表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あやかし酒場と七人の王子たち ~珠子とあやかしグルメ百物語~  作者: 相田 彩太
第十一章 探求する物語とハッピーエンド
317/409

彼岸様とすかんぽ(その3) ※全4部

◇◇◇◇

□□□□

 

 夢……、夢の中にいる……。

 これはきっと珠子姉さんにひどいことを言ったから。

 珠子姉さんはただ純粋に僕の思い出の料理を再現しようとしてくれただけなのに、あんなことを言ってしまうなんて。

 だからこんな夢を見るんだ。

 僕が封印から解かれたばかりの記憶の情景。


 母さんの優しい封印に落ちた轟音、そして炎。

 後から得た知識によると、太平洋戦争の米国による焼夷弾(ナパーム)

 それが僕の目覚まし時計。

 状況も理解出来ず、言葉もたどたどしく、炎から逃げるように這い出た僕は半分涙目で母さんを探し彷徨(さまよ)った。

 

 『ボク、どうしたと? 父ちゃんや母ちゃんは?』

 『……どこ? 母さんどこ?』

 『はぐれとっちゃね。ええとよ、(ばあ)が一緒に探しちゃる。実は婆も息子さ探しちょるんよ』


 差し出された手を幼い僕は状況もわからず握る。

 まるで、自分に差し出された手は全て優しい手であったかのようにギュッと。

 

 『ボク、自分の名前言えるん? 婆に教えちょくれん』

 『……とーい』

 『ええ名や。さ、いこか。おぶさっちゃり』


 僕の記憶の(ばあ)は、そう言って幼い僕に背中を向け、まだ曲がっていない腰を降ろす。

 言われるがまま、幼い僕はその背中に乗った。

 (ばあ)の背中は、母さんの封印と同じくらい温かかった。


□□□□


 『探したぜ橙依(とーい)! こんな所にいたのか。ほら、忘れたのかい? いや憶えちゃいねぇか。俺っちだよ、俺。お前さんの兄の緑乱(りょくらん)さ』


 幼い僕が(ばあ)と出逢い、ひと月が経ったころ。

 ラジオを聞いて大人が泣いて、幼い僕と(ばあ)は残暑の中、母さんと(ばあ)の子を連日探し歩いていたある日、僕は緑乱(りょくらん)兄さんに出逢った。

 

 『なんねあんた!? いきなりウチのトーイに話しかけちょって』

 『ああ、婆さんが橙依(とーい)の面倒を見てくれてたのかい。いやー、助かった助かった。迷惑かけてすまねえ。これからは俺っちが面倒見るからよ。さ、いこうぜ』


 緑乱(りょくらん)兄さんが幼い僕に手を伸ばすけど、幼い僕はサッと(ばあ)の影に隠れる。


 『ん? どうしたんだい?』

 『……やだ、いかない』

 『だそうだよ。緑乱(りょくらん)とやら。それにあんた、本当(ほんちょ)にこの子の家族なんかい?』


 (ばあ)は幼い僕を守るように間に立つ。


 『いやいや、俺っちは正真正銘、こいつの兄だって。なあ、お前さんならわかるだろ。感覚でさ』

 

 そう言って差し出された手から幼い僕は身を引く。


 『わかっちょらんみたいだよ。それにね最近は人買いとかの悪い噂も多くってね。あんたもその(たぐい)じゃなかと?』

 『そりゃねぇぜ。いや、ありか……。よっし婆さんよ、それじゃこうしようや』


 緑乱(りょくらん)兄さんは懐から布巻き財布を取り出し、ポンと(ばあ)に渡す。


 『こりゃなんかね?』

 『金さ。養育費ってやつ。俺っちは橙依(とーい)が無事ならそれでいいのさ。それに他の兄弟たちの無事も確かめなくっちゃなんねぇ。だからさ、その金で世話を頼むぜ。俺っちは季節が変わったら、また来るとすらぁ。んじゃ頼んだぜ』


 この時の緑乱(りょくらん)兄さんの行為は明確な育児放棄。

 だけど、幼い僕はホッとしていた。

 もう少しだけ……、”あやかし”の寿命からしたら僅かな年月、(ばあ)と一緒に過ごしたかったから。

 その果てに待つ”死”が僕に何をもたらすかを気付かずに。


□□□□


 そして夢の情景は変わり、季節は何度も(めぐ)った。

 僕は普通の戦災孤児として人間の社会の中で過ごした。

 それでいいと思っていた。

 だけど、僕の身体が育つにつれ、(ばあ)はどんどん小さくなり、そして(ばあ)はただ優しくなるだけの日々。

 

