鈴鹿の鬼女とアイスディップ(その1) ※全5部
天国のおばあさま、珠子は今、おばあさまの実家”何処何某”の近くまで来ています。
あたしが京都から電車に揺られてやってきたのは何処何某のある長岡天神から南へ2駅の大山崎駅。
ここで紫君と鳥居様と落ち合う予定だけど……。
「おねーちゃーん! こっちこっち!」
いた!
「無事でよかった! 紫君!」
ギュっとあたしが抱きしめると、紫君は「えへへ」と笑って、ギュツと抱きしめ返す。
相変わらずのあざとさで安心!
「心配してたのよ。『酒処 七王子』が何者かに襲われているって聞いたから」
「へへっ。赤好おにいちゃんが助けてくれたんだ。学校から帰るとちゅうで、赤好おにいちゃんが『今、家に帰るのはヤバい。黄貴の兄貴と合流しよう』っておむかえに来てくれたんだ」
そっか、赤好さんが予知能力で助けてくれたんだ。
「それで赤好さんは?」
「しらなーい。ボクを黄貴おにいちゃんの所へつれて来たら、どこかにいっちゃった」
きっとみんなを助けに行ったんだわ。
でも、不幸を避けられる赤好さんのことだもの、きっと大丈夫。
それよりも今は攫われた橙依君の方!
あの大嶽丸へ対抗する助っ人をスカウトしなきゃ。
「それで鳥居様、鈴鹿御前を味方につけるって話ですけど。これからどこへ行くのです? 鈴鹿峠の片山神社ですか?」
坂上田村麻呂の大嶽丸退治に登場するヒロイン、その名は鈴鹿御前。
彼女が祀られているのは、東海道沿いにある鈴鹿峠の片山神社だけど、ここからはちょっと遠い。
でも、緊急事態だもの、タクシーだってレンタカーだって乗ってみせるんだから!
「左様ではござらん」
「そこには、もう行ったよ」
「へ? そうなんですか? だとしたらどこへ?」
「ここから川沿いに北上した桂川と宇治川の合流地点。そこに立烏帽子姿の女の”あやかし”がいると頼豪殿より報告があった」
立烏帽子って、あの平安ドラマに出てくる長い帽子よね。
主に男性の貴族の装束だけど、それを被った女性?
「立烏帽子の女性と鈴鹿御前に何か関係があるのですか?」
「ボクもよくわかんなーい」
あたしたちの疑問に鳥居様はしばし考えこむ。
「ときに珠子殿。珠子殿は大嶽丸の伝説をどれくらい知っておるかな?」
「えっと、後に征夷大将軍となる坂上田村麻呂は、帝より鈴鹿山に棲み近隣を荒らし回っていた大嶽丸退治の勅命を受けました。だけど、その棲み処を見つけることが出来ず途方に暮れていた時、そこに登場する美鬼”鈴鹿”! 鈴鹿は大嶽丸から熱烈なアプローチを受けていましたが、ずっと袖にしていました。そんな時、鈴鹿はやってきた田村麻呂に惚れ、協力することになります。そして鈴鹿は大嶽丸の文に嘘の返歌でおびき出し、しかも『女の身では不安ですの』と騙して彼の武器を借り受けたのです。そして、そこに潜んでいた田村麻呂と大嶽丸の大バトル! 田村麻呂大勝利! やがてふたりには子供も生まれ、鈴鹿は鈴鹿御前と名を変え、鬼ではなく天女として祀られることになりました。めでたしめでたし」
日本三大妖怪でおそらく一番知名度が低いのが大嶽丸。
九尾の狐の玉藻の前の物語や、源頼光の酒呑童子退治の方が有名。
あたしもざっとしか知らない。
だって……。
「かなり大雑把でございますな」
「だって、大嶽丸の伝説ではお酒も食べ物も出てこないんですよ。なんかバトルばっかで」
そう平安宮廷ジャパネスク物でもなく、神便鬼毒酒も出てこない物語は、あたしの範疇外なのだ。
なんか大嶽丸は無限蔵から無限に武器を射出したり、千体に分身したり、身長57メートル体重550トンへと巨大化したりするみたいだけど、バトル物はあたしは好きじゃないのよね。
たまに橙依君や紫君と一緒にアニメを見るくらい。
「なるほど、確かに坂上田村麻呂伝説は珠子殿の好みから外れておる。だが、大筋はその通り」
「へー、そうだったんだ。あれ? でもさっき行った所の”すずかごぜん”はオニでも天女でもなかったよ」
「紫君、そこって片山神社のこと?」
「うん! 昨日の夜に鳥居さんといっしょに行ったんだ。でも、誰もいなかったよ」
誰もいない?
