アリスとハニーハント(その4) ※全5部
◇◇◇◇
「素敵! これって、あれよね。イギリスのお茶会よね」
「そうよ。でもこれはイギリス流じゃなくアタシ流だから、お菓子はスコーンだけよ。紅茶はダージリンのファーストフラッシュを用意したわ」
「あ、春先に摘む爽やかなダージリンですね。あたしもそれ好きです」
「ええ、今日はスッキリ系が合うと思うわ」
コポポと真っ白なティーカップに紅茶を注ぎながらアタシは言う。
「けっ、しけてんなぁ。こんな小麦粉を焼いたやつで満足できるかよ。それにライチはどうした。まさか、こいつに混ぜて焼いたとか言うんじゃないだろな」
「さあ、どうかしら?」
砂糖の代わりに蜂蜜を添えて、アタシはみんなに紅茶とスコーンをふるまう。
「さあ、召し上がれ」
「いただくわ」
「いったい何を考えているんだか」
「いただきまーす! ねぇ、珠子ちゃん、このスコーンてどうやって食べるの」
「それはですね、ここで割って、中にジャムやクロテッドクリーム……は在りませんから、代わりに蜂蜜をかけて食べましょう」
「はーい」
優雅な指、ちょっとゴツイ指、細い指、働き者の指。
みんなの指がスコーンに伸び、それに蜂蜜がちょっとかけられて口へと進む。
ザクッ
その口がスコーンをかみしめた時、一瞬だけど、時が止まったようだったわ。
みんなが目をパチクリさせて動きを止めたんですもの。
「おいしー! おいしすぎるー! このスコーンてば甘いのにライチの味と香りがするのー!」
可愛くザクザクとスコーンを噛み締めながら、アリスは頬に手を当てて満面の笑顔を作る。
「本当ですわね。ふふっ、こんなのは初めてかしら」
「なるなる、これはひょっとして……」
「おかしいぜ! どうしてここからライチの味が!?」
おタマの眼光がアタシに向かい、そしてティースタンドのスコーンへと移る。
次の瞬間、おタマの手はスコーンを鷲掴みにして、それをおっきな口へと放り込んだわ。
ザクッザクッガッガッガッ
「ちょっとぉ、ガサツにも程があるんじゃない」
「ふるせぇ。やっふぁりだ。ほのすほーんは、ふぉむぎのあじふぃかふぃねぇ」
ゴクン
「やっぱりこのスコーンは普通の小麦の味だ。するってぇと、あのライチの味の秘密は……」
「この蜂蜜ね。ふふっ、紅茶に入れると素敵に美味しいわ」
「あっ、ミタマ、それはオレが言おうとしていた台詞だぜ」
「あら、ごめんなさいね。でも、こんなに爽やかなお茶に蜂蜜だなんて、こちらも昂ってしまいましたわ。御礼にひとつ歌いましょう。友に贈る詩を」
ミタマちゃんは、素敵に微笑むとポロロンと琵琶を取り出し、その美声を披露し始めた。
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安州老人食蜜歌 贈僧仲殊 作:蘇軾
(安州老人が蜂蜜を食す歌 蘇軾がわが友、僧の仲殊に贈る)
※作者注
安州:ここでの安州は淮南道安州(現在の湖北省)
蘇軾:別名、蘇東坡。北宋時代の官僚で詩人で芸術家で料理人。日本では東坡肉の考案者でも有名。
※仲殊:蘇軾の友人 蜂蜜大好き
浮気した妻に毒を盛られたが、蜂蜜を食べ続けてこれを解毒、以降、蜂蜜大好き僧侶となった。
安州老人心似鐵, 安州老人、心鉄に似たり
(安州老人(仲殊)の心は鉄のように強固)
老人心肝小兒舌。 老人の心肝、小児の舌
(だけどその舌は子供のよう)
不食五穀惟食蜜, 五穀を食らわず唯、蜜を食らう
