アリスとハニーハント(その3) ※全5部
◇◇◇◇
「で、なんで俺の所に相談に来るのさ。料理関係なら珠子博士さんだろうし、インテリ関係なら蒼明のとこだろ。幸せ兄貴」
「えー、だって”アタシがやる”って宣言しちゃったから、珠子ちゃんにお願いは出来ないし、蒼明ちゃんは、あの、いけすかない女と関係があるみたいだから、頼りたくないの」
3日間、それがアタシに与えられた猶予。
本当はあのまま直ぐに延長戦に入るような雰囲気もあったけど、肝心のライチが無くなってしまったので、延長戦は次の入荷日になったの。
「お願いっ! アタシとアリスの愛のために力を貸して! 赤好ちゃん!」
「まったく、恋愛成就の借りを返してもらう前に恋のアフターケアとはね。でもまあ、しゃーないか。出来ることは少ないだろうが、手伝ってやるぜ兄貴」
赤好ちゃんはそう言うと、テーブルに肘をついてアタシを見る。
「で、”楊貴妃でも知らないようなライチの食べ方”にアテはあるのかよ」
「ないわ。ノープラン」
「はぁー、どうすっかな。兄貴の太極の権能で何か出来たりしないのか?」
「できないわね。アタシの太極の権能は混沌と調和だもの。戦闘とか回復ならドンとこいだけど、料理関係には無力だわ。こういうケースは赤好ちゃんが得意じゃないの? ほら、そのラッキーアイテムを見つける瞳、期待しているわよ。朝のラッキー占い係ちゃん」
「もう少し言い方ってのがあるだろうに……」
赤好ちゃんの権能の詳細はよくわからないわ。
だけど、アタシの攻撃を躱せたり、他の兄弟たちからの情報を総合するに、ラッキーやアンラッキーを見極めることが出来るみたい。
「で、どうなの!? 今日のアタシのラッキーアイテムは何?」
ずずいと乗り出すようにアタシは赤好ちゃんに迫る。
「近ぇよ、うっとうしい。男に迫られても嬉しくないね。今日の兄貴のラッキーアイテムはこれさ。黒龍からもらった信州、長野銘菓さ。”そば饅頭”だとよ」
「これに何かヒントが隠されてるの?」
「わからん。俺の能力は不安定で不確実で不愛想なのさ。これが兄貴にとって幸運のアイテムなのは間違いないが、それがどうライチにつながるんだか」
「きっと食べればわかるわよ。悪いけど、お茶もお願い」
「へいへい、兄貴は弟使いが荒いこって」
赤好ちゃんは渋々ながらも席を立つ。
アタシ知ってるの、赤好ちゃんってばとっても尻が軽いのよ。
軽薄の意味じゃなくって、誰かのために動くのが大好きなの。
イイ子よね。
「兄貴、茶が切れたから紅茶でいいかー?」
「いいわよー。甘々でおねがーい」
しばらく経つと、あんまりオシャレじゃない実用的なティーカップを手に赤好ちゃんは戻って来たわ。
「ほい」
「ありがと。じゃあ、頂きましょ」
アタシたちは紅茶を手に”そば饅頭”を食べる。
モムッモムッ
「おいしけど、ただの饅頭よね」
「だよな。蕎麦の風味がして普通に旨い信州銘菓だよな」
ここから”楊貴妃でも知らないようなライチの食べ方”のヒントが生まれるかもしれないけど、まったくわからないわ。
お手上げね。
でも、この程度で諦めるわけにはいかないの、アリスのためにも。
アタシはズズッと紅茶を飲み、何かヒントはないかと次の饅頭に手を……。
あら?
ズズッ
あらら?
「ねえ、赤好ちゃん、紅茶の銘柄変えた?」
「いや、いつものダージリンだぜ。ティーパックのな」
「でも、この味はいつもと違うわ……」
ガタッ
「おい止せ! お代わりが欲しいなら自分で取りにいけ!」
赤好ちゃんはそう言うけど、そんなのかまってられないわ。
アタシは赤好ちゃんの手からカップを奪い取るとそれをグイッと飲み干す。
「いつものダージリンだわ」
「だから言ったろ」
「それじゃ、何が……」
「蜂蜜じゃないのか。いつものやつが切れていたから、黒龍の信州土産を使ったのさ。”そば蜂蜜”だってよ」
「それよ!」
アタシはキッチンにダダダッと駆けこむと、戸棚の蜂蜜を、”そば蜂蜜”の瓶を見つけて、スプーンでペロリ。
いつもの蜂蜜よりずっとコクがある!