 『そんじゃよ、これが今回の養育費だ。受け取ってくれ』

 『いつもすまないねぇ。緑乱(りょくらん)さんや』

 『すまねぇのはこっちだぜ。旅烏(たびがらす)の俺っちじゃ橙依(とーい)を育てるのは無理だからよ。こんなにうまい飯も作れねぇしな。うん、うめぇ』


 そう、あの時の緑乱(りょくらん)兄さんも食べていた。

 (ばあ)の”すかんぽ”料理を。


 『まだ兄弟やご両親は見つからんと?』

 『ああ、まずは母ちゃんから探しているが、これが難儀でね』

 『はよ見つこるとええね』

 『だな。そいじゃ、俺っちはまた旅に出るとすらぁ。橙依(とーい)、駅まで散歩がてらに送ってくれよ』

 『……わかった』


 あの時の僕と緑乱(りょくらん)兄さんが、(ばあ)の家を出る。

 この頃の僕はもう緑乱(りょくらん)兄さんを警戒していなかったし、兄さんが母違いの兄さんだって理解していた。

 そして、僕が”あやかし”であることも理解。

 最初から。

 だからあの時の兄さんがこう切り出したのは自然。


 『送ってくれてありがとな、橙依(とーい)。あと、そろそろ言うべき時だと思うから言うが、お前さん俺っちと一緒に来る気はないかい?』

 『……それって、(ばあ)をひとりにするってこと?』

 『そうだ。お前さんもわかっているだろ。婆さんには死相が出てる。もう長くない、寿命ってやつさ』


 あの時の僕もわかっていた。

 戦後の混乱期の中で死んでいく人を何度も見たから。

 もう、(ばあ)は限界だって。

 

 『……ごめん、それは出来ない』

 『辛い思いをすることになるかもしれねぇぞ。親しい人間の死に目に()うってのはよ』

 『……それでも、僕は最期まで(ばあ)と一緒にいるよ』

 『そっか。ならしょうがねぇな』


 そう言って、あの時の緑乱(りょくらん)兄さんは僕の両肩に手を置き、僕を直視。


 『……何の真似』

 『ちっとしたまじないさ。メソメソしながら泣くガキを連れていく趣味はないからよ』

 『……勇気の出るおまじない?』

 『んー、ちっと違うな。前に進めるようになるまじないさ。迷いながらもな』


 そうか、()理解した。

 この時だったんだ。

 僕も知らないうちに緑乱(りょくらん)兄さんが僕に権能(ちから)を捧げたのは。

 “迷廊(めいろう)”の権能(ちから)を。

 

□□□□


 兄さんが再び旅に出て数日。

 その日(・・・)はあの時の僕の予想より早く来訪。

 朝、(ばあ)の”すかんぽ”料理を食べて、登校。

 学校から帰ると、テーブルの上には”ぼたもち”。

 あの時の、初回(・・)の僕はそれをおやつだと思って食べた。

 あれ? (ばあ)の味じゃないな? と思いながら。

 

 『おや、橙依(とーい)くん。おやつば買ってきよんしゃったのね』

 『……ん? これ(ばあ)が作ったんじゃないの?』

 『知らんとよ。きっと彼岸やから隣んとが持ってきてくれしゃたんじゃろ。あとでお礼ば言いな。それよりもこっちゃ来て座りぃ』

 

 あの時の僕は(ばあ)に言われるがまま、畳間に正座。

 今の僕とは大違いの行儀の良さ。


 『……何?』

 『今日、銀行さに行ってな、こいつば作った』


 (ばあ)が差し出したのは僕名義の通帳。

 金額は当時としては大金だった記憶。


 『……これは?』

 『(ばあ)に何かあった時、橙依(とーい)が大人になるための金さね。気にせんしゃっと、出どころはおめさんの兄さやて』

 『……(ばあ)に何かあるなんて嫌。だから、いらない』

 『おめさが受取ろうと受け取らまいと、何かある時はある、ない時はない。そして、いずれ何かある。だから取っとき。困ったら先生に相談するっちゃよ』


 何度が押し問答の末、あの時の僕はそれを受け取った。

 

 『さて、(ばあ)はひと休みしたら、夕飯の準備さするでな。何か食べたかもんあっと』

 『……いつもの”すかんぽ”』

 『わかっちゃ。”すかんぽ”ね』

 

