八稚女と七王子と珠子と一期一会の料理(その3) ※全7部
◇◇◇◇
チリン、チリン
扉の鈴を鳴らすと家の中からドタドタと誰かが走る音が聞こえます。
いえ、家ではなく小屋ですね。
ログハウスと言えば聞こえはいいでしょうけど、現代の建築物に比べお粗末過ぎます。
そして、誰かではなくあの足音は私の母さんのものでしょう。
バンッ
「お久しぶ……」
ギュムッ!
「やっと来た! もう、待ちくたびれたわ! あたしのカワイイ、そーちゃん!!」
接触、圧迫、抱擁。
視界は塞がれますが感触でわかります。
胸ですね。
それも、かなり大きい。
「離れて下さい。少し苦しいです」
「えー、そーちゃん、あたしのおっぱい大好きだったのに」
「それは間に合っています」クイッ
私は軽く母さんの肩を押して距離を取ります。
「あら、あたしの他にもおっぱいがあるの。じゃあ……、吸い比べでもしてみる?」
「間に合ってますっ!!」
なんでしょう……、これでも本当に得心の巫女なのでしょうか……。
いや、ある意味そうなのかもしれませんね。
◇◇◇◇
「あのね、あたしずーっと、そーくんに会いたかったの」
「私もですよ」
「それで、そーくんは何をしてるの? それなーに?」
「電子レンジですよ。食べ物を温めることが出来ます」クイッ
持って来た家庭用蓄電池に繋いだ電子レンジがヴゥーンと音を立て、土鍋を温めます。
チーン
「出来ました。フグつみれ雑炊です。安心して下さい。毒の部位は除いてありますから」
土鍋の蓋をあけると、そこからフワッとしたいい匂いが立ち上ります。
「わー、いいにおい。いっただきまあーす」
無邪気な顔で母さんは”フグつみれ雑炊”を口にします。
「うーん、おいしー、とってもいい出汁が出てて、このつみれは特に濃厚なフグの味が出てるわ。でも、フグの毒って取り除けるのね。あたし、初めて知ったわ。神代では、フグを食べて死ぬ人間が多かったのよ」
「種類によって毒のある部位は違いますが、皮と内臓を除いて、筋肉の部位だけを扱えば問題ありません。数千年の人類の叡智がそれを解き明かしたのですよ」クイッ
「そーなんだ。でも、それだけじゃないでしょ。この”つみれ”に骨も入っているよね。うん、コリッとした食感が柔らかいつみれに良いアクセントを加えているわ」
「気付きましたか。そうです、鰯や鯵の身を骨ごと”つみれ”にするのと同じことをしたのです。私はこれを日本最高の料理人に教わりました」
串刺し入道との対決の時に知り合った寿師翁さん。
何かと『酒処 七王子』と縁の深い方でしたが、最初の切っ掛けがフグ対決でしたね。
その時に教わったのがフグの旨味を文字通り骨の髄まで味わえる”フグの骨ごとつみれ”。
作り方は簡単。
骨の一部は雑炊の出汁に、残りの骨を圧力鍋で柔らかくした後に砕いて身と混ぜて”つみれ”に仕立てるだけ。
電子レンジで使える圧力鍋もありますし、温めた雑炊の中に生の”つみれ”を入れて仕上チンで完成。
私も試食しましたが、濃厚なのに端麗で深い、そんな白身魚の柔らかな旨味が味わえる極上品。
素材がフグであれば超極上です。
「母さん、私はこれでとある人との料理対決に勝つつもりです。賭けをしているのですよ、私と彼女は」クイッ
「知ってるわ。珠子ちゃんでしょ」
「ご存知でしたか」
「櫛名田がね事前に伝えてくれたの。ざっくりとは知っているわ。とても魅力的な人みたいね。そーくんだけでなく、他のおいっこたちにも好かれているようだし」
そこまで伝わっていたのですか。
なるほど、虹の橋が架かった時、私達兄弟は橋へと歩みを進みましたが、クシナダは珠子さんたちと残っていました。
ひょっとしたら、私達が到着するより早く、念話か何かで連絡を取っていたのかもしれませんね。
「それで、そーくんはその珠子ちゃんに勝ってどうするの?」
「手籠めにします。具体的には子作りを」クイッ
ブーッー!
「冗談ですよ」クイッ
「そ、そう、それはよかったわ」
ゴホゴホとむせる母さんの背中をトントンと叩きながら私は言います。
「本気だったのは最初だけです」クイッ
ブブーッ!!