色も黒いし、味も黒砂糖みたいな味!
これが”そば蜂蜜”の味なのね!
「やったわ! これよ! ありがと! 赤好ちゃん!」
「そうか、よかったな。上手く行ったら珠子さんに俺の働きをアピールしといてくれよな」
ちょっと素っ気なく、でも期待半分に赤好ちゃんはアタシに言い放ったわ。
◇◇◇◇
「それがランランが見つけてくれたスペシャルな物なの?」
「そうよ。苦労したんだから、都内の店という店を巡って手に入れたのよ」
「いいなー、あたしも行きたかった」
「ダメよ。まだ経過観察中なんだから。それに診察の予約があったでしょ」
アリスの治療は順調。
だけど、弱った身体はすぐに元気になるわけじゃない。
少しずつ、少しずつ、回復していく。
今は軽い外出くらいは出来るけど、遠出や運動はまだなの。
大丈夫になったら、一緒に旅行に行こうって約束しているけど。
カラン
ポロン
「いよう! 来てやったぜ!」
「今日もおタマのおごりでライチを食べに参りました」
お店のベルが鳴り、蒼明ちゃんの財布にたかるギャル女と、さらにそれに相乗りする上品な女がやって来たわ。
「いらっしゃいませー。おタマさんにミタマさん。約束通り、フレッシュライチを仕入れておきました」
「いいぜ、約束を守るってのは、何よりもいいことだ。オレも方々手を回して”楊貴妃でも知らないようなライチの食べ方”を見つけて来たぜ。だが、あちらさんはどうかな」
既に席に山盛りになっているフレッシュライチに笑顔を見せた後、おタマはアタシたニヤニヤ見るわ。
「おあいにくさま、ちゃんと用意しているわよ。すぐにでも、あの楊貴妃ですら食べたことがないライチをご馳走してあげるわ」
「へぇ、言うじゃないか。それはライチそのままを食べるよりも上なんだろな」
「かもね。そこは食べる者それぞれだから絶対なんて言わないわ。だけど、これだけは言い切れる。たとえこの場に楊貴妃がいたとしても、アタシが出す物は彼女の目と舌と鼻を惹き付けるわ」
アタシは自身たっぷりにスペシャルな物が入ったバックをポンポンと叩く。
「へえ、今の音は……酒だな」
えっ!? どうして!?
もしかして、バレてる!?
おタマの鋭い言葉にアタシの心が少し揺れる。
「図星のようだな。なら先手必勝! ”楊貴妃でも知らないようなライチの食べ方”、それはこれさ! この酒だ!」
アタシの動揺に付け込むようにおタマは深紫色の瓶をドンッとテーブルに置く。
「こいつがライチの酒! 麗子佳人 茘枝酒だぜ!」
おタマが出した瓶のラベルにはライチの絵と麗子佳人の文字。
「おお! おタマさんスゴイですね! 実はあたしもそれを用意しているんですよ」
おタマに呼応するみたいに珠子ちゃんも同じお酒をテーブルにドン。
「へぇ、やるじゃねぇか。オレと同じものを見つけるだなんてな」
「ま、これくらいはやらないと『酒処 七王子』の看板娘はやっていられませんから」
「ねぇ、珠子ちゃん。それってどんなお酒なの?」
初めて見るお酒にアリスが興味深々に目を光らせるわ。
「アリスさん、これはですね。楊貴妃の唐代にはなかった人類の叡智! ライチのライチによるライチだけを発酵させて造ったワインなんですよ!」
「ワイン!? でもブドウじゃなくってライチなの!?」
「はい、葡萄を発酵させると葡萄ワインになります。同じようにリンゴを発酵させるとシードル、つまりアップルワインになります。これは果汁の糖分が発酵してアルコールになってお酒になるのです。造り方は簡単! 果汁を絞って樽や瓶、甕などに入れておくだけ! 原始的な設備でも作れる紀元前からのお酒です」