(五穀を食べずに、ただ、蜜を食べる)
笑指蜜蜂作檀越。 笑うて蜜蜂を指して檀越と作す
(君は笑って蜜蜂を指して、これが私の旦那だという)
蜜中有詩人不知, 蜜中に詩あり人知らず
(蜜は、詩と同じようなものだというのをバカ共は知らない)
千花百草爭含姿。 千花百草争い姿を含む
(蜜の中には千の花、百の草が争う姿を含んでいるのだ。(詩が争いの種になるように))
老人咀嚼時一吐, 老人咀嚼時に一吐
(わが友、仲殊よ。君はその蜜を食べ、たまに蜜のような詩を吐く)
還引世間癡小兒。 還た引く世間の痴小児
(その詩は世間の子供のようなバカな大人を引き付ける)
小兒得詩如得蜜, 小児詩を得て蜜を得るが如し
(バカどもはまるで蜜を得ようとするかのように、その詩へと群がるのだ)
蜜中有藥治百疾。 蜜中薬あり、百疾を治す
(蜜の中には薬があり、あらゆる病気を治すと言われる)
正當狂走捉風時, 正に狂走風を捉る時に当たりて
(まさしく政治争いに狂走して、無益な時勢を取ろうとする時に)
一笑看詩百憂失。 一笑して詩を看百憂失す
(君の詩を見れば、心配ごとなど一笑して吹き飛ぶのだ。(蜜を食べて病気が治るように))
東坡先生取人廉, 東坡先生、人の廉を取る
(私、蘇軾は元より人の清廉さを良しとする)
幾人相歡幾人嫌。 幾人か相歓び、幾人か嫌う
(こんな私をある人は好み、ある人は嫌う)
恰似飲茶甘苦雜, 恰似たり、茶を飲んで甘苦雜に
(まるで私が茶であるかのように、茶を甘露に感じたり苦く感じたりするように。私の詩は人を選ぶのだ)
不如食蜜中邊甜。 如かず蜜を食らうて中邊の甜きに
(だが、それも蜂蜜のようにどこまでも甘い甘い君の詩にはかなわない)
因君寄與雙龍餅, 君に因って寄與雙龍の餅を
(よって、君のために双龍の茶を贈ろう。(私の詩は茶のような味わいだからね))
鏡空一照雙龍影。 鏡空に一照す雙龍の影
(君はそれを飲んで鏡のように澄み渡る空を飛ぶ双龍の影を見たまえ)
三呉六月水如湯, 三呉六月水湯の如く
(君の住む地域、呉の三大都市のあたりの六月は水が湯のように暑い)
老人心似雙龍井 老人の心は雙龍井に似たり
(この詩とお茶で、君の心も身体も双龍茶の産地のように涼しくなってくれたまえ)
※作者超訳
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ポロロン
「ごめんなさいね。あまりにも美味しかったものだから、舌が動いてしまったわ。ふふふ、蜂蜜で口が滑らかになったのかしら」
「いいえ、とっても素敵だったわ」
「なんだか不思議な詩ね。含みがあるというか、世間への愚痴がはいっているみたいな」
「この詩の作者で東坡肉の考案者で中世の中華グルメ達人、蘇軾さんは、詩を曲解されて投獄や左遷を受けていましたから。さらに、詩の送り先の仲殊さんは浮気をしていた妻に毒殺されそうになりましたからね。社会のイヤミが入っているのでしょう。ですが素直に読めば『甘すぎる蜂蜜の甘さにはサッパリしたお茶が合うぞ』と読めます。蜂蜜とお茶の組み合わせが極上なのを1000年近く前に知っているだなんて、やはり中華の偉人は凄いです」
「それにつけても、この蜂蜜は佳良だわ。何か秘密があるのでしょうね」
そう、ミタマちゃんの言う通り、この蜂蜜には秘密があるの。
アタシも蜂蜜をかけたスコーンを食べると、そこに小麦本来の味と、天上に昇るようなライチの香りを感じる。
うん、サイコー!