それに鬼でも天女でもなかったって?
「紫君、それってどういうこと?」
「えーっとね、前の安達ケ原のおばあちゃんと同じだったんだ。形はあるけど、魂が入っていなかったんだ」
「左様。片山神社で見つけた鈴鹿御前は『イラッシャイマセ。お求めは交通安全? 厄除け? それとも夫婦円満?』と言うだけの器であった」
安達ケ原の鬼婆。
それは紫君と一緒に行った東北旅行で出逢った”あやかし”。
いや、産まれた”あやかし”。
実際の人物や出来事から生まれたわけじゃなく、噂話の伝承から生まれた安達ケ原の鬼婆さんは、”あやかし”になる前の状態だった。
伝承に沿って演技する、人の思念で出来た自動人形のようなモノ。
紫君はそれに周囲に漂っていた魂のカケラを入れることで、”あやかし”として誕生させたの。
「じゃあ! その鈴鹿御前の器に紫君が魂のカケラを入れて味方にすれば!」
「ボクもそう思ったんだけど、鳥居さんがダメだって」
「どうしてですか!? 鳥居様!」
大嶽丸の弱点は鈴鹿御前。
八岐大蛇や酒呑さんのように女と酒なら何でウェルカム! って”あやかし”じゃなく、鈴鹿御前一筋だったはず。
珍しく純情派よね。
「当然であろう。本物ならともかく、伝承から生まれた人形のような鈴鹿御前を連れて行ったところで、大嶽丸の隙が付けるとは思えぬ」
「だってさ」
あ、そっか。
言われてみればその通りよね。
あの大嶽丸に『あなたの好きな鈴鹿御前のイメージガールでーす!』なんて言いながら女の子を連れて行ったら、無言で氷の剣が飛んできそう。
「鳥居様、ということは、鈴鹿御前なんて本当は存在しなくて、坂上田村麻呂はひとりで大嶽丸を倒したのですか?」
「左様ではござらん。鬼や天女の鈴鹿は実在せぬが、そのモデルとなった人間はおる」
「モデル? それが、今から向かう先の立烏帽子さんなのですか?」
「左様、田村麻呂伝説には異説も多い。その中で鈴鹿御前の基となった事実がある。『古今著聞集』に12世紀の検非違使藤原隆房の話があってな、それは『鈴鹿峠の盗賊を捕らえてみたら女盗賊であった。昔にも鈴鹿峠の女盗賊という言い伝えがあったが、今の世でも同じことがあるとは不思議なものよ』というもの」
「鳥居様、つまりその昔の鈴鹿峠の女盗賊というのが……」
「左様。それは田村麻呂伝説の異説の中で、鈴鹿の鬼女と伝えられ、田村麻呂と夫婦になったが、自らの罪を認めて朝廷に出頭し、最後に処刑された鈴鹿峠の女盗賊……」
そして鳥居様は哀れさを含んだ表情で、彼女の名を、ううん俗名を言い放った。
「それが立烏帽子よ」
◇◇◇◇
ここ大山崎の近くには川がある。
桂川、宇治川、木津川。
その3本の川が合流して淀川となって大阪へと流れていくのだ。
あたしたちが向かっているのは、その合流地点。
今はちょっとした森になっているけど、増水のたびに水に沈む場所だ。
ケケケ、ケロロロロロロ、ジーッジーッジーッ
森に入ると蛙や虫の声が響き、生い茂った葉と曇りの天気が、森を異様な雰囲気に変える。
「頼豪殿の情報では、立烏帽子はこのあたりに棲んでいるはず……」
このあたりって鳥居様は言うけど、スマホのマップに何か碑があるって情報はない。
鈴鹿御前のモデルになったくらいなら、何か謂われのある物があってもいいはずだけど。
それに女盗賊ってどんな人だったのかな。
坂上田村麻呂は奈良時代末期から平安時代初期の人物。
市井の女性は歴史の表舞台に滅多に出てこない。
そんな時代に女盗賊として名を馳せるだなんて、マッチョゴリラみたいな人だったのかな?
