斧沼(よきぬま)の姫とエビチリ(その2) ※全5部
◇◇◇◇
駅を降りて俺っちはフフフーンと北へ足を進める。
急ぐ旅じゃねぇ、酒と弁当を買って物見遊山がてらに行くとするか。
今日は『酒処 七王子』は休業だし、明日の夕方に帰ればいいだろう。
途中で渓流釣りでも洒落こむのもいいねぇ。
俺っちは昔から愛用している寝袋と釣り竿が入った背嚢をポンポンと叩き足を進める。
確か、北へ歩いて川に沿ってと……。
おや? なんだか風景がちょっち違うな。
ここいらは田んぼや畑ばっかだからな、道を間違えちまったか。
しゃーない、そこらで誰かに聞くとするか。
おっ、おあつらえ向きにおまわりさんがいるじゃねぇか。
「これは、その、大切なことに使うんです!」
「そうは言っても、君のような女の子が使うようなものじゃないだろ。用途を説明してくれないか」
あれ? なんだか聞き覚えのある声がするねぇ。
斧を持った女の子の姿が見えるぜ。
おまわりさんとちょいともめてるようだが、もしかしたりなんて……。
「君、知ってるだろうけど、刃物を正当な理由なしに所持するのは違法なんだよ。最近は特に物騒な目撃があってね」
「だから、これは……、そう! キャンプ! キャンプで使うんです!」
「君のような女の子がひとりで? どこのキャンプ場を予約しているのかね?」
「うっ、それは……」
あちゃー、そのもしかだ。
嬢ちゃんがおまわりさんに詰められてらぁ。
しゃーない、ちょいと助けてやるとするか。
「ひどいぜハニー、いくら遅れたからって、俺っちを置いて先に行くなんて」
パチンとウィンクしながら俺っちはおまわりさんと嬢ちゃんの会話に割り込む。
「りょくら……、だ、ダーリン。むもう、おくれるダーリンが悪いんだからねっ」
さすがは嬢ちゃん、即興芝居もお手の物だ。
前に偽装結婚中した仲だしな。
「君はこの女性の知り合いかね」
「おお、すまないねぇ、俺のツレが迷惑をかけちまって。何かやらかしちゃいましたかい?」
「その斧。女性が持つにしては物騒だから所持の理由を確認していた。キャンプで使うとういう話だが、本当かね」
「ホントも本当さ。ごめんよハニー。やっぱ俺っちが持つべきだったよ」
「いいのよ、だ、ダーリン、うふふ」
斧を握って嬢ちゃんがフフフと笑う。
あー、そいつか、おまわりさんに目を付けられた原因は。
「どこのキャンプ場に泊まる予定かね?」
「袋田の滝の近くの竜神ふるさとキャンプ場さ。これは薪割り用だぜ」
前に来た時、確かそんな名前のキャンプ場の案内を見た。
「そうか。荷物を見せてもらってもいいかな。そこのお嬢さんも」
「いいぜ。ほら、ハニーも」
「え、ええ、どうぞどうぞ」
こういう時は素直に従った方がいい。
嬢ちゃんもそれはわかっているようで小型のリュックを差し出す。
「中は寝袋と釣り竿、そして弁当と酒か……、こっちは包丁道具一式に調味料や調理油にその手斧か……、確かにキャンプっぽいな」
「だろ」
「でしょ」
上手くやり過ごせそうだと俺っちたちは相槌を打つ。
「いいだろう。ご協力感謝します。でも、斧を持ったまま歩くのは止めなさい。ちゃんとバッグに入れるように」
「もちろんさ。あぶねぇからな。ハニー俺っちのリュックに入れてくれ」
「はいっ! わかりました!」
ふたつ返事で嬢ちゃんは手斧をリュックに入れる。
「あと、袋田の滝の近くで熊が目撃されているから気を付けるように」
「わかりました!」
「ありがとよ、気を付けるぜ。デカい熊なのかい」
「ああ、2メートルを超えるという目撃証言もある。鬼という証言もあるが、おそらく熊を見間違えたのだろう」
へぇ、2メートルを超えるってことはヒグマかねぇ。
北海道から海を渡って来たのかねぇ。
ご苦労なこった。
「最後にもうひとつだけ質問してもよろしいかな」
「どうぞどうぞ」
俺っちたちは息の合った仕草でおまわりさんに下手を出す。
「寝袋がひとつしかないようだが、これはどういうことだね?」
俺っちたちは顔を見合わせた。
◇◇◇◇
「ぶはっ、ぶははっ、ぶふあははははっ!」
「むもう、そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
おまわりさんを無事やり過ごした俺っちたちは那珂川の上流に向かって歩く。
「わりぃわりぃ。でもよ、さっきのおまわりさんの砂を吐いたような顔が面白くってよ」
「仕方ないじゃないですか、あの場合は。それに緑乱さんもノリノリでしたし」
おまわりさんの『寝袋がひとつしかないが、どういうことだね?』という質問に、俺たちは一瞬のアイコンタクトで意志を疎通し、それに応えた。
