七王子とゆで卵(前編)
天国のおばあさま、お元気ですか。珠子は死にそうです。
7人の男に囲まれて、あたしは草葉の陰に祈っていた。
「へぇ、こいつが新しい女中か、ふむ、顔はまあまあだな。食べてやってもいい」
声の主は黄金色の髪、クリーム色の瞳を備えた美男子。
原宿を歩けば黄色い声とスカウトが飛んできそうな美男子だ。
名は黄貴、この『酒処 七王子』の主にして、7兄弟の長男だ。
「もう、黄貴兄さんったら、食べるのはこの子の料理でしょ」
フォローしてくれるのは、次男の藍蘭さん、オカマだ。
厚めの化粧をしているが、その顔立ちは妖しい魅力を兼ね備えている。
化粧をナチュラル系に変えれば女の子にモテモテだろうに。
うーん、もったいない。
「うん、なら性的な意味で食べてしまいましょうか。そう、うなじからかぶりと」
「うぴぃ!?」
首筋に息を吹きかけられ、あたしは素っ頓狂な声を上げる。
「うん、思った通り初物だね。これはおいしそうだ」
「おいしくないです! おいしくないですから!!」
あたしの乙女の秘密を当てたのは赤好さん。
三男で赤い髪とすらりとした長身のイケメンだ。
「いいねー初物、おじさんは乳と尻と太股で楽しませてもらおうか。いやー酒が進むなー。ういっく」
外国映画でよく見る平たい容器から酒を直飲みしているのは緑乱さん。
四男で無精ひげと酒臭い息をしている。
「あれー、お嬢ちゃんもお酒が飲みたいのぉ? おじさんの人肌で温めたスキットルのブランデーが飲みたいのかなー?」
ああ、あの平たい容器はスキットルって言うのか。
兄弟だけあって顔つきは似ている。
キリッとした表情を見せれば美壮年と言われてもおかしくないのに……台詞で台無しだよ。
「色ボケ兄貴たちは『赤毛のアンアン』でも読んでひとりで楽しんでなさい。私はその綺麗な瞳を頂きましょう。ああ、DHAでますます賢くなってしまう」
メガネをクィと持ち上げて不穏なセリフを言っているのは五男の蒼明さん。
他の兄弟たちが長めの髪型をしているのに、蒼明さんだけは短く刈り上げていて前髪がちょっと上を向いている。
顔全体の輪郭が見えるとわかる。
この人も相当な美青年だ。
「……鎖骨」
ボソッと呟いたのが六男の橙依君。
オレンジ色の前髪で片目が隠れるような髪型をしている。
色白でダボダボのパジャマを着ている。
だけど、その瞳は力強く、下から舐めつけるような目でこちらを見ていた。
「もう兄さんたち、おねぇちゃんをからかい過ぎ。ボクは大丈夫だよおねぇちゃん。ちょっと吸わせてもらうだけだから。たぶん死なないよ」
あの……あなたが一番ヤバイ事を口走っているのですが。
吸うってどこを!?
唇? 胸? それとも下腹部ですか!?
幼さを残す体系と容姿をしているのが七男の紫君。
その容姿は思わず愛でたくなるくらい愛らしい。
この顔でトリックオアトリートって言われたら、女性の9割はトリックを選ぶだろう。
あたしは今、7人のイケメンに囲まれている。
世間一般から見ればうらやまけしからん状況と言われるかもしれないが、それは違う。
正確にはメンではない。
この7人はヒトならざるモノ。
いわゆる”あやかし”と呼ばれるモノなのだ。
◇◇◇◇
話は昨日にさかのぼる。
あたしは無職になっていた。
あたしは昼間っから居酒屋で酒を飲んでいた。
こんな時間にあたしの相手をしてくれるのは高校時代からの親友アスカしかいない。
「そりゃ殴ったのは悪かったわよ。でも先に手を出してきたのはあのクソ上司なんだから」
そう言ってあたしは愚痴をこぼす。
あたしが勤めていた会社はいわゆるブラック企業で、パワハラ・セクハラは当たり前。
それでも何とか我慢していたの。
でも、手を出された時点で『何もかもぶち壊してもかまわないからこのクソ野郎をぶちのめしたい』あたしの頭はそれで一杯になった。
「んで、殴り返して、逆上してきた上司を背負い投げで床に叩きつけたんだ」
「しょうがないでしょ! あたしはか弱い女の子なのよ! 理と技と武で対抗しないと!」
あのクソ上司を殴り返せば逆上して襲ってくるのは目に見えている。
そして、それを予想していれば相手の力を利用して投げ飛ばすのは容易なのだ。
