珠子と神饌仕合三本勝負!(その6) ※全13部
◇◇◇◇
見た目はちょこんとした好々爺。
だけど、そこから現れるオーラというか貫禄がスゴイ。
でも、あたしは負けるわけにはいかないの!
「こんにちは娘さん。お手柔らかにな」
「はっ、はい。田道間守様。あなたと料理仕合が出来るなんて光栄です」
厳かに差し出されるその手をつかみ、あたしたちは握手を交わす。
「神の二番手の選手は田道間守様! 菓子においては並ぶものなしという日本の菓子の神様だー! そして、今度は神の側がお題を決める番! この時点で二本目の勝負は決まったかー!?」
ウズメ様の解説に会場が沸く。
確かに前情報だとあたしは割烹料理人、庶民料理寄りのオールラウンダー。
パティシエならまだしも、お菓子の面で本職に腕が劣るのは確か。
勝てるかしら、ううん、勝つのよ珠子!
「では決めて頂きましょう! 神饌仕合三本勝負! 二本目のお題をどうぞ!」
「やっぱりここはお菓子でしょう! あ、しかも、確実に勝つために橘を使ったお菓子なんでどうです? これなら田道間守様の完勝間違いなしでございますぞ!」
超級の神様を前に真備様もテンション高く田道間守様に進言する。
「ふむ、そうさのう……」
あれ? 田道間守様の顔が少し曇った?
そういえば、田道間守様が常世の国から橘を持ち帰った時のエピソードって……。
見えた! あたしの勝ち筋!
「田道間守様、それでいきましょう! あたしは”橘を使ったお菓子”で勝負したいです!」
「いい度胸だ小娘! さ、田道間守様、小娘に挑発したことを後悔させてやりましょう!」
「吉備よ、少し静かに。ふむ、娘さん。それはどういう意味かな?」
「ふむ、ですよ。踏み台にしろということです。実験台みたいなものです」
あっ、少し笑った。
「ふむふむ、ふふふ、踏み台とは面白い。よかろう! 娘さんの望み通りに”橘を使った菓子”で勝負してやろう! だが、それだけでは面白くない。ここは知恵と知識の神、思兼神様が治める領域。さらにテーマとして”知性”を追加させてもらおう!」
「なるほど、痴性ですね。いいでしょう! 受けてたちます!」
(……違うと思う)
心の中で橙依君からのツッコミが入った気がするけど、気にしなーい。
「ふむ。中々の気概。では時間はいかほど必要かな? 儂は小一時間もあれば十分だが」
「3時間ほど頂いていいでしょうか?」
「ふむ、よかろう。それならば儂も本格的に作れるというもの」
そう言って田道間守様は再び手を差し出す。
今度は握手じゃない、拳。
「お題が決まりました! 神饌仕合三本勝負! 二本目は”橘を使った菓子”! と”知性”! 審査員のお三方はいずれも頭の冴えた方たち! この方の舌と頭を唸らせることが出来るのでしょうか!? 仕合開始ですっ!」
あたしたちはコツンと軽く拳を合わせて、互いのキッチンへと向かう。
さて、どんなおバカな料理を作ろうかしら。
「あーっと! どういうことでしょう!? 珠子選手の応援団のひとりが頭を抱えているぞー! ちょっと聞いてみましょう」
クルクルヒラヒラと優雅に衣をたなびかせて、ウズメ様があたしの応援席に向かう。
「一番最初に頭を抱えたキミ。どうしたのかな? 確か、珠子選手のお仲間の覚ですよね、心の読める」
スタジアムのオーロラビジョンに覚の佐藤君の顔が大きく映し出される。
「気をつけろ、みんな! あの姉ちゃんはな『どうやって、みんなから”いやそうはならんやろ!”ってツッコまれようかしら』って考えているぜ!」
会場のみんながあたしに視線を向け、あたしの応援団はみんなで頭を抱えた。
◇◇◇◇◇
「始まりました第二仕合! ”知性”はどうあれ作るのは”橘を使った菓子”! 二名の選手の最初の動きはー!? やっぱり橘です! 両名とも薄黄色の実を取り寄せました。おや? 珠子選手の方がややゴツゴツしているようですが……」
「あれはカラタチの実だな。枸橘とも呼ばれる中国原産の柑橘類じゃ。一方の田道間守選手の方は日本原産の橘であるな」
そう、寿師翁さんの冷静な解説の通り、あたしが選んだのはカラタチ。
唐から来た橘でカラタチ。
その皮を剥いて、熱湯で湯通し、そして砂糖を加えてカラタチの果汁を絞って軽く煮る。
「珠子選手は皮を剥き始めました? これは何を作っているのでしょう!?」
「あれはおそらくママレードを作っているのであろう。橘もカラタチも原種の柑橘。香りは良いが酸味と苦みが強い。だが、それを活かす方法としてママレードにするというのは広く知られている」
その通り! あたしが作るのはカラタチのママレード!
