楊貴妃と薺(なずな)(その8) ※全9部
◇◇◇◇
タタタとしばらく進むと、さっき別れたはずの阿環さんが見えた。
「あら、赤好君。忘れ物?」
「そうさ、その前に聞いておきたいことがあるんだが、いいかな?」
「いいわよ」
そう言って阿環さんはフフフと笑う。
「俺の弟、小さい方の緑乱の封印を見つけ出したのは阿環さんだよな。そして玉藻に弟を味方に引き込もうと唆したのも」
「そうね。最後だから言っちゃおうかしら。そうよ、でも、唆したんじゃないわ。アドバイスしたの。『あの子は大蛇の兄弟に対抗する優秀な駒になるって』」
やっぱりか。
予想が当たって、俺は溜息を吐く。
「そうか、ま、そうじゃないかと思ったさ。ついでに聞くけど、緑乱の面倒をみてくれたのは玉藻かい?」
「『どうして弟を封印から出したのか?』とは聞かないのね」
「それは大体予想が付くからな。君はこの”迷廊の迷宮”に入ることが目的だったんだろ。時を遡って玄宗に逢いに行くために」
「あらやだ。バレちゃってたのね。そうよ、その通り。そしてあの小さいボクの面倒をみたのも君の言う通り、玉藻よ」
彼女は俺の言葉をあっさり認める。
そう、彼女の目的は最初からそうだったってわけさ。
大悪龍王事件の際、周囲に知れ渡った緑乱の迷廊の権能。
時を遡れるかもしれないその権能は非常に魅力的だった。
彼女を問わず、他の”あやかし”にとっても。
だけど、その時、既に大きい緑乱からはその権能は失われたと思われていた。
誰もがそう思っていた中で、彼女だけは、阿環さんだけは諦めず別の可能性を探した。
その結果、玉藻の地獄門開放計画に、小さい緑乱を駒として紛れ込ませる手に出たってわけさ。
どんなに小さな可能性でも、たとえ自分が玉藻の中に吸収されるかもしれないというリスクを冒しても、彼女は再び唐の時代、玄宗と過ごしたあの時代に戻るために。
「でもどうしてわかったの? かなり慎重に計画を進めたつもりだったのだけど」
「小さい緑乱の玉藻ママへの懐き方が異常だったからさ。玉藻の本来の性格じゃ、あんなのはありえない。心から懐くようにアドバイスしたんだろ、君が。逆に君は弟のことを本当に駒としかみてなかった」
「あら、鋭いわ」
きっと彼女は玉藻にこうもアドバイスしたのだろう。
『世話を私にさせると、いざという時にこの子は寝返りかねないわよ』と。
だから、少なくとも表面上は、玉藻は小さい緑乱を大切に世話をした。
そして、きっと少なからず情も移っている。
地獄門で俺が小さい緑乱をかばった時の攻撃。
あいつにしては弱すぎた。
俺が少し休めば治るくらいだったからな。
「それで、私に何の用かしら。最後に意地悪したくなったとか?」
「恋する女の子にヒドイことはしないさ。俺の目的は君じゃない、ちょっとだけ触れさせてくれるだけでいい」
「あら、私の身体が目当て? 困ったわ、私の肌は陛下のものなのよ」
身体を曲げてしなを作り、彼女は少し妖しく笑う。
なるほど、こっちの方が本性ってわけか。
「変な言い方しないでくれ。肩にちょっとだけでいい」
「ふふふ、ごめんなさい。赤好君がカワイイから少し意地悪しちゃった。いいわよ、肩に触れるくらいなら」
ん、と肩を突き出す彼女に手を伸ばし、俺は権能を集中させる。
彼女を中心にその絆のラインが広がり、そこに一本の細い線が視えた。
「ありがとよ。今度こそ本当におわかれさ」
「ええ、赤好君の目的はわかったわ。あの娘をよろしくね。私も頑張る。今度こそ玄宗様と添い遂げてみせるわ」
そして、俺は阿環さんと別れを告げた。
俺は一度だけ、振り返った。
彼女の姿は、もうなかった。
◇◇◇◇
彼女から伸びていた絆のライン、そこに俺は向かっていく。
そしてソイツは唐突に現れた。
闇の床に横たわって、拗ねたようにも見えるその姿は、ふてぶてしかった。
「なんどす、乙女の寝顔を見るのが趣味でありんすか。出歯亀大蛇」
「その様子じゃ意識はまだ迷廊の迷宮に融けていないようだな。玉藻」
