
あたしは遠出して買ってきた包みを準備する。
「というと?」
「この中の鯖の一品が白子と見せかけて、実はご飯を除いて全部鯖じゃなかけん。こりゃ鯖節の味っちゃね」
そう言いながら豊前坊さんはつみれの味噌汁と揚げ物を指差す。
「おっ、さすが豊前坊さん。わかってるぅー! その通りさ!」
「ふむ、こんなこったろうと思ったたんたい」
「じゃが、ちゃんと鯖を食べとろう」
嘘を指摘された三郎さんが、バリバリと音を立てて鯖節衣のかき揚げを食べる。
「ふん、さかしかね。正々堂々、旨い鯖を食べればよかっちゃろに。ま、味はよかけどな」
匙を持ち上げちゅるんと鯖の白子を口に入れながら豊前坊さんが言う。
そして三郎さんもちゅるっと白子を吸う。
気づいているのかしら、今日の白子はもみじおろし抜きのポン酢だけですよ。
昨日は鯖の味を減らすためにもみじおろしにしたけど、本当はこっちの方が味わい深いの。
最高級の関サバの白子だと特にそう。
「それでは、最後に茶漬けを召し上がってもらいますね。先程はご飯以外全部とおっしゃいましたが、実はそのご飯も鯖料理に変わるんですよ」
あたしが置いた皿を見て、豊前坊さんと三郎さんの手が止まる。
「……これは鮒ずしではない!?」
「うっ、この匂いは……」
この匂いは鮒ずし似ている。
作り方も同じだしね。
「はい、これは鯖のなれずしです」
「鯖!」
「なれずし!」
ふたりが声を上げる。
「おや、豊前坊さんはなれずしは苦手ですか?」
「食えん事はないが、あまり得意ではないな」
豊前、九州の福岡と大分のあたりは海の幸が豊富なので、海から離れた本州の山間部ほどなれずしの食文化は発展していない。
だから豊前坊さんはちょっと苦手なのだろう。
「おや、豊前坊よ、なれずし苦手とは情けないのう。ほれ、食べてみい」
「おやおや、三郎よ、お主は鯖を克服したっちゃろ。食うてみんね」
ふたりがお互いに『どうぞどうそ』と勧め合う。
「おや、ふたりが食わんのならおじさんが頂いちゃおうかね」
その言葉から間髪入れず、緑乱おじさんがふたりの返事の前に鯖なれずしをひょいぱく、ひょいぱくと食べる。
あたしは知っている、知り始めている、緑乱おじさんの魅力のひとつは”おいしそうに食べる姿”なのだと。
「おー、うまいねー、こりゃ鮒ずしより良いかもしれん」
そして、日本酒をキュっと口に含む。
「くうー、やっぱ酒とも合うー! こりゃたまらん! これを食べんなんてもったいないねぇ」
ポンと膝と叩き、顔をほころばせながら緑乱おじさんが言う。
ゴクリとあたしは唾を飲みこむ。
だめだめ、これもあたしとおじさんの作戦なの、欲望に負けちゃだめ! 珠子!
でも、ふたりの天狗さんは負けちゃったみたい。
「う、うん、緑乱殿がそう言うのなら」
「一切れくらいなら、食べてみるった」
作戦成功!
ふたりの箸が鯖なれずしに伸び、口へと運ばれる。
「ほう、これは鮒ずしの味を濃くしたような!」
「おっ、これはちょっと温い! そのせいか匂いが抑えられとるっちゃね!」
「はい、バーナーでちょっと炙りました」
なれずしのような匂いを強い食べ物は、火を通すと少し匂いがやわらぐ。
それでも強いと感じるなら油で揚げると匂いはグッと変わる。
おばあ様があたしに出してくれて最初のなれずしはフライだった。
『初めはこの方が良いじゃろ』って言ってくれたの。
それと同時におばあさまはそのままのなれずしを美味しそうに食べた。
その表情があまりにも美味しそうだったので、あたしも『食べたい』って思ったの。
今回の作戦はそれの応用。
嫌いな物でも、美味しそうに食べている人が隣にいれば、食べたくなっちゃう作戦!
「おお! 緑乱殿の言う通り、酒とも合う!」
「いや、これは困るっちゃ、このままでは茶漬け分が無くなっと!」
鯖なれずしはスゴイ勢いで消費されていく。
「いかがでしたか、鯖なれずしのお味は?」
「いやはや、鯖とはいってもなれずしにすると、あの臭みが全く無くなるの。これなら拙者でも食べられる」
「うむ、太郎坊の所で食べた鮒ずしより鯖の方が好いとうね。火を通したのもまたよい」
「それは良かったです。北陸まで買いに行った甲斐がありました」
あたしが昨日時刻表を見ていた理由はこれ。
「お嬢ちゃんはね、朝から買い出しに行ったんだよ。でもすごいよね。日帰りで間に合っちゃうんだもん」
「人類の叡智! 北陸新幹線の勝利ですっ!」
日帰りで北陸への買い出しはちょっとギリギリだった。
「ふむ、そうかそうか。してどうじゃ豊前坊よ、拙者は鯖をちゃんと食べてみせたぞ」
ふふんと調子に乗った顔で三郎さんが言う。
これで豊前坊さんも参ると思っているのだろう。
だけど、あたしは違うと思う。
「ううむ、それはそうだが……、じゃけんのぉ」
やっぱりそう。
あたしの予想通り、あれが必要みたい。
「いーえ、まだです! まだご飯が残っています!」
「ん? 珠子殿、ご飯は今は関係ないのでは?」
「最後にこれで、ご飯を食べてもらいます!」
そしてあたしは台所から皿を持ってくる。
その上にあるのはお造り。
「さあ! 豊前坊さんの特選食材、関サバのお造りです!」
銀の皮に白い身をたずさえたお造りがテーブルに登場する。
「おー、これっちゃ、これっちゃ!」
豊前坊さんが手を叩いて喜ぶ。
「三郎さんの鯖嫌いの克服の最終決戦です! この鯖のお刺身が食べれれば完勝です!」
あたしは忘れていない。
三郎さんからお願いされたのは『鯖嫌いを何とかして欲しい』だったの。
決して豊前坊さんの鼻を折る事じゃない。
「鯖の刺身!?」
三郎さんが硬直するのも無理はない。
白子や鯖節やなれずしといった変化球ではない。
鯖の直球! それが刺身!
