湯田の白狐と花咲く料理(その8) ※全8部
◇◇◇◇
「あーあ、負けちゃった。まさか会場の観客まで味方に付ける作戦だったなんてね。赤好君にしてやられちゃったかも」
「俺も最初に聞いた時はビックリ仰天だったさ。料理も作戦も9分方、軍師珠子さんの考案。俺と酒呑と茨木さんはそれに少し助言したり、調理作業を手伝っただけさ」
ここは出場者控室。
イベント終了後、俺は彼女と勝負について語り合う。
こっちは和やかだが、隣のビクトリー珠子さんたちは険悪な雰囲気だ。
「さあ! 約束ですよ! おばあさまの何処何某の経営権を売りに出して下さい!」
「策に溺れたな玉藻。俺様を排除しようとしての賭けだったのだろうが、珠子と俺様の料理の腕を甘くみたようだな」
「はいはい、わっちの負け。何処何某の経営権は1カ月以内に売りに出します。あとは人間たちで好きにするでありんす」
でも、珠子さんの目的も果たせそうだし、酒呑と茨木さん、そして俺がいるのだから玉藻も怪しい動きは出来ないだろう。
実際、そんな気配も視えないしな。
「今日の所はこれで勘弁したるし、いつかそこの小娘に料理でお礼はします。わっちは借りは返す主義ですから」
「いいですよ。受けて立ちます。でも次は審査員の方には変な術とかは無しですからね」
珠子さんの声に玉藻はハイハイと気のない返事。
「それにセンパイにも、そのうち一泡吹かせてやりますからお覚悟を」
「無理だな。何を企んでるか知らんが、貴様の妖力は昨年より格段に落ちている。何かの企てのために妖力を消耗しているのであろうが、今ここでそれを水泡に帰すのも面白い」
前言撤回、剣呑な気配はある。
「あらやだ、センパイったらこわーい! でも、妖力が落ちてるのには理由がありんすのよ。コタマモ、タマタマ、そろそろ帰るとしましょ」
「はーい」
「わかったわ」
彼女の身体がブルッと震えると、そこから子狐が飛び出し、スポッと玉藻の中に入り込む。
「ちょっと、タマタマ! 何トロトロしてんらっしゃるの! 行くでありんすよ!」
「今、いくわ」
おひいさんは玉藻の方をチラッと見ると、俺の手を握り、そっとハグをした。
「……… ……」
数秒後、彼女は俺から身体を離し、玉藻へと駆け寄る。
「バイバイ、赤好君。また逢えるといいわねー!」
「ほっときや、あんな雑魚大蛇。いくわよ」
「ええ」
彼女が玉藻の肩に手を触れると、その身体がシュンッとその中に吸収される。
瞬間、玉藻の妖力が膨れ上がった。
頭に狐の耳が生え、四本の尻尾がバサッと風を起こす。
あの宿毛で戦った時に感じたのと同じように。
「おひさしゅう、センパイ。白面黒髪万死狐、玉藻でありんす」
「なるほど、お前たちは元々ひとつだったというわけか。お前がフラワーエデンの女の邪魔をしなかったのも合点がいった」
そうか、彼女と玉藻はどちらかが勝てば良かったってわけか。
敵は玉藻の”ホテル大牡丹”と見せかけて、伏兵として彼女の”フラワーエデン”を配置しておく。
ダブル優勝にでもなったら、玉藻と彼女は合体して賭けは引き分けを主張する作戦だったのか。
あっぶねぇ、優勝出来てよかった。
「四尾、それが今のお前たちの妖力か。どうりでさっきまでは弱まっていたわけだ」
「そうどす。センパイは千載一遇のチャンスを逃したってわけ。ざんねーんでした」
肥大するふたつの妖力が場を揺らし、俺と茨木さんは震える珠子さんの前に立つ。
「さてどうするか。俺様の勘だと、今ここでお前を倒すのが吉と告げているのだがな」
「そうでありんすね。この状態でも戦闘ではセンパイに負けちゃいますね。でも、逃げるくらいは出来るでありんす」
玉藻がそう言うと、部屋中に牡丹の花が舞い、俺たちの視界を塞ぐ。
「待てっ!」
「待ちや!」
酒呑と茨木さんはその爪を振るうが、切り裂き散るのは花ばかり。