 そして、(ばあ)は縁側で日光浴。

 それがあの日の最期の会話。

 やがて日が落ち、あの時の僕は(ばあ)に声をかける、『(ばあ)、風邪ひくよ』と。

 だけど、今の僕は知っている。

 その言葉に返事がこないことも。


 『(ばあ)、ばあ、ばあっ!』

 

 何度呼びかけても、揺さぶっても返事は来ない。

 いつもの細い息吹もなく、心臓は鼓動を止め、その身体は夕暮れの温度。

 そこが(ばあ)の終着点。

 あの日の僕はただ泣くだけだった。

 頭では救急車を呼んだり先生に連絡しなきゃと思っていたけど、僕はただただ嫌だった。

 僕と(ばあ)の間に誰かが入ってきて、間を引き裂くのが。

 他の死んだ人間と同じように、ただ死者として(ばあ)が扱われるのが。

 そこから逃げるのも、このままでいるのも嫌だった。

 でも、明日には(ばあ)の死は知れ渡る。

 だから、あの日、僕は……、

 

 ”明日なんか(・・・・・)来なければいいのに(・・・・・・・・・)

 

 そう考えたんだ。


 □□□□


 気が付くとあの日の僕はテーブルに座っていた。

 (ばあ)は僕の前でゆっくりと食事中。

 あの日の僕は、(ばあ)の死は夢だと思った。

 だけど、翌日、朝に”すかんぽ”を食べて、学校から帰ったら”ぼたもち”があって、(ばあ)から通帳を渡されて……。

 そして夕方に(ばあ)お別れ(・・・)をした時、僕が涙の中でまた”|明日なんか来なければいい《・・・・・・・・・・》”と思って、再び(ばあ)との食事に戻った時、僕は気付いた。

 これが僕の”あやかし”の能力(ちから)だと。

 その日が、後に“あの日をもう一度(ワンモアデイズ)”と名付けた能力(ちから)が初めて発現した日。

 あの日の僕は嬉しかった、これでもう(ばあ)と別れずに済むと思って。

 この日々の繰り返しの中にずっと過ごせると思って。


 …

 ……

 ………


 あの日から、僕はあの日だけを過ごしていた。

 毎日似たルーチンの繰り返し。

 そんなある日、あの日の僕はちょっとだけ違うことをした。

 気まぐれと気晴らしに。

 

 『……(ばあ)、”ぼたもち”があるよ。一緒に食べよ』

 『あれ? それどげんしたと?』


 ここで『知らない』と言ったら(ばあ)は食べず、『隣ん()からもらった』と言えば、隣に(ばあ)がお礼を言いに行って嘘だとバレる。

 何度かの日々で、あの日の僕はそれを知っていた。

 だから、嘘をついた。


 『……僕が作った』

 『あら、橙依(とーい)くんが料理するなんて珍しかね。でも、それならちゃんと食べんとね』

 『……うん、一緒に食べよ』


 隣ん家じゃなく、多分近所の誰かが持ってきてくれた”ぼたもち”をふたりで食べた。


 『あら、これ”すかんぽ”がまざっとっしゃんね。おいしか』

 『……そう』


 あの日の僕は、その”ぼたもち”が最初は美味しかったという記憶しかなかった。

 繰り返す日々で僕の感情は消失。

 毎回のように流れていた夕方の涙も枯れていた。


 『なんか、元気なかね』

 『……なんでもないよ』

 『なら、こっちゃ来て、頭さここに置き』


 (ばあ)が示したのは畳間ではなく、縁側での(ばあ)の膝。


 『……やだよ膝枕なんて子供じゃないんだから、恥ずかしい』

 『(ばあ)から見れば立派な子供た。ええから、きんしゃい』


 パンパンと何度も膝を叩く(ばあ)に負け、あの日の僕は(ばあ)の膝にゴロン。


 『あんた、今日は朝から全然笑っとしゃらんやろ。どげんしたん?』

 『……なんでもないって』

 『なんでもなかじゃなか。あんた、昨日の晩から全然笑っとしゃらんやろ。何かあったと』

 『……なにもなかったよ』

 『じゃ、何かあるんやね。(ばあ)がもうすぐ死ぬとか』


 あの時の僕の顔は驚愕(きょうがく)のひと言。


 『なんでわかるの!?』

 『自分のことやけん、わかっとっしゃよ。今日はあん人とあん子がよう見えるけね。そして(ばあ)でもわかることやけん、あんたもわかっても不思議じゃなか』

 『(ばあ)の息子はまだ死んだと決まったわけじゃ……』


 僕と出逢ってから(ばあ)は何年も息子を探索。

 でも、見つからなかった。


 『あれは嘘。本当(ほんと)はわかっちょった。骨も届かず、一枚の通知の紙だけじゃ信じられなくて、ひょっとして帰ってきとらっしゃんかと探してたんやけど、わかっちょったのよ』


