雨女とローストビーフ(前編)
『地上に雨の降るごとく、われの心にも涙ふる』
そう詠ったのはフランスの詩人だっただろうか。
名は確かヴェルレーヌだったかな。
俺の名は赤好。
あの八岐大蛇の三男にて、現代に生きる”あやかし”だ。
俺の親父は大層な酒好きで女好きだったらしい。
俺の兄弟たちは酒好きの方が強めの性格しているが、俺はどっちかというと女好きの方だ。
「しくしくしく……」
ああ、もちろん酒も好きだぜ。
でも、酒の肴には女の子の笑顔が一番さ。
だから……
「うううううぉぉぉーん」
こんな湿っぽい女の子の涙はごめんだ。
俺は今『酒処 七王子』で留守番中。
天気予報は晴れ時々雨と言っていた、気温は高い。
だけど、外は土砂降りの雨。
原因はこの子……雨女さんのせいだ。
◇◇◇◇
今日は珍しく”あやかし”のお客さんが昼に来るという話だった。
慈道とかいう生臭坊主の紹介で予約が入ったのだ。
リクエストは坊主向け初夏のピクニック料理。
この梅雨明けの季節にピクニックだなんて物好きと思ったが、天気の心配は不要だという話だ。
夏着な珠子さんが出かけたのが昼前。
そして、俺が留守番中の店に涙目の雨女さんがやって来たのが昼過ぎ、もちろん雨雲を引き連れて。
雨足が弱まり外が明るくなる。
おや、雨女さんも落ち着いたのかな。
「ヤツがくる」
ガバッっと首を上げて雨女さんが呟く。
シャリーン
扉の向こうから錫杖の音が聞こえる。
おっ、帰ってきたかな。
「あれ? ここでお別れですか!?」
「うむ、女子の料理は見事だったぞ。またご馳走になりたいものだ」
「はい、日和坊さん、またのお越しをお待ちしております」
そんな会話が聞こえ、
「帰っていった」
雨女さんが再び呟くと、外が暗くなり、雨足が強くなった。
会話から察するに帰っていったのは、今日のお客さん日和坊。
彼は雨女さんの対極の”あやかし”。
テルテル坊主のモデルにもなっていて、強制的に晴れにしてしまう”あやかし”だ。
カランカラーン
「うひゃー急に降ってきちゃった!」
「あら、お客さんかしら」
急な雨に降られて、濡れ濡れの珠子さんと藍兄さんが入ってきた。
「よく帰ってきてくれた! さあ! 恋愛マスターな珠子さん、彼女の恋の呪いを料理で解決してやってくれ!」
「はい!?」
彼女がわけのわからない声を上げた。
うん、ちょっと俺も無茶振りだと思っている。
◇◇◇◇
「ええと、雨女さんですよね」
「はい……」
消え入りそうな声で雨女さんが言う。
目尻には涙が浮かんでいる。
「話を聞く前に残り物の処理を手伝ってもらえますか? 赤好さんも」
「はい、問題ありませんが」
「うん、いいよ」
「では、どうぞ!」
お重に詰められた中には肉巻きおにぎりと肉団子、ハンバーグ、天麩羅、そしてプリン。
うーん、プリンが異色を放っている。
「あら、あなたたちよかったわね。それ、とってもおいしいわよ」
藍兄さんが横目で見ながら言う。
俺と雨女さんが箸を伸ばし、俺は肉団子を、彼女はハンバーグを口にする。
「あれ?」
「おや?」
甘酢ソースが利いた肉団子は思ってたよりも口に軽く、するっと胃に流れていく。
彼女もそう思ったらしい。
「で、ではこの肉巻きおにぎりを……」
「俺も……」
一口大のサイズの丸型に握られ、照り焼きのタレで味付けられられた肉で巻かれたおにぎりは、肉の部分がサクっと歯で噛み切られる。
これは……
「これ! 肉じゃない!?」
「そうです! これは精進料理ですね、普茶料理とも言いますし、ビーガン料理の要素も混じってます!」
日和坊は”あやかし”とは言えども坊主だ。
だから、生臭を抜いた料理にしたのか。
「肉団子とハンバーグは豆腐で、肉巻きおにぎりの肉は湯葉で、天麩羅はエリンギですね曲げて海老っぽくしていますけど」
食べてみると、その通りだった、肉だと思っていたのは、豆腐と湯葉。
海老の天麩羅だと思った物はエリンギの天麩羅だった。
「天麩羅の衣は米粉です。この方がサクサク感が長続きするんですよ」
「おいしい! こんな天麩羅初めて!」
雨足が強くなった。
「そしてプリンはカボチャプリンです。裏ごししたカボチャと豆乳を寒天で固めました」
「あまーい、そして濃厚! 卵と牛乳抜きでもこんなにおいしいなんて!」
俺は紳士だからね、デザートは譲った。
雨足はもっと強くなった。
「そして、これが最後のデザートです!」
えっ、プリンの他にもデザートがあるの!?