おや、意外と母さんは堪え性がありませんね。
「最初は料理対決に勝って、既成事実、あわよくば孕ませて、責任を取る形にすれば彼女をハッピーエンドにもっていける。いや、してみせると思っていました。でも、その考えは改まりました。今は純粋に彼女の本当の幸せとは何かと考えています」クイッ
「そ、そうね。そこは父さんと違うわね。途中までは同じみたいだけど……」
私の方をチラッと見て、軽く溜息を吐いた後、母さんは”フグつみれ雑炊”の続きを食べました。
◇◇◇◇
「まったく、あんなに可愛かったそーくんが、どうしてこんな風になっちゃったのやら」
「先生が良かったのでしょう」クイッ
雑炊を食べ終えた母さんが私に向かって少し不満そうに口を開きます。
どうやら、別れた時とのギャップに困惑しているのでしょう。
「私がここに来た目的は3つです。ひとつは母さんの無事を確かめること。ふたつは”フグつみれ雑炊”の感想を聞くこと」
「ふたつは叶ったね。おいしかったわ。その珠子ちゃんの料理がどうかはわからないけど、あたしが審査員だったら、そーくんの勝ちに入れるわよ」
「それはよかった。ですが、みっつめ、母さんが、いや他の母親を含めた八稚女がどうして私たち兄弟を封印しなくてはいかなかったのか。そこに得心を得たいです」クイッ
「そんなの、もうほとんどわかってるでしょ。そーくんはあたしの子。”得心の権能”を継いでいるんだから。あたしはそーくんを愛しているんだから。これが答えよ」
”愛している”
その重要な言葉を素気なく母さんは言いましす。
わかります、その気持ち。
再会した時の母さんの態度は私が寂しさに泣きそうだった時、強がっていた時に似ていますから。
わざと明るく、時にはバカにも思える言動で本心が表情に出ないようにしているのでしょう。
やれやれ、やっぱり親子ですね。
でも、おかげで得心しました。
「わかりました。おそらく神代のあの時、私たちを封印しないと母さんや私たちの身が危険だったのでしょう。だからですね」クイッ
「どうかな? その答えでいいの?」
「違いましたか?」
「8割は当たりよ。でも、ちょっとだけ違うんだなこれが。でも、教えてあげない。そーくんも”得心”の権能を継いだんだったら、自分で考えて」
「宿題ということですか」クイッ
「そうよ」
ちょっと意地悪そうな顔で母さんはフフフと笑いました。
「わかりました。では、そろそろ帰ります」クイッ
「えー、もう帰るの。ちょっとつまんないな。もっと甘えてくると思ってたのに」
「童心に帰りたいという気はありますが、宿題と門限がありますから」クイッ
「あら、子供みたい」
「子供ですよ、私は。だから、こういうことだってしてしまうのです」クイッ
私は母さんをギュッツと抱きしめ、ハグをし、見えない角度で眼鏡を外し、数秒後にまたかけ直しました。
母さんは私の背中を優しくなで「次はこういうことは彼女にしなさい」と言いました。
◇◇◇◇
「でー、そーくんは帰る前に何やってるの?」
「ソーラーパネルと電池の設置です。これでここでも電源が使えるようになります。終わりました」クイッ
配線を終え、ログハウスの中にコードを引き込んで私は母さんに向き直ります。
「そんなことしなくてもいいのに。あたしはそーくんが来てくれればいいんだけどな」
「また来るためですよ。次も美味しい料理をご馳走します。好きなものとか、欲しいものとかはありますか? 私は……、もっと母さんのことが知りたいです」クイッ
「やったあ! じゃあ、いっぱい書くね」
母さんはそう言うと、ズラズラと紙に文字を書き連ねます。
「うん、これでよしっ! じゃあ、お願いね」
渡されたのは何十枚もの紙に書かれた数百はありそうなリスト。
桃、栗、枇杷に鯛や鰻、舞茸や椎茸といった食べ物だけではなく、亜麻色の布や綺麗なネックレスまで、それは多彩でした。
なるほど、得心しました。
これが母さんの好きなものですか。
私は紙をめくり続けます。
そして、最後の一枚をめくった時、そこには……。
”そーくん”
可愛らしい文字で、そう書かれていました。
