温羅(うら)とBBQ(その2) ※全5部
◇◇◇◇
パチパチと炭の爆ぜる音がして、周囲に肉の焼ける良い香りが漂う。
我は両腕を包む包帯に『上』、『右』、『そこで弧を描け』と権能ある言葉で指示を与える。
その命令に従い、包帯が動き、合わせて我の負傷した腕もそれに操られるように動く。
傀儡の王とは辛いものよ。
「ぬ、ぬう~んん!?」
肉の焼ける匂いに反応したのか、気絶していた温羅の鼻が動き、その目がゆっくりと開く。
ガバッ
そして、意識の覚醒と同時に上体が勢いよく起き上がった。
「目覚めたようだな」
「ここは……、そうか我輩は落ちていたようだな」
「いかにも。ほんの10分程度であるがな」
「イテテテ、なるほど頭が痛むわけだ。でっかいコブが出来ておる。我輩はしてやられたようだな。まさか大蛇の長男……、いや黄貴殿が鬼道を使うとは」
あの金棒の強撃でも瘤程度か。
かつての鬼の王の頑健さには舌を巻く。
「鬼道は母上より学んだ。王の奥の手としてな。だが、弟たちには内緒で頼む」
「なぜだ? 陰陽道の原型となった鬼道を知っているとなれば、他の者の尊敬を集められるぞ」
「我だけ母より授かった物があるのは心苦しい。弟たちの中は母の記憶すらない者も多いのだ」
下の紫君と橙依は母のことは憶えておらぬであろう。
蒼明でやっとおぼろげな記憶があるくらい。
その前で、『我ははっきりと母上のことを憶えておるぞ。しかも王の手ほどきまで受けておる。うらやましかろう、ふふーん』などは言えぬ。
我はそう言いながら串をひっくり返す。
肉汁が落ち、ジュッと炭から音と煙が上がる。
「それは?」
「ああ、野菜と肉の串焼きだ。現代風にはBBQと呼ぶ。温羅殿も一緒にどうだ?」
「もらおう。だが、その前に聞かせてくれ。何故我輩を生かしておいた?」
腕は使えぬとも、気絶中の温羅を仕留めるのは十分可能。
いや、少なくとも拘束はしておくはず。
そう温羅が疑問を抱くのは、もっともであるな。
だが、我が殿を務めたのは女中たちを逃がすという目的の他に、もうひとつある。
「それはな、我は温羅殿と同盟を結びたいからだ」
「同盟!? 我輩と!?」
「その通り」
我の誘いにこの巨体の鬼はしばし考えこむ。
ふむ、やはりただの筋肉ダルマではない。
「同盟か……、すまぬが少し考えさせてくれ」
「よいぞ。食事でもしながらゆっくりと話そう。ちょうど焼けたようだからな」
軽い焦げ目がついた肉と野菜の串を皿に乗せ、我は手に塩を取る。
「やはりBBQには塩が良い。塩こそ王道! まさに王! The王! である。さあ! 温羅殿も食すがいい!」
…
……
あれ? 妙だな。
瀬戸大将ならこんな時、『さすがは王様! 冴えてまする! ならば拙者は縮まりまして胡椒な小将!』と言って場を盛り立てる所であるが……。
「ひょ、ひょっとして温羅殿はタレ派であるかな? ならば、女中特製のタレがここに……」
フッ
鼻で笑われた!?
「いや失敬。一本頂くぞ」
温羅はむんずと串を掴むと、それに豪快に塩を振りガブッと食らいつく。
我もそれに遅れまいと、串を口にする。
ブチッ、ジュワッ
歯で断たれる肉の繊維が音を立て、その中から肉汁が染み出てくる。
肉汁に乗って流れる出る塩味は、肉の旨みを引き立てるだけでなく、口の中に水分を要求する。
そこでその要求に従って野菜を食べれば。
ザクッ、ジュッ
焦げ目のついた玉ねぎから、ほのかに甘い水が口腔へと滴り落ち、塩味を中和してさらに食欲を増大させる。
そこで肉をガブッと食らいつけば、敵を滅するまで止まぬ連続攻撃の完成。
ガッガッガッと心の赴くままに喰らうのも、また一興。
三口もあれば、串の一本は平らげられるわ!
