湯田の白狐と花咲く料理(その3) ※全8部
◇◇◇◇
参加旅館の紹介が終わると、パーティは人間たちが顔を広げる社交場となった。
要するに『みなさまでご歓談下さい』ってやつさ。
ゾクッ
なんだこの気配。
天神が来てるのか!?
いや、違う、これはそれとは真逆の邪な気配。
「おや、センパイに下種大蛇ではありやせんか?」
この声!? あの時の!?
気配の方を振り向くと、経っていたのは紺のビジネススーツに身を包んだ黒髪腹黒美女と料理人集団。
服には牡丹の花と”ホテル大牡丹”の刺繍。
このイベントの出場者なのだろうが、問題はそこじゃない。
こいつは、あの夢の事件の時、ねむねむ珠子さんの身体を攫っていた女だ。
「げっ!? あの時のさげ……」
「はぁ!?」
女の視線が俺のハートを射抜いて凍らせる。
ヤベェ、ここであの時と同じく”さげまん女”なんて口にしたら、このパーティがサバトに変わっちまう。
「あ、あの時のSage淑女ではありませんか。ちなみにSageは英語で賢人って意味さ」
「ふふふ、それはSageでありんすね。もすこし英語のお勉強をした方がいいんとちゃいます? 命のあるうちに」
女は蔑むような目で俺を見るが、その口元は一応笑っている。
た、助かった……、少なくともここでトラブルにはならなそうだ。
「久しぶりだな。白面くろか……」
「いやどすわ。そのあだ名は恥ずかしいですの。ここでは玉藻って呼んで」
酒呑の口を指で塞いだのは女の指。
なんだ、俺の時とはやけに態度が違うじゃないか。
「ふん、それが今のお前の姿か」
「ええ、今日のわっちはフードコンサルタントの玉藻でありんす。お見知りおきを」
スーツ姿に相応しい一礼をして、玉藻はニッコリと笑う。
周囲の人間からはその美しさに見とれるような気配も感じるが、俺はとてもそんな気分になれない。
「あー、あなた! おばあさまの店の女将! ここで会ったが百年目! おばあさまの店になんてことしでかしたんですか!?」
割って入るように、エンカウント珠子さんが玉藻にズズイと詰め寄る。
「あら? どちらはん?」
顔が割れてないからって白々しそうに、お前が攫った珠子さんだよ。
「珠子ですっ! あなたが産地偽装で評判を地に落としてくれた何処何某の元女将の孫ですっ!」
「何処何某は確かにあっちの店ですが、あんさんのことは知りませんなぁ」
「知らなくても結構ですっ! とっとと、おばあさまの店の何処何某の経営から手を引いて下さいっ!」
何処何某という言葉に周囲の人間がざわつく。
そういやちょっと前にワイドショーで話題になっていたな。
産地偽造で。
その謝罪会見で、この玉藻が女将として登場した時は、俺も度肝を抜かれたぜ。
「そうは言われましても、あの件はあっちも被害者で、矢面に立つ哀れなスケープゴートとして女将に祭り挙げられただけでありんすのよ」
「なら、なおさら手を引いても問題ないでしょう」
「そういわはっても、わっちにも立場とかコンサルタントとしての責任というものが……」
強気な珠子さんの言葉を、玉藻は飄々とかわす。
「下手な策略は止せ、玉藻」
「あら、センパイはわっちが何か下心でも持ってるとでも?」
うわっ、わざとらしい。
こいつ、こういった顔しか出来ないのか?
それとも、下心を探らせることで、男を自分の得意フィールドに引きずり込もうとしているのか?
「鬼道丸にクーポンを渡したのはお前であろう。ここに俺様を誘いこむために」
「だってセンパイったら、わっちの料理勝負を見物したいって言わはったやないですか。そこの貧相な小娘との料理勝負を。カコンコンッ」
もちろん、貧相な小娘とは珠子さんのことだ。
胸は貧相でも心と体は福相だけどな。
「ああ、確かに言った。で、何を企んでおる?」
「ふふふ、察しが良くて助かります。わっちはそこの貧相娘の欲しがる物を持ってます」
「なるほど、それを賭けての勝負ということですね! 受けて立ちましょう!!」
即決即断、珠子さんの勢いは止まることを知らない。
「貧相やが度胸はありますなぁ。センパイが気に入りはるわけや。でも、そっちにはわっちの欲しい物を持ってはります?」
「お、お金ならなんとか工面して……」
「お金も大切やわ。だけど、もっと大切なものがあります」
そう言って玉藻はチラッと酒呑童子を見る。
「歯に物が挟まったような言い方は止せ。何が望みだ」
「話が早くて助かります。そこの貧相な娘が勝ったら、何処何某の経営権を売りに出します。普通にお金で買えばよろしいやろ。でも、わっちが勝ったなら、センパイは金輪際、わっちの前に現れないでくれます」
なんだなんだ? 痴情のもつれか?