「どういうことだ!? ペロッ この蜂蜜からライチの味と香りを感じる。だが、こいつはライチの果実を蜂蜜に漬け込んだもんじゃねぇ。味わいは深いのに若さや命の息吹すら感じる、根源的な何かを……」ペロッ
おタマはスプーンで蜂蜜を何度も舐めるけど、この秘密には気付かないみたい。
でしょうね、アタシも知ったのはつい最近だもの。
「教えてあげるわ。その蜂蜜は普通の蜂蜜じゃないの。ライチの単花蜜よ」
「単花蜜だぁ!?」
「やっぱり! そうでしたか!」
おタマの驚いた顔の隣で、珠子ちゃんが掌をポンと叩くわ。
「ねぇ、ランラン。その単花蜜ってなーに? 普通の蜂蜜とは違うの?」
「ええ、普通の蜂蜜は様々な花の蜜をミツバチが集めて作るわ。これを百花蜜って呼ぶの。単花蜜はその逆。ミツバチが一種類の花から蜜を集めて作った蜂蜜。それが単花蜜よ。これはね、ライチの花だけから集められた蜂蜜なのよ」
「その通りですっ! さすが藍ちゃんさん、乙女のあまーい蜂蜜についてよくご存じですね。これにはあたしも気づきませんでしたよ」
「ありがと、珠子ちゃん。でもね、これはちょっとした偶然なの。居住館にねソバ蜂蜜があって、それを食べて”もしかして!?”ってなったのよ。ライチの単花蜜が手に入ったのは幸運だったわ」
ライチ単花蜜は通販ならすぐに見つかったけど、それじゃ間に合わないから、いくつもの店を駆けずり回ってやっと見つけたの。
苦労したわ。
「アナタ、アタシに言ったわよね。『ライチの一番の食べ方はフレッシュなのをそのまま食べることだ』って。でも、それってライチの果実のことよね。そこにライチの花の蜜は含まれているのかしら?」
ふふふ、含まれていないのは、彼女の顔を見れば明白だけど。
「ライチの果実の食べ方ならアナタの言う通りかもしれないけど、ライチのの一番の食べ方には、このライチ蜂蜜だって負けていないんじゃない」
「くっ……、確かにこの蜂蜜は最高に並び立っちまう」
うん、いいわね、その表情。
ふふーん、この前の溜飲が少し下がったわ。
「だ、だけどよ。楊貴妃はこの蜂蜜を食ったかもしれないぜ! ライチの産地から蜂蜜を取り寄せたりしたかもしれねぇし」
「あら? そんなことあったかしら」
「ちょいとミタマは黙っててくれ! どうだ? 中国全土から美味を集めさせた玄宗とその愛妃の楊貴妃だぜ! しかも楊貴妃のライチ好きは昔も今も超有名だ! なら、珍しいライチ味の蜂蜜が献上されたことだってあるんじゃないか!?」
くっ!? 痛い所を付くわね。
おタマが持って来た”ライチ発酵ワイン”は近代の醸造技術がないと造れない。
だからそれは楊貴妃が飲んだことのない味だって証明される。
でも、蜂蜜は古代中国の上流階級でも食べられていたのをアタシは知っているわ。
そこにライチの産地の南方から取り寄せたライチ蜂蜜が無いだなんて証明できない。
そんなアタシの悩みを……、
「いえ、それはないです」
珠子ちゃんが一発で消し飛ばした。
「そ、そーなの珠子ちゃん!?」
「はい。ミツバチには主に西洋ミツバチと東洋ミツバチがいます。でも、ひとつの花から蜜を集める習性を持つのは西洋ミツバチなのですよ」
指でクルクルと8の字を描きながら珠子ちゃんは言う。
「中国の養蜂は2世紀、後漢の姜岐が編み出したと伝えられています。丸太や泥で固めた竹かごでミツバチの巣が作られやすい環境を整え、ミツバチがそこに巣を作るのを待つやり方ですね。ですので、楊貴妃の唐代には中国各地で養蜂が行われていても不思議ではありません」
「だったら、ライチの産地、高州産の蜂蜜だってあったはずだぜ」
「ええ、そうでしょうね。ですが、それでも楊貴妃の時代に単花蜜はありえないんです。古代から近世までの東洋ミツバチを使った中国の養蜂では。その理由は西洋ミツバチと東洋のミツバチの習性の違いにあります」