「仕方ありません、次回、このリストのいくつかは持ってきましょう。特に最後のものは忘れずに」クイッ
母さんはとっても嬉しそうな顔で微笑みました。
◇◇◇◇◇
おーう、夕日が綺麗だねぇ。
虹の端に縁側のように座って俺っちは天空からの景色を眺める。
枕草子にあるように、風情のある日没ってのは秋ってのが相場ってものだが、夏もいい。
酒を飲みながら暇をつぶす景色としては上出来だ。
俺っちは、いや小さい俺っちは今頃母ちゃんに甘えているんだろうな。
家が見えたら俺っちのことなんて気にもせずに走っていきやがった。
でも、これでいい。
俺っちは所詮、この歴史の異邦人、いや異邦あやかしだからよ。
「おや、こんなとこに居たのかい。放蕩息子」
「この”虹の橋”からは眺めがいいからな。放任母ちゃん」
「言うようになったねぇ」
その語尾は憶えている。
幼かった俺っちが毎日のように聞かされていた言葉だ。
『かわいいねぇ、緑乱は本当に可愛いねぇ』って。
俺っちは無意識のうちに使っていたみたいだが、そっか……、やっぱ母ちゃんが母ちゃんだったってことかい。
「話は末の妹から聞いたよ。あんたは迷廊の迷宮を抜けて過去へ戻ったんだって?」
「ああ、惚れた女を幸せにするためにな。カッコイイだろ?」
「カッコイイねぇ。惚れ惚れするよ。いい子いい子」
母ちゃんはそう言って俺っちの頭を撫でる。
これも随分久しぶりだ。
「おや、喜びも照れもしないんだねぇ。あっちの子は満面で喜んだってのにさ」
「そういうのは随分前に卒業しちまってね。今の俺っちが喜ぶのはこれさ」
ガラスの猪口を掲げ、そいつをグビッと飲むと甘さと旨さがガツンと喉に流れ落ちる。
「へぇ、うまそうだねぇ、あたしにも分けとくれよ」
「いいぜ」
母ちゃんのために用意したグラスを渡し、琥珀色の液体を注ぐと母ちゃんはそれをグビッと一気に飲み干す。
「おっ、いけるやん! これってあれさ、八塩折之酒に似てるねぇ」
「八塩折之酒ってじいちゃんとばあちゃんが造るのが得意だった酒のことかい?」
「そうそう、うん似てる。旨いねぇ」
「こいつは貴醸酒ってのさ。八海山の貴醸酒。水の代わりに酒で仕込んで造る酒さ」
「おや、そりゃ八塩折之酒と同じだね。八海ってことはこれも八回も仕込んでいるのかい」
「そこまではしないよ。昔、八回仕込みのやつも呑んだことがあるけどさ。俺っちには甘すぎだ。こっちの方がいい」
「神代の時は甘いのがウケたからねぇ。うん、あたしもこっちの方がいい」
水の代わりに酒で仕込むのが貴醸酒。
それを八回も繰り返すのが八塩折之酒。
だけど、嬢ちゃん曰く、
『酒で酒を仕込むとアルコール度数も糖度も上がりますが、2~3回目以降は度数が酵母が死滅するレベルに上がってしまうのであまり意味がありません。それに甘味が強くなり過ぎるんですよ。甘味が重宝された古代ならともかく、現代では2~3回くらいがおススメですね』
ってことらしい。
『でも、貴醸酒をお母さんに飲ませたいって気持ちはわかります、そんな緑乱さんにおススメなのはこれ!』
そう言って紹介してくれたのがこの”八海山 貴醸酒”だ。
洒落っ気もあっていい銘柄だ、母ちゃんも気に入ってくれたみたいだしな。
「うん、いい味だ。何かつまむものは?」
「ほい、ソフトさきイカとミックスナッツ」
「いいねぇ。干したイカの柔らかい部分と色んな木の実かい。それを玻璃の器の酒で頂くなんて、なんて贅沢なんだい」
「そっか、こいつらは今の現世じゃ、ありふれたオッサンの晩酌の定番だけどよ」
そういやいつでも酒とつまみが手に入るようになったのは近代に入ってからだったか。
八尾比丘尼として全国を行脚していた時には、こういうのを手に入れるだけで苦労したもんだったな。
「へぇ、さっき食べさせてもらった”ぱえりや”っていう米の海鮮煮といい、豊かになったもんだねぇ」
「これも母ちゃんが俺たちを封印してくれたおかげさ。それに母ちゃんたちはどうしてたんだい? それにここはどこだい? 天津神界とも違うみたいだけどよ」
