歴史改変と時間跳躍(タイムリープ)
◇◇◇◇
歴史改変……、それは小説、映画、アニメ、漫画等々、古今東西数多くの創作でテーマとなった事象。
だが、第三者が歴史改変に巻き込まれた時、それを認知するのは、まず不可能。
それを認知出来るのは当事者のみ。
だから、この時点で橙依がそれに気づいたのは、奇跡とも言っていい偶然の産物。
いや、それこそが数多くの”あやかし”を幸せにしてきた珠子という料理人が受けた加護によるものだったのかもしれない。
「……これが僕の知っている全て」
少年は語った、彼の知る歴史と自分が珠子と出逢ってから起きた全てのことを。
「なるほど、我の認識の違いはふたつ。ひとつは歴史の中で一時的に平安京が八岐大蛇と葛の葉の支配下におかれたこと。ふたつは現代で珠子が八岐大蛇の呪に侵されていること。他の者はどうだ? 我と同じ認識か?」
黄貴が周囲を見回すと、そこに集まった”あやかし”のほぼ全てが肯定の意を示した。
例外はひとり。
橙依の親友のひとり、覚の佐藤。
「表向きの違いはそのふたつで合ってるけどよ、もひとつ心の中が違うぜ。俺の知る珠子の姉ちゃんはずっと気にしていた。その呪のことをな。自分に残された時間が少ないことを感じながら必死に八稚女の行方を捜していた。危険を顧みない行動をしていたのはそのせいだ。俺と橙依は心で口止めされて、橙依も涙を飲んでそれを受け入れていた。だけどよ、今の橙依は違うぜ」
覚の話を聞く者の中には『なぜ、ひと言、俺に相談しなかったんだ』と言いかけた者もいたが、その心が音になることはなかった。
今は渦中の少女を救うことが何よりも優先と考えたからだ。
覚の補足を受け、黄貴が口を開く。
「橙依よ、ひとつ確認したい。ここ最近、あの日をもう一度を使ったことは?」
「……ある。虹の橋を渡って母さんの所へ行った時」
橙依の答えに「ふむ」と黄貴は頷くと、視線を得心の権能を持つ弟の蒼明へと移す。
その瞳は、『こういうのは其方の領分であろう』と物語っていた。
「なるほど、得心しました」クイッ
兄の期待に応え、蒼明は眼鏡の真ん中のブリッジを抑える。
「なにがだよ?」
「なぜ橙依君だけが歴史改変の影響を受けていないか、です」
蒼明は立ち上がると、本日のおすすめメニューが書かれてあるホワイトボードを消し、そこに一本の矢印を引く。
「これが歴史の流れだと仮定しましょう。こちらが過去、こっちが未来です。そしてこの〇が現在。歴史改変を行った者が過去に跳んだ起点を◇。着地点を◆とします。ここから誰かが過去に行って何かを行った模式図です」
蒼明は矢印の中に○と◇と◆を描き、◇から過去の◆の地点へとカーブの矢印を描く。
「これが現在から過去に誰かが遡行し、何かを行った模式図になります。この過去の◆で行われた出来事の影響を現在では橙依君を除く全てが受けています。こんな風に上書きされたと表現しましょう」
◆の地点から矢印がギザギザの波線によって塗りつぶされていく。
「本来なら、橙依君の認識もこのようにギザギザに塗りつぶされるはずでした。ですが、今の状況を考慮すると私の仮説では……」
そこまで言って蒼明は身体の向き正面に向き直す。
「私の仮説では歴史改変が行われるには速度があります。一瞬で千年を塗り変えることは出来ず、今、私がやったように歴史の流れにそって塗りつぶしていくと推察されます」クイッ
「ん? そいつはタイムラグがあるってことか?」
「そう考えるのが妥当です」
「でもよ、それがどうして橙依だけが歴史改変の影響を受けないことになるってのさ?」
その問いに蒼明は眼鏡をキラーンと輝かせる。
「そこで重要なのが橙依君のあの日をもう一度です! 橙依君、君のこの技は過去の自分に今の自分の記憶や経験を転写させる能力ですね」クイッ
「……そう。合ってる」
「そこが私が得心した理由です。もし、もしもですよ、歴史改変のタイムラグの関係で、橙依君が記憶を転写した先の橙依が歴史改変の影響を受けた後だったら、どうなると思います?」フフッ
新に書き加えられた橙色の丸がギザギザの境をまたぐように描かれる。