そんな声が周囲の人間から上がるが、きっとそんなもんじゃない。
つまり、邪魔なのさ。
この玉藻にとって酒呑童子は。
俺なんか眼中にないってか。
ま、いいけどよ。
「酒呑……」
玉藻が何かを企んでいるのを察して、茨木さんが酒呑の袖をギュッと握る。
「酒呑さん、お願いします。あたしに出来ることなら何でもしますから!」
玉藻の企みなど知るはずもない、蚊帳の外の珠子さんはすがるような目で酒呑を見る。
「男に向かって『何でもする』など軽々しく言うな珠子。俺様以外にはな」
酒呑はそう言ってキザに笑い、珠子さんの顔が明るくなる。
「酒呑さん! それじゃあ!」
「いいぞ、玉藻。お前の策に乗ってやる。お前が勝ったなら、俺様はお前に会おうとも思わんし、探しもせぬ」
「よろしやす。では、この”湯田温泉! 伝説の料理バトル!”で勝負と行きまひょ。わっちの”ホテル大牡丹”とそちらの”美白狐”のどちらが勝つか」
「望むところですっ!」
「いいだろう」
「ほな、決まりやね」
そう言って玉藻が手をパンと叩くと、酒呑の顔が少し歪んだ。
この気配、何かの呪か!?
そういや蒼明が互いの合意が必要だが約束を強制させる”天狗の約定”という術があると言っていた。
それと似た術だな。
「でも、その貧相な小娘に似合いの貧相な旅館でわっちの豪華ホテルと勝負になりますやろか。資金も人材もこっちが上ですのよ」
後ろに控えた紺色の料理人たちが不敵に嗤う。
一糸乱れぬその挙動、ひょっとしてこいつらも玉藻に操られている!?
いや魅了されている!?。
「へへーんだ、こっちには狐吉さんって凄腕の職人さんがいるんですから! あたしと狐吉さんのコンビなら絶対優勝してみせるんですから! ね、狐吉さん!」
…
……
「あれ? どうしました狐吉さん?」
珠子さんが肩を叩くが、狐吉さんは遠くを見つめて反応しない。
そういえば、レセプションの途中から静かだったな。
「も、申し訳ありやせぬ。みなさん、あっしは力になりません。ちょいと出場は控えさせていただきやす。それと、少しお暇を頂きやす」
「えっ!?」
「へっ!?」
「すみませぬ。本当にすみませぬ」
珠子さんと俺の疑問の声をよそに、狐吉さんはそそくさと会場を離れていった。
「あーら、さっそくそちらの旅館は仲間割れでありんすか!? これなら勝負は見えたでありんすねぇ。カコンコンッ」
玉藻の嫌らしい哂いが俺たちの耳に響いていた。
やっばヤバイやつだ、とびきりの女狐だなこいつは、と俺は思った。
◇◇◇◇
宿に戻ると美白狐の従業員たちは大混乱さ。
なんせ、店一番のベテラン料理人が姿をくらませたんだから。
勝負に燃える珠子さんが『大丈夫! 勝負でみなさんにご迷惑はかけませんし、何よりも絶対勝利してみせますから!』と自信と闘志満タンで宣言したから少しはおさまったけど、やはり動揺は収まりきらない。
そして、素早い珠子さんは早速料理の試作に入った。
本当なら俺もそれを助けるべきなのだろうが、俺程度の腕じゃ無理さ。
だから、俺は俺に出来ることをする。
ヒュゥゥゥゥー
日が暮れると山からの涼しい風が感じられて心地良い。
立つ場所が屋根の上なら尚更だ。
俺は瞳に能力を込め、湯田の温泉街を一望する。
俺にとって、俺たちにとって、珠子さんにとってのラッキーアイテムを探せば、そこに狐吉さんがいるかもしれない。
俺の予想じゃ、あの女狐がコンサルタントをしている”ホテル大牡丹”が怪しい。
ええと、ガイドマップによると”ホテル大牡丹”はこっちの方角……
「うげっ!?」
遠目なのに声が出た。
俺の瞳が捉えたのは不幸も不幸、アンラッキーの化身のような黒いオーラ。
あぶねぇ、あっぶねぇ、あんな所に飛び込んだら、命がいくつあっても足りない、八方塞がりになっちまう。
やっぱ、あの女狐は俺にとっての鬼門だな。
なら、裏鬼門、いやいや恵方はっと……。
視えた。
山の中腹にある古民家。
あそこに幸運の気配が視える。
俺は脚に力を込め、向い風の中、そこへと走り出した。
◇◇◇◇
古民家と思ったが、ここは民宿、いや和風の装いのペンションだな。
古ぼけた板には”フラワーエデン”の文字。
その銘を見て浮かんだのは美女の姿。
出場旅館のひとつ”フラワーエデン”の紹介の時に、会場中が息をのんだ美女だ。
あんな美女が俺にとってのこ幸運の女神だなんて少し役得かも……。
いやいや、しっかりしろ、赤好!