 (ばあ)はそう言って、遠い空を見る。


 『じゃけん、あんたを見た時は少し驚きんしゃった。いないはずの息子の幼い時にそっくりやったんけん』

 『そんなに似てたの』

 『似てた似てた。生まれ変わっちょったんじゃないかと思うくらい。でも、あんたの生まれた時と、あん子が亡くなった時は違う。”これは違う”と何度も自分に言い聞かせちょった。でも、今日で終わり。これであん子に逢いにいける』


 膝枕から見上げた(ばあ)の顔は逆光でよくわからなかったけど、あの日の僕には笑っているように見えた。

 それが少し悲しくて、あの日の僕は涙を流した。

 久しぶりに。


 『なんね。泣いちょるん』

 『……だって、僕は嫌なんだ。(ばあ)と別れるのが』

 

 あの日の僕は迷っていた。

 このまま(ばあ)の悲願を叶えるために明日に進むか。

 それとも、僕のわがままで今日を続けるか。


 『一人前の男は人前で泣かんもんよ』

 『僕はまだ子供って言ったのは(ばあ)

 『せやったっけ? (ばあ)は年やから憶えちょらん。まだ子供やとしたら、明日から一人前の男になるっちゃよ』

 『(ばあ)が死んでも泣けないような男が一人前なら、僕はそんな男になんてなりたくない』

 『ちゃう。泣いたらいかんのは人前でや。男が泣くのはひとりの時だけ。涙すらないような薄情もんは好かん。だから、(ばあ)は優しい橙依(とーい)が好きとよ』


 (ばあ)の顔は今度こそ笑っていた。


 『でも、僕は、僕は……』

 『その顔は迷っちょる顔やね。どうしたらいいかわからん顔。何が正しいかわからん顔』


 (ばあ)の言葉にあの日の僕は腕で目を隠しながら頷く。


 『ええんよ。正しい道でなくても、そこに誰かが笑っているなら。それはきっとあんたを幸せに導いてくれる。笑顔の先に幸せってのは待ってるもんやけね』

 『でも、僕は今日は笑えない……』

 『そりゃそうさね。別れってのは悲しいもんやけね。でも、明日に進めば橙依(とーい)君には新しい出逢いがある。その中で笑顔になれる道を探しんしゃい。このままだと橙依(とーい)君の幸せが見えんとよ。(ばあ)橙依(とーい)に逢えたからこうやって笑える。(ばあ)は嬉しいんよ。最期に優しい子に逢えて……』


 そして、あの日のあの時、僕は泣いた。

 ひとりだから。

 ひとりになったから。

 一人前の男になったから。

 迷いながらも明日へ進む姿を(ばあ)に見せたいと思って。


□□□□


 緑乱(りょくらん)兄さんが、僕の所へ来たのはあの日(・・・)から三日後。


 『悪かったな。橙依(とーい)、婆さんの葬式に間に合わなくて』

 『……大丈夫。大体ひとりで出来たから』

 『その分だと大泣きしたみたいだな。まだ目に()れが残ってるぜ』

 『……大丈夫。ひとりで出来たから』

 『そっか、その分じゃ迷いは晴れたようだな』

 『……違う。迷いながら行くと決めただけ。笑顔で終われる未来へ』

 『そっか。それもいいかもな。経験則だけどよ。そいつも結構楽しいぜ。橙依(とーい)君』

 『……だといいけど』

 

 こうして、僕と緑乱(りょくらん)兄さんは旅に出た。

 これが今日の夢の終わり。

 まだ、旅の終わり(ハッピーエンド)は見えない。

 でも、少なくとも、珠子姉さんにあんな事を言ったままじゃ、幸せになれない。

 だから、僕は今日は珠子姉さんに……。


 『橙依(とーい)君』


 そう、こんな声の……。


 『橙依(とーい)君、橙依(とーい)君』


 いつも綺麗で素敵な笑顔の……。

 キラキラ輝く色白の珠子姉さんの姿が夢に浮かぶ。


 『少し、美化が過ぎませんか』クイッ


 そんなことない、これくらい美人で……。


 『もう、橙依(とーい)君ってば!』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