「……僕ひとりだけ改変前の記憶を持ったままでいられる」
その説明に周囲の”あやかし”から「おお~」という感嘆と納得の声が上がる。
「でもよ。それが今、どういう関係があるんだい? 俺っちが過去へ跳んで父ちゃんから牙を取ってくればいいだけの話じゃねぇか?」
緑乱からの問いに蒼明はクイッと眼鏡を持ち上げる。
「おおありですよ。これで珠子さんを救う方法がふたつ出来たということです。ひとつは八岐大蛇の牙を入手し、それを現代に持ち帰るか、もしくは他者の手の届かぬ所に保管する。もうひとつは過去改変を行った者を現地で説得か討伐する、です。難易度的には……」
「後者の方が容易であろうな。ここに居る殆どの者は知らぬだろうが、父上は最強の”あやかし”。山ほどの巨体、頭は現代ならトラック並。その牙は人の身体ほどもある。我は少しでも助力になるかと思い、女中と縁のある”あやかし”を集めた。ここに居る全員の妖力を橙依の祝詞の権能でひとりに集中させようと。だが、それでも父上には敵うまい。1本の牙を折るのですら至難」
この中で、黄貴だけが知っていた。
父が戦う姿を。
その強大さを。
「そんなにすげぇのか?」
「ああ、万を超す陰陽師と退魔僧と侍でようやく倒せたと伝えられているが、よく倒せたものだ」
いつもは自信たっぷりの黄貴の重たい声が、その父の強大さを物語る。
「わかったぜ。過去に行ったら、まず歴史改変をやったヤツを探すことを優先すらぁ。ダメだったら命に代えても父ちゃんの牙を手に入れて誰かに託すぜ。うまくいきゃ、もうすぐその扉を牙が持ったヤツがノックするようによ。さ、橙依君、俺っちの権能を返してくれ」
「待て。そうはいかぬ」
再び弟に迫ろうとした緑乱をひとりの”あやかし”が遮る。
彼もまた八岐大蛇の子、酒呑童子。
「おいおい、この手はなんだい? 迷廊の権能で過去に跳ぶには、過去の誰かと十分な縁が必要。俺っちなら飛鳥時代のお八の所へ跳べる。お前さんや他のどいつもそんな縁は持ってないだろ」
「俺様をみくびるな。四の兄者。過去へ跳んだとして八岐大蛇をどこで見つける?」
「そりゃ京の都で張るさ。大体の年代はわかっている。900年代だろ」
「なるほど、四の兄者は父と京の都で怪獣大決戦を行うと。それでは多数被害が出るであろうな。珠子の血脈も命を落とすやもしれぬ」
酒呑童子の指摘に緑乱は言葉を詰まらせる。
「なら、おめぇなら、どうするってんだよ!?」
「察しが悪いな。ここに俺様が存在することが父の足跡ということだ。母様と父との逢瀬の時、そこならば確実に父を捕まえられる。平安の伊吹山の外れなら被害は極小で済む。橙依よ、俺様に迷廊の権能をよこせ。母様との縁で俺様が過去へ跳び、父から牙を奪ってみせようぞ」
「待ちな。それなら俺が行く。俺なら阿環さんとの縁で唐代の中国へ跳べる。そこで高力士に成りすましている彼女の助力を仰ぐ。具体的には酒と飯と女を用意して親父を篭絡する。なに時間は十分あるさ」
唐の玄宗が没したのは西暦762年、10世紀初頭とは100年以上の開きがある。
赤好はその時間をかけて、父の牙と交換する十分な対価用意し、穏便に牙を手に入れようと考えていた。
「父がそんなに怖いか。三の兄者は」
「お前が直情すぎんだよ。戦わずに済むならそれにこしたことはないさ。お前もそう思うだろ。橙依。さ、迷廊の権能を俺に!」
「いや、俺様にだ!」
「てめぇら、その権能は元々、俺っちのもんなんだ! 横からしゃしゃり出るなよ!」
ふたりの兄とひとりの弟は珠子を救わんと橙依に詰める。
だが、そこから出たのは否定の言葉。
「……ダメ。僕が跳ぶ」
「跳ぶったって誰の所にだよ。お前さんと縁の深い人間も”あやかし”も居ねぇだろ」
「それに母様と父が逢うた年と場所もわかるまい」
「……ある。僕にはその縁が。それに父さんの浮気現場と日時も把握」
橙依の後ろで覚がサムズアップを決める。
そう、彼は親友の佐藤と協力して酒呑童子の心を読んだ。
酒呑童子の母”玉姫”と八岐大蛇が逢瀬をしていた時と場所は既に彼は把握していた。
「いやダメだ。お前さんを貶す気はないが、父ちゃんと事を構えた時、到底敵うとは思えねぇ」