お前の一番は珠子さんだろ!
俺は頭の女神を手で振り払いつつ、フラワーエデンの門をくぐる。
「こんばんはー。どなたかいらっしゃいますか?」
受付に店員はおらず、奥へ声をかけると、「はーい、ただいま参りますー!」の声。
パタパタと廊下を走る足音が聞こえたかと思うと、ジャラッと昭和風な珠のれんを押しのけ……。
「いらっしゃいませ、お客様。お客様は幸運なお客様ですのよ」
幸運の女神が現れた。
いや、美の集大成ともいうべき美女とふたりっきり!
だめだだめだ、正気になれ俺!
「どうなさいました? そんなに頭をブンブンお振りになって」
「なんでもないさ。すまないね、俺は客じゃないのさ」
「あら、それは残念ですの。菖蒲のような方でしたから。てっきりお客様だと。それでは貴方は郵便配達員さんかしら? それとも鳩さん?」
「は、はと?」
少しおどけるような美女さんの言い方に俺は少し面食らう。
「あら、だって貴方ってば素敵な幸せの言葉を運んでくれそうですもの。ご存知です? 菖蒲、アヤメの花言葉は吉報ですのよ」
「そ、そうかい。だけどごめんな、俺は君のような美女に掛ける言葉が見つからないんだ。俺が訪問した理由は人探しさ。ここに狐吉さんって白髪の爺さんが来てないか?」
「ああ、貴方ってば狐吉さんのお友達でしたのね。彼なら奥にいるわ、どうぞ上がって」
彼女が俺の手を取ると、心と足に翼が生えたように軽くなり、俺は引かれるまま奥の厨房に導かれる。
厨房のテーブルには大輪の牡丹の花が飾られていて、ロマンチックな様相をみせる。
まずい、珠子さんの存在がなければ、ここで彼女に告白したくなるくらい、心が昂ぶっちまう。
「狐吉さん、貴方にお客様よ」
「お客様? あなた様は確か……」
「赤好さ、昼はご馳走様」
俺を見て狐吉さんは申し訳なさそうに目を逸らす。
「あら、赤好君っていうの。素敵な響きね、その響きだけで吉報と思えるくらいの。ね、狐吉さん」
彼女は笑いながら俺と狐吉さんを交互に見るが、狐吉さんは俺と目を合わせようとしない。
「そうだわ! ちょうどよかった! たった今、明日のイベント用の料理が出来上がった所なの。赤好君、試食して下さらない。いいですわよね。こちらですわ」
俺の返事など聞かない強引さで彼女はまだ握ったままの俺の手をグイッと引き寄せ、そのままクルッと社交ダンスのような回転をして、俺の身体にひねりを加える。
おっとっと。
バランスを崩した俺は流れ込むように椅子の上に座らされる。
「狐吉さん、運んで下さる」
「へい、タマタマ様」
「だめよ、狐吉さん。さっきも言ったでしょ。私のことはタマタマ様ではなく、おひいさんって呼んで」
「わかりやした。おひいさま」
彼女は”さま”じゃないわ、と言いたそうな表情をしたが、「狐吉さんって頑固よね」と俺に向かって小声で囁く。
まるで彼女がずっと俺の知り合いでもあるみたいに。
「さ、みんなで食べましょ。おふたりには何か話したいことがあるみたいだけど、腹ペコじゃきっと話がまとまらないと思うの」
「おひいさまがそうおっしゃるなら」
そう言いながら、狐吉さんが大皿をテーブルの前に置くと、俺の目の前に花畑が、いや、花満開の泉が現れた。
当然だが本物の泉でも花でもない。
スープの上に大輪の花が、黄色い牡丹の花が浮かんでいた。
「綺麗だ……、君みたいに。いや、君ほどではないけど、美しい料理だ」
思わずそんな感想が口から洩れる。
「やだもう、私はこれほど美しくないってば」
「いえ、おひいさまは美しゅうございます」
「んもう、狐吉さんまで」
そう言って照れる姿も可愛らしい。
「それで、この美しい料理は何て料理だい?」
「これはね、えっと……、そう! 牡丹燕菜! 洛陽の料理なの! 私が取り分けてあげるから、一緒に試食しましょ。美味しく出来ていると嬉しいんだけど……」
彼女が腕まくりすると、そこから白い象牙のような腕が現れ、取り皿に牡丹燕菜を取り分けていく。
まず、花の台座になっている具を皿に並べ、そこに泉のようなスープを注ぎ、最後に黄色い牡丹の花の花弁を崩して、再度盛り付ける。