「うまかよ、これ。はやく食べてみんしゃい」
「ええい、ちょっと待たんか。これは……鯖なのか? 色が違ってブリっぽくないか?」
鯖の身は少し肌色というか赤身がかっているのが普通だ。
だけど、この関サバは違うの。
「脂がのっている証拠です。この時期の関サバは脂がノリノリで身が白く見えるのです」
「そうっちゃ、そうっちゃ、この関サバは一味違うとよ」
あたしと豊前坊さんがノリノリで言う。
「そうか、なら、覚悟を決めて」
醤油にちょこんと身がのると、それだけで脂が広がる。
パクリとひと口で刺身が消えていく。
「うん? これは……? これは!?」
バサッ!
三郎さんの目が見開かれ、翼が広がる。
「これは本当に鯖なのか!? 口の中でとろける脂と身の旨み! 臭みなど全くないぞ!」
「そやろ、そやろ、うまかろ」
「うまい! そして、ご飯が進む!」
お造りでご飯……それは陸と海のマリアージュ。
おのれ! 勤務中でなければ!
「三郎が鯖を好かんくなったのは、鯖が悪かったとよ。美味い鯖を食えば、一気に解決っとね」
「三郎さん、豊前坊さんはね。あなたのためにこの関サバを全速力で運んでくれたんですよ」
「気づいとっとか!?」
あたしの言葉に豊前坊さんが少し驚きの声を上げる。
「鯖の鮮度を見ればわかります。あれは死んでから数時間しか経っていません。おそらく船釣りで取れた関サバを持って全力で飛んで来たのですよね」
蒼明さんはマッハで走れる。
八大天狗のひとりなら、マッハで飛べてもおかしくない。
「そうなのか!? それでいつもと違って時間ギリギリに来たのか、拙者のために!?」
「べ、べつに三郎のためじゃないっとよ! 八大天狗マイナー組に鯖が弱点のヤツが居てバカにされるのが嫌だからっちゃよ!」
うーん、ツンデレ天狗。
「三郎さんから聞きましたよ『最高の鯖を用意してやるけん、楽しみにしちょれよ』って言ったそうですね。もう、素直じゃないんですから」
天狗さんは日本を代表する妖怪だと聞いたけど、少し可愛らしい所もあるじゃないの。
「だから、ちがうって言っちょるやろ!」
豊前坊さんは必死に否定するが、その顔に照れがあるのは隠せない。
「まあ、そういう事にしとこう。今度は信州に遊びに来るといい。お礼に山の幸をご馳走するぞ。なんなら、九州までマッハに届けに行ってもよいぞ」
「ふん、楽しみにしちょるよ」
そう言ってふたりは関サバに舌鼓を打つ。
食事の喜びはいくつもある、味の喜び、知る喜び、そして一緒に食べる人の優しさに触れるのは何よりも喜ばしい事なのだ。
うん、天国のおばあさま、今日もみんなはハッピーエンドです。
「いやー、しかしこの関サバはうまいねぇー。おや、無くなっちまったぞ。お嬢ちゃんおかわり!」
『鯖は足が早い』それは腐りやすい事を示した格言。
だけど、この場面では無くなるのが早いという方が適切かしら。
「ええと、それは……それが最後でして」
あたしは、冷や汗を流し、目線を上に逸らしながら言う。
「おや、もう少しあったはずっちゃけど」
「ん?」
「ん?」
豊前坊さんの発言に三人の視線があたしに集中する。
「ええと、みなさん『天使の取り分』というのはご存知ですか?」
「ん、それはワインを樽で熟成する時、蒸発により入れた時より中のワインが目減りしてしまう事であろう。それがなにか?」
三郎さんが『天使の取り分』について説明する。
「それと同じ事がこの『酒処 七王子』でも起きるんです! その名は『天狗の取り分』といって、食材がいつの間にか目減りしてしまう怪奇現象ですっ!」
もちろんあたしの創作である!
「ぷっ、ふはは! そうか! 天狗に取られたか!」
「いや、ははは! ここには可愛らしい天狗もいるっちゃね」
「いやー、天狗だったらしょうがないねぇ」
三郎さんも、豊前坊さんも、緑乱おじさんも口を押えて笑っている。
「そうです! 天狗じゃー! 天狗の仕業じゃー!」
そう言いながら台所に逃げ込むあたしの背中から、みんなの笑い声が聞こえた。