少なくともあたしにとっては。
「その最後の武が問題なのよ。投げ飛ばした後、倒れている相手の下あごを踵で踏み抜く? ふつーやんないわよ」
「いやいや、踵は人体で最も硬い部位よ! 男を相手するのに女の武器を使わなくてどうするの!?」
「踵は女の武器じゃないわ!」
ぐぬぬ、反論できない。
「それで、哀れな上司は下顎の骨を折って、歯も3本折れたのよね」
「3本じゃないわ、4本よ。あ、ストロンガーGおかわり」
少なくとも『クソ野郎をぶちのめしたい』という望みは叶った。
大きな代償を支払って。
「それで喧嘩両成敗という名目でふたりとも解雇されたのね。まー事情から被害届を出されなくて良かったじゃない」
「良くない! 悪いのはあのクソ上司よ! あたしが、無職に落ちたのも、彼氏がいないのも、税金の取り立てが厳しいのも、全部クソ上司のせいよ!」
あたしは運ばれてきたお酒をくびくびと飲む。
アスカは税金の取り立てが厳しいのはクソ上司のせいじゃないと思うな~という表情をしている。
「でも、これからどうするの? 再就職のあては?」
「ない~、アスカたすけて~、」
巷では好景気という話もあるが、あたしの周りではそうでもないらしい。
「う~ん……、珠子、あなたお酒好きよね」
「はーい、らいすきれーす」
少し酔った
「家事や料理もそれなりよね」
「家事百般から料理千般まで、肉じゃがやらステーキやら、男受けが良さそうな物は一通りマスターしたわよ~」
食べさせる相手はいない。
「うんうん、見たところ霊力もまずまずだし、これなら大丈夫かも。わかったわ、あたしが紹介してあげる」
そう言ってアスカは一枚の紙を取り出した。
そこには『酒処 七王子 料理人兼ウェイトレス大募集』と書かれていた。
報酬はかなり高額だった。
◇◇◇◇
きちゃった……
翌日の午後、あたりはアスカから紹介された居酒屋に来ていた。
うーん、改めてみると怪しい。
八王子駅から徒歩30分、決して立地が良いとは言えない。
『酒処 七王子』はそこにあった。
おちん〇んには勝てなかったよ……
金に釣られたわけじゃない、そう思いたい。
あたしは『七王子』の暖簾をくぐる。
「いらっしゃーい、かわいいお客さん1名ね」
カウンターの奥から声が聞こえた。
客はいない、あたしだけだ。
うわっ、綺麗な人。
あれ? でも声が野太い?
「あの、求人の紹介を受けて来たんですけど」
「ああ、あなたが珠子ちゃんね。話は聞いてるわ」
やっぱりテナーボイスだ。
「アタシは藍蘭。この店の経営者のひとりよ」
「初めまして、珠子です」
「いやーん、かわいい子ね。よしっ合格! さっそく働いてもらうわ」
やった! これで再就職完了!
「と、言いたい所だけど、ちょっと霊力不足かしら」
あれ?
「料理と接客には自信があります!」
「うーん、そうは言ってもねぇ。あなた、気づいてる?」
気づいてはいる。
でも口にしたくはない。
「綺麗なあなたが、実は男の人って事ですか?」
言っちゃった。
「んまっ! お上手! そんな国家最高機密級の秘密を知っているなんて、これはただで帰すわけにはいかないわね」
そう言って藍蘭さんはカウンターを飛び越えてあたしに抱きついて来た。
近い、顔が近いって。
「バカ言わないで下さい藍兄さん。そんなバカな娘は市井に返すべきです」
カウンターの奥からもうひとり青年が現れた。
メガネ男子だ。
「お言葉ですが、こう見えてもあたしは結構賢いのよ」
嘘じゃない、学校の成績は良かったのだ。
ふぅ(メガネクィ)
「そういう賢さではありません。身の振り方を言っているのです。本来ならあなたはションベンを垂れ流しながら命乞いをしててもおかしくないのですよ」
えっ!? なんでそうなるの!?
「んまっ、お下品! 蒼明ちゃん、そこは上品にお小水って言いなさいよ」
いや、そこが問題じゃないでしょ。
「珠子さん、本来ならあなたはお聖水を垂れ流しながら命乞いをしててもおかしくないのですよ」
上品なようで下品になった!
「あら、聖水なんて”あやかし”が言う台詞じゃないわね」
「ここは日本ですから」
あやかし!?