温羅殿も塩の、The王の味に参っている所であろ……。
ムッシャー!
ひと口だと!?
温羅はスッと金串を口から抜くと、ガッガッ、シャクシャクと肉と野菜を咀嚼する。
「やはり、このような食べ方は好かぬ。追加をもらうぞ」
ヌッと毛むくじゃらの腕が我の横を通過し、そこのあった肉の塊をムンズを掴む。
「ま、待たれよ。焼く前に食べやすい大きさにだな……」
「いらぬ。肉というのは、ただ焼けばいいのだ」
我の制止など聞く耳を持たず、肉塊が網の上でジューと音を上げる。
そして、温羅は素手で肉塊の表面を炙るように転がすと、そのまま口に運んでいった。
ブチッ、ミチッ
鋭い牙が肉塊を裂く毎に、獣が獲物を食むような音が響く。
豪快にも程があるが、ここは黙するのが良いであろう。
「うまい。やはり我輩にはこの方が合っておる」
「そうか、気に入ってくれたようで何よりだ。酒もあるぞ。『参れ』」
我が権能ある言葉で呼ぶと、レストランなどで使われるサービスワゴンが自動的にスゥーとやって来る。
「便利な能力だな。言霊をそのように使うのは初めて見た」
「我の配下で料理や歓待を担当しておる女中を労うために覚えた。その者は仕事ではない時でも給仕をしかねんからな」
たまに実施する一門を慰労するための宴席。
そんな時でも女中は皆をもてなすため、厨房を行き来することが度々あった。
これでは慰労にならぬと編み出したのがこの技。
まさか母上も王権の権能と鬼道の術がこのように使われようとは夢にも思っていなかったであろう。
「ほう、”鬼ころし”か。しかも、こんなに多く」
サービスワゴンの酒の数々を眺めながら、温羅は面白そうに笑みを浮かべる。
「その通り。”鬼ころし”といえばコンビニなどで売っている紙パックがメジャーであるが、日本全国津々浦々に”鬼ころし”という銘柄はあるのだ」
女中が道中で教えてくれた蘊蓄。
『鬼が相手なら、”鬼ころし”をいっぱい用意しましょう! へっへっへっ、コンビニの安酒と思われがちですが、実は日本各所に鬼伝説があるように、”鬼ころし”というお酒も全国にあるんですよ』
中でも明治に創業された日本最北、北海道増毛町の国稀酒造の”北海 鬼ころし”は、辛口で雑味のないのが優れていると言っておった。
他にも東北の”みちのく 鬼ころし”や紙パックで有名な兵庫の”日本盛 鬼ころし”にまつわるエピソードの数々。
これらで会話を盛り上げて、同盟者へと落とす"殺し文句”へと繋げるのが我の温羅篭絡作戦よ。
「おすすめはこの国稀酒造の”北海 鬼ころし”……」
「おお、よさそうなのがあるではないか。我輩はこれがよい」
”北海 鬼ころし”の一升瓶を持った我を無視して、温羅はとある酒へと手を伸ばす。
女中が『これが一番ヤバイやつです』と説明した酒だ。
銘は”奴国の鬼ころし”
5Lペットボトル焼酎というヤバイ酒。
そのヤバイ酒を温羅はペットボトルから直接グビグビと飲む。
「くふっー! 酒はこれがいい、大きくて強い、それだけで十分よ」
「そ、それは重畳」
ホスト側が焼いた肉には目もくれず勝手に肉を焼き、勧める酒も無視してビッグサイズの酒を直接あおる。
傍から見たなら無礼にも思えるが、純粋の鬼とはそういうものなのだろう。
ならば、それを責めるのは無粋。
そう思いながら、我は串焼き肉に再び塩を振る。
「我輩のことを無作法者と思っているだろう」
「気にせぬよ」
我も温羅に倣おうと、金串の肉にかぶりつくが、ひと口でムシャリとはいかぬ。
