コロボックルと焼き蛤(後編)
ズゼェーズハァー
私は息を荒くして再び浜辺に戻る。
「おつかれ様でした。あとはあたしに任せて下さい! もうほとんど出来てますから!」
「何でもするって言いましたからね。私は自分の言葉を曲げるような”あやかし”ではありませんので」
しかし、本当に、疲れました。
「それじゃあ、焼き蛤を作りますね。すっごく簡単ですから、電子レンジしか使えない蒼明さんでもできるくらいです」
そう言って、彼女が示した先は大きな焚火と小さな焚火でした。
おや、大きな焚火の中には大きな銀色の塊がふたつ。
「おいらも手伝うぜ!」
「わたしも!」
ああー、ちっちゃい手で大きな蛤を抱えている姿、かわいいー。
私には掌に収まるサイズのあの蛤もコロボックルにとっては顔と同じくらいのサイズなのです。
「ありがとうございます。それでは、さっきと同じように蛤をアルミホイルで包んで、焚火に投入! はい終わりー! ちょーかんたーん!」
確かに簡単ですね、私でも出来そうです。
待つこと数分。
「はいっ、できました! 焼き蛤の完成ですっ! お家でもガスコンロの五徳の上で焼けば同じようにできるんですよ」
シュージュワー
枝の箸でつまんで焚火から取り出した銀色の塊からは汁の溢れる音が聞こえてきます。
「これはコロボックルさんの分、そして! あたしたちのは!」
そう言って、彼女は太い枝をつかむと、
スコーン!
見事なスイングで大きな焚火の中から飛び出してきたのは大きな銀色の塊。
その中身を私は知っています。
なにせ、私が沖縄から買ってきたものですから。
「さあ、みなさんお待ちかね! これが沖縄で食用とされているオオシャコガイの一種、曲線の合わせ口と内側の海のブルーとグリーンの模様が美しい、その名もヒレシャコガイ! ヒレジャコとも沖縄では呼ばれている全長30cmにも達する大型の食用貝なのです!」
改めて見るとデカいですね。
アルミホイルの膜から出て来たそれは、私達の顔と同じくらいのサイズでした。
「さあ、いただきましょう!」
石を輪に並べて作った窪みに貝の器がすっぽりとはまります。
コロボックルと私達、体のサイズは違いますが、貝との対比サイズは同じ。
「おうっ、これならお互いに満足のサイズだな!」
「そうですね、お互いにお腹いっぱいになれそうですわね!」
とても嬉しそうにふたりの小人はナイフとフォークを取り出す、きっと自前なのでしょう。
あー、もう、ちっちゃいサイズのナイフとフォークもかわいいーっ!
「うめぇ!」
「ああ、蛤は何度も食べた事あるけど、おいしいオツユと肉厚の身がたまらない!」
ああーん、ちょこちょと蛤を刻みながら食べてまちゅー。
「こっちも美味しいですよ! 半生かと思うかもしれませんけど、刺身でも食べられますから大丈夫です!」
彼女も満面の笑みで大皿ほどの大きさの貝殻からヒレシャコガイを食べている。
あぶなかった、縮尺を間違えたらかわいいと思ったかもしれない。
おや? このシャコガイは丸焼きかと思いましたが、酒と醤油の香りがするところから、ちゃんと仕事がされているみたいですね。
私も頂きましょう。
コリッ
ひもの部分はコリコリとした食感で、貝柱の部分は柔らかく甘味がある。
なるほど、美味ですね。
「さあ、続いてお酒ですっ! コロボックルさんの懐かしのお酒! 『カムイトノト』を蒼明さんが買ってきてくれましたー!! みなさん! ありがとうの拍手をー!」
パチパチパチパチ
うきゅーん、ちっちゃいおててがパチパチしてるぅー。
「もちろん、酒杯は空いた貝殻ですよ。ごーかいに飲みましょー!!」
そして彼女はクリーム色のお酒をトクトクと蛤とシャコガイの貝殻に注ぐ。
「おー、これだこれだ」
「懐かしいわねー」
「このカムイトノトは稗と米麹から作られていて、神の酒という意味のアイヌのお酒なんですよ。最近復刻プロジェクトにより作られるようになったのです。さっきのイソポちゃんとシュマリちゃんのお話しを聞いて調べました」
そう言って彼女はスマホを取り出す。
その画面には、私のスマホにも転送された小樽の酒屋が映し出されていました。
私も存在は今日初めて知りました。
コクッ
コクッ
ふたりの喉が鳴り、続けて私達の喉がなる。
甘味と酸味が疲労した体に染みわたっていくのがわかります。
「ぷはぁー! いっきにのんじまったぜ!」
「本当、やっぱりおいしいわ」
ええ、私も気に入りました。
「はい、それじゃあ記念撮影といきましょう! みなさん酒杯を掲げてー!」
彼女がスマホを取り出し、石に立てかける。
「5秒後に光りますからね、はいっ、チーズっ!」
「いえー!」
「うふふーっ!」
クイッ
「すべりこみっ!」
思い思いの声を上げ、私達は一瞬の光に包まれた。
「ほら、見て下さい、大成功ですよ!」
スマホに映し出された私達の姿は、蛤とシャコガイの酒杯のおかげで、遠近法が間違っているのではないかと思えるくらい縮尺が一致していた。
「こりゃいいや!」
「すてきですね! 飾っておきたいくらい」
ふたりはその画像に見入る。
「それじゃあ、今度は東京の『酒処 七王子』にご来店なさって下さい。この画像をプリントアウトしておきます」
