桂男と月面食(その4) ※全5部
◇◇◇◇
ここは『酒処 七王子』の庭先。
屋外とはいっても電気は使えるの。
あたしはIHクッキングヒーターを取り出し、それに鍋を乗せ水を張ってスイッチオン!
蒼明さんもいつもの通り、電子レンジを作業台の上に。
よしっ、次は下ごしらえ。
あたしが作るメニューはふたつ。
「ではまずティラピアの下ごしらえから! 内臓とエラ、そして鱗を全部取り除きまーす。あとは生姜とネギを加えて軽く酒を振ったら!」
あたしはティラピアを薬味と合わせて皿に乗せ、その皿を蒸し器に入れ、蒸し器を湯気の立ち始めた鍋の上にトンッ。
「あとは蒸すだけ! ちょーかんたん! 1品目! 呉郭魚の清蒸! 間もなく完成!」
蒸し器の前でピシッっとポーズを決め、あたしは2品目に取り掛かる。
「2品目は至ってシンプル! もう一匹のティラピアから同じように頭と内臓と皮を取って三枚に下ろす。赤い血合いと白身が美しい! まるで鯛みたい! 淡水の鯛だから”いずみ鯛”って名前なんですよ!」
ティラピアの特徴は淡泊で上品な白身。
それは鯛や鱸と似ているの。
だから、同じような調理方が合う。
「次に塩を振って軽く水が出たらそれを拭きとって、透けるくらいに薄切りにしまーす! 最後にラディッシュの根を薄くスライス、葉っぱをちょっとちぎって、それら散らした皿に薄切りティラピアを乗せたら! ”ティラピアの膾”の完成です! ワサビ醤油のドレッシングでどうぞ!」
ドレッシング皿を添えて盛り付けも完璧!
「なるほど、中国の家庭料理であるにも関わらず、その味はどんな高級料理にも匹敵する魚の清蒸と、古代中国で人気の冷菜、魚の膾ですか。流石の選択です」クイッ
生魚を切っただけの刺身は日本の専売特許だと思われがちだけど、古代中国には同じものがあった。
膾という名の刺身料理について多くの記述が残っている。
『羹に懲りて膾を吹く』という故事成語にも登場しているの。
明代以降は廃れてしまったけど、日本の刺身文化の起源は中国なのだ。
「私は直球勝負です! 肉! ならばステーキ! さあ! 味わって頂きましょう! この新時代の3Dプリンタ肉を!」
やっぱり!
|Redfine Meat社のALT-STEAKという名前から間違いないと思っていたけど、蒼明さんの言葉で確信が持てた。
蒼明さんの持っている肉の塊は3Dプリンタで作った代用肉。
「すりーでぃプリンタ? それってなーに?」
「……3Dプリンタは立体物を自動で造形出来る機械。データさえあれば少量でも製作が可能なので、個人のフィギュア製作や、試作品の部品パーツ作りなどに利用されている」
「その通りです! 3Dプリンタは宇宙開発に欠かせない機械です。保守部品毎にストックを持つ必要がなく必要に応じて現地で部品を造り出せるのです!」クイッ
「……でも、樹脂とか金属とかは3Dプリンタで加工できるけど、お肉が作れるかは疑問」
「フッ、心配無用です。作り方はチューブから噴出した肉と脂の糸を降り重ねて作るだけです。衛生的にもバッチリです。ほら、この肉は脂身の入ったステーキのように見えるでしょ」クイッ
蒼明さんが肉の断面をあたしたちに見せると、そこには深紅の赤身の中に純白の脂身が三日月のようにいくつも入っていた。
だけど、あたしはそれが本物でないとひと目でわかる。
不自然なのだ、サシ、つまり脂の入り方が。
霜降り肉のような細かい脂が点々と入っているのではなく、その肉には脂身がマーブルケーキのように均等に渦を巻くように入っていた。
「そしてステーキと言えば焼きですが、電子レンジで焼き物が出来なかったのは過去の話です! 今では、焦げ目までバッチリの電子レンジ用焼きプレートだって身近なもの!」
蒼明さんはいつものように電子レンジを何台も取り出し、電子レンジ用の焼きプレートに厚切りにした合成肉をのせていく。
チーン
加熱が終わったら、今度はひっくり返して、再度電子レンジへ。
ひっくり返す時に下に挟んでいたのはイタリアンパセリかな。
あとは付け合わせの小さいジャガイモも数個添えていた。
チーン
「これで完成です。3Dプリンタで作った代用肉、いいえ”未来肉のステーキ”!」
「あたしも蒸し上がりました! 呉郭魚の清蒸と膾ですっ!」
献備台にあたしたちの料理が並べられる。
『ほう。これは美味しそうです。しかし、火も使わずに料理出来るとは時代も変わったものですね』
「そう遠くない未来。人類は月に基地を建造するビジョンがあります。その中では火気厳禁なのは間違いありません」クイッ
「そうです。なので調理方法は電子レンジや電気オーブンが主流でしょう。あたしのIHクッキングヒーターも調理器具の候補のひとつです。そして、月での居住環境が進めば、蒸し物も十分可能だと思います」