『『もちろん! 一緒に寝まーす!』』
ふたりの腕で描かれたハートに、おまわりさんは呆けるばかりさ。
「しかし、こんな所で嬢ちゃんに会うとは奇遇だな。そんな斧まで持って。一体何をしに茨城くんだりまで来たのかい?」
「ダーリン、じゃなくって緑乱おじさんこそ。てっきり家で飲んだくれていると思いましたよ」
「俺っちは野暮用さ。ちょっち袋田の滝の先までな」
「ああ、あの日本三大名瀑の。だとしたら方向がちょっと違いません」
「いいのさ、急ぐ野暮用でもないし。それに嬢ちゃんひとりだと心配だしな。熊くらいなら嬢ちゃんを抱えて逃げ切れるくらいは出来るぜ」
「プッ、そこは『熊からだろうと鬼からだろうと君を守ってやる』って言う所ですよ」
「いいのさ、今の俺っちはこれくらいが合ってる」
昔だったら、そう言ってたかもしれねぇけどな。
まったく、若さが憎いぜ。
「それで、嬢ちゃんの理由はなんだい?」
「うーんと、ま、いっか。あたしの目的は一攫千金です」
「一攫千金って斧でか?」
「ええ、そうです。この前のニュース憶えています? 老舗料亭の産地偽造問題」
「何処何某食品偽造事件だったかい。安い海外産の食材をブランド物だって偽ってボッタくってたって話の」
「そうです。実はですね、その料亭何処何某はあたしのおばあ様の料亭だったんです。今は別の人の手に渡ってますけど。おそらく、あのニュースで信用を失って潰れるとあたしは期待しています」
なるほど、期待しているね。
「そうかい。嬢ちゃん、いよいよ貯めに貯めた金の使い時が来るってことかい」
「その通り! 潰れたらあたしが買います! こんなこともあろうかと貯め続けた我が賃金! だけど、それでもきっと足りない! だからあたしは来たんです! 金を求めて!」
嬢ちゃんは『金の亡者』だなんて名乗っていて、他のやつらもそう思っちゃいるが、俺っちから見ると違う。
本当の『金の亡者』ってのは、他人を不幸に落としてでも金をせびったり、むしったりするヤツのことだ。
嬢ちゃんは金に厳しくはあるが、他の人間や”あやかし”を不幸にしてまで金を取ったりはしねぇのさ。
そんなのは本当の『金の亡者』なんかじゃない。
人間に疎いヤツらは気付いていないようだがよ。
「そうかい。それで、どうやって一攫千金を手に入れるってのかい」
「ふふふ、それはですね……、ちょうど着きました! 斧沼!」
ジャーンと嬢ちゃんが示すのは、沼というよりはデッカイ水溜まり。
”斧沼”って石碑が立っているけどよ、ショボいぜこりゃ。
「ここに何があるってのかい? 沼に埋蔵金でも沈んでいるってのか」
俺っちにはわかる、この斧沼は深くても1~2メートルくらい。
埋蔵金なんてありゃしない。
あったらとっくに見つかっている。
「さ。緑乱おじさん、リュックの斧を沼に投げ入れて下さい」
「おいおい。そんなことしても、何もないと思うぜ」
「いいからいいから。上手くいったらごちそうしますから」
嬢ちゃんにそう背中をパンパンと叩かれちゃしょうがねぇ。
ここは言う通りにするか。
ポチャ
俺っちが斧を沼に投げ入れると、それはズブッと沈んでいく。
こりゃ拾うのが大変そうだぜ。
「嬢ちゃん、こんなことして何になるってのかい」
「いいから! お願い! 神様仏様女神様姫様!」
嬢ちゃんは祈るように斧が沈んだ水面を見るけど、祈ったって何も起きや……。
ズズッ、ズズズッ、
起きや……。
ズズズッ、ズズズズッ
「おっ!? これは!?」
こんな小さな沼で起きるはずのない渦が起き、そこから何か光が出てくる。
「おいおい、こりゃどういうことだよ!?」
「静かに! やったー! おいでませ斧沼の姫様! あたしは正直者ですっ!」
やがて沼からひとりのナイスバディの別嬪ちゃんが金ぴかの斧を手に現れる。
これが斧沼の姫ってやつか!?
そして、その姫ちゃんはゆっくりと口を開いて俺っちに問いかける。
「あなたが落としたのはこの金の斧ですか?」
隣では嬢ちゃんが俺っちに何度も目をウィンクさせてアイコンタクトを送っている。
わかってるぜ、嬢ちゃん。
俺っちはこれを知ってるからよ。
「おいおい、これってイソップ物語のパクリじゃないかい」
ピキッ
俺っちがそう言った瞬間、空気が凍った。
「うわーん! なんでみんなそう言うのぉー!!」
姫ちゃんは泣いた。
「どうしてそんなことを言うんですかー!? ここは正直に『いいえ、普通の斧です』と答えるべきでしょうにー! うぁぁぁーん! あたしの一攫千金がぁー!!」
嬢ちゃんも泣いた。