でも、それだけじゃない!
もう一品!
「おおっ!? 次に珠子選手が取り出したのはアンズですね。その種を取り出して乱切りにした後、砂糖で煮ています。あれは……ジャムでしょうか?」
「おそらくそうであろう。それにキッチンに用意された卵と小麦粉とチョコレート。おそらく珠子選手はケーキ、それも2種類のケーキを作るであろう」
「わかるのですか? 彼女はまだジャムしか作っていないのに!?」
「ハハハ、タネを明かせば単純。ホレ、あそこに2種類の型があるであろう」
寿師翁さんが指さす先はケーキ型。
普通の円形のものと、シフォンケーキ用のドーナツ状のふたつ。
「あら、いつの間に。なるほど、珠子選手は2種類のケーキのようです! 一方の田道間守選手は!? 圧力鍋? それに大量の果物?」
あたしが耳を澄ますと、隣のキッチンから圧力鍋のシュンシュンシュンシュンという音が聞こえてくる。
それにこの香り……。
「圧力鍋で煮ているのは大豆じゃな。それよりも気になるのはあの果物の種類の多さよ。橘だけではない、桃、山葡萄、柿、枇杷、和リンゴ。古くから日本にある果物の数々。ほう、それらの皮を剥いて布巾で包むか」
あたしがチラッと隣を見ると、田道間守様が腕まくりをする姿が見えた。
えっ!? なにあの筋肉!?
ブシュギュギュギュー!!
会場中に圧搾音が響き、田道間守様の手に握られた布巾から甘い香りの果汁が絞り出される。
「でたー! 田道間守様の剛腕! そこから果物の果汁と芳香が絞り出る! おや? その果汁を種類毎のボールに分け、おや? なにやら装置のようなものを取り出しましたが?」
「あれは濾過装置じゃな。ほう、面白いことを考えているようだ」
「田道間守選手がいくつもの濾過槽地の中に果汁を入れました。そこから一体何が出てくるのでしょう!? 何が出て!? 何が……、何も出て来ませんよ?」
「ハハハ、それもそうだ。あれほどの濾過装置、すぐには出て来ぬよ。数時間は必要だろう」
「へー、そうなんですね。あ、1滴落ちました」
大豆を煮て、果汁を濾過!?
大豆を煮るのはきっと豆腐にするのだと思うけど、わざわざ果汁を濾過する所がわからない。
「あ? 今度は圧力鍋で煮た大豆をすり潰して布巾で濾してます」
「あれは呉だな。豆乳とも呼ぶ。普通に考えれば豆腐が出来上がるはずだが。それをどうデザートにするか。おそらくここからが田道間守選手の手腕が見られるのであろう」
やっぱり豆腐。
何が出てくるかわからないけど、あたしはあたしの信じる知的なデザートを作るまで!
卵を割って、卵白と卵黄を分けて卵黄をカシャシャシャシャシャ。
同時にチョコレートを湯煎で溶かす。
「一方の珠子選手は卵白を泡立ててメレンゲにしていますね。それにチョコレートを溶かしています。かなりの量です。卵の殻が山になるくらい! これってケーキでしょうか?」
「であろうな。だが、あの分量をみるとケーキは一種類ではないだろう。ココアパウダーを用意している所をみると、おそらく珠子選手が作るのは天使と悪魔!」
げっ!? あっさり見破られた!?
