狐者異(こわい)と恐怖のうどん(その3) ※全4部
◇◇◇◇
それから”狐者異印のうどん屋”がオープンまで、あたしは超忙しかった。
あたしが考えた”人間が恐怖を感じるうどん”は比較的簡単に作れるメニュー。
……だと思ったけど、狐者異さんの料理の腕は本当に素人。
なので、まずは狐者異さんに料理の基本を教えることになった。
『いいこと! これは勝負だから、お互いのメニューは当日まで秘密だからね!』
彼女がそう言ったので、互いのメニューがばれないように連日交代で狐者異さんに料理を教えているのです。
『くっくっくっ、乱切りとは乱れながら切ればよいのだな。ですよね』
ザシュザシュザシュ
『違います! キャベツを丸のままメチャクチャに切るんじゃありません! まず葉をはがして重ねて、形はバラバラでもいいので同じくらいの大きさに切るんです!』
だったり。
コタマちゃんの指導の時も、
『くっくっくっ、知ってるぞ。蒲焼とは蒲の穂のように魚を串にブッ刺して焼くのであろう。だったはずです』
『情報がふっるーい! それは戦国以前の話! 今のトレンドはこれ! 開いて醤油と砂糖の甘辛いタレで焼くの! タレはこれ! 相方の店がもう使わないっていうからちょろまかしてきたわ! ちゃんとレシピどおりに注ぎ足すのよ!』
なーんて料理の基本技術以前の基礎知識から指導しなくちゃいけなかったって紫君から聞いた。
やっと形になって特別メニューの作り方を伝授出来たのはオープン前日。
「くっくっくっ、感謝する。します。……ですが、これで人間は恐怖を感じるのでしょうか?」
あたしが教えた恐怖を感じるメニュー、その名も”超キツネうどん!”。
その姿の前に狐者異さんは疑問を口にする。
「うーん、一応ちょっとくらいは感じると思います、経験的に」
「くっくっくっ、真逆なのだな昔とは。かつてはこんな物を供されれば、人間は喜びを感じたものよ。でした」
「そう言われるとそうですね。さしずめこれは贅沢な恐怖ってとこですね。ところでコタマちゃんのメニューは大丈夫ですか?」
「くっくっくっ、仔細問題ない。ありません。おまけに式紙までもらい受けた。お貸し頂きましたから」
狐者異さんがパチンを指を鳴らすと、むくりと影が立ち上がり、それは人の形を取る。
『イラッシャイマセ、ゴチュウモンをドウゾ』
『オセキにゴアンナイします』
『オカイケイはコチラです』
うわっ、便利!
コタマちゃんって地水火風の術が使えるのは知ってたけど、こんな術も使えるんだ。
「そっか。それじゃ上手くいくことを祈っています。オープン後の3日目の夕方にはあたしもコタマちゃんと一緒にお客として来ますから」
コタマちゃんとあたしの勝負。
それはどれだけ狐者異さんが恐怖を集められるか。
『いいわね! これは狐者異が少しでもいいので恐怖を定期的に集められるかどうかの勝負よ! 味とか売れ行きとかは二の次だからね! ふふーん、これならわたしの方が有利だわ』
そんな話になったので、あたしたちはオープン3日目に一緒に狐者異さんのお店に行くことになったのだ。
料理も店員さんの問題も解決したし、これで準備はバッチリ!
「くっくっくっ、ご来店をお待ちしております」
そう言って狐者異さんは口を耳まで裂けるくらいに引き上げてわら……う。
「えっと、狐者異さん?」
「はい?」
「最後に営業スマイルの練習をしましょうか」
営業スマイルの練習は料理より大変だった。
◇◇◇◇
そしてオープン3日目、あたしたちは狐者異さんのお店、”狐者異うどん”に向かう。
「おうどん楽しみだね。コタマちゃん、珠子おねえちゃん」
「師匠珠子さんのおかげで結構繁盛しているって話だぜ」
「違うわ、半分以上はわたしのおかげよ」
「それは着けばわかりますよ。あっ、見えて来ましたよ」
少し寂れたアーケードの中に人の列が見える。
おおっ! 列が出来るだなんて予想以上の繁盛。
列に並んで待つこと10分、あたしたちは『4名様デスね。コチラにドウゾ』とテーブルに案内される。
「店員さんも形になっていますね。そこだけはちょっと心配だったんですよ」
「あれってコタマちゃんの式紙って話だろ。すげえな」
「とーぜんよ。中でも会計用の式紙は特製だから期待するといいわ」
「しきがみを作れるだなんて、コタマちゃんすっごーい」
「ふっふーん、それほどでもあるけど」
「さて、今日はどっちの料理が人間に恐怖をもたらしたかって勝負だろ。早速注文しようぜ。えっとメニューメニュー」
赤好さんがチラリと式紙店員を見ると、店員はトコトコと近づき一枚の紙を渡す。
「コチラがお品書きになりマス」
渡されたお品書きをあたしたちは覗き込む。
そこにはうどん屋らしく、かけうどんやキツネうどんといった定番のメニューの他に”店長オススメの一品”と大きく書かれた品があるはず。
あたしとコタマちゃんが考案したメニューはそこに並んでいるはずなのだ。
あった! あたしの”超キツネうどん”! お値段500円!