「おおー、そんな事も出来るのか、すげえなー」
「本当、人間の技術って不思議ですね」
本当に凄い。
彼女が今日、成した事は、私とコロボックルのサイズ比からヒレシャコガイの情報と沖縄の販売店を調べ、私に送ったのです。
さらに、クリーム色のアイヌの酒という情報の断片から、数時間前まで知らなかったカムイトノトの情報をネットの海から検索し、その酒を販売している店舗情報をも取り出しました。
さらに、今日の記念撮影とその映像データを『酒処 七王子』で印刷する事も可能なのです。
それは、他のどんな”あやかし”にも不可能な事、それを特別だという自覚なしに、当たり前のように彼女はやってのけました。
いや、これは少なくとも20年前では人でも出来ませんでした。
だが、たった20年の間に、人はどんな”あやかし”でも出来なかった事が出来るようになったのです。
驚くべき、いや畏ろしいまでの進化です。
なんと凄まじい生き物なのでしょうか、人間というのは。
「さあ、まだまだ蛤はありますよー、満腹になるまで食べましょうー!」
「「おー!」」
そう言って、彼女とイソポとシュマリは手を突きあげました。
まあ、かわいいふたりがよろこんでいまちゅから、いいですよねー。
◇◇◇◇
日が陰ってきました。
お腹がいっぱいになって眠くなったのでしょうか、彼女は砂浜に横になり寝息を立てています。
「あー、ねちまったか」
「無理もないわ。全力で潮干狩りをしたり、大きなシャコガイを開いて、食べれる所を取り出すといった下ごしらえをしていたのですもの」
「そうでしたか。私が沖縄と北海道に駆けていった時にそんな事をしていたのですか。思った以上に大変だったみたいですね。それじゃあ、このまま休ませておきましょう」
ブルッ
ゴールデンウィークの晴れの日といっても、日が落ちると少し肌寒いのでしょう。
彼女の体が少し震え、体が丸まります。
「仕方ないですね……」
私は上着を脱ぐと、それをそっと彼女にかけます。
「……んっ」
くぐもった声を上げて、彼女はそれをぎゅっと握り締めました。
ププー
車のクラクションの音が聞こえます、きっと兄さんたちでしょう。
「いやー、まいっちゃうわ。区間停電で信号も止まっちゃってね。高速に上がったら、一般道以上の大渋滞! やだもう夕方じゃないの」
藍蘭兄さんがぼやきながら車から降りてきます。
「あら? 珠子ちゃんはお休みかしら」
その視線は寝息を立てている珠子さんに注がれる。
このままだと、彼女はさらに兄さんたちの相手をする事になりますね。
「どうする? 起こす?」
「いや、寝かせておいてあげましょう。みんなの分は私が作りますよ」
「あら、珍しいわね。蒼明ちゃんが電子レンジ以外で調理するなんて」
「はい、今日学びました」
まだまだ蛤はある、みんなの肴には十分に。
これもきっと珠子さんが頑張った成果なのでしょうね。
「それに、かわいい”あやかし”も一緒ですよ。全国を旅しているそうです。そのお話しを聞きましょう」
「おう、北海道から北陸を抜けて飛騨の山越えの大冒険だぜ!」
「わたしもみなさんとお話しがしたいです。『酒処 七王子』の話とか」
「あら、素敵なお友達ね。いいわ、あっちでお話しと酒盛りにしましょ」
イソポとシュマリのふたりも、私と同じ気持ちなのでしょう。
今日だけはあなたの頑張りに免じて、強き私が、強い貴方の遊び疲れておやすみを守ってあげますよ。
私は自分の言葉を曲げるような”あやかし”ではありませんので。
ですが、これも貸しですから。
◇◇◇◇
私の名は蒼明。
妖怪王八岐大蛇の五男にて、女神櫛名田比売の五番目の姉の嫡男。
人とあやかしの狭間に揺れる存在。
ですが、もし”あやかし”と人間の戦いが起きたなら、私は迷わず”あやかし”側に付きます。
なぜなら、人間は強い、少なくとも闇に隠れ棲む”あやかし”よりずっと。
私は常に弱い者の味方なのです。
それが八岐大蛇と八稚女の血統を受け継いだ力ある者の務め。
人の言い方ならば『ノブレス・オブリージュ』という精神です。
もう半年以上も前になるでしょうか。
私たち兄弟の『酒処 七王子』に珠子さんという女性が働きはじめたのは。
種としても個としても、とても強い人です。
この強さを、本人は自覚していません、兄弟でも気づいている人は少ないでしょう。
でも、もし、今は凛々しく聡明で生命に満ち満ちた君が、何かの理由で弱音を吐いたら……
その時は、私がか弱き貴方を守りましょう。
「珠子さん」
「はい、なんでしょう?」
私の声に今日も元気に働く彼女は振り向きます。
「今のうちに言っておきますが、私はあなたを好ましく思っていません。だから、そのままでいて下さい」
そう、私は彼女が弱音を吐く所なんて見たくない。
強き私が守るべき対象になって欲しくない……この感情は何と言えばいいのでしょうか。
残念な事に、私は兄弟の中で封印から出たのが最も遅く、それを表現する言葉を知りません。
だから、もっと勉強しなくては。
貴方と人間の事を。
「……ひょっとして、蒼明さんって鬼畜ツンデレ眼鏡ですか?」
「……違います」