「だから俺が交渉するっての。俺の架橋の権能はそれに向いている」
「弱腰だな。男なら惚れた女を身体を張って守ってこそ男」
「もういちど迷廊の迷宮を開いてみてはどうでしょう? それなら全員で過去に行けるのでは」クイッ
「あのな、迷廊の迷宮を便利なタイムトンネルだと思うなよ。あんときゃ嬢ちゃんを中心にしたから全員で帰れたようなもんだ。戦えるやつ全員で迷廊の迷宮に入ったら、良くてバラバラ。悪けりゃ半分は彷徨って迷宮に融けちまう。それに歴史が大幅に変わっちまうぜ」
「そうだな。行くとしたら少数精鋭。橙依を中心として我ら兄弟だけで行くのもありか」
「あら、アタシはアリスと一緒じゃなきゃ嫌よ」
「むー、みんなケンカはだめー!」
言い争う大蛇の兄弟を見て、集まった”あやかし”たちは思う。
彼女がいないと、なんとバラバラなのだろう”と。
キィ
言い争う兄弟たちを止めたのは、弱々しい扉の音。
そして、それよりももっと弱々しい珠子の姿だった。
「珠子姉さん! ダメだよ、寝てなきゃ!」
「あんなに騒がれちゃ目も覚めるわよ。大体、話は聞いたわ。あたしを助けるために危ないことするんですって?」
退魔僧の築善に身体を支えられながら、そう問いかける珠子に誰も答えを返さない。
返したら絶対に『止めて』と言われてしまうから。
彼女の性格を知る者たちは、それをよく知っていた。
誰かを犠牲にしたハッピーエンドなんて、彼女は望まないと。
「お願いだから止めて。あたしはもういいの、こうなることはわかっていたし。やるべきことが出来たのだから。それに死神のアズラさんともお友達になれたし、黄泉のイザナミ様とのコネもあるしね」
精一杯、強がっていることがわかる笑顔で珠子はニヒヒと笑う。
「せっかくお母さんたちと再会して、ハッピーエンドロールを迎えたんだもの。隠しボスなんかに挑まなくても、みんなはみんなで、みんなの物語をつむい……、ゴボッ」
「ほら、向こう行くよ。無理だって言ったのに」
大きくせき込んだ珠子を連れ、築善が臨時の寝所へ入っていく。
扉が再びパタンと閉じられると沈黙が周囲を包む。
「……慈道。珠子姉さんは大丈夫なの?」
「大丈夫と言いたい所でありますが、正直に言います。早ければ明日の朝にも、遅くとも3日以内には大蛇の呪いが身体の重要器官を蝕む。その時が最期」
橙依にはわかっていた。
言葉の真贋を見極める能力で。
その言葉に嘘はないと。
「……もう、相談や作戦を考えている暇なんてない。止められても僕は行く」
「『待て』」
決意を胸に権能を集中させ始めた弟を止めたのは兄。
父、八岐大蛇の強さを誰よりも知る男、黄貴。
「……お願い。止めないで」
「ここまで来たなら止めはせぬ。ただ、しばし待てと言ったのだ。策も無しに父上に挑めば返り討ちは必定。父上は男には容赦ない」
「……女装でもして行けってこと?」
その言動と気概は男らしくなっているが、橙依の身体はまだ二次性徴途中の少年。
彼の女装姿を想像して、そのクラスメイトは『ふひぃ』と声を上げた。
「それはひとつの手だが、違う。珠子ならこういう時、『人類の叡智!』と問題を解決するはずだ。我らもそれに倣ってみよう。我に策がある」
「もしかして、料理でパパを懐柔するの? 現代の料理を持って行くとか」
「現代兵器を橙依君の異空間格納庫に入れていくとかですか?」クィッ
「どちらも違う。酒呑童子よ。そなたの母が八岐大蛇と逢瀬を繰り返していた時の周囲に集落はあったか?」
「小さな集落ならいくつもあったぞ。ただ、ひとつの集落では百人にも満たぬだろう」
それを聞いて黄貴は「ならば十分」と手を上げ、お気に入りの扇子を開く。
「……それで、どんな策?」
「これは賭けだ。”人類の叡智”、その真髄を橙依には持参してもらう。それには皆の協力が必要だ」
そして、この『酒処 七王子』のオーナーであり、八岐大蛇の嫡男である男は舞でも舞うかのように集まった全ての”あやかし”たちに手を広げる。
ここに集った者、”全てが主役”であると示さんとばかりに。
「人類の叡智! その真髄とは! ”文字”と”物語”よ!」