「じゃあ、ライチもその果汁を甕に入れておけばライチワインになるのね!」
アリスのその声におタマも珠子ちゃんもチッチッチッと指を振る。
「そうは問屋がおろさねぇ!」
「その通り! なめてかかるな亜熱帯の雑菌と発酵速度! ライチは完熟して殻が割れたら数時間でアルコール臭がするほど発酵が早いのです! ワインにしようとしても、お酒として飲める以上に発酵が進み、酢になったり腐ってしまうケースばかり! この解決する方法はただひとつ!」
「つまりあれね!」
「そう! これが人類の叡智! 細菌学と醸造技術の勝利ですっ! 近代の徹底管理された醸造環境を以って初めて! ライチの果汁を発酵させたワインが誕生したのです! ビバ! 新世紀!」
「こいつは、かの楊貴妃でも飲んじゃいねぇぜ!」
瓶を高く掲げた両手を互いにクロスさせ、珠子ちゃんとおタマはポーズを決める。
実は仲良しさんなのかしら。
「というわけで、早速飲もうぜ! ライチワインを探す時に一緒に見つけたこの酒杯でな。オレからのプレゼントだぜ」
おタマがテーブルに置いたのは空のように青い小さなガラスのグラス。
周囲の葉のような模様がとってもビューティだわ。
「ねえ、ランラン! これっておばあちゃんの実家の戸棚みたいな手触り!」
「結霜ガラスですね。主に大正から昭和初期まで生産された表面に霜のおりたような模様があるガラスです。現代では職人が引退し、ほどんど見られなくなりましたが、これはいい物です」
「だろ。街を探索してたらいいのを見つけてさ。思わず衝動買いしちまった」
グラスの模様に光を透かし、おタマは目を輝かせる。
「本当にいいグラスですね。でも、よろしいんですか? こんな高そうなものを頂いてしまって」
「いいのさ。金の出所は眼鏡の財布からだからな」
「なるほど! それなら気兼ねなくもらえるってもんですね!」
珠子ちゃんったら、タダでもらえるとなるとウキウキ顔ね。
「こんなにいい物を頂けたなら、それに応えないわけにはいきません! 今日はこのお酒に合う料理もいくつもご用意していたのですが……、やはりこれ! このライチ発酵ワインに合うのは、やっぱりフレッシュライチ!」
珠子ちゃんのナイフがキラリと光ると、ライチの殻がスパッと切り裂かれ、真っ白な果実と果汁がスプーンの上に踊る。
続いてグラスの上に薄い琥珀色のライチワインがコポポと注がれ、アタシたちの前に並ぶ。
「わかってるじゃんか。オレもそうだと思っていたぜ。それじゃま、一杯いこうや。店員さんも無礼講でな」
「はい! 素敵な器とお酒を楽しみましょう!」
「おタマはいつも無礼講でしょうに。もてなす時ももてなされる時も」
「あたしライチワインって飲むの初めて、ランランは?」
「アタシも初めてよ」
「そーなの、じゃあ、おそろいね。ふふふ」
アリスの微笑みを見つめながら、アタシのグラスが口に近づいた時……。
時が先に進んだような気がした。
「あっ!? ライチの香り! まだ口に近づけただけなのに、グラスからスゥーって入ってくるの!」
そう、アタシの時を先行させたのは、近づけただけで豊かに広がるライチワインからの香り。
それは、目の前のフレッシュライチにも負けない強さ。
きっと、これを飲んだなら、この香り以上のライチの味が口の中に広がるはず。
そう思いながらアタシはグラスを傾ける。
コクン
あら?
コクコクッ
なんてこと!