そしてその隣にあるのは”旬の蒲焼うどん”。
へー、コタマちゃんは”蒲焼うどん”で勝負に出たのね。
”蒲焼うどん”があるお店は珍しいから、これは人気が出そ……、!?
お品書きを眺めるあたしの視線が留まった。
なんてこと……。
それがあたしの正直な感想。
そして感じる軽い恐怖。
お品書きにはこう記されていた。
”旬の蒲焼うどん”───時価。
時価!?
◇◇◇◇
”時価”……、こんなにあたしの心を、現代人の心を不安にさせる単語があるだろうか。
いやない。
少なくとも、これはあたしの初体験。
あたしの心臓がドッドッドッと鼓動を速める。
「どう? 注文は決まった? あ、わたしは貴女の考えたメニューにするから。貴女はわたしのメニューでいいわよね。オーダーお願いしまーす」
「ちょ、ちょっと待って、待って下さい」
「なーに? ひょっとして怖いのかしら?」
くっ、正直やられた感がある。
あたしの胃や心はどんなゲテモノであっても耐えられる。
だけど、財布は違うのだ。
「安心しなよ、ハートビードな珠子さん。ここは俺がおごるからさ」
「本当ですか!?」
「ああ、これくらいはな」
「ありがとうございます。じゃあ、あたしはこの”旬の蒲焼うどん”で!」
「俺も同じのを」
「わたしはこの”超キツネうどん”を」
「ボクもコタマちゃんとおそろいにするー」
あたしたちの注文に式紙店員は「カシコマリマシタ」とオーダーを取る。
ホッとひと息ついたあたしの前にあるのはコタマちゃんのニヤニヤ顔。
「どう? あたしの考案したメニューの感想は?」
「正直感服しました。まさか、こんな恐怖の与え方があるなんて」
「勉強したもの。飢えも、病も、暴力も、死ですらも今を生きる人間の日常からはかけ離れているから。でも、これは違うでしょ」
トントンとお品書きの”時価”の部分を叩きながらコタマちゃんは言う。
彼女の言う通り、昔に比べ現代では人が恐怖を感じることは少ない。
凶作があるたびに飢餓の恐怖に怯えたり、軽い風邪で死が頭をよぎったり、理不尽な暴力で身の危険を感じたり、死んでいく隣人を見たり、夜の闇に恐れを感じたり……。
そんな恐怖が隣にあるのが日常だった日々から、現代は遥か遠い。
現代では恐怖は遊園地のお化け屋敷やジェットコースターでお金を払って楽しむものなのだ。
だけど、貧困は違う。
それは身近にあるもの。
自然界には存在しない、人間だけが持つ恐怖。
「ええ。コタマちゃんは貧困への恐怖をたった二文字で表すだなんて、スゴイです」
「コタマちゃんスゴーイ」
「ふふーん、知ってるわ。今の人間がどうやって恐怖を楽しんでいるかも。さしずめこれは食の遊園地ってとこね。お化け屋敷みたいなものよ。あ、来たみたいね」
時価の文字には驚かされたけど、あたしだって負けてはいない。
遠目でもわかる、先にやって来たのはあたし考案の”超キツネうどん”。
その理由は……。
ドンッ!
「オマタセしました。超キツネウドンです」
「なにこれ!? これがキツネうどんなの!?」
「うわー、すっごーい。たべれるかなー?」
注文したふたりが驚くほどの大ボリュームの野菜炒め。
その姿を形容するなら山。
うどんの上に刻みお揚げがたっぷり入った野菜炒めの山がそびえ立っているのだ。
ビックリ仰天! 恐ろしいくらいの圧倒的質量!