ライチ蜂蜜を紅茶にポトリと垂らし、その香りと味で喉を潤しながら、珠子ちゃんは説明を続ける。
「西洋ミツバチの祖先のアフリカミツバチの生息地には雨季と乾季があります。その地域の花は雨季に一気に咲くんですよ、それも群生して。ですからアフリカミツバチは雨季に群生して咲く一種類の花に通い続けて蜜を溜める性質があるんです。西洋ミツバチもそれを引き継いでいます。一方、東洋ミツバチの祖先は熱帯アジアのジャングルに生息していました、ここでは様々な花がいつもどこかに咲いているので、ひとつの花から蜜を集める性質を持たないんです」
「つまり、このライチの単花蜜は西洋ミツバチでしか集められないってこと?」
「はい。ライチに限らず、クローバーやレンゲの単花蜜も東洋ミツバチでは集めることは出来ません。全て百花蜜です。そして、西洋ミツバチを使った養蜂が日本や中国、東南アジアに広まったのは近代になってからです。ですので……」
「楊貴妃はこのライチ蜂蜜を食べたはずがないってことだな! オレもそう思ってたんだ」
まるで最初からわかっていたかのようにおタマはウンウンと頷く。
「アナタ、ちょっと調子が良すぎない?」
「勝負はいつも臨機応変にってのがオレの信条なんでね。今日の所は引き分けってことにしてやるよ。どっちも最高だってことでな」
もう勝負は終わったとばかりにおタマはサクッとスコーンをお代わりする。
でもダメよ。
ここで終わりじゃないもの。
「ダ……」
「違うわ。まだ終わりじゃないわよ。ううん、あたしのランランがこの程度で終わるはずないもの」
アタシの声を遮って、会話に割って入ったのはアリス。
自信たっぷりのアリス。
「おいおい、また彼氏への援護射撃かよ。それはお熱くていいこっただけどよ。ここらで勝負は終いにして、極上のライチたちを楽しもうぜ。そうだ! このライチ蜂蜜をフレッシュライチにかけてみたらどうかな? きっと最極上になると思うぜ」
「おあいにくさま、ごまかされないわよ」
そうね、おタマはきっと気付いているわ。
アタシに次の手があることに。
だから、勝負を切り上げようとしている。
「ごまかすもなにも、これで終いだろ。オレもコイツもどちらも楊貴妃ですら食べられなかったライチの食べ方を披露した。それは極上だった。めでたしめでたし」
「そうね、それでもいいとも思ったけど、やっぱりあたしはランランが好きなの。だから、彼に勝って欲しいのよ。勝てる手を持っているならなおさらよ」
「それってどんな手さ?」
「あら? 貴女は気付かなかったの? あたしは気付いたわよ。ずっとランランを見ていたから。彼の一挙手一投足だって見逃さないわ。そこからポクポクポクチーンってすると……」
そう言ってアリスは両方のこめかみに指を当てて、考える素振りをする。
嬉しいわ、そこまで観ていてくれたのね。
「そう! お酒よ! 最初に貴女がお酒を出した時にランランがちょっと動揺したわ! あれはお酒が被っているかもしれないって思ったからよ、きっと!」
そして、アリスは正解へとたどり着いた。
「正解よ! アリス! アタシのハートにもグッと来たわ!」
「愛しのハニーの心ですもの! これくらい捕まえておかないとねっ!」
アタシたちは手を握り合い、抱き合い、そして、クルクル回る。
「あー、もう、オレの負けでいいから、最後のブツを出して終わりにしないか。ちょいと甘ったる過ぎるぜ」
「そうですね。あたしも同感です。何が出てくるかも予想できましたし」
おタマと珠子ちゃんが少し呆れたようにアタシたちを見るわ。
いいわ、そうしてあげる。
あたしはテーブルの下のバックから最後のハニーアイテムをトンっとテーブルの上に置く。
それは、蜂蜜があるのなら、あって当然のもの。
古代からずっとあったそれだけど、ここまで進化したのは最近のこと。
単花蜜のおかげで、バリエーションがずっと増えた物のひとつ。
それは……
そう、ライチ蜂蜜の蜂蜜酒よ。