「バハハーイ! 次は大センパイとOBと一緒に伺いますから、覚悟なさって下さいね。セ・ン・パ・イ」
あくまで俺など眼中にない、そんな台詞を残しながら、玉藻と彼女は消えていった。
◇◇◇◇
……なんてこった、計画の半分も成し遂げられなかった。
黒龍たちにまた溜息を吐かれちまう。
二泊三日の旅行の最終日、俺と珠子さんは山口観光を楽しんで……、いなかった。
少なくとも俺は。
「赤好さんのおかげでおばあさまの店を取り戻す算段が出来ました! 今日はルンルンですよー!」
「そいつはよかった」
俺の作戦だと1日目の晩にはふたりでゆっくりと温泉を楽しみ、2日目には湯田の料理イベントを堪能して、その晩には高まった雰囲気とか流れとかでゴールイン。
黒龍には計画性が無いと言われたが、雨女さんやつらら女さんには、それくらい臨機応変の方が上手く行きますって言われた作戦。
それは、ものの見事に失敗した。
1日目の晩は徹夜で料理イベントの準備と練習にあけくれ、2日目の日中は料理対決。
見事優勝して気分は高揚! ともに苦難を乗り越えた達成感!
このままいい感じに進めると思っていたさ。
俺と体力ミニマム珠子さんの疲労が限界でなければ。
宿に戻って、美白狐にカムバックした狐吉さんの”牡丹燕菜”に舌鼓を打って、温泉に入ったらバタンキュー。
2日目はそれでおしまい。
なんてこったい。
「見えて来ました! あれが防府天満宮ですっ!」
「へーい」
そして3日目は珠子さんたっての希望で、行き先は山口の防府天満宮。
”あやかし”が苦手とする天神、菅原道真の分け御霊がある所さ。
「やっぱり良くなかったですか? あたしだけでもお参りしてきましょうか?」
「いや、いいさ。珠子さんと一緒にいたいからな」
「へへー、今のもポイント高いですね」
珠子さんは俺の手をギュッと握り、俺の手を引いて参道の階段を上がる。
嬉しいことこの上ないが、俺の心に引っかかるものがある。
玉藻と合体した”フラワーエデン”の彼女のことだ。
彼女が別れ際に俺に囁いた台詞。
『君にだけは私の本当の名前を教えてあげるね。私の本当の名は阿環。一意専心一途狐、アタマよ。忘れないで』
”アタマ”その名が何を意味するかはわからない。
他にも気になることがもうひとつ。
狐吉さんから頼まれたことだ。
『おひいさまが気にかけてらした貴方様だけにはお話致しやす。おひいさまは、あの玉藻という悪い狐に騙されていやす。どうか救ってやってくだせぇ』
玉藻が悪狐という点は全面合意だ。
しかし、俺の見た限り、彼女は自分の意志で玉藻と一緒に居るように思える。
何か理由があるのか?
それをどうにかすることが、彼女を救うことになるのだろうか?
「あー、赤好さんったら、今、別の女のことを考えていたでしょ。あたしが隣にいるってのに」
「そ、そんなことないさ。俺が考えていたのは狐吉さんのことさ」
「本当?」
「本当さ」
嘘は言ってない。
全容を言ってないだけで。
「ま、嘘じゃなさそうですし。いいとしましょ。さて、ここらへんでいいかな。赤好さん、あたしは赤好さんに告白することがあります」
いきなり来た!?
遅れてきた旅行のメインイベント!
そっか、ここを告白スポットに選んだのは、他の”あやかし”の目や耳を除くためだったんだな。
ふたりだけの秘密の告白だなんて、シークレット珠子さんも乙女っぽい所があるんだな。
乙女だと信じているけどさ。
「何でも言ってくれ。俺は珠子さんの言葉だったら全て受け止める」
「ありがとうございます。あたしがここに来たのはある目的のためです」
目的は俺のハートだろ。
そんなのわかってるって。
「差し出がましいと思っていますが、あたしは探しています。赤好さんの、ううん、みなさんの母親の”八稚女”の行方不明の七柱を」
「は?」
珠子さんが俺のおふくろを探している!?