「これがあたしが狐者異さんに伝授した一品! ”超キツネうどん”ですっ!」
「さっすがサービス満点の珠子さんだ。この値段でこのボリュームは恐ろしいぜ」
「これって、有名なラーメン屋の真似ね。大丈夫なの? こんなパクリみたいなことして」
「へへへ、そこはちょっと怖いですが……、あっちはラーメン、こっちはうどん! 別物! インスパイア!」
そう、これはボリューム満点の定評がある有名ラーメン店のメニューの応用。
応用です。
あたしがそう主張していますから。
「お先に食べて下さい。あたしたちも後で追いつきますから」
「そうね、そうさせてもらうわ」
「いっただきまーす」
野菜炒めの山の頭頂部が箸で奪われ、ふたりの口へと運ばれる。
ザクッ、ザクッ
「あ、これってお肉じゃなくって、おあげが入ってるんだ」
「なるほど、刻んだ油揚げに野菜炒めの旨味のスープを吸わせているのね。これって油通しをしないやつでしょ」
「さっすがコタマちゃん。料理に詳しいですね。そうです、野菜を炒めると中の水分が外に出てしまいます。それを防ぐのが”油通し”。ですが、この”超キツネうどん”はあえてそれを行っていません」
中華料理には野菜を炒める前に熱した油を潜らせて表面を固め、中の旨味の水分の流出を防ぐ”油通し”という技法がある。
これをやらないと旨味は逃げるわ、出た水分でビチャビチャになるわで野菜炒めの味と歯ごたえが損なわれてしまうのだ。
「”油通し”を行わないと野菜から旨味のスープが漏れてしまうのはご存知の通り、だけどそのスープが旨いのは事実。なら、それを油揚げに吸わせちゃえというのがコンセプトです」
ガブッ、ブシュー
あたしの説明を聞きつつ、油揚げを食べる紫君の口から溢れんばかりにスープが染み出す。
「ホントだ! このおあげおいしー!」
「確かにおいしいわ。キャベツ、もやし、人参、椎茸、たったこれだけなのにこんなに旨味が出るなんて、驚きよ」
「どれも安いのに美味しいエキスがたっぷりですからね。油揚げも肉に比べて経済的です。だからこのお値段が出せるんですよ」
「ふーん、経営のことまで考えてたんだ」
「ええ」
あたしたちの勝負の目的は狐者異さんが少しでもいいので定期的に恐怖を摂取できるような環境を整えること。
本当に命の危険があったり、人が腰を抜かすくらいの恐怖のスポットとなってしまうと、退魔僧の方々がやって来ざるを得なくなり、その環境は破綻する。
だから、疑似的に楽しみながら恐怖を感じるくらいのレベルにしなくちゃいけないのだ。
そこで料理店に目を付けたのはいいけど、同時に経済的に成り立たせないといけなかったのよね。
お金は湧いてきませんから。
「まずまずの料理ね。味もいいし、この圧倒的ボリュームには軽い恐怖を覚えるわ。それに……」
「あれれ!? もうこんなになくなっちゃった! あんなにあったのに!」
ふたりの前の”超キツネうどん”の野菜の山は8割方なくなっていて、残りは麺とスープ。
「食べやすく消化にいいのも高評価ね。ボリュームの割に軽いからスイスイ箸が進んじゃう。完食した時の達成感は逆に恐怖を感じちゃうかも」
「あ、それって橙依お兄ちゃんがマンガで読んでる『お、おれにこんなにスゴイ能力が……』ってブルブルするやつでしょ。ボクもこれでおわりー!」
ズルズル、ゴキュゴキュと麺をすすり、汁を飲み干す紫君は完食間近。
チラリと横を見ると、同じように”超キツネうどん”を完食して、空になった器を熱気を帯びた目で見ているお客さんもチラホラ。
「わかったわ。貴女の”超キツネうどん”コンセプトは”圧倒的ボリュームによる恐怖”と”自己認識以上の達成感から来る恐怖”なのね」
「その通りですっ! 『こんなに食べれるのか!?』と『こんなに食べてしまって大丈夫なのか!?』という二段構えにしてみました!」
飢餓や生命の危機といった、本当の恐怖を料理で与えるのは難しい。
というか無理。
だったらいっそと、絶叫マシーンのようなエンタメ恐怖に全振りした料理にしてみたの。
それが正しいのは、別のお客の”超キツネうどん”が運ばれてくるたびに巻き起こる『うおっ!?』という驚愕の声が証明している。
「さっすが、エンタメテラーの珠子さん。これならバッチリだぜ」
「やるじゃない。この条件でここまでの料理が出てくるなんてね。でも、わたしも負けてないわよ。というか、負けないわ」
そう言ってフフンと自信たっぷりにコタマさんは胸を張ったのです。