「……料理はそろったみたいだね。じゃあ、奉納するよ」
橙依君はそう言うと、献備台の前で月に向かって手を伸ばす。
「……月と太陽と大地の恵みを奉る。月光よ、大地を優しく照らす月光よ。光の先の佳人に彼の供物を届けたまえ」
橙依君がそう唱えると、料理の皿は光の中に溶けていき、そして呉剛さんの掌に現れた。
『おっ、とっとっと』
突然の皿の出現に呉剛さんがバランスを崩しそうになる。
『あ、あの橙依君』
「……何?」
『机も届けてくれませんか』
橙依君はもう一度、月に手を向けた。
献備台が消えた。
◇◇◇◇
『では、審査に入りますね。みなさんも冷めないうちにどうぞ。いやぁ、良い香りです。こんな料理は久しぶりです』
映像の中で呉剛さんは嬉しそうに料理を食べ始める。
あたしたちも食べるとしましょ。
「いっただっきまーすまずはお肉から。ボクおにくだいすきー!」
紫君のナイフがステーキに入ると、そこからジュワッと肉汁が溢れ出る。
「あ、おいしー、おいしいステーキだ」
モグモグとお肉を口に運ぶ紫君と横目に、あたしもALT-STEAKを口へ。
ジュワッ
熱を帯びた肉からコクと香ばしさを兼ね備えた肉汁が流れ出て、あたしの口を潤す。
肉は歯ごたえが十分なのに柔らかく、時折感じる細い繊維のような強い食感が、これを本物のステーキだと錯覚させる。
『これは美味しいですね。私はステーキという西洋厚切り焼肉を食べるのは初めてですが、ニンニクの風味が豊かでジャガイモも濃厚な旨みの脂を吸って満足感があり、肉の下に敷かれたパセリも芳しい食感と食味を備えています。蒼君がこれほど料理上手とは知りませんでしたよ』
「……僕はパセリは苦手な方だけど、これなら食べられれる。ううん、結構好きかも。肉汁を吸っているせいかな」
あたしもここは感心した。
肉から滴る脂を吸収したジャガイモは旨味が上乗せされ、イタリアンパセリに至っては脂のコーティングで独特の風味が抑えられて食べやすくなっている。
パセリを美味しく食べる手法にオリーブオイル漬けがあるけど、こんなやり方もあったのね。
「ねー、蒼明おにいちゃん。これって何のお肉? すりーでぃプリンタで作ったって言ってたけど」
紫君はそう言うけどあたしは知っている。
これは肉のように思えるけど、本物の、動物性の肉でないと。
「紫君。これは本物の肉ではありません。植物由来の成分から作ったものです」
『ほう、これほどの味わいで肉ではないとは。月宮殿の中には肉食を忌避する者もいますから、これは歓迎されるでしょう』
「そうなの?」
紫君が確かめるようにあたしを見る。
あたしはもう一度確かめるようにステーキをモグッと食べた。
うん、やっぱり。
限りなく肉に近いけど、わずかに違う。
「ええ、蒼明さんの言った通りよ。正直驚きました。まさか、蒼明さんがあたしも手に入れたことにない人類の叡智の肉を手に入れているだなんて」
大豆由来の肉は過去にもたくさんあったけど、これは別格。
あたしも油断していると騙されちゃうくらい本物に似ていた。
「叡智が使えるのは貴女だけではありませんよ。補足するなら、これは大豆やエンドウ豆由来のタンパク質にココナッツ油とひまわり油を使って製造されています」クイッ
あたしもニュースで見た。
この|Redfine Meat社のALT-STEAKの素材は全て植物性。
あの白い脂身はココナッツオイルだったのね。
「来るべき未来、月面開発の時代! そこでは人種、国籍、宗教、人と”あやかし”といった垣根を尊重しなければなりません! それは料理においてもそう! この植物由来のステーキはその第一歩、宇宙未来はグローバル、いやユニバースの時代なのです!」クイッ
「ゆにばーす!」
「……ユニバァァァス!!」
垣根なら取り払うものと思いがちだけど、真のグローバル化は違う。
お互いの領分を尊重し合うことこそ真のグローバル。
宗教上食べれない物を勧めたり、意にそぐわない行為を強要してはいけないのだ。
要するに無理強いはダメってこと。
だけど、コミュニケーションの中で同じメニューを食べなくてはならない場合もある。
この植物由来の肉は、肉食が禁じられている方であっても、自らの禁忌を守りつつ食べることが出来る。
そして、肉を食べたい方も満足する出来栄えなのだ。
蒼明さんの料理は未来を見据えた素晴らしい料理だった。
◇◇◇◇
「じゃあ、次はおさかなー!」
蒼明さんのステーキを食べ終え、紫君が次に箸を延ばしたのはあたしの清蒸。
「うわっ、これってスポッっとみがとれる! おっきー!」
ティラピアは身離れがいい。
上手に蒸し上がった清蒸ならなおさら。
彼がそれを口にすると……、
ジュバッ!