それとも、少年武将のような軽装で可愛らしいタイプ?
そんな事と考えながら進んでいると、前から女の子の争うような声が聞こえてきた。
あれ? あの声、聞き覚えのあるような……。
「だーかーらー、いーかーなーい!」
「いいから、きーなーさーい!」
見るとそこには岩にしがみつく鬼火を連れた鎧姿の女の子と、もうひとりは……。
「あー、コタマちゃんだ。ひーさーしーぶーりー」
「ちょ、なんであなたたちが!?」
「ちょっ、おまっ、いきなりはなすなっ!?」ゴンッ
もうひとりの女の子が驚きでパッっと手を離すと、短い鎧姿の女の子がその反動で岩へと頭をぶつける。
そこに居たのは、春の初めに京都へ行くって言っていた紫君のクラスメイト。
幼面短髪無二狐、コタマちゃんでした。
◇◇◇◇
「おーイテテテテ。あーあー、こりゃコブになっちまってるかもな」
額をさすりながら鎧姿の女の子が岩の上にちょこんと座る。
「ごめんなさい、驚かせてしまって」
「いいって、いいって、こんなのなめときゃ治る、ってデコはなめれないやないかー!」
「だったらボクがなめたげるよ。はいペロッ」
そう言って紫君が彼女のおデコにチュ。
「うっ、うわっ、なんだお前! いきなり、いきなり、そんなことをするなんてよ! ひょ、ひょ、ひょっとしてアタイに、き、き、気でもあるんんか!? あ、あ、あいにく、アタイは彼氏には困っていないんだけどな」
「そうなの? おねえちゃんってモテるんだね」
「おっ、おっ、おうよ! モテモテだったぜ!」
紫君のいきなりあざとい攻撃に彼女が顔を真っ赤にする。
ちょっと可愛らしい。
なんだろう、女の子という可愛らしさというよりは、田舎の夏休みに男の子と交じって川で泳いでいるような、そんな無垢で自然な可愛らしさ。
「その所々傷んだ挂甲姿……。そなたが鈴鹿峠の立烏帽子殿ですな」
「そうだぜジイさん。泣く子も黙る女盗賊、立烏帽子とはアタイのことさ」
彼女が着ている鎧は金属の小片が鱗のようになっている物。
歴史の本で登場するような古代の鎧だ。
本当は漆で綺麗に塗られていたのだろうけど、所々に剥げていて手入れされたような感じもない。
立烏帽子さんは盗賊だから、当時の武官から奪ったものかしら。
「左様であるか。儂は鳥居と申す」
「ボクは紫君!」
「初めまして、あたしは珠子です。あ、これお近づきの印です」
「ん? こいつは……、水あめじゃねぇか!」
あたしが差し出した瓶を透かすように眺めると、彼女は蓋をパカッと開け、指でそれをピチャピチャ舐める。
中身は麦芽糖の水あめ。
その色は現代でも『玉ねぎを飴色になるまで炒める』といった料理用語にも残っている薄茶色なのだ。
「うんめー、うんめー、ほら、お前らも食えよ。久々の上物だ。……って、そりゃ無理か。しゃべれもしないもんな、お前たちは」
彼女の周囲にはいくつもの鬼火が浮かび、それを見つめて彼女はフゥと溜息を吐く。
「相変わらずそつがないわね。この国の古代からある甘味を持ってくるなんて」
「へへー、水あめは日本書紀で神武天皇が作ったとも伝えられていますからね。彼女の生きていた時代の都、平城京か平安京にもあったと思ったんですよ」
「あー、ちゃうちゃう。アタイの時の都はここだぜ。長岡さ」
「へー、そうなんですか」
長岡京は784年から794年までの間、桓武天皇の時代の日本の都。
坂上田村麻呂もその時代を生きた、ううん、駆け抜けた人物。
「いいとこだったぜ、水が豊かで川を伝って舟で色んなものが都に入ってさ。そこの山崎津には毎日物があふれていたさ」
最後の水あめをひとすくいピチャっと舐めて、立烏帽子さんは可愛らしくニコッと笑い、そして……
「ま、アタイが滅ぼしたんだけどな」
とても不穏な事を言った。