「グワッハッハッハッ。”気にせぬ”とは正直よ。そして寛容でもある。気に入ったぞ」
「それはよかった」
鬼の王のもてなしなら豪快に。
ゆえにBBQが相応しいと女中に用意させた。
まあ、鳥居などが同席していれば、その態度に一言申したかもしれぬが、我は我の目的を達成出来れば満足。
我の実力も示し、食と酒で満足させれば、鬼を味方に引き込むなどイチコロよ。
「それで先ほどの同盟の話だがな……」
「うむ」
期待を胸に、我は次の言葉を待つ。
「断らせてもらう」
「何故!?」
この流れでこれはおかしい。
普通の流れなら、ここで握手のひとつでも交わすはず。
「そう声を荒げるな。ありていに言えば我輩と黄貴殿では釣り合わぬからだ」
「我の力量不足とでも?」
「逆だ。黄貴殿は武も智も礼も備えている。同盟とは対等の関係であるべきもの。我輩は礼を知らぬ、知ってもそれを行えぬ。思うがままに喰らい、呑み、猛る、鬼とはそういう生き物なのだ。もし、申し出が『我に従属せよ』というのなら従おう。それが勝者の特権だからな」
ふむ、一理ある。
だが、それは違う。
温羅はそれに気づいていないだけ。
「いや、温羅殿は勘違いしている。我は温羅殿は礼を十分に心得ていると思うぞ」
「我輩が!? この姿を見てもそう言うか!?」
獣の皮の服に縄のベルト、おおよそフォーマルから程遠い、現代ならばな。
だが、我が見るべき所は違う。
「温羅殿は正門から堂々と名乗りを上げて入って来た。もし勝利だけを目指すのなら……、女装して酒を担いで来ただろうよ。中に居るのが酒呑童子だろうが我だろうがな」
「フフフ、お前等の父、八岐大蛇が欺かれたかのようにか」
「そこは我も反省している。あの時、父上に『お前に酒と女はまだ早い』と言われて素直に従ったことをな。父上が女と酒に弱いのは許せるが、あれに騙されるとは大蛇の一族は頭も弱いと思われても仕方がないではないか」
幼き我もチラリと見たがあれはない。
巨大な8つの甕を軽く抱えてノシンノシンと歩く女がおるか。
女中がビールジョッキ8杯を持って配膳するのとは違うのだぞ。
「先ほどの戦い。温羅殿の正々堂々とした名乗りや戦い方は、十二分に礼に則っていたぞ。須佐之男と違って」
「ガッハハ、それもそうだ。それに比べれば我輩など上品なものよ。だが、それは武人としての礼。我輩が出来るのはそこまでよ。この食事ひとつをとってもそう。我輩はこういう食べ方しか出来ぬ。鬼の王は、王侯貴族様のようには食べれぬのだ」
温羅はそう言うと、脂のしたたる肉の塊をガブッと食らい、ブチッと歯で引きちぎる。
頑固なものよ。
だが、意固地と思えるくらいなこの態度には何か理由があるのであろうな。
「温羅殿、そこまで同盟を拒否するには訳があるのであろうな。例えば、吉備津彦命との戦の中でとか」
その言葉に温羅の手が一瞬止まり、そしてまたブチッと肉を食む。
「流石だな。その通りよ」
「それを話して頂けないだろうか」
「……そうだな。酒の席の与太話にくらいはなろう」
5Lものペットボトルは半ば空になり、それをグビッと飲み干すと、温羅はゆっくりと口を開く。
「我輩は太古の昔、吉備津彦命と戦った。趨勢は互角、いや我輩の鬼側が若干不利。そんな中、同盟の話が出た。互いに疲弊しておったからな。話はトントン拍子にまとまり、同盟の宴席と相成った。吉備津彦命の他、帝の重臣も同席してな」
「そこで、温羅殿がやらかしてしまったと」
少し遠い目を、過去でも視るかのように、温羅は視線を月へと移す。