その口からスープが滴り落ちた。
「おいしー、口の中でホロッとくずれて、おいしいおツユがジュルって出てきて!」
「……珠子姉さんの清蒸は何度か食べたことがあるけど、これはその中でも上物」
「悔しいですが良い味ですね。皮と身の間から出る香気には生臭さなどなく、旨みだけを口の中に広げます」クイッ
「皿のスープもおいしいですよ。蒸し上げた時に出た旨みがたーっぷり出ていますから」
あたしはレンゲで皿に張ったスープをひとすくい。
チュルッ
薄く色が着いたスープは上品な魚の出汁と生姜の刺激がピリッとして、食欲をさらにそそる。
ひとりだったら、ここにご飯を入れてかきこみたくなるくらい。
「ほんとだ! おいしー!」
『私は昔、魚の清蒸を何度か食べました。しかし、これほとのものは滅多にありませんでした。素材の呉郭魚の旨みもさることながら、蒸し加減や薬味との調和が完璧。見事な腕ですね』
「いやぁ、蒸し時間さえ守れば、これくらい誰でも作れますって。きっと月面基地なら自動で火を止めるくらいはお手の物になると思いますよ」
清蒸は中国で人気の家庭料理。
人気の理由は簡単で美味しいから。
旨みのスープは皿に溜め込まれ、それに浸った身は旨みを再吸収するし、古代中国ならまだしも、現代なら蒸し加減や時間を計るのだって簡単。
時計やガスも無しに勘だけで調理していた時代を考えると、現代って便利よね。
「……僕は次の膾を」
橙依君が次に箸を伸ばしたのは膾。
見た目は鯛のカルパッチョ風にも見える。
コリッ、シャクッ
「……あ、おいしい。こんなに薄いのに淡泊かと思いきや、味がしっかりとしてて、薄切りラディッシュの食感と少しの辛みがサッパリと食べさせてくれる」
『これは、鱸の膾に似ていますね。唐の楊曄は著書の『膳夫経』の中で最上の膾を鮒のみと記し、それに次ぐ上物としてギギ、黒鯛、鯛、鱸を上げていますが、このティラピアの膾は鱸よりも鮒よりも上に思えます。嗚呼、とても美味しいです』
ゆっくりと堪能するように呉剛さんはティラピアの膾を食べ進める。
『そして珠子美女が月面食にティラピアを選んだ理由は……生命循環ですね』
「はい、長期に渡る宇宙開発や月面開発には生命循環が欠かせません。第一段階としての植物と人間の生命循環は既に宇宙ステーションでも実験されていますが、第二段階としてその環に魚を、ティラピアを加えた研究がNASAで進められています。このティラピアは食事中に言うのも何ですが……人の排泄物をエサにすることが可能で、成長も早く取れる肉の量も多いです。そして味もいい! 焼いても揚げても煮ても蒸しても、果てはすり身にして蒲鉾にまで! 長期保存の加工品にだって出来ちゃう理想的な食材なのです!」
ティラピアは日本では外来魚として嫌われている側面もあるけど、世界的には大量に養殖される人気魚なのだ。
『なるほど、蒼君の代用肉のステーキは宇宙開発初期の植物栽培から製造された物。珠子美女のティラピア料理は宇宙開発中期以降の人と植物、そして魚も加えた生命循環の一環の料理というわけですね』
「はい! やっぱり肉を食べるなら代用ではなく本物がいいと思いました。それに、月面であっても代用肉ではなく本物の肉を食べたいという欲望が、探求心が、研究心が、宇宙開発の発展には不可欠だと思います」
あたしの説明に蒼明さんの顔に悔しさの色が浮かぶ。
彼自身も探求や発展に邁進することを良しとしているから。
「……それに珠子姉さんの方が料理の味は上」
「蒼明おにいちゃんのもおいしかったけど、おねーちゃんのはとってもおいしかった!」
蒼明さんの悔しそうな顔は一段と強まり、そしてフゥという溜息と共にいつもの冷静な顔に戻った。
「さらに珠子さんの料理は呉剛先生の慣れ親しんだ物でした。膾も清蒸も古代中国からあったと伝えられています。食べる方の郷愁を誘う料理は貴女の十八番でしたね」
