日の出と百鬼夜行
◆◆◆◆
「まったく、最初から女の命を救うためと説明すればよかったものを。とんだ勘違いをしてしまったではないか」
腕を組み少し怒りの顔を浮かべながら八岐大蛇は言う。
「勘違いとは?」
「お前らが来た理由。てっきり朕の浮気を止めに来たのだと思ったぞ。『八稚女の妹だけでは飽き足らず、人間にまで手を出すのですか!?』と母に言われてな」
「浮気を止めるために息子を使って百鬼夜行を起こすなど……」
ありえない。
黄貴はそう言葉を続けようとしたが、母との再会の記憶が、ありえるかもと思い直させた。
「ありえそうだろ。それでお前らは朕の牙を折って間抜けな顔になるように仕向け、人間の女を幻滅させようとしたのだと勘違いしたのだ。まったく、おかげで約束の夜這いに遅れてしまったわ」
「……約束の夜這いとは」
「なんだ知らないのか? 今の人の貴族の間ではそういうのが流行ってるんだぜ。和歌とかも添えて手順を踏んで夜這いってな具合にな。具合がいいのは大好きだ」
止まぬセクハラ発言に百鬼夜行の女たちは辟易した顔を浮かべる。
「ともかく、用は済んだな、な?」
念を押すような八岐大蛇の圧に、一同は首を縦に振る。
「なら、朕は行くぞ。やっと玉姫ちゃんから了解の和歌がもらえたのだ! さあ! 一発ヤって餅を食うぞー!!」
かつて最強と称された妖怪王。
百鬼夜行すら凌駕する強さを備えた、八岐大蛇は、そう言い残して酒呑童子の母、玉姫が待ちくたびれている館へと駆けていった。
「思ったより愉快な義父さんやね。なぁ、酒呑」
「母様はいったいあの男のどこに魅かれたというのだ……」
「素直に好きって口と態度で示してくれるとこやない? 酒呑みたいに」
「そうか、そうなのかぁ?」
駆けていく先の在りし日の母の姿を思い、酒呑童子は頭をかかえた。
そして、戦いは終わり百鬼夜行最後の”あやかし”が姿を現す。
”日の出”
それは数多くの百鬼夜行絵巻の最後に描かれている存在。
日の出がもたらす光に夜が追いやられるように、百鬼夜行の”あやかし”たちは闇の中へと逃げる。
あるべき世界へと。
「どうやら、あそこが現代へと戻る道のようであるな」
太陽の反対側、そこに残った最後の闇に異常な、いや、異界の気配を感じ黄貴は指さす。
それはあの時、迷廊の迷宮に感じたものと同じ気配。
「じゃ、還りましょ珠子ちゃんが待ってるわ」
百鬼夜行の”あやかし”たちは次々と闇の中に入り、姿を消していく。
そして、おそるおそる橙依が闇に触れた時、彼は、彼の身体だけはその闇にとけていくことが出来なかった。
「……やっぱり」
正確には彼は百物語によって喚ばれた百鬼夜行の一員ではない。
彼は時の彷徨人。
迷廊の果てにこの時代へとたどり着いた異邦人なのだ。
「橙依お前、やっぱり」
「……うん、そうみたい。僕は戻れない。だからこの牙は赤好兄さんに捧げる。そうすれば、きっと持ち帰れるよ」
橙依が祝詞の権能を使って牙に触れると、それは一瞬の間を置いて赤好の胸に納まり、彼の姿が闇に消えるのと同じように牙も闇へと消えていこうとする。
「いいのかよ、お前はそれで。このままだとお前は緑乱のように年と共に老けちまうぞ」
”あやかし”たちの存在の源は伝承に依存している。
伝えられなくなった”あやかし”はやがて現世にその姿を現すことは出来なくなる。
”あやかし”には人間のような死はない。
死んでも幽世で伝承による妖力の補充を受け続ければ、やがて現世に復活する。
しかし、”伝えられなくなった”その時に”あやかし”としての本当の死が訪れるのだ。
橙依に待つ未来は、老化の果ての消滅。
緑乱は八尾比丘尼となることでそれを防いだが、それでも彼の身体は他の兄弟たちと比べ若さを失っている。
「……珠子姉さんのためだから覚悟して僕はこの時代に来た。何とか千年の年を過ごして現代に戻るよ。一歩ずつ」
過去に戻るのは一瞬、だけど未来へ戻るのは千里の道。
橙依の顔にはやり遂げたという達成感と、長い長い歴史の道を進む決意で満ちていた。
「……だから、珠子姉さんのことは赤好兄さんに一任。僕が不在の時に珠子姉さんを悲しませたりしていたら、僕が許さない。その時は僕が珠子姉さんをもらう。いい?」