「ランラン! これって白ワインみたいな味よ! とてもスッキリしてるの!」
アリスの言う通り、これはドライな白ワインに似た味。
口の中が爽やかになる系。
「ええ、あたしも初めて飲んだ時はビックリしました。味は辛口の白ワインに非常に近いです。でも、飲んだ後に抜ける香りは芳醇。そして、続けてフレッシュライチを食べると……」
チュプッと果汁の弾ける音を立てて、珠子ちゃんがライチを口に運ぶと、その顔がパァァァァァと恍惚に変わる。
「ライチの味がいつも以上に甘く、深く、鮮明に脳内に映し出されるのです。うっとり」
アタシも珠子ちゃんが言う通りにライチを食べると、口にパラダイスが生まれた。
「なにこれ!? この前のより格段に美味しいわ!」
思わず声が出ちゃうくらいよ。
「すごーい! こんなあの時の最高を越えて、サイコー中のサイコーよ!」
「どーだスゴイだろ。フレッシュライチの唯一の欠点は甘さと香りが強すぎることだ。10個も食べれば口の中がもたれちまう。だけどよ、このライチワインと交互に口にすれば、味の余韻を壊すことなくリフレッシュできるってなもんだぜ。うん、思った通りだ」
「あらま、本当ね。これは初めての組み合わせ。ふふふ、ライチで新体験が出来るだなんて予想外で嬉しいわ」
一方では豪快に、もう一方では淡々と、おタマとミタマはフレッシュライチとライチワインを交互に楽しむ。
もちろん、アタシたちも。
この時は永遠、そう思っていた。
だけど、それは唐突に終わりを迎えたの。
「あら、残念ね。ここまでのようだわ」
「もっと買っときゃよかったぜ」
「ですね、あたしも同感です」
「あーん、もっと飲みたかった」
なぜなら、ライチワインが切れちゃったから。
「でもま、ライチは十分に堪能出来ただろ。この前以上に」
「うん! 大大大満足よ! 貴女って最高ね!」
「ふふん、もっと褒めていいぜ。だけどよ、可愛い子ちゃんの彼氏は内心穏やかじゃないみたいだぜ」
「あら、アタシったらそんなに険しい顔をしてたかしら。でも正解よ」
「あっ、ごめんランラン。あたし、おタマさんの料理を褒めただけなの。あたしが最高に好きなのはランランよ」
「わかっているわ。アタシが穏やかじゃないのは、ちょっとえげつない戦い方をアンタがしたからよ」
今は一線を引いたけど、アタシはこう見えても『酒処 七王子』の台所を預かった身。
珠子ちゃんほどじゃないけど、料理にはちょっとウルサイの。
料理勝負にもね。
「へぇ、気付いたのか。やるじゃねぇか」
「気付くわよ。なし崩し的に始めちゃって。アンタのせいで、ここに居る面子の舌はライチに満足しちゃったわ。次にどんなライチ料理を出そうと、魅力が半減しちゃうくらいにね」
そう、これは珠子ちゃんの料理漫画コレクションにあるパターンのひとつ。
食材がテーマの料理勝負で、先に料理を出した方が審査員を食材の味で完全に満足させて、次の料理を台無しにするパターン。
漫画の中では蟹対決だったかしら。
人間の嗅覚は強い匂いを感じ続けると、ある程度で麻痺して、その匂いを感じなくなる。
味覚も同じ。
その味で舌を満たしてしまったら、次に同じ味を出しても、味わいは鈍くなっちゃうの。
これは人間だけじゃなく、生物系の”あやかし”も同じなのよね。
「そうですね。このままだと審査に影響します。口直しならぬ、口覚ましに他の料理を持って来ましょう。肉料理とかがいいかな」
そう言って席を立とうとする珠子ちゃんをアタシの手が制止する。
「その必要はないわ」
「えっ!? でも、このままじゃ」
「大丈夫よ。アタシが出す物はこの程度じゃ揺らがないわ」
「ハハッハッ、こりゃいい、どうせ負けるなら手早くってか。潔いにもほどがあるぜ」
おタマはアタシの自信たっぷりの態度をバカにするかのように、大口を開けて笑うわ。
「ちょっと、アナタってばガサツすぎ。女の子なんだから、もう少しアリスやミタマちゃんのように可愛さや気品を身に付けたら」
「いいんだよ。オレはこういうのが好みの男向けなんだから」
「ダメよ、そんなんじゃ。折角の良い素材が台無しになっちゃうわよ。そんなアナタにアタシがいいものを教えてあげるわ」
アタシは上品に立ち上がり、用意していた素敵アイテムをテーブルに運ぶ。
移動する風だけで絹のレースがヒラヒラと揺れ、銀のトレイは鏡のように女の子の顔を映すわ。
アタシはおもむろにレースを取り去ると、そこから現れたのは三段のアフタヌーンティースタンド。
とってもオシャレなね。
「ねえ、ランラン、それってもしかして」
「そうよ。アリスがやってみたいって言ってたものよ」
そして、アタシはガサツな女の子と、ビューティなお姉さんと、キュートな珠子ちゃんと愛しのアリスに向かって宣言する。
「さあ! 久しぶりの”あやかし女子会”! ティパーティ編を始めましょう!」