でもまあ、バレちゃしょうがないわね。
「その通り! あたしが作るのはふたつのケーキ! 真っ黒なデビルズフードケーキと真っ白なエンジェルフードケーキですっ! まずはひとつ! このメレンゲをチョコレートに加えて、さらに薄力粉とココアパウダーを加えて混ぜまーす! そうしたらオーブンに入れて焼く! もうひとつはメレンゲに薄力粉と砂糖を加えるだけ! ちょーかんたん!」
時間差をおいてふたつの生地がオーブンに入れられていく。
チョコレートの方は普通の円柱の型、もうひとつはシフォンケーキ用の中心にもうひとつの円柱が立つドーナツ型。
このまま焼き上げるだけで完成! なーんてことにはならない。ここからが大変なの。
「さあ! どんどん作りますよー! 幸い材料はいっぱいありますし、オーブンもいくらでもご用意してもらえますから!」
ドンドンドンと式紙が用意する何台ものオーブンに型を入れて、あたしはタイマーをセットする。
そして、ここからがちょー大変!
デコレーション用のチョコを作る作業に入るのだから!
さっきはスイート系のチョコを生地に混ぜたけど、今度使うのはビター系。
それを湯煎じゃなくて直火で煮詰める。
弱火でそーっとそーっと。
そしたら、板の上に広げてヘラで練る。
この塩梅というか具合がちょー重要!
「ん? 珠子選手がチョコを溶かしてまた固めています。溶かして固めてってこれ、何か意味があるのでしょうか?」
「あれはテンパリングじゃな。再結晶化とも呼ぶ。中に含まれるココアバターの結晶構造を準安定の形に仕立て上げるのが目的。こうすることで光沢が出たり、口どけの食感が良くなっていく」
「準安定? 安定じゃなくって?」
「うむ。ココアバターの安定状態とはチョコでいう表面に白いブツブツが出た状態。口どけも見た目も悪い。物理的な安定と食品的に最適なのとは結晶構造が違うのだ」
「へー、なんだか学問みたいですね」
「うむ。食品物理学は立派な学問。昔は経験から行っていたことが、現代では顕微鏡やスペクトラム分析などで化学的に検証されておる」
「そうでーす! この分野は人間こそが最先端! ただただ美味しい料理を作るだけじゃない! その理由も研究するのが人類の叡智! たとえ神様だって現在進行形で論文が出ているこの分野なら、あたしに一日の長あり! あ、もちろん日々研究されている皆様には感謝感激雨あられ! これぞ人類の叡智の極み! それ、すなわち叡智の共有! ビバ! 情報化社会!」
あたしのスマホには毎日のように流れてくる。
どこかの誰かが研究して公開してくれたお菓子作り情報が!
どこかの誰かの”おいしいっ!”のために、努力し続けている成果が!
チーン
「さあ! 焼き上がりました! あとは粗熱を取って、半分に切ってジャムを挟んでデコレーション!」
スポーンと型から生地を抜いて、あたしは団扇で粗熱を取り始める。
「珠子選手の方は完成が見えてきました! 一方の田道間守選手の方は!? プルンとした真っ白な豆腐が出来ています! ですが、これは菓子対決! この豆腐がどうなっていくのでしょうか!?」
「ふむ、あちらは洋風。ならばこちらは純和風でいこうかの。ホレ」
ヒュヒュンと風切り音が聞こえ、会場から歓声が聞こえる。
「田道間守選手の見事な包丁の冴え! あの柔らかい豆腐が一瞬で角のピンと立った真四角に切り分けられました! そしてそれを型に入れて透明な液体を注いでいきます! でも、これがお菓子になるのでしょうか!?」
「なる! あれは立派な菓子。豆腐百珍にも記されている玲瓏豆腐よ! 見事な造形だ!」
「ふむ。ついに露呈してしまったか。そう、儂が作るには玲瓏豆腐じゃ」
玲瓏豆腐!
もちろん、あたしはそれを知っている。
江戸時代の豆腐百珍の中で奇品とされている料理で、豆腐の周りを寒天で固めたもの。
黒蜜などをかけて食べるもので、ひんやりスッキリとしておいしい。
でも、きっとただの玲瓏豆腐なわけじゃない。
その秘密を知りたいけど、今はあたしのケーキ作りに集中しなくっちゃ。
ペタペタとチョコを塗り、表面に光沢が出るようにあたしはデビルズフードケーキを仕上げ、エンジェルフードケーキは生クリームで真っ白に仕上げる。
エンジェルフードケーキの中心の穴にママレードを詰め、生クリームで上を覆えば完成!
「ふむ、出来上がりじゃ。名づけて! ”高次元玲瓏豆腐”!
「かんせーい! 天と地からの襲来! ”エンジェル&デビルズフードケーキ”ですっ!」
あたしたちの宣言が高らかに会場に響き渡った。