「ああ、わかった。絶対に悲しませたりしない。俺が珠子さんを幸せにする」
「……ならいい、約束」
おそらく千年以上先の未来まで橙依は存在し続けられないだろう。
これは作戦を立てた最初からわかっていて、それを覚悟の上で彼はこの時代へと跳んだ。
それでも最後まで気丈にふるまう弟の姿を目に焼き付けようと、赤好は真っ直ぐにその姿を見つめた。
ふたりは手を握り合い、別れを告げた。
その手にさらに手が加わる。
彼の友、天邪鬼、覚、雷獣の手が。
「さよなら、僕の親友たち。また、めぐり逢える日を楽しみにしているよ」
「……橙依殿、拙者忘れないでござる」
「おいお前、今、お前は『多分無理だろうけど』って考えているな。だけど俺は違うぜ。俺はコイツと同じさ」
涙を流す雷獣の隣で、覚はトンとさらに隣の天邪鬼を肘で付く。
「俺はお前と絶対に必ずまた逢えるって確信しているぜ!」
「そういうこった。またな橙依。土産話を楽しみにしているぜ」
にこやかに手を振りながら、橙依の親友であり悪友の仲間たちは闇の中へ姿を消す。
橙依の他の兄たちも闇の中に消えていこうとするが、それとは逆に動くふたりの影があった。
「そんじゃ、俺っちは橙依とここに残るわ」
「私もです」クイッ
橙依の兄のふたりが、闇から光の中に降り立つ。
「緑乱!? 蒼明!? どういうつもりだ!?」
「どういうつもりも、俺っちは最初からこうするつもりだったんだぜ。橙依をひとりぼっちにするわけにはいかないからよ」
「私は私のしたいようにするだけです。ここでこうすることが最良だと得心しています」クイッ
「それが何を意味するかわかっていての行動か!?」
ふたりの弟の自殺とも思える行動に黄貴は驚きの色を隠せない。
「わかってるぜ黄貴兄。それに俺っちだって何も考えてないわけじゃねぇ。何とか現代まで楽しく過ごしてみせらぁ」
「私もそのつもりです」クイッ。
「そうか、ならば何も言わん。好きなようにするがいい。だが……」
男の決意に横槍など不要。
ひとりの決意とふたりの意志と尊重するように黄貴は言葉を紡ぎ、
「もし時の果てにまた巡り逢えるなら、『酒処 七王子』に顔を見せにくるといい。どんな姿では我はお前たちを歓迎する」
最後に笑顔を見せると黄貴と百鬼夜行の面々は闇の中に消えていった。
三名の兄弟だけが立ち尽くしていた。
◆◆◆◆
「……ありがと兄さん、残ってくれて。本当は少し不安だった」
「別に貴方のために残ったわけじゃありません。私には私の目的があります。ですが、それには私も未来まで生き続ける必要があります。緑乱兄さんが八尾比丘尼に扮して伝承を残したように隠れ蓑を用意する必要があるでしょう。なんなら橙依君も一緒にどうですか」クイッ
「……そうだね、それもいいかも」
平安の世に残ることを選んだふたりが、どうやって未来まで”あやかし”としての自分を保ち続けようかと相談していた時、残ったもうひとりはフンフフーンフーンと鼻歌を歌っていた。
「余裕ですね、緑乱兄さん。それとも自分はまた八尾比丘尼として生きればいいとでも思っているからでしょうか」クイッ
緊張感のカケラも無い能天気な兄の様子に蒼明が呆れたような声を上げる。
「そんなに心配しなさんなって。俺っちにいい考えがある。あとはやり残しだな。そらっ!」
緑乱が小石を草むらに投げると、「あたっ」と声が聞こえ、そこから狐の少女が飛び出しす。
八岐大蛇を操っていた元凶、コタマモだ。
「ホイッっと、逃がしゃしないぜ」
「はーなーせー!」
尻尾をムンズを掴まれたキツネの少女がバタバタと暴れる。
「……そういえば途中からいなくなっていた」
「父ちゃんが水中に潜った時からだな。さて、こいつどうする? 幽世に送るか?」
己を取り巻く三体の大蛇の重たい視線にコタマモはブルブルと震えだす。
「いや、このまま解放しましょう」クイッ
「いいのかい?」
「ええ、出来る限り歴史は変えない方がいいですし。それに幼い子を殺すのは気が引けます」クイッ
「そっか。橙依君もいいかい?」
その問い橙依は少し考える。
ここで彼女を殺せば歴史は彼の知る歴史に戻るだろう。
その歴史では平成の世に現れた玉藻の分体のコタマモは迷廊の迷宮から過去へ戻り、一連の歴史改変を起こし、自分はそれを修正するために過去へと跳ぶ。