「はい! 豆乳と甘酒のソフトクリームです!」
ノリノリの珠子さんが保冷ケースから山の形の容器を取り出す。
山の形の容器の蓋開けると、白いソフトクリームが現れた。
「これも精進料理なんですか!?」
「もちろんです! 初夏の日差しを浴びて食べるアイスは最高! 日和坊さんのお墨付きです!」
ペロッっと薄桃色の舌を伸ばして、雨女さんはソフトクリームを舐める。
「ああっ! なめらかであまい! それにこれ……懐かしいような甘さ!」
「それは甘酒の味ですよ。豆乳と甘酒のソフトクリームです。最近流行のビーガンスイーツです!」
もちろん俺はソフトクリームも譲ったさ。
だけど、今度作ってもらおうかな。
よかった、雨女さんの涙は止まったようだ。
やっぱり素敵な女の子に涙は似合わない。
雨は土砂降りになった。
◇◇◇◇
「それで恋の呪いって何ですか?」
「今度、彼とデートするんです」
「よかったじゃないですか」
「そして、雰囲気からプロポーズまで進みそうなんです」
「スゴクよかったじゃないですか! おめでとうございます!」
自分の事のように笑顔の珠子さんが祝福の言葉を上げる。
「でもほら、わたしって雨女でしょ」
「はい、そうですね」
「雨天だと、彼も中々気分が盛り上がらないみたいで。わたし知ってるんです、彼がここ半年の間、指輪をデートに持って来ているのを」
「そして、渡せず仕舞いで持って帰っているんですか」
「はい、そうです」
「しかも、わたし感情が高ぶると雨が強くなるんです。」
彼女の言う通り、雨女さんはその”あやかし”の特性上、雨を降らす。
そして、彼女の感情が高まると雨足は強くなる。
「強くなるってどれくらい?」
「最大パワーならば、1時間降水量150mmくらい」
「はい!?」
「ちなみに、日本記録は153mmです」
「大惨事じゃない!!」
姦しい珠子さんが大声を上げる。
「はい、このままじゃ、デートどころじゃなくなります」
「恋愛映画かと思ったら大災害映画にジャンルが変わってしまうのですね」
「その通りです。だから、わたしが意気消沈するような料理を作って欲しいんです。そうすればきっと……小雨で……」
「そうさ、雨女さんから相談を受けた時、俺は彼女のテンションを下げる方法は無いか俺は思ったのさ。そして、料理上手な珠子さんが頭に浮かんだ。君の料理は”あやかし”ですら感動させる。なら、その逆も可能じゃないかって」
「あん!?」
重低音の声の珠子ちゃんが俺と雨女さんを睨む。
今までにない威圧感だ。
「なるほど、あたしに心が沈むような料理を作れと」
「そ、そうです」
「あたしの料理をおいしいって言ってくれた素敵な女性にマズイ料理を食わせろと」
「そ、その通りだが。な、なあ、いいだろ人助け、いや”あやかし”助けなんだから」
おいおい、そんなに怒る事はないじゃないか。
そんな気持ちを込めて俺は言う。
「シャラップ黙りなさい! このナンパ男! あたしの誇りに懸けて、意図的に不味い料理なんて作りません!」
迫力のある珠子さんの言葉に俺は口を閉じる。
ぐぬぬ
「雨女さんも雨女さんです! そんな沈んだ気持ちでデートすれば成功するものも成功しません!」
「で、でもどうすれば……」
「あたしに任せなさい! あたしが、そのプロポーズデートを盛り上げて大成功させてみせます!」
頼もしい珠子さんの言葉に雨女さんの顔が明るくなる。
外の雨はバケツをひっくり返したようになった。
「そして、そこの軽薄軽率尻軽男にも手伝ってもらいますから!」
「はっ、はいっ!」
俺は固く敬礼するようなポーズで返事をした。
俺は自分の運命に恐怖した。
◇◇◇◇
「さて、準備はいいですか?」
そして俺たちは塔の下に立つ。
「はい、まずは展望台の前で待ち合わせ。そして、展望台の店で予約の旨を伝える。あとは勇気!」
雨女さんに頑張り屋な珠子さんが確認している。
ちなみに俺はこの数日の間、根回しに東奔西走していた。
おかげでクタクタだよ。
でも、それ以上に頑張ってたのが珠子さんだ。
橋姫さんをはじめ色々な”あやかし”に声を掛け、今日の準備をお願いして回っていた。
「そして、スペシャルお重は持ちましたか?」
「はい、ここに」
雨女さんが示したのは朝からふたりで作っていたお弁当。
「お店で一緒に食べて下さいね」
「はい、が、がんばりません! 雨も小雨に抑えます!」
「いーえ、がんばって下さい! あたしはここから応援していますから」
「は? はい、がんばってみます!」
「よしっ! これはあたしからの差し入れです!」
そう言って、かいがいしい珠子さんは一本の瓶を渡す。
「これは?」
「シャンパンです! お祝いには欠かせませんから!」
ちなみにあれは俺が秘蔵で取っておいたお高いやつだ。
「何もかもありがとうございます。たとえどんな結果になっても、わたしはあなたの恩を忘れません!」
「いーから、いーから、気にしないで、どうせ経費だから」
どうやら俺の秘蔵シャンパンは経費になったらしい。
もし、上手くいかなかったら横暴な珠子さんの給料から引いておこう。
そして、雨女さんは塔のエレベーターに向かっていった。
俺もその後を追う。
俺の今日の役割は軽い。
首尾を見届ける事、あとはいざという時にひと押しするくらいだ。
そして、俺も登る。
634mの高さを誇る東京スカイツリーに。