黄泉の国でひいひいばあちゃんに逢った時に、八稚女の行方を聞いたんだが、ひいひいばあちゃんも知らなかった。
現世でも幽世でも黄泉でも天津神界にもいなかった。
どこでもない、ここは一体どこなのか、気にならないってのは嘘になる。
「ここは”まつろわぬ神”の棲む世界さ。現世にも黄泉にも高天原にも居場所がない神が棲む世界だよ」
「そっか、母ちゃんたちも苦労したんだな」
「ま、最初はそれなりにね。でも、苦労したのは最初だけだよ。今は姉ちゃんや妹たちと楽しく暮らしてるねぇ」
まつろわぬ神。
それは神々がこの日ノ本を治める時に従わず、どこかへ消えた神。
天の果て、地の底、海の向こう、まつろわぬ神々は自らが治める世界をそれぞれ創り、そこへ消えたって話だ。
なるほど、ここは母ちゃんたちだけの世界ってわけかい。
どうりで見つからないわけだ。
…
……
「やっぱり、恨んでいるのかい。あんたたちを放って雲隠れしていたことを。あんたは特に苦労したって聞いてるから」
そうだな苦労した。
小さい方の俺は封印から出て数か月もしないうちに母ちゃんと再会しているし、他の兄弟も早いやつは十年、長いやつでも半世紀ちょい。
千年を超える間、たったひとりで八百の後を継ごうとして、旅をして、絆を深めて、戦った、俺っちの歴史。
それに比べたら、という気持ちが無いと言えば嘘になる。
でもよ、
「そんなことはねぇよ。終わってみれば、いい思い出ばかりだぜ」
男としてやるべきことをやり遂げた達成感ってのはいい。
これは俺だけが持っている矜持だ。
「そうかい。あたしは嬉しいよ。強い子とまた逢えて」
母ちゃんはそう言って俺っちの頭を優しく撫でる。
昔、それはそれはずっと昔、俺は信じていた。
またきっと会えるって。
八百と一緒に旅をして、俺ひとりになっても旅をして、どこにも手がかりのひとつもなくって。
少し諦めが入ってうらぶれちまっても、心のどこかで信じていた。
たとえ、このまま逢えなくとも、母ちゃんは幸せに暮らしているだろうって。
だから、ここが俺がたどり着いたハッピーエンド。
たとえ、俺だけの母ちゃんでなくっても。
「俺もさ。旨い酒と元気な母ちゃんがいてくれりゃ、それだけで十分幸せさ」
俺っちは、俺は、これくらいで泣かない。
男は、強い男ってのは涙は見せちゃいけない。
なぜなら、その強さを信じている者の信頼を裏切ることになるから。
八百はこう俺に教えてくれた。
『涙ってのは悲しい時に流すもんだ。嬉しい時には笑うもんさ』と。
俺は顔で笑って、心で嬉し涙を流した。
◇◇◇◇
八海山の貴醸酒は空になった。
だけど、俺っちが持って来たのはこれだけじゃない。
八重と初めて味わった外国の酒、麒麟のビールだってあるし、嬢ちゃんが気に入ってくれた”みぞれ酒”だってある。
どれも旨い。
母ちゃんが喜んでいりゃ、なお旨い。
「それで、小さい俺っちの方はどうしたんだい?」
「あの子なら、家で寝てるよ。今日は泊めさせる」
「困ったな。この”虹の橋”は日没すると消えちまうってのによ」
思兼神さんは言ってたね、『日没までには戻れ』って。
それを破っちまうと、明日にならないと再び”虹の橋”は架けれないって。
なんだか門限みたいだねぇ。
「しょうがねぇなぁ。明日、また迎えに来るとすらぁ」
「ああ、そうしとくれ。あんたが来てくれるのを待ってるよ。あたしの可愛い緑乱」
「よしとくれ、こんな歳になって可愛いだなんて言われるとサブイボが立っちまう」
「おや、母親にとって息子ってのはいつまでも可愛いもんさ」
「そんなもんかねぇ」
「そんなもんさ」
俺っちと母ちゃんはフフッと笑い合い、そして俺っちもフフッと笑う
「それじゃ、日がもちっと傾いたら。俺っちは帰るとするよ。母ちゃんが元気そうで安心したよ」
「そいじゃま、それまではあたしも付き合うよ」
グビッと俺っちは愛用のお猪口に入れた酒を飲む。
クピッと母ちゃんは俺がついだ酒を飲む。
ちょっとペースは速いが酒は十分にある。
この分なら日没までは十分持つだろう。
夏の夕暮れってのは、日が沈むまで長くって風情がないかもしれないけどさ……。
今はそれがいい。