『そうですね。私も久方ぶりに故郷の味を思い出しました。呉郭魚ではありませんでしたが、川魚の清蒸や膾は遥か昔、私が人間の頃によく食べたものです』
遠い遠い記憶の中、その風景を思い出すように呉剛さんは最後の一切れを食べ『ごちそうさま』と礼をする。
「やはりまだ私では珠子さんに遠く及ばないのでしょうね。この勝負、私のま……」
『お待ちなさい蒼君。あなたは結論を急ぎすぎです』
敗北を認めようとする蒼明さんを呉剛さんが止める。
『この勝負の審査員は私です。ですので、勝敗は私が下します。この勝負は”引き分け”です』
あら、ちょっと意外。
ま、呉剛さんは蒼明さんの先生だからこうなっちゃうかもと思ってたけど。
「理由を教えて下さい先生。まさか私を贔屓しているのですか。そんな理由でしたら私は先生を軽蔑します」クイッ
『いいえ蒼君。”引き分け”には真っ当な理由があります。そうですね、それでは課題です。おふたりとも”引き分け”の理由を当てて下さい』
呉剛先生からの問いにあたしたちはしばし考える。
「蒼明さんの料理には今後の発展形が見えているからでしょうか? 3Dプリンタ肉の次段階として動物の細胞を増殖させて作る培養肉が研究されています」
イスラエルの|Alep Farmss社が試作型培養ステーキの研究をしているというニュースを見たことがある。
『いいえ違います』
あたしの答えに呉剛先生は首を振る
『私の代用肉の方がより具体的、現実的だからでしょうか? 宇宙空間でのティラピアの養殖は今は地球上のみの研究段階。しかし、私の代用肉の原料の植物は宇宙ステーションでの栽培実績があります』
うん、そこはあたしも弱い所だと思った。
『それも違います』
これも違うか。
だとしたら何かしら。
『ヒントを教えましょう。珠子美女の提唱する生命循環には致命的な欠点があります。そこがマイナスポイントなので”引き分け”なのです』
あたしの料理に致命的な欠点?
ティラピアが低重力下では繁殖できないって論文でも出てたのかしら?
いやいや、そんな研究結果は出てないし、まだ出てこないはず。
メダカだって宇宙ステーションで飼育されているんですもの。
ティラピアだって不可能じゃないはず。
『わかりませんか?』
「わかりません! 降参ですっ!」
「私もわかりません。先生、教えて下さい」
あたしたちの敗北宣言に呉剛先生はニコリと笑う。
『話は単純ですよ。珠子美女の料理は月に住む人間だけでなく、月に棲む”あやかし”に向けた物でもありますよね』
「はい、いずれはこの『酒処 七王子』のように”あやかし”が人間の料理に舌鼓を打つような社会が月面で築けると思っています」
蒼明さんは垣根は必要だと主張したけど、あたしは垣根の無いエリアも必要だと思うの。
そんな人と”あやかし”が肩を並べて食事が楽しめる未来が理想。
『月に棲む”あやかし”はみな美しいです。私などその中ではかなり醜い方でしょう、桂樹を切る罪人ですからね。嫦娥様や月の天女、隣の輝夜様、三軒隣のアルテミス様に比べたらゴミみたいなものです』
呉剛さんほどの美しさがゴミだとしたら、あたしはお排泄物ね、きっと。
あれ? 排泄物?
「ご、呉剛先生。ひょっとしてひょっとすると……まさか!?」
あたしの指が空になった皿と呉剛先生のお腹を往復すると、先生は女の子なら誰でも黄色い声を上げたくなるようにニコリと笑った。
『はい、珠子美女が提唱したティラピア養殖の生命循環には食べる者の排泄物が必要不可欠ですよね。ですが……』
そして、呉剛先生はあたしのまさかが正しいとばかりに眩しい笑顔でこう言ったのです。
『私たちはお排泄をしません』ピカーン
て、天国のおばあさま。
あたしはまだ勉強が、いいえ想像力が足りませんでした。
月は実像ですが、月の”あやかし”は偶像だったのです!