影も形も噂すら神代の彼方にいっちまったおふくろを!?
「あ、ああ、みつかるといいな」
流石に無理だろと思いながら、俺は気の無い返事をする。
逢いたくないと言ったら嘘になるが、別に俺は猛烈に逢いたいわけじゃない。
俺が元気で暮らしていれば、それをどこかからか見ててくれると思っている。
橙依や紫君は違うかもしれないけどさ。
「あたしは亀戸天神の天神様、菅原道真様にお願いして行方を捜索してもらっていました。そして、天津神界に手がかりがありそうだとわかったのです」
「まあ、有力候補だな」
人間が行けるかはわからないけどさ。
「亀戸天神様は最初に”西を探せ”と天啓をくれました。そこに手がかりがあると。後から聞いてみると、四国に不穏な動きがあったのであたしに調べてもらいたかったようです」
「それがあの”夢の精霊”と”狐者異”の一件か」
「はい。そしてもう一度、亀戸天神様はおっしゃったのです。再び西に行って、この防府天神の天神様から指示を受けろと。天神さまー! 聞いていらっしゃいますよねー!」
気が付くと、周囲から人間の気配が消え、誰の影も見えない。
ゴロッゴロゴロッ! ピシャーン!
空が真っ黒になり、雨がないのに雷だけが俺たちの目の前に落ちる。
そして、その中からとてつもない神力を感じた。
「初めまして、でしょうか防府天神様」
「初めてでもあり、既知でもあるよ。久しぶりじゃな、娘さん。いや、珠子さんよ」
「はい、3か月ぶりくらいですね」
「うむ。そちらは……大蛇の三男の赤好じゃな」
朝服に笏を携え、肖像画でよくみる髭の男が俺の名を呼ぶ。
「知っているのか? 俺のこと」
「こう見えても学問系の神じゃからな。それくらいは知っとるよ。昨日の料理イベントのこともな」
「あら、そんなことまでご存知でしたか」
「あの女狐、玉藻が関わってくれてたこともか!?」
見てたなら手助けしてくれてもいいってのに。
「今、『手助けしてくれてもいいのに』と思ったであろう」
「うっ!?」
「図星じゃな。まあ、そう思うのは当然」
「なら、あいつを何とかしてくれ、きっと良くないことを企んでいるのは間違いない」
「うむ、天津神や国津神の間でも噂になっている」
天と地を交互に見つめ、天神はフゥと溜息を吐く。
「なるほど! あたしに悪事の証拠を掴んで欲しいという事ですね! そしたらご褒美が貰えると! 八稚女の手がかりに繋がるような!」
「半分は当たりじゃ。儂の依頼を果たせたなら、褒美を与えよう。天津神界へ招待し、思兼神様に引き合わせることもな。そうすればきっと八稚女の行方もわかるじゃろう」
「やった! やりましたよ! 赤好さん! お母さんの行方がわかるかもしれません!」
珠子さんははしゃいで俺の腕をつかむが、俺の心は穏やかじゃない。
『半分当たり』、その言葉が大きく引っかかっている。
「女狐らの行動はもはや看過できぬと判断された。儂だけではなく、他の神々も動いている」
そして、天神は珠子さんを、俺を見る。
「女狐らと因縁のあるふたりよ。九尾の狐”タマタマ”と二尾の狐”玉藻”を捕獲か抹殺せよ。さすれば褒美を与えよう」
「わっかりましたー! どうやってやるかはこれから考えますが、やるだけやってみます! 赤好さんも協力してくれますよね!」
俺は即答出来なかった。
アタマいう名を俺だけに告げた彼女の恋する瞳と、湯田の白狐、狐吉さんの『タマタマ様を救って下さい』という言葉が俺の頭の中を巡っていた。