妖怪とか幽霊とか超常現象の別名よね。
「あら、さすがに気づいたようね」
気づいていません。
「ここまで言って理解出来てないようだったら逆に大人物ですね」
「ういーっ、おじさんは大人物だいすきだよ~、あだるとたっちで~」
むにょん
どこからともなく現れたオヤジに背後から胸を揉まれた。
「ぎゃー!!!?」
ボゴン
あたしの裏拳が命中した音だ。
「あててー! これは手厳しいっ! おててだけにっ!」
ちょいと千鳥足になって、そのオヤジはたたらを踏む。
「もう、緑乱ってば、昼間からお酒はほどほどにね」
藍蘭さんがオヤジに声をかける。
あのオヤジの名は緑乱と言うらしい。
「うーん、これもしゅぎょーしゅぎょー」
そう言って緑乱さんは椅子に座ると再びお酒を飲み始めた。
「さて、珠子ちゃん。もうわかっているでしょうけど、ここは昼間は普通の居酒屋兼バーだけど、夜になると様変わりするの」
「そうです、夜になると人外のモノが集まる”あやかし酒場”になります。そこでの給仕は人の身では耐えられないでしょう」
あやかし酒場!?
なにそれ聞いてないよ!?
でも……
「大丈夫です! ここで働かせて下さい、お願いします!」
あたしにはお金が必要なのだ。
「ふぅ……しょうがないですね。これでも、大丈夫って言えますか?」
蒼明さんがメガネをクィと押さえると、店の雰囲気が変わった。
蒼明さんを中心に黒いオーラのような何かが見える。
いや、感じる。
やばい、ヤバイ、これやばやばヤバヤバYABAYABA。
これは漏らすわ。
七王子とゆで卵(中編)
人ならざるモノの圧。
あたしは昔からそういったモノを感じる事はあった。
怪奇現象に遭遇した事もある。
でも、これは格が違う、存在そのものの格が違う。
「ちょっと蒼明ちゃん、出し過ぎ! そんなに出したら珠子ちゃんが壊れちゃうわ!」
藍蘭さんが止めてくれなかったら、あたしは逃げ出していただろう。
正直、逃げ出したい。
「ごめんね珠子ちゃん。でも蒼明ちゃんの言う通りよ。あなたでは少し厳しいと思うわ」
藍蘭さんの言う通り、きっとあたしでは藍蘭さんの言う力が足りないのだろう。
でも、あれを見ちゃうと……逃げ出せない。
あたしが見たのはテーブルに載っていたナポリタン。
茹で加減もいいかげん、見ただけでわかる雑な仕上がり。
きっと調理したのは多分蒼明さん。
彼の着ているエプロンからただようケチャップの香りがそれを確信させる。
そして、それをモムモムと口にしながら酒を飲んでいる緑乱さん。
炭水化物と酒の組み合わせがダメとは言わない。
だけど、良い酒には良い料理が必要だ。
「いいえ、ここにはわたしが必要です。特に料理に関しては」
お酒が上物なのは匂いで分かる。
あたしは鼻が利くんだ。
「大した自信ですね。まあ、逃げ出さないだけでも褒めてあげましょう。しかし、このお店の料理は美味しいだけじゃなくて、お客の好みに合わせないといけません。正体を隠す”あやかし”だって来ます。そんな方の好みに合った料理が出せると言うのですか?」
「出せるわ!」
確信があるわけじゃない、勢いだ。
あたしと蒼明さんの視線が火花を散らす。
「ふぅ、わかったわ。じゃあ、こうしましょ。珠子ちゃんはあたしたちの好きそうな料理を作ってくる。それをあたしたちが気に入れば珠子ちゃんの勝ち。実力を認めて雇う、どう?」
「負けたら二度とここには訪れないでもらいましょう」
「わかったわ」
あたしはうなずいた。
「んじゃ、逢魔が時に待ってるわね。それがウチの夜の部の開店時間よ」
大体4時間後ね。
ここから、あたしの家まで約1時間だから調理に2時間くらいか。
十分だわ。
「わかったわ。じゃあ、ちょっと家で調理してくるわ」
あたしは扉に手をかけて、立ち止まる。
「ねぇ、ひとつ質問していい?」
「いいわよ、なぁに?」
「あなたたち兄弟のお母さんの名前を教えてくれない?」
ピクッ
蒼明さんと緑乱さんの体がちょっと硬直したのがわかる。
やはり、彼らの正体は……
「名なんてないわ、ただの乙女よ」
その言葉が聞きたかった。
「うぃー、おじさんは女体盛りだったら合格させちゃうぞ~」
あのオヤジは無視しよう。
◇◇◇◇
ここまでが昨日から数時間前までのお話し。
そして、あたしが再び『酒処 七王子』を訪れた時、待っていたのが7人のイケメンだったわけ。
いや、”イケあやかし”かな?