しかし、彼女を殺さず解放しても、もう彼女には歴史を大きく動かすほどのことはできないだろう。
結局は歴史は同じルートをたどることになる。
だったら……。
「うん、放して。でも、もし何か騒動を起こしたなら僕たちが許さないから。”あやかし”は、大蛇はいつでも君を監視」
「わかった! わかった! 絶対にしないから! だから放して!!」
その答えに満足した橙依の顔を見て、緑乱はコタマモを放す。
ピューと音を立ててコタマモは山の中へと逃げていった。
「なるほど、得心しました」クイッ
「何をだよ」
「私の知る歴史の安倍晴明の母、葛の葉伝説では、あのコタマモは葛の葉を名乗り八岐大蛇と共謀して京へ攻め入り、その中で陰陽師と浮気をして安倍晴明を生み、その安倍晴明に父は討ち取られたとなっています。その討伐の過程で大量の命が失われ、中には子々孫々へと続く呪を受けた者もあるとか。その中に珠子さんの祖先も含まれていると。ですが、これは橙依君の知る歴史での葛の葉とは違う。そうでしたよね」
蒼明は考える。
父は本来、暴れ回るような凶悪な”あやかし”ではない。
”女好き”であるがゆえに、その女を生む人間を虐殺したりはしないはず。
もし、唯一、人間を殺そうと暴れ回るとしたら”自分の女の浮気相手”。
おそらく、浮気を知りその関係者を殺そうと暴れ回っていたその時に討伐されたのだろうと。
もしかしたら、浮気相手との子とはいえ、それを殺すと悲しむ女性がいることで牙が鈍ったのかもしれないと。
そして、その予想はこれから消えるはずの歴史の真実でもあった。
「……うん。僕の知る伝説では葛の葉は安倍晴明の父、安倍保名が助けた白狐。優しい母」
「つまり、どういうことだ?」
「橙依君は人の世界を優しさを信じたのですよ。あのコタマモはもう”あやかし”の世界では生きていけません。私たちに監視されていると思ってしまうからです。そうすると、人の世界に入るしかなく、その中で人の優しさに触れ、変わるのでしょう。心優しい母に」クイッ
「……そう、玉藻が未来で珠子姉さんに出逢って変わったように、あの子も変わると思ったんだ」
どこまでも甘く優しい、そんな歴史を作りたいと願い行動する弟を見て、蒼明は感心する。
これは、私には出来そうにないことだと。
「さて、お天道様も昇って来たし、そろそろかな」
ウーンと伸びをして緑乱は父、八岐大蛇が消えて行った琵琶湖近くの邑の方向を向く。
そこには満足した顔で歩く、父の姿があった。
「よっ、父ちゃん。いい日だな」
旅人に声をかけるような気さくさで緑乱は人間の姿の父、八岐大蛇に声をかける。
「お前のような出来の悪い息子は知らん。さっきの喧嘩でも一番活躍しなかったようなヤツは朕の息子とも思えぬ。そこのふたりは見どころがある。流石は朕の子」
八岐大蛇の巨体を受け止め跳ね上げた蒼明と、最後に牙を折った橙依を指差し、八岐大蛇は言う。
「まったまたー、俺っちは父ちゃんの息子の中でも最高の孝行息子だぜ」
「そういうのは実際に孝行してから言え。まさか、朕に手を上げなかったからと言うわけじゃないだろうな。朕の息子なら女のためにたて」
自らの股間を指差しグヒヒと笑う父の顔を見て、その息子たちは『男の前でも下ネタかよ』と苦笑い。
「そんなことより策を聞かせて下さい」クイッ
「……どうやって僕たちは未来まで生き続けるの?」
「まあまあ、そう慌てなさんなって。俺っちの策はこれさ」
そう言って緑乱が取り出したのは赤く輝く印章。
「おっ、ヒヒイロカネか。珍しい物持ってるな。だが、朕は食えぬものには興味はな……。おい!? その印は!?」
「さっすが父ちゃんだ。これが何か知ってるってか!」
「おお! お前は最高の孝行息子だ! やっぱ息子はこうでなくっちゃ!」
「だろ! 一緒に楽しもうぜ!」
肩を抱き合い、大蛇の親子は仲睦まじくピョンピョン跳ねる。
「さて、お前らも一緒に行こうぜ。パラダイスな家族旅行によ」
「……まいったな。緑乱兄さんには敵わないや」
兄の心を読み、未来へ戻る作戦を知った橙依はそう言ってハハハと笑う。
蒼明だけが、頭に疑問符を付けていた。