「ああ、ここはそういう所でありんしたか。どうりで、意識がフワフワすると思いました。どうせ、最期に嗤いにきたのでっしゃろ。かこんこんと」
大分参っているな。
心の迷いが言葉に表れている。
いや、俺たちの方がおかしかったのかもな。
迷廊の迷宮の中で、心も意識も迷わずにいられたことが。
「違うさ。俺は迎えに来たのさ。君を」
「プロポーズなら間に合ってます」
そう言って玉藻はプイと横を向く。
「いいんどす。わっちは第四天魔王様の期待に応えられなかったのでありんすから。このまま、ここで朽ちます」
「そうか。それじゃあ、お別れさ。俺たちは現世に還るぜ。小さい緑乱と一緒にな」
そう言って離れようとする俺の裾がピンと引っ張られた。
「ちょっと待ちいや。あの子は、ボウヤはわっちのことを何か言ってたでありんすか?」
「少し心配してたぜ。『玉藻ママは大丈夫かな』って」
「嘘をおっしゃい」
「嘘じゃないさ。両舌のお前ならわかるだろ」
…
……
「わかりません」
「そうか」
「だから、確かめに行ってやります」
裾がグイと引かれ、その反動で玉藻は起き上がる。
その言葉に迷いは無かった。
◇◇◇◇
「待たせたな。今戻ったぜ」
「あ、タマモママ。よかった、ぶじだったんだね」
小さい緑乱の『玉藻ママ』という言葉に一同がざわつく。
「あら、バカ正直大蛇の言うことは本当でしたのね」
テテテと近づいてくる小さい緑乱を見て、玉藻は言う。
「へへー、タマモママ、いっしょにかえろ」
「ボウヤ、わっちのことをおこっていないのでありんすか? わっちはボウヤのことを傷つけようとしたのですよ」
「あのときは、おしごとがうまくいかなくて、タマモママのごきげんがわるかっただけでしょ。ごめんね、りょくらんがうまくできなくて」
腰にギュっと抱き付く小さい緑乱を見て、ほんの少し、玉藻の目が緩んだ。
これなら大丈夫そうだな。
少なくとも、もう玉藻は小さい緑乱を傷つけることはないだろう。
「よし、これで全員揃ったみたいだな。さ、還ろうぜ」
「赤好よ、本当に玉藻も一緒に脱出させる気か」
「ああ、ここで朽ち果てるのも何だしな。決着は戻って付けようぜ」
「つけるもなにも、戻ったらみなさんでわっちをボコる気でしょう」
「もちろんです」クイッ
場に緊張した雰囲気が流れ、玉藻と俺たちの間で小さい緑乱がオロオロする。
「ねえ、タマモママ。にーにーたちとなかなおりしない?」
「そんなのは御免でありんす。もちろん負けるのも。なので、戻ったら一目散に逃げるでありんすよ」
「それって、あそこの亡者を退治するのを邪魔しないってことですか?」
勘の鋭い珠子さんが、玉藻の意図を汲みとって発言する。
「どうとでも取ってよろしやす。ボウヤ、最期まで残ってわっちを逃がしなさい。逃げたら……降参するのよ」
最後の部分は少し優しそうに聞こえた。
「わかった! こうさんする!」
小さい緑乱でもわかったみたいだな。
玉藻は認めたのさ、自分の敗北を。
「さあ、そうと決まればとっとと還ろうぜ。家族思いの珠子さん、あの人のことを思い浮かべてくれ。その意識を伝って俺が橋を架ける。そこを渡れば、戻れるはずさ」
「はいっ、珠子が今、参ります……」
目を閉じ、意識を集中させてはじめた彼女の肩に手を置き、俺は権能を集中させる。
「天の橋立、地の橋立、人の橋立、あらゆる世界を結ぶ橋よ、この権能に応えて、意志に応えて、願いに応えて、生まれ出ずれ……」
「架橋の女神の息子が築く、顕現せよ! 万里一歩の橋!」
俺の全力の権能で生み出された光の橋。
それは、光に進むべき方向を与え、迷廊の闇を晴れ渡らせた。
◇◇◇◇
「おばあさま!」
『おや、遅かったね』
俺たちが現れたのは地獄門の前。
地下空間に戻ると、そこにはひとりの老女が立っていた。
あれが、珠子さんのおばあさんか、少し面影がある。
「やっぱりあれはおばあさまのおかげでしたか。あたしが地獄門を閉めれたのは」
そう、天に上った人、地より戻りし人、人の世で死んだ人。これらの条件を満たす者。