はい、予想通り。
そりゃ『七王子』って看板を掲げているなら7人いるって予想出来るってものよ。
「さて、紹介するわアタシの兄弟たちよ。まずは長男の黄貴」
「ふん、久しぶりに呼び出されてみたら、とんだ座興よな。娘、料理で楽しませられないなら、その肢体をもって我を楽しませろよ」
うわー、いかにも王子って感じ。
黄金色の髪と切れ長の目、整った顔立ちは高貴さを感じさせる。
「次に三男の赤好」
「ハーイ麗しい珠子さん。今度はふたりっきりで君の手料理を食べたいな」
い、いきなりアプローチしてくるのがこの人なりの挨拶なのだろうか。
兄弟の中で最も長身、だけどすらりとした体形がゴツさよりもスマートさを現わしている。
そう、軽めのヒーロみたいに。
「つづいては四男の緑乱よ」
「またまたしつれいしましたっ、お嬢ちゃん。おじさんの事はわたしのあれながおじさんとでも呼んでちょーだい。あれ? あしながだっけ? まーいーや、おじさんわかんらーい」
昼から飲み続けているのだろうか、緑乱さんはすっかりへべれけだ。
身なりを整えれば、美壮年で通りそうなのだが、いかんせん言動が悪い。
「五男の蒼明ちゃんは昼にも逢っているわね」
「いつもこのダメ人間の後に紹介されるのは心外だが、兄弟の中で一番賢く、一番まともなのが私だ。そして、一番”あやかし”に近いのもな」
もはやルーティンなのだろう。
メガネをクィとするポーズで蒼明さんは言った。
「次は年少組ね。六男の橙依ちゃん。ほら、ごあいさつ」
そう言って藍蘭さんの横から出て来たオレンジ色の髪の少年。
「……よろしく」
橙依と呼ばれた少年は一言だけ発して再び藍蘭さんの陰に隠れていった。
「橙兄ちゃんは人見知りだからね。ボクは違うよ、おねぇちゃん、よろしくね」
わたしの手がぎゅっと握られる。
「その子が七男の紫君よ。ちょっとおしゃまな男の子よ」
おしゃまって単語すごく久しぶりに聞いたわ。
でも、あざとい、あたしにはわかる。
この子、あざとい。
自分が可愛いって知っているあざとさがある。
「そして、ワタシが次男の紅一点、藍蘭よ。女の子同士仲良くしてね」
うーん、重低音。
それ以外は完璧なのになぁ。
いや、はだけた胸の胸板もなければ完璧なのに。
いやいや、筋肉質の二の腕と太股もなければ完璧かもしれない。
つまりは……オカマさんよね。
「はい、スリムな藍蘭さん。体脂肪率が低そうでうらやましいです」
「あらっ、言うわねこの子、嬉しいわ。でも藍蘭さんではなく、藍ちゃんって呼んで。もっとフランクに~」
「わかったわ、花のように華憐な藍ちゃん」
「あら、うれしいわ~、もう合格にしましょ」
そう言って蘭ちゃんがあたしにほおずりしてくる。
近い、近い、ゼロ距離!
そして、あたしは7人のイケあやかしに囲まれて冒頭に至るのである。
◇◇◇◇
「さて、本題に移るわよ! この珠子ちゃんの持ってきた料理をアタシたちが気に入れば合格。この『酒処 七王子』の料理人兼ウェイトレスとして雇うわ」
「逆に気に入らなければ、早々にお帰り願おう。お帰りはあちらだ」
そう言って蒼明さんは出口を指差す。
「なるほどね、お持ち帰りという事か。それもいいね、いい感じだ」
「テイクアウトでお外でおいしく頂いちゃおー!」
えっ!?
なにそれ!? 聞いてないわよ!?
「なにそれ! そんな事、言ってないわよ!」
藍ちゃんが驚きの声を上げる。
「約束はこの店の中まで。その外の事までは私は知りません。知る必要もないでしょう。だから昼の内に帰れと言ったのです」クィッ
こいつの仕業か。
「よいではないか、要はこの女中が我らの舌を唸らせればよいだけの事。その自信があるから、ここに来たのであろう」
黄貴さんの言う通りだ。
あたしは自信を持ってここに来ている。
その自信の源は、この重箱の中だ。
「そうです。これがあたしのあなたたちへの料理です!」
あたしは丸テーブルの中心に重箱を置くと、その蓋を開く。
そこからは花のような、甘いような、そんな香りが広がった。
重箱の中には純白の世界が広がっている。
「これってゆで卵!?」
「そうです、ゆで卵です。さあどうぞ、召し上がれ」
そう言ってあたしは重箱の中に手を突っ込む。
あつう。
この重箱は二重構造になっていて、下の段にカイロを入れているのだ。
だから、今でも温かい。
そして、あしたはそこからゆで卵を取り出して7人に渡す。
その時、ちゃんと鼻を利かせる事を忘れない。
各々に合ったゆで卵が7種類あるのだ。
「ふむ、ただのゆで卵に見えるが……」
「ああ温かい、珠子さんの温度を感じる」
「おじさんはね、卵がだいすきなんだよ」
「ふむ、少々は出来るようですね」
「……たべる」
「あまーい」
「まあ、食べてみましょ、あーん」
思った通りね。
そして6人はゆで卵を口にする。
大口を開けて丸のみで。
フライングが約1名いた。