「宴席で我輩はこのBBQと同じように思うまま喰らい呑んだ。皿の山海の珍味はまとめて口に投げ込み。当時の貴重品であった味噌も同じように鷲づかみでポイよ。それを見た重臣たちは言ったのだ『礼を無礼で返すような者は、温情を裏切りで返す』と。それで同盟の話は決裂よ。吉備津彦命は最後まで反対していたようだが、決戦と相成り、そして我輩は破れた。それだけの話だ」
「なるほど、つまり温羅は礼節に欠いたふるまいをしてしまうことで、自らのみならず、鉾を交えた相手すら貶めてしまうことが嫌なのだな」
「察しがよい。我と同盟を組むことで、『礼節を知らぬ者と同盟を組むなんて』と黄貴殿が軽くみられよう。我輩は我輩を倒した者が軽んじられるのが嫌なのだ。原因が我輩にあるとなれば尚更よ」
全力を賭した戦いは尊敬を生む。
スポーツや芸能の間でリスペクトと呼ばれるもの。
だからこそ、勝者が謂われなき中傷を受けるのは我慢ならぬということか。
「なるほど、わかった。つまり、温羅殿は礼節を尽くしたのだな」
「どうしてそうなる!?」
思いがけない台詞だったのであろう、温羅の目が大きく見開かれる。
「温羅殿は言ったな『礼節を知らぬ。知っても行えぬ』と」
「あ、ああ、確かに言った」
「それにはこういう意図があるのであろう。温羅殿にとっての食事の礼節は”最も美味く、最も楽しく味わえる振る舞い”なのであろう。『知っても行えぬ』とも言ったが、その理由は事前で礼節に則った作法で食事を試してみても、それはイマイチだったからであろう。だから自分の信じる最も美味く食べれる方法が礼節に則っている思ったからこそ、温羅殿はそうしたのだ。違うか?」
女中もよく似た話をしておった。
イベントの懇親会と称された立食パーティ。
ホテルなどで催されるそれは、料理は一流ではあるが、折角のその料理を楽しめなくて残念だと。
料理そっちのけで、商談だのコミュニケーションだの、人脈などの話をせねばならないと。
「黄貴殿は何でもお見通しのようだ。その通りよ。さあ、こんな無頼漢のと酒を酌み交わしていたなら汝の格も落ちる。仲間の下へ行くがいい。肉と酒の礼だ。追いわせぬ」
5Lもの焼酎はついに空になった。
温羅の言う通り、殿の務めが果たされた今、女中たちへと合流するのが定石。
だが、将来を見据えるなら、ここで温羅の心を掴まぬ道理はない。
「なに、そっちはしばらく問題ない。それよりも今は温羅殿の方よ。我が催す宴席は隙がないことを示してみせよう」
「ほう、何か趣向でもあるのか?」
「趣向などない。あるのはホスト役としての我の務めよ。この席で温羅殿に王侯貴族様のような礼節を持った振る舞いをさせてみせようぞ」
焼酎の次は日本酒。
温羅は”北海 鬼ころし”を一杯、盃で飲み干すと、顔をニンマリとさせながら一升瓶でラッパ飲みをする。
おそらく、最初の一杯で気に入ったのだな。
美味い酒なら、浴びるように飲む。
それが鬼の流儀であり礼儀のようだからな。
「ガッハハハ! それは愉快。そんなものが我輩に出来るとは思わぬが、こう言おう。”やれるものなら、やってみよ!”」
プハァーと酒くさい息を吐き、温羅は愉快に、挑戦的に笑う。
「よかろう! こういうのはいつもなら女中の領分であるが、我は王! 王ならばワンオペでもその実力を示すもの! 王だけに!」
…
……しまった、瀬戸大将だけでも連れてくるべきだったか。
温羅殿は一呼吸おいて「ガッハハ」と笑ってくれた。