瞬く間に大皿の牡丹燕菜のミニチェア版が出来上がった。
「さ、召し上がれ」
「ああ、いただきます」
「へい、おひいいさま」
変な成り行きだ。
俺は狐吉さんの行方を捜して、戻るように説得しに来たはずなのに、何故か明日のイベントのライバル店の試食をしている。
なんだか不思議な展開だが、気味が悪いわけじゃない。
「まずは土台の……、大根とハムからかな」
モムッ
細切りになった大根とハムは滑らかな口当たりで、軽く噛むだけで口の中でホロリと崩れる。
大根の甘さとハムのコク、絡んだスープの旨味が口で広がり、ツルリと喉に流れ込む。
美味い。
舌と喉で美味さを感じるほどに、濃厚で滑らかだ。
次は牡丹の花の部分だ。
フワッ、ジュッ
カールを描いた黄色い花びらは、口の中で甘く、甘く、とろけるようで、花に沁みたスープの塩味がそれを引き立たせ箸を進ませる。
「うまい! これほどの料理は食べたことがない!」
「うふふ、そうでしょ。この牡丹燕菜は私のおばあ様が好きだった料理なの」
「へぇ、そうなのかい。この牡丹の花は……、薄焼き卵かい?」
あの牡丹の花が本物じゃないってことはすぐにわかった。
スープはおそらく鶏系、そして花弁は玉子焼き。
相性バッチリの組み合わせだ。
「ちょっと違うわ。玉子焼きを薄切りにしたものよ」
「わざわざ薄く切ったんだ」
「ええ、そうじゃないとあの美しい牡丹の形に仕上がらないの」
「牡丹の部分はおひいさまが仕上げました。見事でございやす」
「手が込んでるな」
「そうね。でも、一番手を込めたのは狐吉さんよ。この大根とハムの細切りは狐吉さんの仕事なの」
「おひいさまに、そう言って頂けやすと、料理人冥利につきやす」
一番の仕事か。
俺には大根とハムを細切りにしただけのように思えるけどな。
そう思いながら大根とハムを口にした俺は、さっきまで気付かなかった食感に気付く。
あまりにも滑らかで軽く噛み切れるから気付かなかったが、これはもしや……。
「狐吉さん!? ひょっとしてこの細切り大根とハム全てに隠し包丁を入れてないか!?」
「へい、その通りでやす。さすがは噂に名高い『酒処 七王子』の方でやすね」
なんてこったい!
この何百本もある細切り大根とハム全てに隠し包丁を入れるだなんて、尋常じゃないぞ!?
「助かったわ、狐吉さんが来てくれて。私だけじゃ、こんなにいっぱい隠し包丁を入れられないもの」
「いえいえ、大恩あるおひいさまのためですから」
正直感服した。
いくら凄腕の珠子さんでもこれに勝る料理が作れる確信は持てない。
「それで、どうかしらお味は?」
「ああ、もちろん美味かったぜ。極上と言ってもいい」
「まあ、うれしいっ!」
「だけど、それだけじゃない……」
これを最高、究極、至高、頂点と称えるのは簡単さ。
だけど、そんな二文字の言葉だけじゃ足りない。
「あら、他に何かあるのかしら? 素敵な感想だといいのだけど」
彼女と狐吉さんの牡丹燕菜。
薄切り玉子焼きの花弁を何十枚も組み合わせて造る牡丹の花も、それを支える土台の大根とハムへの隠し包丁にも、尋常ではない手間が込められている。
それは執念とも呼べるほどのもの。
だけど、おどろおどろしくはない、自らが望んで、それをやり遂げることを幸せと思っているような、情念。
例えるならば、そう……。
「そう、これは恋の味がするぜ。造ったやつの憧れというか望郷というか、そんなどこまでも届かない高みに恋するような、そんな感じの味さ」
ポッ
その言葉に、彼女は少し驚いた顔をして、恥じらいの表情をみせる。
やっぱり。
いくつもの”あやかし”や人間の恋愛を見てきた俺だからわかる。
彼女は誰かに恋している、遠い遠い恋を。
俺じゃないのは確かさ、トホホ。
「いやだわ、もう。でも、ありがと。うれしい」
少し照れたように赤らんだ頬を抑えながら、彼女は言う。
そんなに顔を赤らめないでくれ、俺の心がハァと溜息を吐いちまうから。
ポッ
おい、狐吉さんも顔を赤らめるなよ。
俺の心が、はぁ?と溜息を吐いちまうだろうが。