珠子さんは天に上って幽世へも行った。
地に潜って黄泉比良坂へも行った。
そして、最後の人の世で死んだ人、それは何も肉体が必要なわけじゃない。
死者の魂が寄り添った状態でもよかったってわけさ。
『新盆で現世に帰ってみたら、八王子に珠子の気配がなくってね、心当たりを方々探していたら、まさか私の実家に来ているとは』
「ごめんなさい、おばあさまの実家を無茶苦茶にしちゃって」
『それは珠子のせいじゃないさ。ありがとう、私の何処何某を守ってくれて』
優しい顔の老女は、そう言うと家族想いの珠子さんをギュっと抱きしめる。
「はい、あたし、がんばったんです。とっても怖かったけど、大変だったけど、ここを守らなきゃって、あ、そうそう、ここを買い戻す算段もついているんですよ」
『そうかい、そいつは嬉しいね。でも、無理はしなさんな。珠子はちょっと頑張り過ぎの気があるからね』
「はい、がんばらずにがんばりますっ!」
『それじゃ、私は一足先においとまするよ』
「行ってしまわれるのですか? もっとお話したかったのに」
『それはもっと落ち着いてからがいいね。また盆にも帰るよ。それに他にも逢いたい人はいるからね』
「はい、その時はいっぱいのごちそうでもてなしますっ!」
ほんの少し涙を浮かべ、珠子さんは空中に手を振る。
そして、その素敵な老女は何処何某へと通じる扉へと去っていった。
「はー、つっかれましたー」
「まったくさ。ところで、玉藻と小さい緑乱は?」
「とっくに逃げたわよ。あの子もとっくに『こうさーん』と言って寝てるわ」
コタマちゃんが指さす先には、コテンと横になって寝ている小さい緑乱の姿。
やれやれ、そういう姿は昔と変わらないな。
「これにて一件落着であるな。よき働きであったぞ、みなのもの」
「まったくだよ。あんたたちが消えてから、亡者たちを掃除するのも一苦労だったさね!」
「ですな、こういう時は般若湯に浸かりながら、般若湯で慰労したいとこですな」
「「「「「「「「私たちが! 頑張りましたー! スイーツたべたーい!」」」」」」」」
地下空間にあふれんばかりだった亡者の群れも、今はきれいさっぱりといなくなっている。
退魔僧のふたりと、黄泉醜女さんたちのおかげだ。
「とっとと帰って休もうぜ。俺たちの『酒処 七王子』へとよ」
「そうだな、だがその前にホテルで休息を取るようにしよう。今は何時分か?」
「あ、スマホに電波が入るようになりましたよ。これで時刻が分かります。あー、もう夕方ですね。あたしたちが迷廊の迷宮に入ってから1時間くらい経ったんだ」
小さい緑乱が寝入ったおかげで、この何処何某にあった迷廊の結界が解けたみたいだな。
迷廊の迷宮に囚われていたのは体感で半日くらいだったけど、不思議なもんだな。
グゥゥー
そんな時、誰かのお腹が鳴った。
「へへへ、失礼しました」
少し恥ずかしそうに腹ペコ珠子さんが笑う。
ググゥゥ―、ググゥー、グギャロロロー
続けて他のみんなも。
「ふっ、みなも腹がすいているようだな。事前にホテルに連絡して宴会の準備をさせよう」
黄貴の兄貴がスマホを手に取った時、俺のスマホもピロロと鳴った。
黒龍からだ。
やっぱり先に迷廊の迷宮から脱出していたみたいだな。
「おう、赤好だぜ。黒龍、お前も無事に……」
『助けて下さい! 赤好さん! 大変なことになっているんです!!』
漏れる音でも十分に聞こえる黒龍の大声に、もうハッピーエンディングモードだった俺たちに緊張が走る。
「どうした!? 一体何が起きた!?」
『あの不思議な空間から脱出したら、メイさんの所へ出てしまって! しかもベッドの上! 今、激怒したメイさんから枕でボカスカ殴られ続けているんです! 違うんです! メイさん! そんな気はさらさらなくって! え、なんで殴るのが強くなるんです!? ちょ、それは!?』
「しらねぇよ! そのまま土下座して謝るか、そのままいっとけ!」
緊張は3秒で解けた。




